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![]() ロンドンパラリンピックでの伊藤(左) | ||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
国籍 |
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種目 | 短距離走 - 長距離走 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1963年8月16日(61歳) | |||||||||||||||||||||||
生誕地 | 三重県鈴鹿市 | |||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||
100m | 17秒35 | |||||||||||||||||||||||
400m | 57秒25 | |||||||||||||||||||||||
800m | 1分52秒31 | |||||||||||||||||||||||
マラソン | 1時間52分36秒 | |||||||||||||||||||||||
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伊藤 智也(いとう ともや、1963年8月16日 -)は、日本の車椅子陸上アスリート。三重県鈴鹿市出身。ASSA-TC所属。メインスポンサーはJAグループ三重。マネージメントは株式会社オフィス TI-Rが担当している。 座右の銘は「勝って慢らず 負けて僻まず」[1]。
会社経営者だった34歳の時に、難病の多発性硬化症を発症し、車いす生活に。翌年から陸上を始め、北京パラリンピックでは400mなどで金メダル、ロンドン大会では3種目で銀メダル。一時、現役を引退したが、2017年復帰。"車いすの鉄人"と言われる[2]。
引退してから現役復帰した件については株式会社RDSの代表を務める杉原行里が深く関わっている。伊藤は、パラリンピックの北京大会で金メダル、ロンドン大会で銀メダルを獲得。杉原と出会った当時は引退後のことであったが、「伊藤さん、走りましょうよ。俺、あなたのマシンを作りますから!」という杉原による後押しもあり、2020年に向けて現役復帰を宣言した。その後、杉原は伊藤を開発ドライバーとして迎え、二人三脚で開発をスタート。誕生したのが、今回発表された車いすレーサー「WF01TR」である[3]。
『WF01TR』を使用する伊藤が、11月7日~15日の期間ドバイで開催されたパラ陸上の世界大会でひとつ大きな結果を出した。T52クラスの1500m、400m、100mと3つの種目でメダルを獲得し、東京パラリンピックの代表に内定した。一度は、引退しながらも東京パラリンピックでのメダルを目指し、現役復帰した56歳の挑戦が、また一歩前に進んだ。そして、この結果は伊藤のメダル獲得ということだけでなく「感覚の数値化」ということの価値を示した結果でもあった[4]。
伊藤の「感覚を数値化」をきっかけに生まれたのが、シミュレーター『SS01』。座った状態で座面に触れる身体形状の3Dデータやハンドリムの回転速度、回転トルク、重心移動など、様々なパーソナルデータを取得できる。このシミュレーターは、スポーツの先行開発によって生まれた技術でもある[5]。
伊藤は、1964年にアジア・日本で初めて開催された1964年東京パラリンピックに続いて、世界初の同都市歴代複数回数開催となる2020年東京パラリンピックに出場するにあたって行われるクラス分けの判定の結果、従来の病気の進行度の改善により、T52からT53という障害の軽いクラスでの出場となったが、予選敗退(最下位)という結果になったが、57秒16という自己ベストタイムを叩き出し、従来のクラスであるT52では、銅メダルの選手を上回る記録を叩き出した。その後のインタビューでは「(序盤省略)今までの修正ですかね、人(他の選手)が前を行くと、絶対追うったると思って、ただ、クラス分けが53に決まった時に、『もう走れないのではないか』という不安が、1番大きかったですけどね、何が友我、『スタートラインに立てて、フィニッシュラインを超える』ことが出来たのかというのは一安心しています。」と語った。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
(2008年10月現在)