原油(げんゆ)は、油田から採掘したままの状態で、精製されていない石油をいう。 埋蔵状態としては、油田(地下)、オイルシェール(地下の頁岩に含まれる。)、オイルサンド、レークアスファルト等がある。 特に2000年代になってタイトオイル (一般にシェールオイルと呼ばれる) を水圧破砕法で取り出す技術がアメリカで開発され、「シェール革命」と言われるほどの産出量になっている。
採掘後、ガス、水分、異物などを大まかに除去したものが原油である。黒くて粘り気のある液体であり、様々な分子量の炭化水素の混合物が主成分である。他に硫黄、酸素、窒素を含む化合物を少量含む。組成は炭素が83-87%、水素が11-14%、硫黄が5%以下、その他の元素は2%以下である。比重は0.8-0.98。
原油は鉄鉱石や石炭と並んで主要な鉱物資源である。スウィート・オイル(甘い原油)は軽質(API比重30.42度)で、かつ低硫黄だが、世界的に極めて種類が少ない[1]。サワー・オイルは硫化水素が 0.04モル%以上含まれており悪臭があるとされ、ほとんどの中東産とウェストテキサス、ニューメキシコ、カンザスから産出される原油はこれに該当する。 2001年時点で全輸出量の約5割を占めるOPEC加盟国だけでも、輸出によって2100億ドル以上を得ている。以下に、埋蔵量、産出量、貿易、消費についてまとめた。統計資料には石油開発資料2003とEnergy Statistics Yearbook 2001を用いた。
豊富な埋蔵量とされる一方で、枯渇の問題をかかえている。現在では液化天然ガス(LNG)のほか、原油の代替をイメージした次世代エネルギーの研究開発が具現化されつつ、産油国の恵まれた直射日光により海水から真水を生成した上で水素を発生させ、貯蔵、タンカー輸送において、現存の産油国から各国へ供給する体制が検討されている。水素と酸素を触媒へ通し電気エネルギーを得ると同時に、地球温暖化の主因とされる二酸化炭素についても炭素と酸素に分離する研究開発が進んでおり、それらに対応した供給設備群を準備するまでに至ることが期待されている。
原油は古くから日常生活に利用されてきた。例えば紀元前3000年ごろのエジプトのミイラには防腐剤として天然のアスファルトが用いられている[2]。このほか、薬剤、建築物の詰め物のほか、一時的な灯火としても利用された。いずれも地表に染み出してきた原油、アスファルトを採取して利用していた。
中世において最も大規模に原油を利用していたのはアゼルバイジャンのバクーである。地表だけでなく、35mの深さまで掘り下げられた油井から原油を採取していた。
原油が資源として大量利用されるようになったきっかけは19世紀半ばに鯨油に代わって灯油がランプ油として利用されるようになってからである。また1858年にはルノアール・エンジンも発明され、需要が伸びるにつれ採掘の必要性が高まり、アメリカ合衆国のドレーク(en:Edwin Drake)は、ペンシルベニア州に初の油井を建造、1859年8月に原油の採取に成功した。
日米貿易は1853年の日米和親条約に始まるが、1879年には、アメリカ人で商船J. A.トムソンの船長チャールズ・ロジャースが、知人に頼まれ日本の物産を購入する際に、新たな市場としての日本へ貨物として、精製した石油を届けている[3]。
現在の技術で、経済的に採取できる埋蔵量を確認埋蔵量と呼ぶ。技術の進歩や石油価格の上昇などによる損益分岐点の変動が起こると、確認埋蔵量が増える。したがって、確認埋蔵量は新しい油田の発見がなくても変化する。ある時点における確認埋蔵量をその時点における年間消費量で割った値を可採年数と呼ぶ。2003年時点での確認埋蔵量は全世界で190 GL。地域分布は偏っており、アジア、特に中東地域が56.5%を占める。ついで北米の17.9%、ヨーロッパと南アメリカ大陸の8.0%である。埋蔵量と産出量を比較すると、カナダ、イラク、アラブ首長国連邦など埋蔵量が上位10位に入りながら、産出量が比較的低い国が確認できる。
BPによる[4][5]。単位は億バレル(括弧内は世界シェア)。
2009年時点の1日あたり生産量の上位10カ国を以下に挙げる[6]。なお、日本産の原油については、石油#日本の石油事情を参照のこと。単位は「万バレル/日」。
2014年[7]。単位は「万バレル/日」。
2021の生産量(30位まで)
国 | 生産量(万バレル/日) |
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アメリカ | 1,647.6
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サウジアラビア | 1,103.9
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ロシア | 1,066.7
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カナダ | 513.5
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イラク | 411.4
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中国 | 390.1
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アラブ首長国連邦 | 365.7
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イラン | 308.4
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ブラジル | 302.6
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クウェート | 268.6
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2004年時点の全世界の輸入量は、産出量の60%に相当する21億5000万トンである。
2004年時点の全世界の輸出量は、20億9400万トンである。
2015年の全世界の輸出入量は19億7700万トン (3971万バレル/日)である。
輸入 (単位:万バレル/日)
輸出 (単位:万バレル/日)
世界の原油取引の単位は通常、バレル(barrel)が使用されている。英語のバレルは樽の意味で、ドラム缶普及以前は樽に入れて運ばれていた名残である。バレルにはいくつか異なる尺度が存在するが、石油用の1バレルは約159リットルの体積を表す。原油の量を表す単位としてキロリットルやトンも使われる。
世界的な原油価格は商品先物市場での取引価格が1つの指標として採用されており、これを基準に、原油品質や引き渡し地といった個別取引での事情が加味されて価格形成される。また主要産油国の世界の中での相対的国力も原油価格に微妙に影響してくる。基本的に産油国は原油高が継続するよう様々な政治活動をするためである。商品先物取引での価格は、原油の需給バランスや投機資金の流入流出によって形成される将来価格の予測となって現れる。
ただ、先物取引量と現物の量の違いが大きすぎて、先物価格と現物価格が乖離することがある。
原油価格の項も参照のこと
ニューヨーク商業取引所でのWTI原油価格は2002年夏頃まで1バレル(約159リットル)が20ドル前後で低迷していたが、アメリカ合衆国のイラク侵攻の可能性が高まるにつれて上昇に転じた。2003年春の開戦直前に1バレル40ドルを付けた後、下落に転じた。米軍のイラク占領後も原油輸出が回復せず再び上昇に転じた。また中国の石油需要が高まったために原油価格は下げにくくなった。また主要産油国となっているロシアの大手石油会社ユコスに倒産の可能性が高まったことから高値を付け、2004年のアイバン、2005年のカトリーナなどのハリケーンによって米国の精油所が被害を受けたことや産油国ナイジェリアで反乱が拡大したことから2004年9月28日に標準原油価格が1バレル50ドルを突破した。その後、2008年には初めて1バレル100ドルに到達した。2008年7月11日には一時1バレル147.27ドルの最高値をつけたが、9月15日には1バレル100ドルを割るまでに急落した。その後9月22日には1バレル120ドル台にまで急騰したが、リーマン・ショックに端を発する世界的な金融・経済不安を背景に12月18日には1バレル40ドルを割るまでに暴落した。この乱高下には投機マネーが大きく影響していると考えられている。そして、景気指標の改善と共に2011年中頃の110ドル超えまで原油価格は上昇して行った。その後、上下動を繰り返し、中国の成長率鈍化が伝えられ始めた、2014年5月の107ドル付近から急速に下降を始め、2015年1月13日には44ドル付近となっている。(逆オイルショック)
生産コストは、同一国内でも油田ごとに、さらに時代によっても異なる[注 1]。
2010年代中頃の推定では、サウジアラビア国内の生産コストが4-5ドル(/バレル)、アメリカのシェールオイル由来の油田で40ドル(/バレル)を下回るレベル[11]。一方、ベネズエラでは70-80ドル(/バレル)とされている。原油価格が下落局面になると生産会社はもちろんのこと石油収入に頼っている国では国家財政基盤にまで大きな打撃が加わることとなる[12][13]。