『ロデオの恋人』 『Sweetheart Of The Rodeo』 | ||||
---|---|---|---|---|
バーズ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | ||||
レーベル | コロムビア | |||
プロデュース | ゲイリー・アッシャー | |||
バーズ アルバム 年表 | ||||
| ||||
『ロデオの恋人』収録のシングル | ||||
|
『ロデオの恋人』(ロデオのこいびと、Sweetheart of the Rodeo)は、1968年にリリースされた、バーズの6作目のスタジオ・アルバム。
前作『名うてのバード兄弟』をレコーディング中の1967年10月 にデヴィッド・クロスビーが、さらにアルバム・レコーディング終了と前後してマイケル・クラークがそれぞれ脱退。バーズはギターのロジャー・マッギンとベースのクリス・ヒルマンの2人だけとなり、バンドとしての存続が危ぶまれた。そんな中、10月にヒルマンのいとこで、ライ・クーダーとタジ・マハールのバンド“ライジング・サンズ”のメンバーだったケヴィン・ケリー、11月には“インターナショナル・サブマリン・バンド”のメンバーとしても活動していたグラム・パーソンズがそれぞれ新メンバーとして加わった[1]。
新メンバーの二人、なかでもパーソンズは、ロック・シーンにおけるカントリー・ミュージックの強力な推進者であり、かねてからヒルマンも一目置いていた存在だった。ヒルマンの紹介でやってきたパーソンズが実は熱心なカントリー・ミュージック信奉者であることをマッギンは知らず、単にキーボードができるということでメンバーに迎えたという。ところがパーソンズはバーズの一員となった途端、マッギンにナッシュビルでのレコーディングを執拗に勧めた。こうして1968年8月にリリースされた本作はいわば、パーソンズにバンドが乗っ取られたアルバムとなったが、結果的にカントリー・ロックの先駆者としてバーズの名を高めたアルバムとなった[1][2]。
しかし、パーソンズはカントリー志向をめぐってマッギンと対立し、アルバム発売を待たずにバーズを脱退。同じくバーズを抜けたヒルマンらと“フライング・ブリトー・ブラザーズ”を結成、カントリー・ロックを全米に広めた[2]。もうひとりの新メンバーであるケヴィン・ケリーも、当時バーズの準レギュラー・メンバーだったクラレンス・ホワイトがケリーの演奏技術に不満を抱いていたことから1968年7月、ホワイトの意向でジーン・パーソンズと交替させられた[3]。
なお、アルバムには当初、パーソンズのリードで歌われるはずだった曲は6曲だが、アルバム発表当時、バーズ加入以前にパーソンズが在籍したインターナショナル・サブマリン・バンドとそのレコード会社であるLHIとの契約がまだ存続していた。そのためトラブルの発生を恐れたコロムビアがグラム・パーソンズのボーカルを差しかえるように指示、マッギンやヒルマンによって歌い直されるという、パーソンズにとっては屈辱的な経緯があった。結果として彼のリードで収録されたトラックは3曲だけとなった[4]。
本作は、雑誌『ローリング・ストーン』が選んだ「歴代最高のアルバム500選」において274位に選ばれている[5]。
Produced by Gary Usher |
We Would like to thank the following : |
Roger McGuinn - Guitar, Banjo |
Chris Hillman - Bass Guitar, Mandolin |
Gram Parsons - Guitar |
Kevin Kelley - Drums |
Earl P. Ball - Piano |
Jon Corneal - Drums |
Lloyd Green - Steel Guitar |
John Hartford - Banjo, Guitar |
Roy M.Husky - Bass |
JayDee Maness - Steel Guitar |
Clarence J.White - Guitar |
Album Package Design by Geller and Butler Advertising; |
Cover Illustration by Jo Mora, copyright 1933 |