千葉ニュータウン Chiba New Town | |
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千葉ニュータウン中央駅周辺の高層ビル群 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 白井市、船橋市、印西市 |
事業期間 |
1969年(昭和44年)5月13日 - 2014年(平成26年)3月31日 千葉県・宅地開発公団(現 独立行政法人 都市再生機構) 共同施行事業[1] |
名の由来 | 千葉県に位置 |
面積 | |
• 合計 | (計画面積)約1,930 ha |
人口 | |
• 合計 | 105,908人 |
計画戸数 45,600(戸)、計画人口 143,300(人)[1] |
千葉ニュータウン(ちばニュータウン)は、千葉県白井市・船橋市・印西市にまたがるニュータウンである。業務核都市に指定されており、千葉ニュータウン都心ビジネスモール地区は都市景観100選に選定されている。
千葉県北西部の3市(西から順に白井市・船橋市・印西市)にまたがり、首都圏においては多摩ニュータウンや港北ニュータウンに次ぐ大規模ニュータウンである。東西約18キロメートル・南北2 - 3キロメートルに広がり、総面積は約1,930ヘクタール[2]。1966年に千葉県が単独で事業を開始し、1978年に宅地開発公団(現・UR都市機構)が参画した。印西市においては最も人口が多いエリアである。
北総線および国道464号に沿って発展しており、広大な土地を利用し大型商業施設が相次いで進出している。また、それにより北総エリアにおける一大ショッピングゾーンを築いている。
千葉ニュータウン中央駅(印西市)および印西牧の原駅(同市)周辺は、多くの企業が進出し、印西市における経済・産業の中心地となっている。また、関東平野の中で活断層が無く岩盤が強固[3]であり水害のリスクが低い高台であることから、防災上の理由で多くの金融機関が千葉ニュータウン内に事務センターや郵便局の東日本貯金事務計算センターを配置している。また、同様の理由でIT企業のデータセンターの建設が相次いでいる[4]。また 東日本大震災以降、災害へのリスクヘッジとして、大企業が千葉ニュータウンを拠点に置くことが増えたと同時に、北千葉道路の一部開通により、東京都心と成田国際空港の中間に大敷地でアクセスが良いのが注目され、物流倉庫が多く建設された。別名「物流城下町」と呼ばれている。宅地造成やマンションの建築も盛んであり、分譲地には有名ハウスメーカーが競争して販売している。
ニュータウン地区の町並みは計画的にデザインされ、豊富な商業施設とマンションなどの住居、企業などの職場が有機的に配置され、交通アクセスの利便性を備えた、極めて住みやすい街並みとなっている。一方、ニュータウンの事業区域の周囲には幅広く自然の里山風景が広がっており、動植物とのふれあいやサイクリングなど各種スポーツで自然との共生を楽しむことができる。また、草深原のような貴重な自然も残る。
多摩ニュータウンなど一般的なニュータウンは丘陵地を切り崩して開発したため、坂が多い地形であるのに対し、千葉ニュータウンは平坦な北総台地であることから坂が少なく、高齢者にとって歩きやすい街になっている。『週刊東洋経済』の「住みよさランキング」では、千葉ニュータウンの中核となる市域である印西市が、総合評価で日本第1位に7年連続(2012 - 2018年)でランクインし[5]、住みやすさについて極めて高い評価がなされている。一方で東京都心に向かう最も主要な公共交通機関である北総線の運賃が高額であることが問題になっており[6]、住民と政府との間で運賃の水準を巡って裁判にまで発展した[7]。
区分 | 面積(ha) | 比率(%) | ||
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宅地 | 住宅用地 | 585 | 30 | |
公益的施設用地 | 教育施設用地 | 86 | 4 | |
購買施設用地 | 80 | 4 | ||
その他の公益的施設用地 | 181 | 10 | ||
小計 | 347 | 18 | ||
特定業務施設用地 | 78 | 4 | ||
複合的土地利用(住宅系) | 34 | 2 | ||
複合的土地利用(施設系) | 184 | 10 | ||
宅地計 | 1,228 | 64 | ||
公共用地 | 道路用地 | 447 | 23 | |
公園・緑地用地 | 184 | 9 | ||
その他の公共施設用地 | 71 | 4 | ||
公共用地計 | 702 | 36 | ||
合計 | 1,930 | 100 |
千葉ニュータウンは大きく分けて6つの地区がある。また千葉ニュータウン内には北総鉄道北総線6つ(うち2駅に成田スカイアクセス線の「アクセス特急」が停車)の駅が存在し、各地区に一駅ずつ位置している。駅は都心(品川・新橋方面)寄りから順に以下のとおりである。
4線が乗り入れ、同じくUR都市機構千葉事業部により開発されている新鎌ケ谷地区については千葉ニュータウンには含まれないが、千葉ニュータウンおよび新鎌ケ谷地区を含めたエリアの総称として「東京⇔成田 SKYGATEシティ」という名称のもと企業誘致が行われたことがある[9]。
2003年(平成15年)には、関連する印西市・白井市・印旛村・本埜村の2市2村による合併協議会が設立され、住民公募に基づいて新市名を「北総市」と決めたが、翌年に行われた白井市の住民投票の結果、反対票が賛成票の2倍以上の数となり、解散した。
その後、印西市・印旛村・本埜村の1市2村の枠組みで、市町村の合併の特例等に関する法律(新合併特例法)の期限である2010年3月末までの合併に関する話合いを行うために、2008年10月に合併問題懇談会が、2009年1月には合併協議会が設置された。なお、合併方式は印西市に印旛村、本埜村を編入する編入合併となり、2010年(平成22年)3月23日に「新・印西市」が誕生した。
千葉ニュータウン中央駅北東側には「都心東地区」と命名された業務地区があり、電気・通信・冷暖房などを統合した共同溝を地区内に張り巡らせると共に、地盤が堅固で都心に近いことなどを生かして、金融機関や情報通信関連の企業の招致を進めた[19]。
その結果、銀行や保険会社などの金融機関や独立系システムインテグレータの電算システム(勘定系システム・ホストコンピュータやバックアップシステム、ウェブサイトのサーバなど)を配置したデータセンター・インターネットデータセンターや、メーカーの研究開発拠点などが進出し、2014年(平成26年)3月時点で約7,000人が働いている[19]。
高等学校
中学校
※他に、社会保険大学校(現・日本年金機構研修センター)が存在した。
※千葉ニュータウン地区には、長らく高等学校が千葉県立白井高等学校の1校だけだったが、高校配置の適正化として「千葉ニュータウン地区高校整備事業」が進められ、印西市木下地区にある千葉県立印旛高等学校が印西牧の原エリア隣接地区へ移転し、2010年(平成22年)4月より千葉県立印旛明誠高等学校として開校し、千葉ニュータウン地区内の高等学校は実質的に2校となった。
千葉県では、多極分散型国土形成促進法に基づく、成田・千葉ニュータウン業務核都市基本構想[28]を作成し、2004年3月23日主務大臣(国土交通省、総務省、経済産業省、厚生労働省)の同意を得て、同年4月6日県報に告示した。今後は、本基本構想に基づき、成田地域(成田市、富里市(一部))と千葉ニュータウンの中央部・東部の地域(印西市(一部)、白井市(一部))を一体の業務核都市として国、県、地元市町村等と連携を図りながら、積極的に育成整備を推進していくことになる。
近年の郊外型大型店舗の進出による交通渋滞など、街の拡大と時代の変化による問題が発生している。開発区域内に希少生物が見つかるなど、開発と自然環境保護の問題にも直面している。
千葉県企業庁[注 1][29]と都市再生機構は、2014年(平成26年)3月31日をもって新住宅市街地開発事業である千葉ニュータウン事業を完了し、清算基本協定を締結しており[30]、現在は、2018年度まで事業清算の期間中となっており、土地売却を行っている[31]。住宅用約90ヘクタール[32]を含めて約286ヘクタールの未処分地が事業完了時点で残ることになった[19]。計画当初は2,912ヘクタールを開発して、計画人口34万人を見込んでいたが、1970年代のオイルショックや1990年代のバブル崩壊などで、事業縮小を余儀なくされ、2015年(平成27年)11月時点の開発面積は約1,930ヘクタールで、計画人口は45,600戸 / 143,300人となっている[33]。実際の人口は、2021年(令和3年)12月末時点で105,175人に留まっている[33]。都市再生機構によると全国のニュータウン整備事業・特定土地区画整理事業については、2018年度までに土地の供給・処分を完了するとしている[34]。独立行政法人の整理合理化計画に基づくもので、都市再生機構は全国のニュータウンについて、完成宅地化・現況処分・素地処分の、処理区分のランク付けを行っており、この処理区分が適用されている。しかし、事業完了に向けた取組が計画的かつ的確に行われるのかどうか、会計検査院からも実現可能性等について指摘を受けている[35]。都市再生機構は、第三期中期目標において「残る土地については、中期目標期間中の供給・処分完了に向けた取組を促進する。」とのみ言明している[36]。一方、千葉県企業庁の事業については、独立採算制で行われている。未回収資金については保有資金(剰余金)で対応する方針と表明されている[37]。参考として多摩ニュータウンでは、最終的に事業の債務超過部分について、一般会計(税金)から穴埋めが行われた[38]。
印西牧の原駅北側において工事が進行中の21住区は、40年近く前に粗造成された後に工事が中断されていたため、その一部に自然を残しているが、希少生物が見つかったことから自然環境保護の問題が生じている[39]。
国道464号沿道に、ロードサイド型の大型ショッピングセンターが相次いでオープンしていることもあり、土曜・休日になると慢性的な渋滞が発生している。なお、これら渋滞緩和を目的とし、国道464号で北千葉道路がバイパス道路として2012年(平成24年)5月25日に一部供用開始されたが、合流車線の確保目的で側道が一部1車線化された[要出典]。その後、緊急対策として側道が合流部を除き2車線に戻された他、草深ランプが上下線とも当面の間閉鎖とされたが、下り線は印旛日本医大延伸と同時に使用が再開されている。
国道464号(100メートル道路)の掘割部には建設中止となった成田新幹線用地がそのまま残されているが、千葉県は太陽光発電の事業に転用し民間事業者を公募して賃借契約を結ぶと、2014年(平成26年)6月に議会答弁した[40]。旧成田新幹線用地などの造成宅地は、造成費用に見合った価格で賃貸しなければその価値分の回収が出来なくなることから、低廉な発電事業用地の賃料と価格面で一致しないが、地方公営企業会計制度の見直し[41]により平成26年度から減損会計が千葉県企業庁で導入されることから、減損後の用地価格に見合った賃料の適用が可能になり、発電事業の公募も可能となっていた(県企業庁事業は独立採算制で行われており、税金の投入は行われていない)。