リーグ・オブ・ジェントルメン The League of Gentlemen | |
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出身地 | イングランド ドーセット |
ジャンル | ポストパンク、ニュー・ウェイヴ |
活動期間 | 1980年 |
レーベル | EG/ポリドール |
共同作業者 | キング・クリムゾン、XTC、シュリークバック、ギャング・オブ・フォー |
旧メンバー |
ロバート・フリップ サラ・リー バリー・アンドリューズ ケヴィン・ウィルキンソン ジョニー・トゥーバッド |
リーグ・オブ・ジェントルメン(The League of Gentlemen)は、1980年3月から12月にかけて活動したイングランドのロック・バンドである。1969年から1974年までのキング・クリムゾンでの活動で名を知られたロバート・フリップ(ギター)が、1981年にキング・クリムゾンを復活させる前年に元XTCのバリー・アンドリュース(キーボード)らと結成した。
フリップが1960年代にゴードン・ハスケルらと結成したセミプロ・バンド[1]と同じ名前だが関係はない[2]。
1974年9月、フリップはキング・クリムゾンが「存在を停止した」[注釈 1]と発表し[3]、引退に入った。そして1976年に復帰してピーター・ガブリエルの初のソロ・アルバムの制作に参加し[注釈 2][4]、1977年にはベルリンでデヴィッド・ボウイのアルバム『英雄夢語り (ヒーローズ)』に参加する一方、ダリル・ホールの初のソロ・アルバム"Sacred Songs"[注釈 3]とガブリエルの2作目のソロ・アルバムのプロデューサーを務めた。そして1978年1月、初のソロ・アルバムの制作に着手し、ガブリエル、ブライアン・イーノ、フィル・コリンズ、アンドリュース[注釈 4][5]らの援助を仰いで[6]ほぼ一年を費やし、翌1979年にアルバム『エクスポージャー』として発表した[7]。
1980年1月、フリップは2作目のソロ・アルバム"God Save the Queen/Under Heavy Manners"を発表。彼はアルバムの片面"Under Heavy Manners"を『ディスコトロニクス』(Discotronics)と呼んだ。そして3月、『エクスポージャー』に参加したアンドリュース[注釈 5](キーボード)、サラ・リー[注釈 6](ベース)、ジョニー・トゥーバッド(パーカッション)とリーグ・オブ・ジェントルメンを結成した[8][9]。
彼等は同年12月までの約7か月間に渡ってヨーロッパと北米で広範囲にわたるツアーを行い、クラブや大学で演奏した[10]。アルバム『リーグ・オブ・ジェントルメン』のライナーノーツに詳しく記載されているように、77か所の特定されたツアー日程が行われている。このリストから欠落しているのは、イングランドのドーセットにあるウィンボーン・ミンスター近くのキングストン・レイシーの郊外にあった14世紀のハンティング・ロッジ[注釈 7][11]で2月24日から27日までの日程で行われた4回のギグである。これらは4月10日にバースのモールで行われた初の「公式」ギグよりも前のもので、おそらくウォームアップである。後期にはケヴィン・ウィルキンソン[注釈 8]がトゥーバッドにとって代わった。
1981年2月、アルバム"The League of Gentlemen"をフリップ名義で発表。
フリップは自分達を「ニュー・ウェイヴ・インストゥルメンタル・ダンス・バンドを巡る第2師団」と呼んだ。『The Trouser Press Record Guide』は彼等の音楽を典型的な「フリップとアンドリューズがホーンをロックする単純な中速から速さのあるバックビートを取り、旋律の発達がゆっくり、確実に、少しずつ出現している」と説明している[12]。『Trouser Press』も示唆しているように、リーグ・オブ・ジェントルメンのダンス志向のロックへの進出は、フリップが1981年に誕生させた新しいキング・クリムゾンの前兆となった[13]。