伊吹山 | |
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滋賀県米原市・長浜市境からの眺め(2022年8月7日) | |
標高 | 1,377.31[1] m |
所在地 |
日本 滋賀県米原市 岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町 |
位置 | 北緯35度25分04秒 東経136度24分23秒 / 北緯35.41778度 東経136.40639度座標: 北緯35度25分04秒 東経136度24分23秒 / 北緯35.41778度 東経136.40639度[2] |
山系 | 伊吹山地[2] |
種類 | 堆積岩(石灰岩) |
伊吹山の位置 | |
プロジェクト 山 |
伊吹山(いぶきやま、いぶきさん[3])は、滋賀県と岐阜県の県境を南北に走る伊吹山地の主峰(最高峰)である、標高1,377 mの山[4]。伊吹山自体は滋賀県側は米原市、岐阜県側は揖斐郡揖斐川町と不破郡関ケ原町に属し、一等三角点が置かれている山頂部は米原市域にある[1]。滋賀県の最高峰であり、山域は琵琶湖国定公園に指定されている[5]。
古くから霊峰とされ、『古事記』『日本書紀』においてはヤマトタケル(日本武尊)が東征の帰途に伊吹山の神を倒そうとして返り討ちにあったとする神話が残されている[6]。日本百名山[7]、新・花の百名山[8]、一等三角点百名山[9]、関西百名山[10]、近畿百名山、ぎふ百山[11]の1つに選定されている。滋賀県、岐阜県、愛知県、三重県の多くの学校の校歌で「伊吹山」に関する語句が歌われている[12][注釈 1][13]。
『日本書紀』では「五十葺山」[6]、『古事記』では「伊服阜能山」と記されている[14][15]。ほかにも「伊吹山」や「伊吹」の別表記として「膽吹山[3]」「伊服阜山[3]」「伊夫阜山[3]」「伊福貴[16]」「異吹[16]」「伊布貴[16]」「伊夫伎[16]」などがある。また、かつて修験道においては「大乗峰」と呼ばれていた[4]。
「伊吹山」は一般的に「いぶきやま」と読まれ、国土地理院に登録されている山名も同様であるが、一部では「いぶきさん」とも呼ばれる[3]。滋賀県内では伊吹山に近い地域(米原市の旧伊吹町など)では「いぶきやま」、伊吹山から遠い地域になるほど「いぶきさん」と呼ぶ傾向があるとされ[17]、美濃地方(岐阜県南部)や尾張地方(愛知県西部)でも「いぶきさん」と呼ばれることがある[18]。
古くから神が宿る山として山岳信仰の対象であった。室町時代後期には織田信長により、山上に野草園が造られたとされている[7]。明治以降に近代登山の対象となった[19]。大正時代には中山再次郎により、関西からスキーに訪れる山として注目されるようになった[19]。1964年(昭和39年)に深田久弥により日本百名山に選定されると、百名山ブームもあり全国的に登山対象の山として知名度も高まった[19]。1965年(昭和40年)に伊吹山ドライブウェイが開通すると、9合目まで容易に上がれるようになり山頂部は観光地化した。
年 | 伊夫伎神社 (近江国坂田郡) |
伊富岐神社 (美濃国不破郡) |
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850年 | 従五位下 | |
852年 | 官社指定 | |
859年 | 従五位下 →従五位上 |
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865年 | 従五位下 →従四位下 | |
877年 | 正四位下 →従三位 |
従四位下 →従四位上 |
神名帳 | 小 | 小 |
一宮制 | 美濃国二宮 |
伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」、『日本書紀』では「大蛇」とされていた[20]。『古事記』にはヤマトタケル(日本武尊)がこの伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉(米原市醒井の平成の名水百選の一つに選定されている「居醒の清水」[21])で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている[22][23]。山頂部にはその日本武尊の石像と[24]、伊吹山の神の白猪の像が設置されている。表登山道の三合目西側の「高屋」と呼ばれる場所はヤマトタケルが山の神に出会った場所とされていて、大正時代に石の祠が建立され、その中に木造の日本武尊が祀られた[25]。
また文献によれば、古代には近江国・美濃国の両国で伊吹神が祀られたことが知られる[26]。国史では両神に対する神階奉叙の記事が散見され、中央にも知られる神であった[26]。両神は、『延喜式』神名帳においてもそれぞれ「伊夫伎神社」「伊富岐神社」として記載されて式内社に列しているほか、美濃の伊富岐神社は美濃国内において南宮大社(一宮)に次ぐ二宮に位置づけられた[27]。現在も近江の神社は伊夫岐神社(滋賀県米原市伊吹)として、美濃の神社は伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町岩手)として祭祀が継承されている。
創祀については美濃地方の豪族の伊福部氏との関係を指摘する説があるが[27]、複雑な創祀の事情を想定する説もある。『日本書紀』において伊吹山の神は龍蛇体とされるが、伊夫岐神社では八岐大蛇を祭神とする説があり、酒吞童子を伊吹山の八岐大蛇の子とする物語もある。また、『近江国風土記』において伊吹山の神である多多美彦命は霜速比古命の子であるとされる。
神道だけでなく、日本の仏教や修験道においても、信仰の対象や修行の場とされた。役小角が伊吹山に登り、弥高寺と大平寺を建立したと伝えられている[28]。白山を開山した泰澄は、この山に分け入り白山信仰を伝えた[28]。9世紀に伝わった密教と結びついて修験の場として、多くの寺院が山中に建立されるようになった[29]。851-854年(仁寿年間)に僧三修により、伊吹山の南側の中腹の尾根上に山岳寺院の弥高寺が建立されたことが『日本三代実録』に記録されている[29]。三修(さんじゅ)により山上と山麓に山岳寺院が建立され、江戸時代まで山岳修行の山とされていた[28]。弥高寺は伊吹山寺と呼ばれる定額寺の中心となる一つで、伊吹四大寺として他に大平寺、長尾寺、観音寺が建立され[29]、のちに伊吹護国寺となった[4]。鎌倉時代には修験者が多く入山して一時は数百の堂房が山中に建ち隆盛したが、戦国時代に兵火でほとんどが焼失し、現存せずその地名が残されている[4]。弥高寺は戦国時代に京極氏や浅井氏により城郭の一部として改造され、1512年(永正9年)に兵火に遭い、その後、麓に坊舎が移された[4][29]。円空は伊吹山の太平寺に暮らし、平等石(行道岩)で修行を行い、木彫仏を残している[30]。大平寺集落は1963年(昭和38年)のサンパチ豪雪(昭和38年1月豪雪)で交通が断絶するなどの被害を受けたため、集落全14戸の総意で廃村を選択し、土地を大阪セメントに売却して麓に移住、円空作の十一面観音も移住先に建てられた大平観音堂に移された[31]。大平寺の中之坊跡などがまだ削られずに残っているが、住友大阪セメントの社有地であるため立ち入りはできない。「弥高寺跡」は2004年(平成16年)2月27日に、国の史跡に指定された[32]。
伊吹山は冬に日本海側からの季節風の通り道となり、濃尾平野では、冬季に北西の方角から吹く季節風を「伊吹おろし」と呼ぶ[48]。亜寒帯湿潤気候で雪も非常に多く、1927年2月14日には世界最深積雪記録となる積雪量1182cmを記録しており、現在でもこの記録は破られていない。また、旧平年値(1971-2000)における月別平均気温は北海道稚内市とほぼ同じ値となっている[49]。以下、データは2001年3月31日に観測を終了した伊吹山測候所の記録である。
伊吹山(標高1375.8m、平年値1971-2000年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 9.9 (49.8) |
10.8 (51.4) |
14.6 (58.3) |
22.1 (71.8) |
23.5 (74.3) |
25.4 (77.7) |
27.6 (81.7) |
29.2 (84.6) |
28.8 (83.8) |
21.4 (70.5) |
18.3 (64.9) |
13.8 (56.8) |
29.2 (84.6) |
平均最高気温 °C (°F) | −2.8 (27) |
−2.6 (27.3) |
1.2 (34.2) |
8.6 (47.5) |
13.3 (55.9) |
16.3 (61.3) |
20.0 (68) |
21.1 (70) |
17.5 (63.5) |
12.2 (54) |
6.5 (43.7) |
0.2 (32.4) |
9.3 (48.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −7.4 (18.7) |
−7.8 (18) |
−4.7 (23.5) |
1.3 (34.3) |
6.2 (43.2) |
11.1 (52) |
15.1 (59.2) |
15.9 (60.6) |
12.2 (54) |
6.1 (43) |
0.7 (33.3) |
−4.6 (23.7) |
3.7 (38.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −16.3 (2.7) |
−16.5 (2.3) |
−15.9 (3.4) |
−10.0 (14) |
−5.6 (21.9) |
0.3 (32.5) |
6.5 (43.7) |
7.6 (45.7) |
3.2 (37.8) |
−3.6 (25.5) |
−9.9 (14.2) |
−14.7 (5.5) |
−16.5 (2.3) |
降水量 mm (inch) | - | - | - | 134.6 (5.299) |
166.2 (6.543) |
279.7 (11.012) |
315.2 (12.409) |
217.1 (8.547) |
253.7 (9.988) |
142.3 (5.602) |
90.4 (3.559) |
- | - |
出典1:伊吹山気温[50] | |||||||||||||
出典2:気象庁[51] |
伊吹山は約3億年前に噴火した海底火山であったとされている[52]。ウミユリやフズリナの化石が発見されたことから、地層には約2億5千年前の古生代に海底に堆積した層が含まれていると考えられている[4][15]。その時期にサンゴ礁が形成されたことで石灰質の地層が堆積した。中腹より上部は、古生代二畳紀に形成された石灰岩が広く分布している[38]。山頂部では、カレンフェルトや巨大な石灰露岩などのカルスト地形が見られる[38][53]。石灰岩には塊状の亀裂が多く、水透しが良く表土は乾燥し易い[38]。現在は良質の石灰岩が採掘される山として知られている。
山麓は湧水の里としても知られている[54]。石灰岩層は山肌に降った雨などを浸透させ、伊吹山の山麓には石灰岩層から抽出されたカルシウム分などミネラルを多く含む湧水が豊富である。このうち、泉神社 (米原市)の湧水は名水百選の一つに選ばれている。醒井宿にある居醒の水が平成の名水百選に選ばれたほか、「春照の泉(臼谷の湧水)」が知られている。南西山麓にある米原市上野の伊吹山の登山口には「ケカチの水」と呼ばれる湧水がある。山頂の弥勒堂へ向かう山岳行者が身を清めた場所とされていた。
高山植物を含めて植生豊かな山であるが、ニホンジカによる食害が深刻化しており、土砂崩れも誘発している[55]。
標高が低い山であるが、石灰岩層の山であることと地理的な環境条件などの要因で植物相が豊かで植物研究に貴重な山とされ[15]、牧野富太郎らの多くの植物学者や採薬師により調査がなされている[56][57]。日本では高尾山に次いで、藤原岳と共に2番目に植物の種類が多い山であるとする調査結果がある[58]。山麓から山頂にかけて様々な野草の群生地があり、コイブキアザミ Cirsium confertissimum などの9種の固有種がある[34][注釈 3]。高山の高茎草原に見られる種も自生していて、おもなものとしてオオバギボウシ、カノコソウ、キバナノレンリソウ、クガイソウ、シシウド、シモツケ、シモツケソウ、ニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、メタカラコウ、ユウスゲ、ルリトラノオなどがある[59]。頂上の残雪表面では雪氷藻類が確認されている[60]。
山頂部では樹木の生育が抑えられて高木が少なく、日本では数少ない北方性の高山植物または亜高山性植物の植物が分布する山地草原が発達している[61][注釈 4][38]。約300種の温帯性および亜高山性の草木の群生地となっていて、近畿地方以南では他に例がない。地層形成年代が古いことと高山的な気象条件になることから、伊吹山の固有種を産出している[57][61]。日本で分布の西南限となっている種が多数ある[57]。日本海要素の植物が多い[57][61]。石灰岩地を好んで生育する植物が多い[57][61]。西日本に分布する南方要素(襲速紀要素)の植物が北上してきている[57][61]。多くの薬草(民間薬草が230種ほど、局方薬草19種)が分布し[62]、イブキカモジグサ、キバナノレンリソウ[注釈 5][63]、イブキノエンドウのように、ヨーロッパを原産とする雑草が生育しているが、これらは、織田信長がポルトガル人宣教師の希望を聞き入れ、伊吹山に土地を与えてハーブガーデンを作ったときに、ヨーロッパから持ち込まれたハーブに紛れて入ってきたと推測されている[15][33][64]。オオバギボウシとメラカラコウ群落、オウバギボウシとショウジョウスゲ群落、サラシナショウマ群落、フジテンニンソウ群落、シモツケソウ群落、アカソ群落、岩場のイブキジャコウソウ群落、チシマザサ群落などが草本植物群落の季節ごとのお花畑となる[57]。2003年(平成15年)7月25日に、「伊吹山頂草原植物群落」が、代表的高山植物帯、特殊岩石地植物群落、著しい植物分布の限界地であることなどにより、国の天然記念物に指定された[39][40][38]。周囲の木本植物群落としては、イブキシモツケ群落、オオイタヤメイゲツとミヤマカタバミ群落、ブナとオオバクロモジ群落などがある[57]。
上野からの登山道の3合目の草原にはユウスゲの群生地があり、ニホンジカなどによる食害対策として防護ネットが設置され、観察路などが整備されている[65]。2013年(平成25年)から7月下旬に、その群生地で「ユウスゲ祭り」が開催されている[65]。このユウスゲの群生地付近はオカメガハラと呼ばれ、春から秋にかけて70種ほどの草花が生育している。またその北側の3合目公衆トイレ周辺では100種ほどの草花が生育している。2009年(平成21年)から西山麓の姉川左岸の米原市大久保地区周辺にはセツブンソウ、キバナノアマナなどの群生地があり、春先に「セツブンソウふれあい祭り」が開催されている[66]。
山麓は針葉樹と広葉樹地帯で、三合目から上部は草地となり、1,700種を超える多くの植物が分布している[6][67]。
イブキトラノオのように最初に伊吹山で発見されたことから、和名に「イブキ」を冠する種が多数ある[72]。イブキアザミ、コイブキアザミ、イブキコゴメグサ[73]、イブキジャコウソウ、イブキスミレ[74]、イブキトラノオ、イブキフウロ、イブキトリカブト[75]、イブキレイジンソウといった20種以上のイブキを冠する種の植物が自生している[59][76][77]。田中澄江が著書『新・花の百名山』で伊吹山を代表する花の一つとして、イブキジャコウソウを紹介した[8]。
和名 | 学名 | 属 | 科 | 絶滅危惧分類 |
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イブキアザミ(伊吹薊) | Cirsium confertissimum var. herbicola | アザミ属・Cirsium | キク科・Asteraceae | NT・岐阜 |
イブキカモジグサ(伊吹髢草) | Elymus caninus | エゾムギ属・Elymus | イネ科・Poaceae | |
イブキクガイソウ(伊吹九蓋草) | Veronicastrum sibiricum | クガイソウ属・Veronicastrum | ゴマノハグサ科・Scrophulariaceae | |
イブキキンポウゲ(伊吹金鳳花) | Ranunculus japonicus Thunb. var. ibukiensis | キンポウゲ属・Ranunculus | キンポウゲ科・Ranunculaceae | |
イブキキンモウゴケ(伊吹金毛苔) | Ulota perbreviseta | キンモウゴケ属・Ulota | タチヒダゴケ科・Orthotrichaceae | |
イブキコゴメグサ(伊吹小米草) | Euphrasia insigna Wettst. subsp. iinumai | コゴメグサ属・Euphrasia | ゴマノハグサ科・Scrophulariaceae | VU・環境省/岐阜 |
イブキシダ(伊吹羊歯) | Thelypteris esquirolii Ching var. glabrata | ヒメシダ属・Thelypteris | ヒメシダ科・Thelypteridacea | |
イブキシモツケ(伊吹下野) | Spiraea dasyantha | シモツケ属・Spiraea | バラ科・Rosaceae | |
イブキジャコウソウ(伊吹麝香草) | Thymus serpyllum ssp. quinquecostatus | イブキジャコウソウ属・Thymus | シソ科・Lamiaceae | NT・岐阜 |
イブキスミレ(伊吹菫) | Viola mirabilis var. subglabra | スミレ属・Viola | スミレ科・Violaceae | VU・滋賀 |
イブキゼリモドキ(伊吹芹擬) | Tilingia holopetala | シラネニンジン属・Tilingia | セリ科・Apiaceae | |
イブキセントウソウ(伊吹仙洞草) | Chamaele decumbens Makino f. dilatata | セントウソウ属・Chamaele | セリ科・Apiaceae | |
イブキソモソモ(伊吹抑) | Poa radula Franch. et Savat | イチゴツナギ属・Poa | イネ科・Poaceae | |
イブキタイゲキ(伊吹大戟) | Euphorbia pekinensis Rupr. var. ibukiensis | トウダイグサ属・Euphorbia | トウダイグサ科・Poaceae | |
イブキトボシガラ(伊吹点火茎) | Festuca parvigluma Steud. var. breviaristata | ウシノケグサ属・Festuca | イネ科・Poaceae | VU・環境省 |
イブキトラノオ(伊吹虎の尾) | Persicaria bistorta | イブキトラノオ属・Bistorta | タデ科・Polygonaceae | |
イブキトリカブト(伊吹鳥兜) | Aconitum japonicum var. ibukiense | トリカブト属・Aconitum | キンポウゲ科・Ranunculaceae | |
イブキヌカボ(伊吹糠穂) | Milium effusum | イブキヌカボ属・Milium | イネ科・Poaceae | |
イブキノエンドウ(伊吹野豌豆) | Vicia sepium | ソラマメ属・Vicia | マメ科・Fabaceae | |
イブキハタザオ(伊吹旗竿) | Arabis gemmifera var. alpicola | ヤマハタザオ属・Arabis | アブラナ科・Brassicaceae | |
イブキビャクシン(伊吹柏槇) | Juniperus chinensis | ビャクシン属・Juniperus | ヒノキ科・Cupressaceae | |
イブキフウロ(伊吹風露) | Geranium yesoense var. lobato-dentatum | フウロソウ属・Geranium | フウロソウ科・Geraniales | VU・岐阜 |
イブキボウフウ(伊吹防風) | Seseli libanotis ssp. japonica | イブキボウフウ属・Libanotis | セリ科・Apiaceae | NT・岐阜/滋賀 |
イブキレイジンソウ(伊吹伶人草) | Aconitum chrysopilum | トリカブト属・Aconitum | キンポウゲ科・Ranunculaceae | NT・環境省、UV・岐阜/滋賀 |
コイブキアザミ(小伊吹薊) | Cirsium confertissimum | アザミ属・Cirsium | キク科・Asteraceae | VU・環境省、NT・岐阜 |
このうち、以下の種は環境省ならびに岐阜県庁、滋賀県庁で、レッドリストに絶滅危惧II類(Vulnerable, VU)あるいは準絶滅危惧(Near Threatened, NT)に指定されている[78]。
石灰岩の山であることからカタツムリが多い。哺乳類では、ツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンカモシカ、イノシシ、ニホンアナグマ、ニホンノウサギなどが生息する[79][80]。鳥類では、草原などに生息するカッコウ、ツツドリ、ウグイス、ホオジロや、ヤマドリ、キジ、アオゲラ、アカゲラ、カケス、オオルリ、キビタキ、シジュウカラ、ヤマガラ、トビとイヌワシなどの猛禽類などが生息する[81][80]。花にはイチモンジセセリ[82]、ウスバシロチョウ[83]、ウラギンヒョウモン[84]、キアゲハ[85]、スジボソヤマキチョウ[86]などの蝶を含む多くの昆虫が集まる。
伊吹山の石灰岩は、古くは漆塗りの原材料に用いる消石灰として1661年ごろには開発されていたが[35]、近代はコンクリート・セメント需要の急増により大量に採掘されてきた。1949年に近江鉱業が伊吹山に弥高採鉱場を開き[87]、1951年に住友大阪セメント伊吹工場が開発工事に着手する[88]など、大規模に採掘が進められ、南西の稜線は山容が変貌するまでに大きく削り取られた[35]。1971年からは住友大阪セメント伊吹工場によって南西斜面の緑化活動が始められ、2003年に同社が滋賀鉱産株式会社に事業を引き継いだ現在も続けられている[89]。鉱山としては現在も近江鉱業および滋賀鉱産が稼行している。
伊吹山は薬草の宝庫として[53][67]、古くから利用されていた[90]。ヨモギ、トウキ、センキュウが「伊吹三大薬草」とされている[90]。さらに多くの植物を配合して「伊吹百草」の名で百草茶や入浴剤などが周辺の山麓で生産されていた[90]。
山麓では約280種の薬草が生え、揖斐川町春日川合の古屋地区では昔から薬草を生活の糧にして生きてきた[91]。薬草仲買人の小寺甚五郎により薬草の買入帳と売上帳が残され、売買された薬草の品目と取引量などが記録されている[92][93][94]。
お灸で用いられるもぐさとして「伊吹もぐさ」が知られている[15]。滋賀・岐阜県境の伊吹山は記紀にも登場するが、モグサあるいはヨモギとの関連で記述されるようになるのは織田信長の時代のこととされる[95]。『南蛮寺物語』(1768年)や『本朝医談』(1822年)によれば、信長は永禄あるいは元亀年間(1570年前後)にポルトガル宣教師フランソワー・カブラルの請願により江州(近江国)の伊吹山に薬草園を開いたという[95][96]。なお、古典文学でヨモギの古名またはもぐさのことを指す「さしもぐさ」「させもぐさ」の枕詞として数多く登場する伊吹山の場所については議論がある[97][96]。諸説あるが、多数説によると和歌に詠まれたこれらの伊吹山は下野国の伊吹山(栃木市)であるとされ、能因法師は『坤元儀』で、契沖は『勝地吐懐編』で下野国の伊吹山であるとしている[95][96]。区別のために滋賀・岐阜県境の伊吹山は近江伊吹山あるいは江州伊吹山、栃木県の伊吹山は下野伊吹山と称されたが、いずれも近隣に「しめじが原」という名の土地があり山岳仏教など何らかの宗教的介在の存在(修験者によって下野から近江に伝えられた)があるとする見方もある[95][96]。滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山がヨモギの産地となるのは江戸時代からとされる[98]。
元禄4年(1691年)の磯貝舟也『日本賀濃子(日本鹿子)』は近江の産物として「伊吹蓬艾」を記している[95]。
貝原益軒の『大和本草』は近江と下野の両方のものを取り上げており、江州膽吹山と下野標茅原の艾を挙げている[95]。また、近松門左衛門の浄瑠璃『狩剣本地』には伊吹モグサの功能を述べる条がある[95]。
江戸時代後期には近江商人の亀屋左京が艾を商い、江戸吉原の遊女に「江州柏原、伊吹山の麓の亀屋左京の切り艾」と言う歌を教え込み、歌の流行につれ伊吹艾(いぶきもぐさ)の名が全国に広まるようになった。滋賀県米原市柏原宿には、最盛期には10軒以上の艾屋があった[90]。文化2年(1805年)刊行の『木曽路名所図会』にも柏原宿の説明として「此駅は伊吹の麓にして名産伊吹艾の店多し」との記述がみられる。歌川広重の「中仙道(木曽海道)六十九次」の六十一次柏原宿はモグサ屋の店頭風景の画だが、この店は合名会社亀屋佐京商店として営業を続けている[90][95]。
滋賀県米原市の山麓には、薬草を利用した温泉施設がある[99]。
また、山麓には薬草に関する以下の施設がある。
知られている薬草に以下の植物がある。
1998年(平成2年)、伊吹山麓周辺の自治体により「伊吹山薬草サミット」が設立された。薬草のヤクの語呂合わせとして毎年8月9日に、サミット会議およびオープンサミットが開催されている[102]。会場周辺において構成市町村の薬草を利用した物産販売を実施するなどの事業が行われている[102]。参加自治体は、岐阜県大垣市、養老町、上石津町、関ヶ原町、揖斐川町、大野町、池田町および滋賀県米原市、長浜市で、伊吹山薬草サミット実行委員会の事務局は、大垣市経済部農務課内に置かれている[102]。初回は1998年に、伊吹山の東山麓の薬草の生産地である揖斐川町春日六合の「さざれ石公園」で開催された[102]。
明治以降に近代登山の対象となった[19]。伊吹山の麓は古くから交通の要衝であったため交通の便が良く、中京圏や京阪神からも日帰り登山が行われている。1965年には伊吹山ドライブウェイが開通してバスや自家用車で9合目まで訪れることができるようになり、山頂を訪れる観光客が増加した。7-8月には山頂でご来光を迎える夜間登山者もある[24][103][104]。登山適期は4月から11月中旬頃までで、冬は積雪量が多くラッセルが必要となり、強風で厳しいルートとなる場合がある[103][105]。1915年(大正4年)3月に、中山再次郎が積雪期に登頂した[106]。2014年には、伊吹山入山協力金徴収施設が設置された。
山頂には5軒の売店が営業していて、季節によっては一部の店が日中の売店営業だけでなく夜間登山の仮眠所(収容人数350人)として開いている[67][121]。営業期間外は閉鎖される[121]。山頂から日の出を迎えるために夜間登山も盛んに行われ、週末の深夜などは登山者が携行する電灯が山肌に列をなして見られることがある。上野からの登山道の3合目には自生する山野草の観察路が設置され、5合目には売店、自動販売機、休憩所があり[注釈 6][122]、6合目には米原市により避難小屋が設置されている。3合目には、伊吹高原ホテルの建物があるが営業されていない。山頂部にある伊吹山寺のお堂は、冬期に緊急避難場所として一部が開放されることがある。山頂一帯はテント泊などのキャンプが禁止されている[108]。山頂の一等三角点の近くには伊吹山測候所があったが、2001年に観測業務を終了し、2010年に撤去された。
麓から山頂直下に至る伊吹山ドライブウェイが、ドライブの自家用車や観光バス、路線バスなどにより利用されている。終点の駐車場からは、山頂部の自然庭園のお花畑をめぐる遊歩道が整備され、山頂部には売店群がある。
伊吹山は本州のほぼ中央にあり、若狭湾と伊勢湾に挟まれた、狭まった地理に位置する[131]。伊吹山と南の養老山地と鈴鹿山脈に挟まれた南山麓の関ケ原は、歴史的にも東国と西国との関門として交通の要衝となっている[28]。
両白山地(越美山地)の南端の三国岳(福井県、岐阜県、滋賀県との県境)から伸びる尾根を中心とした伊吹山地の最高峰[6][131]。半独立峰で、伊吹山地の最南端に位置する[38]。山頂からは360度にわたって遠方を見渡すことができ、琵琶湖、白山、御嶽山、濃尾平野などが展望できる。南東の濃尾平野からは伊吹山を望むことができ、多くの学校の校歌で歌われている。
北側の国見峠へ延びる稜線上の御座峰、大禿山、国見岳をつなぐ尾根は、「伊吹北尾根」と呼ばれている[105]。
山容 | 名称 | 標高 (m) |
三角点等級 基準点名[1] |
伊吹山からの 方角と距離(km) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
国見岳 | 1,126 | 北北東 5.0 | 国見岳(同名の山) | ||
大禿山 | 1,083 | 北北東 4.3 | (おおはげやま) | ||
御座峰 | 1,070.04 | 三等 「板波」 |
北北東 3.8 | (ござみね) |
南側の天野川と牧田川を挟んで、鈴鹿山脈と養老山地が対峙している。
山容 | 名称 | 標高 (m) |
三角点等級 基準点名[1] |
伊吹山からの 方角と距離(km) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
金糞岳 | 1,317 | 北北西 16.0 | 滋賀県の第2高峰 | ||
小谷山 | 494.52 | 三等 「大岳」 |
西北西 13.2 | 新・花の百名山 | |
池田山 | 923.85 | 二等 「池田山」 |
東北東 10.4 | 池田の森 | |
伊吹山 | 1,377.31 | 一等 「伊吹山」 |
0 | 滋賀県最高峰 日本百名山、新・花の百名山 | |
霊仙山 | 1,094 | (二等 1,083.45) 「霊仙山」 |
南 15.5 | 花の百名山 | |
養老山 | 895.31 | 二等 「養老山」 |
南南東 20.2 | 養老山地 | |
御池岳 | 1,247 | 南 26.6 | 鈴鹿山脈最高峰 花の百名山 | ||
藤原岳 | 1,144 | (標高未確定) | 南 29.1 | 日本三百名山、花の百名山 新・花の百名山 |
伊吹山を源とする河川には、琵琶湖へ流れる淀川水系と、濃尾平野の河川へ流れる木曽川水系がある。伊吹山と伊吹北尾根はその西側の淀川水系と東側の木曽川水系との分水界となっている[4]。
麓の近江盆地、濃尾平野、東海道本線や東海道新幹線の車窓などからもそのどっしりとした山容を望むことができる[103]。西斜面では石灰岩採掘のために削り取られた山肌が目立ち、景観を害している[4][67][13]。西山麓の米原市の三島池からもその山容を望むことができ[14]、名景とされている[133]。南側にある清滝山(標高439 m)の山頂は、伊吹山を間近に望むことができる展望台となっている[134]。東の池田山からは山容を望むことができるが、南東にある南宮山の登山道からは、ほとんど山容を望むことができない[135]。南南東の養老山地の笙ヶ岳からは山容を望むことができるが、養老山からは望むことができない。南の鈴鹿山脈の霊仙山からは、どっしりとした山容を望むことができる[136]。
山上部からは伊勢湾、南宮山、養老山地、霊仙山から南に連なる鈴鹿山脈、近江盆地、琵琶湖と対岸の比良山地などの山並み、金糞岳などの奥美濃の山々、能郷白山、白山などの両白山地、乗鞍岳などの北アルプス、御嶽山、中央アルプスとその稜線越しに南アルプスの山並みなどを望むことができる[4][15][103]。
伊吹山を主題とするテレビ番組が多数放送されている。