|
この項目では、フライングドッグ代表のアニメ・音楽プロデューサーについて説明しています。元ATG代表、オフィス・シロウズ創立者については「佐々木史朗 (映画プロデューサー)」をご覧ください。 |
佐々木 史朗(ささき しろう、1958年12月30日[1] - )は、日本のアニメ関連の音楽プロデューサー、音楽ディレクター、映像プロデューサー。株式会社フライングドッグ代表取締役、ビクターエンタテインメント株式会社取締役[2]。東京都出身。都立西校[3]、立教大学卒業[1]。
中学生当時よりバンド活動を行い、立教大学を卒業後、1982年(昭和57年)にビクター音楽産業(後のビクターエンタテインメント)に入社。大阪営業所で3年間の営業職を経て、東京本社の制作4部(アニメ部門)へ異動し、1986年(昭和61年)発売のOVA『コスモス・ピンクショック』より音楽ディレクターとして活動し始める[4]。その後、『AKIRA』『トップをねらえ!』『シティーハンター[5]』『MEMORIES』『カードキャプターさくら』『カウボーイビバップ』ほか、シリーズものではマクロスシリーズ[6] や平成タイムボカンシリーズ[7]、勇者シリーズ[8] などの音楽制作に携わる。
2000年代以降は後輩のディレクターに制作現場を任せて自身はプロデュースにまわり、作品の企画・製作に関わることが多い。所属アーティストでは坂本真綾、新居昭乃、AKINO from bless4、中島愛らの楽曲を担当した。
2007年(平成19年)10月、ビクターエンタテインメントの組織改編によりJVCエンタテインメント取締役に就任し、ビクターから移管したアニメ部門を「flying DOG」レーベルと命名する[9]。2009年(平成21年)1月、JVCエンタテインメントがフライングドッグへと社名変更し、これに伴い同社代表取締役に就任する。2017年(平成29年)3月より、他メーカーと共同でアニメソング定額配信サービス「ANiUTa」を立ち上げ、運営会社アニュータの代表取締役を兼務する[10]。
- 学生時代はアニメをほとんど観ていなかったが、入社当時ビクターがアニメレコードに力を入れるようになり、大阪営業所で一番若い佐々木が担当を命じられた[1]。アニメ雑誌で情報を仕入れ、アニメイベントの司会などをこなしているうちに、本社のアニメセクションの課長に知られて東京に戻ることになった[1]。その当時はアニメ(TVマンガ)は童謡と同じ「学芸」部門扱いで、スタッフも年配者が多かったが、自分たちのようなロック以降の世代感覚を取り入れていきたいと思い、とがったことをしている作曲家にアニメ音楽を任せる、という作家探しを意識してきた[4]。
- マクロスシリーズの中では、初めて担当した『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』に愛着がある。師匠である永田守弘ディレクターが手がけた『超時空要塞マクロス』の音楽が大ヒットしていたというプレッシャーはあったが、鷺巣詩郎と組んで満足いく仕事ができたと思っている[4]。『マクロスプラス』ではCMやゲーム音楽を作曲していた菅野よう子に声を掛け、その後もアニメ音楽における菅野の活躍を支えてきた(佐々木いわく「落馬状態で手綱を持ったまま引きずられている感覚です(笑)」[11])。
- ほかに印象に残る仕事として、田中公平と組んだ『トップをねらえ!』(1988年)を挙げている。サントラ『トップをねらえ! 音楽大図鑑』ではCD再生機の曲番表示の最大値である99チャプターを使い切るというお遊びを行ったが、アナログのマスターテープを手作業で仕上げる際、チャプター間に無音のテープを挟み込む作業のため2日徹夜した[4]。
- 坂本真綾はデビューシングル「約束はいらない」を録音した時、佐々木がまだ子供みたいな自分を実の娘のように可愛がってくれたといい、「今でも私にとっては父親のような存在ですね」と語っている[12]。佐々木や菅野のように音楽を作るのが好きで、楽しく仕事をしている大人からいい影響をもらうことができたと振り返っている[13]。
- 裏方ながら歌や演奏はプロ並みに上手い。坂本は井上芳雄とのデュエット曲「星と星のあいだ」を自作する際、佐々木に仮歌を歌ってもらいテストをしながら作曲した[14]。『マクロスΔ』第11話の挿入歌「REMEMBER 16」は、アフレコスタジオで佐々木がアコースティックギターを弾き、小清水亜美と東山奈央が一緒に歌って録音した[15]。
製作委員会の立場上、「企画」「製作」とクレジットされる作品は省略する。