くらた やすあき 倉田 保昭 | |||||
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2018年撮影 | |||||
本名 | 同じ | ||||
生年月日 | 1946年3月20日(78歳) | ||||
出生地 |
日本・茨城県新治郡桜村 (現・つくば市) | ||||
身長 | 173cm | ||||
血液型 | O型 | ||||
ジャンル |
俳優 歌手 映画プロデューサー アクション監督 | ||||
活動期間 | 1966年 - | ||||
活動内容 |
1966年 デビュー 1971年 香港に渡る 1974年 帰国 1975年4月25日−1979年4月11日 『Gメン'75』 レギュラー出演 | ||||
配偶者 | あり | ||||
事務所 | 倉田プロモーション | ||||
主な作品 | |||||
日本映画 『直撃! 地獄拳』 『女必殺拳』シリーズ 『武闘拳 猛虎激殺!』 『ええじゃないか』 『ファイナル・ファイト』 『黄龍 イエロードラゴン』 『轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス』 海外映画 『帰ってきたドラゴン』 『七福星』 『フィスト・オブ・レジェンド』 『ラスト・ブラッド』 『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』 『ラスト・シャンハイ』 『戦神 ゴッド・オブ・ウォー』 テレビドラマ 『柔道一直線』 『闘え!ドラゴン』 『バーディー大作戦』 『Gメン'75』 『猿飛佐助』 『徳川家康』 『やすらぎの郷』 オリジナルビデオ 『静かなるドン』 | |||||
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Japanese Dragon Channel | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2021年12月19日 - |
ジャンル | エンターテイメント |
登録者数 | 4980人 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年1月7日時点。 |
倉田 保昭(くらた やすあき、1946年3月20日 - )は、日本のアクション俳優、武道家。本名は同じ。空手七段、柔道三段、合気道二段。愛称は和製ドラゴン。俳優以外に倉田プロモーション代表[1]、全日本双節棍道連盟最高顧問、創武館道場代表[2]。創造学園大学(2013年に閉校)創造芸術学部芸術学科客員教授も務めていた[3][4]。
茨城県新治郡桜村(現・つくば市)出身。父親は織物業を営み、少年時代から父親の元で空手の練習に励む。しかし小学4年生の時に父の会社が倒産、埼玉県大宮市(現:さいたま市)に一家で引越し、この時から糸東流空手の道場に通い始める。高校は東京にある海城高等学校に入学し、柔道部で活躍する。高校卒業後、1年間の浪人生活を経て日本大学芸術学部演劇学科に入学する。中学、高校でマスターした空手、柔道に続く新しい試みとして合気道を始め、大学4年の時には合気道部を設立する。大学卒業の時、友人に誘われるまま、東映演技研修所の第一期生となり、1966年、テレビドラマ『丸出だめ夫』でデビューする。翌年『続・組織暴力』で映画デビューを果たした。その後、東京俳優生活協同組合に籍を移して、『柔道一直線』(TBS)や『中学生群像』(NHK)などのテレビドラマに出演する。
1971年、この当時、香港映画界の最大勢力だったショウ・ブラザーズのオーディション(日本の帝国ホテルで開催)に合格したのを機会に、折りからブームとなっていたカンフー映画へと転身する。同年『悪客』で香港映画デビュー。以降、悪役俳優として活躍した。
1974年には出演した香港映画『帰ってきたドラゴン』が日本でも公開されて「和製ドラゴン」として凱旋帰国したほか、TBSテレビ系のドラマ『バーディー大作戦』に出演。同時時期に東京12チャンネルのテレビドラマ『闘え!ドラゴン』でテレビドラマ主演デビューを果たした。日本映画復帰出演第1作となった千葉真一主演の『直撃! 地獄拳』や、志穂美悦子主演『女必殺拳 危機一発』、『必殺女拳士』など、東映製作の格闘映画の助演。1976年には東映映画『武闘拳 猛虎激殺!』で主演を果たした。
1975年5月24日からTBSテレビ系のドラマ『Gメン'75』に草野泰明刑事として、1979年4月11日までの4年間、レギュラー出演する。特に「香港カラテロケシリーズ」[注釈 1]では主導的な役割を担い、現地の役者の通訳や食事の手配までこなし、番組内の人気シリーズとなった。
その後、ドラマ撮影に明け暮れる生活から抜け出すため、自ら降板を申し出るが、現実は甘くなく1979年から1980年、日本国内では一時「干された」状態となり低迷する。ちょうどこの頃知己のジャッキー・チェンのコミカルなカンフー映画が大人気になっており、たまたま来日したジャッキーと再会。現状を伝えるとサモ・ハン・キンポーを紹介され、サモ・ハンの会社と3本の映画出演契約を交わす。これが活動再開のきっかけとなった[5]。
これ以降日本、香港、台湾を股にかけ、現在まで俳優として活躍している。2013年に開催された第1回ベストアクションアワードにおいてベストアクション男優賞並びに特別アクション功労賞を受賞した[6]。2011年11月、香港のコーズウェイベイに「空手道場 創武館」を開設。「香港で日本人のもつ武士道精神を伝えたい」との思いから赤字も覚悟でオープンに至った[5]。
ブルース・リーに『ドラゴン怒りの鉄拳』撮影中、沖縄空手の武具ヌンチャクをプレゼントした。本来の中国武術ではヌンチャクは使用しないが、その派手なアクションが映画向きであると『怒りの鉄拳』の殺陣師に気に入られたことから、この映画に使用されたと自身で語っている[要出典]。しかしリーが使ったものはダン・イノサントから教わったタバクトヨク(ヌンチャクよりも鎖が長い)であり、『グリーン・ホーネット』で既に使用している。彼やイノサントの殺陣はヌンチャクの扱いとはまったく異なる。なお、このエピソードは後にTVで放送されたが、編集の手違いにより「ブルースはヌンチャクが出来ない」と放送されてしまった。
また映画『麒麟掌』では所属映画会社が異なる(ブルース・リーはゴールデン・ハーベスト社、倉田はショウ・ブラザーズ社所属)ながらも、数秒ではあるが2人で映画共演を果たしている。
刑事ドラマ『Gメン'75』の香港編(香港カラテロケシリーズ)の撮影中、その近隣ではジャッキー・チェン主演の出世作『ドランクモンキー 酔拳』の撮影が行われていた。
※ すべて7インチレコードで発売。
発売日 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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ワーナー・パイオニア | ||||||
1974年8月 | A | 闘え!ドラゴン[注釈 3][注釈 4] | 伊上勝 | 菊池俊輔 | L-1205P | |
B | ロンリードラゴン[注釈 5] | |||||
1975年2月 | A | こぼれ花 | 千家和也 | 遠藤実 | 斎藤恒雄 | L-1223P |
B | 終列車 | |||||
1975年8月 | A | ねがい花 | 千家和也 | 遠藤実 | 斎藤恒雄 | L-1263P |
B | しあわせの旅路 | いではく | ||||
1977年12月 | A | ヘアピン・ブルース | 純愛児 | 岩久茂 | 川上了 | L-185P |
B | 夢の旅 | 愛巣久離夢 | 白鳥麗緒 | 伊豆一彦 |
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 |
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ワーナー・パイオニア | |||
1975年8月25日 | こぼれ花 倉田保昭 男の哀愁をうたう
A面
B面 |
LP | L-10013P |
1977年 | CITY ヘアピン・ブルース
A面
B面
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LP | L-10103P |