ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ Venanzio Rauzzini | |
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Robert Hancockによる点描画 | |
基本情報 | |
生誕 |
1746年12月19日 教皇領、カメリーノ |
死没 |
1810年4月8日(63歳没) イギリス イングランド、バース |
ジャンル | クラシック |
職業 | カストラート歌手、作曲家 |
ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ(Venanzio Rauzzini, 1746年12月19日 - 1810年4月8日[1])は、イタリア人のカストラート、作曲家、ピアニスト、歌唱指導者、演奏会興行者。
ラウッツィーニは少年期、システィーナ礼拝堂の合唱団に所属しており、ドメニコ・コッリとムツィオ・クレメンティの弟子であった。またローマではジュゼッペ・サンタレッリに、ナポリではニコラ・ポルポラに師事している[2]。
ラウッツィーニはカメリーノに生まれた。彼がオペラデビューを果たしたのは1765年、ローマのヴァッレ劇場であり、ニコロ・ピッチンニのオペラ「Il finto astrologo」で男性役の1人を演じた[3]。1766年にはヴェネツィアのサン・サムエレ劇場で歌い、その後の1766年から1767年にはバイエルン国立歌劇場の舞台に上がった[2]。ラウッツィーニは多くの既婚女性と浮名を流したために、ミュンヘンの宮廷を去らねばならなくなった[4]。次に1767年に彼がウィーンの宮廷で歌った際には、モーツァルトが聴いていた。モーツァルトは「ラウッツィーニの歌声を聴いて喜んだ反応をし、ミラノで『ルチオ・シッラ』(1772年)の主役を演じて欲しいと申し出た。その後、特に彼のためにモテット『エクスルターテ・ユビラーテ』(1773年)を作曲している[5]。」
ラウッツィーニは1770年代初頭にはヴェネツィアとミュンヘンでの演奏活動に復帰し、1774年から舞台を退く1778年まではロンドンでも大きな興行的成功を収めた[6]。オペラ歌手として第一線を退いた後、彼は歌唱とピアノの指導を行い、また多くのオペラを作曲した[2]。数年間ロンドンに暮らした後の1780年にバースに居を構え、1781年にニュー・アセンブリー・ルーム・コンサートの指揮者となった[7]。ハイドンは1794年にラウッツィーニの元に滞在し、もてなしへの返礼としてカノン「タークは忠実な犬でした Turk was a Faithful Dog」を作曲した。題はラウッツィーニの愛犬の記念碑からとられている[8]。ラウッツィーニの著名な弟子にはスティーヴン・ストレース、ナンシー・ストレース、マイケル・ケリー、ジョン・ブラハムらがいる[9]。ラウッツィーニは、1781年頃から1810年に没するまでバースで演奏会の指揮、興行を行った。彼の弟子の多くは、彼が毎年開催する予約演奏会に登場した[10]。彼は生前に自らの歌唱法のアイデアを記した声楽教本や、一冊の専門書を出版している[11]。ラウッツィーニはバース大聖堂に埋葬されており、聖堂には弟子のナンシー・ストレースとブラハムが彼を記念する碑を建てている[12]。
出典