リーランド・スタンフォード・ジュニア

リーランド・スタンフォード・ジュニア
Leland Stanford Jr.
生誕 Leland DeWitt Stanford
(1868-05-14) 1868年5月14日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント
死没 1884年3月13日(1884-03-13)(15歳没)
イタリアの旗 イタリア フィレンツェ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
著名な実績 スタンフォード大学の名前の由来
テンプレートを表示
アイリス&B・ジェラルド・カンター視覚芸術センター英語版に展示されているリーランド・スタンフォード・ジュニアのデスマスク

リーランド・スタンフォード・ジュニア(Leland Stanford Jr.、1868年5月14日 - 1884年3月13日)は、リーランド・スタンフォード・ジュニア大学(スタンフォード大学)の創立者。リーランド・スタンフォードの子である。同大学の名称は彼の名からとられた。

生涯

[編集]

父はカリフォルニア州知事のリーランド・スタンフォード、母はジェーン・スタンフォード英語版(旧姓 ラスロップ(Lathrop))である。彼を生んだときの母は39歳で、結婚以来18年間子供が生まれなかった。出生時はリーランド・デウィット・スタンフォード(Leland DeWitt Stanford)という名前で、9歳のときにリーランド・スタンフォード・ジュニアに改名した[1]

16歳の誕生日を迎える2か月前、彼は両親とともにヨーロッパへのグランドツアーに出発した。アテネ滞在中に腸チフスを発症した。両親は、治療を受けさせるために彼をイタリアへつれて行き、最初はナポリ、次にローマ、最後はフィレンツェへ行った。そこで病状の回復と悪化を繰り返し、数週間後に死亡した[2]

スタンフォード大学

[編集]

父のリーランド・スタンフォード・シニアは妻に、「カリフォルニア州の子供たちは私たちの子供になるだろう」と語った[3][4][5]。帰国後、息子の名前を残すために、自分の財産を捧げて大学を創立することを構想した。この大学は1891年に開学し、息子の名前をつけて「リーランド・スタンフォード・ジュニア大学」(Leland Stanford Junior University)と名付けられた。一般にはスタンフォード大学と呼ばれる。大学の印章には、この正式名称が書かれている。

リーランド・スタンフォード・ジュニアの遺体は、スタンフォード大学の敷地内にあるスタンフォード霊廟英語版で、両親の側に安置されている。

1893年6月21日に父親が死亡した後[6]、彼の母親は1905年2月28日に亡くなるまでスタンフォード大学の発展を導いた。

脚注

[編集]
  1. ^ Stanford Founders
  2. ^ Mirielees, Edith R., Stanford:The Story of a University, G.P. Putnam's Sons, New York, 1959, page 20
  3. ^ The National Cyclopaedia of American Biography, Vol. II, p. 129. New York: James T. White & Company, 1899. Reprint of 1891 edition.
  4. ^ Dictionary of American Biography, Vol. XVII, p. 504. New York: Charles Scribner's Sons, 1935.
  5. ^ Cleveland Amory, Who Killed Society?, pp. 432–433. New York: Harper & Brothers, 1960.
  6. ^ Cutler, Robert W.P. (August 1, 2003). The Mysterious Death of Jane Stanford. Stanford University Press. ISBN 978-0-8047-4793-6. OCLC 52159960. Retrieved December 19, 2012.

外部リンク

[編集]