吉田 光由(よしだ みつよし、慶長3年〈1598年〉 - 寛文12年11月21日〈1673年1月8日〉)は、江戸時代前期の和算家である。
京都の豪商角倉家の一族。久庵と号す。角倉了以は外祖父にあたる。初の和算家・毛利重能に師事した[1]。のち一族の角倉素庵のもとで中国の程大位による数学書『算法統宗』の研究を行い、それをもとに1627年(寛永4年)、著書『塵劫記』を出版した。同書は絵を多用し基礎から応用まで容易に学習出来るように書かれた数学入門の模範と評価された。また、兄と共に北嵯峨に角倉隧道を開いた[2]。晩年には失明し、75歳で没した。墓所は右京区二尊院。