回回暦(繁体字中国語: 回回歷法、簡体字中国語: 回回历法、拼音: )とは、14世紀末期の明の時から18世紀初頭にかけて中国全体で出版された、 天文表の組であった。その表は、Zij(イスラーム天文表)の中国語版に基づくものであって、「回回暦」(Huihui Lifa) は文字通り、「イスラームの暦天文体系」を意味している。
西暦1384年頃、明の時に、洪武帝 は、Zij(イスラーム天文表)の中国語への翻訳と編纂を命じた。その仕事は、イスラム教徒の天文学者である馬沙亦黒 (Mashayihei) と、中国の研究官である呉伯宗 (Wu Bozong) によってなされた。
これらの表は「回回暦」(イスラームの暦天文体系)として知られることとなったが、清が1659年に中国 - イスラーム天文学の伝統を公式に見捨てたという事実にもかかわらず、18世紀初頭まで何度も中国で出版された[1]。
朝鮮王朝時代初期、イスラム暦は、既存の中国暦よりも優れた正確性のおかげで、改暦の基礎を兼ねた[2]。回回暦のとある朝鮮語版は、15世紀の世宗治世下、朝鮮王朝下の朝鮮で研究された[1]。朝鮮では、中国 - イスラーム天文学の伝統が、19世紀初頭まで存続した[1]。