交響曲第1番(こうきょうきょくだいいちばん)ニ長調 D82は、フランツ・シューベルトが作曲した初期の交響曲。現存する交響曲の中では最初に完成させたものであるが、彼はこれより前の1812年頃にニ長調の交響曲(D2B)を構想し、スケッチを試みているが未完に終わっている。演奏時間は約30分[注 1]。
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Schubert:1.Sinfonie - アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。 | |
Schubert:Symphony No.1 - マルク・ミンコフスキ指揮ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミーによる演奏。ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミー公式YouTube。 |
当時16歳のシューベルトが帝室王室寄宿神学校(コンヴィクト)在学中の頃である1813年の10月28日の秋に完成させた交響曲であるが、いつ着手したかについては資料が残されていないため不明である。作曲の動機や初演についても不明であるが、パート譜にコンヴィクトの校長だったフランツ・ラングへの献呈の辞があることから、校長に献呈するために作曲されたものと考えられている[1](ただし確証はない)。また、本作の総譜の草稿には苦心が見られない点や、それに関係するスケッチ類が残されていないことから、速筆で書き上げられたと思われる[1]。
初演は1813年秋にコンヴィクトの演奏会で行われたと考えられるが、その時の資料が現存しないため不明である。一般公開での初演は、シューベルトの死後52年を経過してからであった。シューベルト研究家のジョージ・グローヴが第1番から第5番までの交響曲の上演を試みた際、まず第1楽章のみ1880年1月30日にロンドンの「水晶宮コンサート」にてグローヴの友人オーガスト・マンスの指揮で演奏が行なわれた。そして翌1881年2月5日、同地で同じくマンスの指揮により初めて全曲が演奏された[注 2]。
自筆譜は現在ウィーン楽友協会に保存されている。ハイドンやモーツァルト、そしてベートーヴェンを手本にするなど、古典派音楽の作曲様式にのっとって作曲されていて、特にメヌエットや終楽章に影響が見られる。
総譜の草稿は元々兄のフェルディナントが保管していたが、フェルディナントの没後に弁護士のエドゥアルト・シュナイダーの手に渡り、さらに1880年代初頭にシューベルトの作品の収集家ニコラウス・ドゥンバが所有していた。なおドゥンバの死後、遺言によってウィーン楽友協会へ寄贈された。
フルート1、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部
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第1楽章 Adagio - Allegro vivace | |
第2楽章 Andante | |
第3楽章 Menuetto. Allegro | |
第4楽章 Allegro vivace チェ・スヨル指揮コリアン・シンフォニー・オーケストラによる演奏。マチネー・コンサート(韓国・城南文化財団)公式YouTube。 |
全4楽章より成る。