国鉄キハ40系気動車 (2代)

国鉄キハ40系気動車
キハ40形100番台とキハ56系の普通列車
1990年
基本情報
運用者
製造所 新潟鐵工所
富士重工業
製造年 1977年 - 1982年
製造数 888両(キハ40形392両、キハ47形370両、キハ48形126両)
主要諸元
軌間
最高速度 95 km/h
全長 21300 mm
全幅 2900 mm
床面高さ 1240 mm
車体 普通鋼
動力伝達方式 液体式
機関 DMF15HSA
機関出力 220 PS
変速機 DW10
制動装置 CLE自動空気ブレーキ
備考 原型車のデータ
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国鉄キハ40系気動車(こくてつキハ40けいきどうしゃ)は、1977年から1982年にかけて日本国有鉄道(国鉄)が導入した気動車

これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものであり、キハ40形・キハ47形・キハ48形の3形式およびこれらの改造等による派生形式からなる。

概要

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1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国各地に投入された[1]キハ45系キハ66系の設計を基にしている[2][3][4]

本系列は客用の片引戸を車端部2か所に設置した両運転台のキハ40形と、それを片運転台としたキハ48形、都市近郊向けに両引戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形の3形式が導入され[5]、運用線区の気候に応じた酷寒地用、寒地用、暖地用の仕様の違いとトイレの有無によって下表のとおり計13車種が設定される[5]。なお、本系列より、北海道向け車両もそれまでの気動車のように別形式とせず、同一形式内での番台区分とした。

キハ40系 新造時形式・番台別仕様一覧
形式 番台区分 運転台 客扉 仕向け地
(仕様)[表注 1]
枕ばね デッキ トイレ 両数 製造年 メーカー
キハ40形 100 片開き 酷寒地 空気 150 50年度3次債務 - 56年度1次債務 新潟
富士
500 寒地 94 50年度2次債務 - 56年度1次債務
2000 暖地 コイル 148 53年度1次債務 - 56年度1次債務
キハ47形 0 両開き 暖地 コイル 193 50年度3次債務 - 56年度1次債務 新潟
富士
1000 134 52年度1次債務 - 56年度1次債務
500 寒地 空気 22 52年度1次債務 - 54年度2次債務 新潟
1500 21
キハ48形 0 片開き 暖地・準寒地 コイル 6 55年度1次債務 - 56年度本予算 富士
新潟
1000 4
300 酷寒地 空気 4 56年度1次債務 新潟
1300 3
500 寒地 空気 59 53年度1次債務 - 56年度1次債務 新潟
富士
1500 50
  1. ^ 酷寒地:北海道、寒地:東北・中部地方、準寒地:中部地方

在来の一般形気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られた一方、エンジン出力は増加したものの、車体の大型化や新装備の追加などで重量も増加したため動力性能は若干の向上に留まったほか、設計当初より経年の進んだ急行形気動車の普通列車用への転用が並行して計画されていたため勾配線区用の強力形も導入されなかった。

国鉄分割民営化後は、事故廃車となった1両を除く887両がJR旅客各社へ継承されて使用線区に応じた種々の改造が実施され、多数の番台区分が生じた。また、余剰車が出始めた1990年代以降は観光列車ジョイフルトレインにも改造されている。2000年代後半以降は新形気動車への置き換えやローカル線の廃止に伴って廃車が始まり、東海旅客鉄道(JR東海)では2016年に全廃となった。それ以外のJR各社も置き換えを進めており、一部の車両は私鉄・第三セクター会社や日本国外へ譲渡されている。

導入の経緯

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1970年代初頭の需給計画

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国鉄における1973年4月時点の一般形気動車保有数は2457両(そのほか急行形2413両、特急形542両)という体制であった[注 1]が、うち731両を占めるキハ10系は老朽化が進んでおり、なかでも、"所定の修繕費の範囲で使用は可能だが特別な修繕費をかけることは不経済"とされた車両が166両、”次回の全般検査を通す価値がない”と判断された車両が196両という状況であった[6]。また、キハ10系は低いエンジン出力を軽量化で補う設計思想で、当時のステップ部の車両限界との関係もあって同時期の客車電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものであったため、新形式の気動車の導入に伴い陳腐化が顕著となり、特に座席台車設計に起因する乗り心地の悪さが問題となっていた[注 2]

また、この時点において考えられていた、整備新幹線(北海道、東北、北陸、九州)の整備状況や電化の進捗を考慮した、1982年頃の車両需給によると一般形気動車の所要数は約1800両と見積もられ、所用数の減少と経年20年以上の車両を代替することを併せて考慮すると、約650両の新製が必要であると考えられていた[6]が、一方で、当面の需給を考えた場合には、キハ10系の代替のため、"在来の急行形の一般形への転用"と、"波動輸送用急行にも使用できる、従来の一般形気動車とはイメージの異なる車両の新製"の、2通りの方法を時期・線区に応じ選択することが望ましいと考えられていた[7]

導入される気動車としては、冷房化、座席の拡大、汚物処理装置の装備等をしつつ、コスト削減を図ることを目的とし、また、当時の気動車普通列車の編成両数の実態(2両編成の列車が29.9 %、3両編成以上の列車が60.3 %)に鑑み、2両編成での使用を基本とした、DML30H系のエンジン1基を搭載する車両が考えられており[8]、1974年から1975年にかけてキハ66系30両が導入された。しかし、キハ66系は車両改善委員会の議論に基づいて1年間試用経過を観察することとなっており[9]、導入当初はその後の他路線への導入とキハ10系の代替も期待されていた[10][11]ものの、実際には量産されなかった。

キハ40系の導入

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キハ66系は量産先行車の30両のみで製造を終了し、引き続きキハ10系を代替する車両の開発が進められたが、特に搭載するエンジンの選定には多くの検討を要していた[12]。これは、火災対策強化・車体前面強化・台車枠強化などにより車両重量増が見込まれるため、従来のDMH17系より出力の向上が必要となる一方で、キハ66系のDML30HSHなどの大型のエンジンを搭載することは、さらなる車両重量の増加を招くため、軌道の弱い線区では速度制限もしくは軌道強化が必要となるほか、機関のサイズや構造の関係から、工場・検修区によっては検修設備の大幅な改修が必要となる場合があるなどの問題があり、広く全国の各線で使用する一般形気動車に採用するには適さないとされたことによるものである[12]

検討の結果、エンジンにはDML30HSHを片列化し、シリンダーヘッドシリンダーライナーシリンダー・過給機・弁動作機構等に共通の部品を使用したDMF15HSAを使用することとした[2]。また、1970年代の国鉄は労使紛争が盛んで、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代から1960年代にかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。本系列もその方針の下に[要出典]キハ10系のほか、1950年代後半に製造されたキハ55系[注 3]キハ20系の老朽化も視野に入れ[要出典]、それらの代替用として開発された。そして、1976年2月に最初の車両となる酷寒地向けのキハ40形と暖地向けのキハ47形各16両の製作が決定され、1977年2 - 3月に前者は札幌および旭川地区に半数ずつが、後者は福知山地区にそれぞれ配置されており[12]、その基本構想は以下の通りであった[2][3][4]

  • キハ40形はキハ24形、キハ47形はキハ45形をそれぞれベースとしつつ、キハ66系での経験を十分に反映させるとともに部品の共通化を図る。
  • どのような線区でも運行できるよう、設備改善に伴う重量増を最低限に抑える。
  • 従来車と併結運用が可能とし、運転取扱もできるだけ同じとする。
  • 暖房能力向上を図るため、新方式の温風暖房装置を搭載する一方、軽量化と機器の簡素化のため冷房装置は搭載しない。
  • 重量増に伴う走行性能の低下を防ぐため、DMF15HSA機関を採用し、キハ66系同様、エンジントラブル防止のため出力を抑制して使用する。
  • 液体変速機はキハ66系のDW9をサイズダウンした、逆転機内蔵・湿式多板式クラッチのDW10を使用する。
  • 防蝕・軽量化のため、暖房配管はステンレス製とし、空気配管の一部はステンレス管とするほか、その他は内側を燐酸被膜塩処理したものとする。
  • 車体は難燃化構造とするほか、踏切事故に備え車体前面を強化構造とし、また、客室・乗務員室の環境改善・居住性向上を図る。
  • トイレには洗面所を設置しないが、汚物処理装置の設置準備を行う。
  • 保守の省力化を図る。
  • キハ40形には、これまでの北海道での経験を反映させた耐寒・耐雪装備を備える。

その後、キハ40形、キハ47形、キハ48形の各形式が下表のとおり導入されている。

キハ40系気動車年度・予算別導入一覧(上段:番号、下段:両数)[13]
用途 形式 番台 1975年度 1976年度 1977年度 1978年度 1979年度 1980年度 1981年度 総計
3次債務 2次債務 1次債務[表注 1] 本予算 1次債務[表注 2] 2次債務 3次債務 本予算 2次債務 3次債務 1次債務 3次債務 本予算 1次債務
酷寒地 キハ40 100 101-116
16両
117-146
30両
147-165
19両
166-196
31両
197-217
21両
218-240
23両
241-250
10両
101-250
150両
キハ48 300 301-304
4両
301-304
4両
1300 1301-1303
3両
1301-1303
3両
酷寒地計 16両 30両 19両 31両 21両 23両 17両 157両
寒地 キハ40 500 501-520
20両
521-550
30両
551-553
3両
554-558
5両
559-563
5両
564-577
14両
578-592
15両
593-594
2両
501-594
94両
キハ47 500 501-505
5両
506-519
14両
520-522
3両
501-522
22両
1500 1501-1505
5両
1506-1518
13両
1519-1521
3両
1501-1521
21両
キハ48 500 501-514
14両
515-530
16両
531-532
2両
533-538
6両
539-547
9両
549-551
4両
552-558
7両
559
1両
501-559
59両
1500 1501-1519
19両
1520-1529
10両
1530-1531
2両
1532-1535
4両
1536-1541
6両
1542
1両
1543-1549
7両
1550
1両
1501-1550
50両
寒地計 20両 10両 90両 29両 9両 15両 35両 20両 14両 4両 246両
暖地
(準寒地)
キハ40 2000 2001-2026
26両
2027-2041
15両
2042-2047
6両
2048-2059
12両
2060-2089
30両
2090-2106
17両
2107-2131
25両
2132-2134
3両
2135-2141
7両
2142-2148
7両
2001-2148
148両
キハ47 0 1-16
16両
17-33
17両
31-54
21両
55-79
25両
80-89
10両
90-96
7両
97-107
11両
108-138
31両
139-143
5両
144-170
27両
171-186
16両
187-189
3両
190-193
4両
1-193
193両
1000 1001-1014
14両
1015-1033
19両
1034-1052
19両
1053-1056
4両
1057-1061
5両
1062-1069
8両
1070-1092
23両
1093-1096
4両
1097-1116
20両
1117-1128
12両
1129-1130
2両
1131-1134
4両
1001-1134
134両
キハ48 0 1-3
3両
4-6
3両
1-6
6両
1000 1001-1002
2両
1003-1004
2両
1001-1004
4両
暖地計 16両 31両 40両 70両 29両 18両 31両 84両 26両 77両 31両 17両 15両 485両
総計 32両 20両 41両 40両 160両 88両 46両 46両 150両 67両 100両 45両 17両 36両 888両
累計 32両 52両 93両 133両 293両 381両 427両 473両 623両 690両 790両 835両 852両 888両
  1. ^ トイレ水揚弁収納位置を屋根上水タンクカバー内から室内トイレ仕切壁内に変更、それに伴いキハ40形の座席配置・座席配置変更
  2. ^ 酷寒地・寒地向車の台車をDT44・TR227からDT44A・TR227Aに変更

1980年代の需給計画におけるキハ40系

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キハ40系により進められてきた老朽化した一般形気動車の代替であるが、輸送の効率化や特定地方交通線の廃止等の動きがあるなかで気動車の所用両数の減少が見えてきたため、1982年度をもって一旦取りやめ、急行形気動車の特別保全を実施しながら、1990年前後から置換時期を迎える気動車の代替を検討することとなった[14]1981年時点では、1970年代に起こった2度のオイルショックと燃料費高騰や、国鉄の経営状況に鑑み、エンジンの直噴化や車両の小型軽量化による省エネルギー化と、機関の大出力化による高出力車の2基→1基エンジン化や新設計エンジンによる省力化が構想されており[15]、具体的には、キハ40系が導入された路線よりも経営環境の厳しい路線で運用するため[16]キハ37形と、キハ58系を代替する軽量車体・高出力1エンジンの急行用気動車が計画されていた[注 4]

これらと並行して新型エンジンの開発も進められており、1981年時点ではキハ40系のDMF15HSAを直噴化改造するDMF15HSA-DI、DMF15HSAをベースに新設計とした新形式急行用気動車向けのDMF15HZB、軽快気動車用として舶用機関を転用したDMF13Sの開発が並行して進められていた[19]。しかしながら、同時期に第1次特定地方交通線の廃止が具体化し、また、経営改善計画に則った輸送改善が1982年11月、1984年2月、1985年3月に実施されることとなって車両需給が見通せなくなったためキハ37形の量産は見送られ[20]、国鉄におけるキハ40系の直噴化(DMF15HSA-DI化)改造も1987年までに北海道配置の112両に実施されたのみとなった。

1985年頃の時点では、1990年度の一般形気動車の所要数は約2200両で、キハ40系は特別保全工事を実施した急行形気動車約600両とともに継続使用され、残る約600両はその手前頃より順次代替する必要があると見積もられており[21]、国鉄再建監理委員会の答申では特定地方交通線は廃止し、その他の地方交通線は当面各旅客会社で運営することとされ、また、1986年度には分割民営化に向けての最後の輸送改善が計画されていたため、これらが固まるにつれて具体的な需給状況も明確になる見通しであった[22]。そしてその後、国鉄末期にかけ、接客設備の違いから在来の気動車で代替できないキハ35系を代替する[22]キハ38形7両と、分割民営化の時点で北海道四国九州に残る1965年度以前製造の一般形気動車約300両のうち、輸送効率化、電化、路線廃止等による必要数削減後も残ると見積もられる約100両を代替する、キハ54形キハ31形キハ32形計82両が導入されている[23]

構造

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1974年に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は、同系で採用された180度V型12気筒と基本設計を共通化しつつ、直列6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房やラジエーターなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く[要出典]、温暖地で寒地向け車両が使用される場合は過剰装備となる。

車体

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構造

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全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mで既存の急行形気動車同等の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して[要出典]外板、屋根板、床板には当時の鋼製車両標準の車両用耐候性高張力鋼板(SPA)を用いて耐久性を向上させている。板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると、外板厚が2.3 mmに対して国鉄気動車標準の1.6 mm、屋根板厚は1.6 mmに対して1.2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化に配慮している。車体塗装は「首都圏色」と呼ばれる朱色5号一色であった。

床は1973年製の24系客車以降の標準となり、50系客車等にも採用された防火構造[24]で、台枠上に貼った1.2 mm厚SPAの波板の上に根太を流して間にグラスウールの断熱材を詰め、その上に3 mmもしくは4 mm厚アルミ合金の床板と3 mm厚の塩化ビニール系床仕上げ材を貼ってトータルの厚さを70 mmとした構造で、酷寒地・寒地・暖地向け各仕様とも共通[25]となっている。

前頭部形状はキハ66系を踏襲した、踏切事故対策を強化したものである。キハ65形などと比較して運転席の位置を150 mm上げ、350 mm後方に移して[26]運転席・助士席部の床面を他部より460 mm高いものとした[27]ほか、前面外板を4.5 mm厚へ強化し[28]、前面床下に6 mm厚鋼板製のスカートをボルト止めした[29]もので[注 5]、1974年10月にはキハ91形をこの前頭部に改造した車両を使用した衝突実験で検証が行われている[注 6][31]。キハ66系と同じく、運転台窓は運転席からの視認性に配慮して側面部に回り込んだパノラミックウィンドウとし、運転席が後方にずれた分、側面に固定窓を1箇所増設したものとしている一方、同系と比較して、尾灯とタイフォンの位置を上げるなど一部が変更されている[注 7]前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50 Wシールドビームが2灯[33]尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40 Wのものが2灯、それぞれ左右に振り分けて設置され、貫通路直上には手動式の列車種別表示器が設けられている。

側窓は寒地形、暖地形は外はめ式のアルミ合金製2段式ユニット窓として工数を削減している。キハ40形・キハ48形の寒地形・準寒地形は幅1080 / 825 / 470 mm × 高さ923 mmの上段下降、下段上昇式のもの[34]、キハ40形暖地形とキハ47形は113系1000番台などと同様の、幅1082 / 818 / 470 mm × 高さ866 mmの2段上昇式のもの[35]で、後者は前者と比べて四隅に丸みがついておらず、天地寸法が小さく、車体よりやや奥まっている。また、酷寒地形はキハ22形から採用された1段上昇式二重窓としており、幅930 / 473 mm × 高さ680 mm[36]で、キハ23形や711系と同様の[30]アルミ枠の外窓に、心材に木を用いたFRP製窓枠による内窓を組み合わせた構造とし[37]、冬季の車内保温を図っている。

設備

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キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に幅1000 mm(開口幅885 mm)の片開き扉、キハ47形はやや車体中央寄り2か所に幅1300 mm(開口幅1200 mm)の両開き扉を設けており[38]、いずれも高さ275 mmのステップ付の自動/半自動扉である。ドアエンジンは、両開き式はキハ66系と同じTK106A形[注 8]、片開き式はキハ46形と同じTK105形で、空気・電気回路の切換により自動/半自動兼用とし、手動時には両開きのTK106A形も左右の扉が連動せず片側のみの開閉が可能となっている[39]。キハ10・20系で使用された、半自動専用[注 9]で、戸開方向にばねで初圧を設定しているTK5形[39]と比べると手動開時の操作はやや重い。

キハ40形、キハ48形の寒地・酷寒地形は客室とデッキの間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。

運転台は機器配置・座席形状とも人間工学を取り入れた設計である。また、投入線区の運用実態に即し、側面には通票キャリア車上受(通称タブレットキャッチャー)と、同装置を使用した走行時の通票キャリア受取り時に、車体や窓ガラス等を保護する防護板または防護枠を設けている。

導入当初の内装色は、天井は白色、客室壁面は従来の気動車と同じく[注 10]、酷寒地形キハ40形が薄茶色4号、寒地形キハ40形・キハ47形、暖地形キハ47形は淡緑1号であったほか、乗務員室壁面は運転席側が淡緑3号、助士席側が淡緑1号、トイレ内がグレーコルク[43]、床敷物がねずみ色1号の配色であった[44]。その後1978年本予算車から、暖地形・寒地形各形式の客室壁面が淡緑1号から50系客車と同じ[24]クリーム9号に、乗務員室壁面助士席側が淡緑3号にそれぞれ変更されている[43]。なお、客室壁面について、1978年度本予算車から暖地・寒地形キハ47形と寒地形キハ40形が薄茶色4号に変更されたほか、暖地形キハ40形と寒地形キハ48形は当初より薄茶色4号で製造され、さらに、1978年度2次債務車から全形式・番台がクリーム9号に変更されたとする文献もある[45][46]

座席はボックスシートを基本としてドア付近にロングシートを配したセミクロスシートとした。気動車のボックスシート部のシートピッチはキハ20・55・58系は50系客車と同じ[24]1470 mm、キハ65形は12系客車と同じ1580 mmであったものがキハ45系で1400 mmに短縮されていたが、キハ40系では1470 mmに戻されたほか、座席幅(含肘掛等)はキハ20系が約988 mm、キハ58系・キハ65形は1095 mm、キハ45系は930 mmであったものが、キハ40系は50系客車と同じ1025 mmとしている[47][24]。また、一般形気動車として初めて、12系客車から使用された人間工学を採り入れた新形状のものとした。

トイレは当初の車両は化粧板を使用する通常構造、1978年度本予算車以降はFRPユニット組立て式となっている。キハ40形はデッキ側から内開き扉で、キハ47形・キハ48形は側面の客室通路側引き戸から出入りする構造[48][49]で、トイレ利用者が出入り時に座席着席者と正対することを避けるため、キハ48形はトイレ出入口の向かい側にはロングシートを設置していない[50][51]。屋根上のキセ内に容量250 lで円筒型のFRP製タンク2個と空気弁装置を収容した、従来車と同様の空気給水式としている[52]ほか、当時は地方路線の汚物処理施設整備が進んでいなかったため従来通りの垂流し式であったが、汚物処理装置の搭載スペースが確保された[4]。また、凍結防止と保守性向上のため[53]、1978年度1次債務車より空気弁装置等をトイレ壁面内に移設し、これを収容するためにトイレ妻壁面の厚さが290 mmとなった[54]。これに伴い、キハ47形はトイレ室内長を縮小した一方、キハ40形は扉が内開きでスペースに余裕が無いため、客室のトイレ隣接部を短縮して4人掛ボックス席の1箇所を片側のみ2人掛とし、これに伴い側面の狭幅窓の位置が変更となっている[54]>。

主要機器

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機関

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従来のDMH17系機関に代えてDMF15HSA形(連続定格出力220 PS / 1600 rpm、連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h、最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載する。この機関は、1963年に開発され、キハ90 1で試験されたDMF15HS形の派生形で、水平シリンダー形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4 kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃している。

液体変速機・減速機

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変速・直結各1段のDW10形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとしたもので、トルクコンバータの構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形やDE10形用のDW6形(2000番台[注 11])などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、エネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成となっている。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出して機関の吹き上げアイドル指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速としたほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。 変速機油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっている。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお減速比は2.995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。

トルクコンバーターのストールトルク比の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形機関搭載車。変速機としてDF115形ないしはTC2形を搭載)の2500 kg弱に対して2400 kg弱と低く、車両重量の増大と相まって「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。一方で、例えば10 km/hではキハ20系の約1800 kgに対し約2100 kg、50 km/hでは約600 kgに対し約800 kgと逆転しており[55]、当初特急・急行形用として開発された変速機の中高速域を重視した特性が表れている。駆動方式は1軸駆動で車両内側よりの第2軸を駆動しており、台車にキハ65形・キハ66系の第2減速機と同一[注 12]のGB122形減速機が装架されている[57]

台車

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酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気ばね台車を採用した。一方、暖地形はコストダウンを優先し[要出典]、従来からの標準台車であるコイルばね式DT22・TR51系のDT22D形・TR51C形を採用している。

DT44・TR227系台車

DT44形(動台車)・TR227形(附随台車)は、枕ばねを空気ばねとしたが、これはコイルばねの間に雪が詰まるとばねが効かなくなること、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと[要出典]、軽量化[注 13]、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねはコイルばねをゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。軸箱支持方式はペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸ばねで伝えるものであるほか、制輪子の自動隙間調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省略している。

枕ばねは保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなく、ボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式[注 14]として基本構造をDT32系と共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一もしくは一部変更品を使用している。枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや大径心皿化、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、DT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える乗り心地となった。

DT44A形・TR227A形は1978年度1次債務車以降に使用される改良型で、DT44・TR227での実運用の結果、制輪子の交換がピット線以外では困難であることと、枕梁と台車枠横梁の間の雪咬みによりばね作用が損なわれることが問題となったため、制輪子交換を容易にするために台車側梁上面を下げるとともに軸箱支持方式を乾式円筒案内式としたほか、枕梁下部の台車枠横梁部に空間を確保したものである[59][60]

DT22D・TR51C台車

従来のDT22C・TR51B台車から、台車枠の補強、減速機支持装置の変更、軸ばねをキハ65形と同一のものに変更、基礎ブレーキ装置の変更および応荷重装置取付対応といった変更がされた[61]ほか、台車に逆転器を搭載しなくなった分、側梁の板厚を薄くしたとされている[62]。また、制輪子の自動隙間調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省略している[61]

ブレーキ装置

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空気ブレーキ装置は、キハ66系と同じく、12系以降の新型客車で実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す[63])とした。これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA制御弁に代えてKU1B三圧式制御弁を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 (BP) 圧の制御と並行して各車のC13-4A(ブレーキ)もしくはA14-4(ゆるめ)の各電磁給排弁を制御する電磁自動空気ブレーキである[64]。このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1.4 kg/cm2から1.8 kg/cm2となってブレーキ制御範囲が拡大された[65]ほか、U5A応荷重弁により荷重に応じブレーキシリンダ圧力が自動的に増減される[66]。また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が改善された。床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図っている[67]。なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する[要出典]

このほか直通予備ブレーキ装置を装備する[68]ほか、酷寒地形・寒地形は耐雪ブレーキ装置を装備する[69]。直通予備ブレーキは空気ブレーキ装置の多重化のためのもので、運転台でのスイッチ操作により、S抑圧装置の電磁弁と圧力調整弁の作用により4.5 kg/cm2のブレーキが作用するが[70]、引通し線の本数不足の関係でキハ40系のみの編成でも先頭車にのみ動作する(KE94電気連結器装備車は引通し線の準備工事)[70]。耐雪ブレーキは制輪子と車輪間の雪氷の介在によるブレーキ力低下を防止するためのもので、運転台でのスイッチ操作により、電磁弁とB8A圧力調整弁の作用により0.5 kg/cm2のブレーキが作用する[70]

また、エンジンによる機関ブレーキも使用可能となっている[71]。惰行運転中に運転台で主幹制御器の主ハンドルを「1」ノッチとして機関ブレーキスイッチを操作すると変速機が直結となり(運転台の運転表示灯「B」「直」が点灯)、この状態で主ハンドルを「切」もしくは「停」とするとエンジンブレーキが作用するもので、その後、再度主ハンドルを「1」ノッチとすると機関ブレーキが解除され(運転表示灯の「B」「直」が消灯)て惰行運転に戻り、「切」とするとエンジンがアイドルに戻る[71]

補器類

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冷暖房装置

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暖房はキハ20系の後期製造車やキハ45系の温水暖房式から、一部のバスでも採用されている温風暖房式となった[72]。これは、機関冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を通して温風として車内に循環させる方式である。また、気温が低い時、下り勾配、停車時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用のWH250B形機関予熱器[注 15] を使用して機関冷却水を加熱するが、外気温が0度程度までであれば機関予熱器の使用は不要とされている[55]。1両あたり2基搭載された重量125 kg、放熱器水容量14.3 lの熱交換器により暖房能力は公称30000 kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温気暖房に比して著しく強力な暖房能力を得た[要出典]。また、機器搭載に床下スペースを必要とするが、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。加えて運転室内に自動車用温水暖房装置であるWH33形が運転席側、助士席側に各1基ずつ設置されている。

一方、冷房装置は製造時には設置されず、準備工事も見送られた。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断された[要出典]ほか、車体の大型化や事故対策などで車両重量が増加したため、さらなる自重増となる発電セットの搭載や機関出力を低下させる直結式冷房装置の搭載が困難であったことも理由である[注 16]

電気連結器

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本系列の初回生産グループの1975年度3次債務車は、各種電気信号用の電気連結器として、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形(接点数2)[注 17] を1個、電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形(接点数2)[注 18] を1個の計4個の電気連結器を装備する。冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個の電気連結器が標準で、冷房を搭載する急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数8)1個を装備する。

しかし、芯線数の少ない電気連結器を多数接続するこの構成は、装備の追加に伴って後追いで電気連結器を追加していった結果であり、特急形を除く全ての形式を制約なく併結するためには必要であったが、増解結作業が煩雑となり、保守上も部品の種類が増えて望ましくなかった。このため、本系列の設計の基本となったキハ66系のキハ66形とキハ67形の間に使用されていた[注 19]、新世代の多芯電気連結器であるKE91形[注 20](接点数90)へ集約することが検討され、1977年度1次債務車で、その準備工事として妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。

その後、1978年度本予算車では電気連結器格納用の窪みはそのままに、新設計のKE93形[注 21] 1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。KE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタ[注 22] が用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。

なお、KE53形2個の接点数は合計で30であるため、接点数61のKE93形では多数が空き接点となる。これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て数の増加を見越して接点数に余裕を持たせたためであり、KE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。

性能に対する評価

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車体の大型化と追加装備は重量の増加を招き、機関出力と低さと相まって走行性能が低かったことから、その低性能や、それを招いた国鉄の開発思想に対して部外者からは批判があった[73][74][75][76][77]。1980年代後期から1990年代にかけて、曽根悟らがこの過重量と出力不足を批判しており[74][75][76]、特に曽根は、本形式の時代錯誤的な低性能を「(数世代前の)キハ42500形にも劣る」と評価している[75]

本系列と同様の構成の従来形式との比較においては、キハ45形が自重33.0 tであるのに対し、キハ47形0番台が35.5 - 35.6 t(いずれも全長21.3 m、片運転台、トイレ付、両開き2扉、暖地向け)、キハ24形の34.5 tに対しキハ40形100番台が36.8 - 37.6 t(いずれも全長21.3 m、両運転台、トイレ付、片開き2扉、酷寒地向け)で、7 - 9 %程度自重が重いのに対し、搭載機関の連続定格出力は約22 %高い220 PSで、動輪周引張力は例えば10 - 55 km/hの速度域では約15 - 45 %高くなっている[55]。また、本系列による代替の対象となったキハ10系は1機関搭載・運転台付の車両で自重が29.5 - 34.0 t、同じくキハ20系で30.0 - 33.1 tであり、単位重量あたりの出力ではキハ10系とキハ20系の1機関搭載車とおおむね同等であった。、新形式車両でありながら走行性能は大きくは改善しておらず、地方線区の経営改善のためのダイヤ改正にも支障となるものとして批判された[73][74][75][76][77]。本系列(暖地向け車)を使用した普通列車(普気)の速度種別設定は「停気F1」で、上り10パーミル勾配における均衡速度は51 km/h、25パーミル勾配では26 km/h[78] であった。

参考:キハ40とその他の気動車の出力重量比比較
形式 製造所年 自重 機関出力 パワーウェイトレシオ
キハ20形 1957年 30.6 - 32.2 t 160 - 180 PS 170 - 191 kg/PS
キハ23形 1966年 34.2 t 180 PS 190 kg/PS
キハ40形2000番台 1977年 36.4 t 220 PS 165 kg/PS
キハ110形 1990年 約31 t 420 PS 74 kg/PS
キハE120形 2008年 38.5 t 450 PS 85 kg/PS

2機関搭載車との比較においては、2機関搭載のキハ51形やキハ52形などには大きく劣っており、平坦な非電化線区においても機関2基搭載車基準のダイヤでは運行できず、本形式が運用に入る列車は別途遅いダイヤを設定しなければならないなど[注 24]、スピードアップの阻害要因となることが多かった。

電車との比較においては、従来の気動車と同様、電化区間へ乗り入れる場合は、電車列車より加速力が大きく劣るため足並みが揃わず、ダイヤ作成の障害となった。

低出力による加速力の低さに加え、変速機の特性上、低速域の引張力が小さいため、起動はキハ20形などと比べても鈍重で加速も悪く[注 25]乗客には低性能ぶりが一層強く印象付けられることとなり[要出典]、1980年から1990年代の鉄道旅行誌の掲載記事等においては、新系列車両であるにもかかわらず執筆者から「旧式気動車」などと記されてしまうこともあった[81]

DMF15HSの定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、基本設計が1941年であるDMH17系[注 26] (190 g/PS/h) と同水準で、のちにJR東海がカミンズNTA855-R1(JR形式C-DMF14HZ) (154 g/PS/h) に換装した際には、燃費が換装前の71 %に改善[84] した。また変直切替速度が高く、変速段とエンジンの高回転域を多用する変速機の非効率[注 27]がそれを一層助長した[75]排気系の過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系と異なり、DMF15HS系は全出力運転の時間制限がなかったため、運行中はほぼ全出力で運転できてしまい、かえって燃料消費量も増加した。DMH17系機関を1基搭載する車両の代替は可能であったが、加減速の多い仕業や勾配路線向きの形式は製作されなかった。

新造車

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酷寒地仕様

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キハ40形100番台

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北海道向けの酷寒地仕様で、1977年上期から1982年までに150両 (101 - 250) が製造された。暖地向けのキハ47形とともに最初に就役したグループである。番号が0番台 (1 -) とならなかったのは、旧形客車を気動車化改造したキハ40形(1966年12月にキハ08形に形式変更)が存在していたためとされている[85]

車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、トイレ、空気ばね台車を装備する。床材は北海道向け従来形式のキハ24形などの鋼板 + 木材板張りから、キハ40系標準構造の塩化ビニール系床材ものに変更となった。

1977年製の16両 (101 - 116) は、角型水タンクカバー、4人掛けクロスシート12組[注 28]、客室の小窓が両端配置、客室の化粧板が薄茶色、台車は、軸箱支持装置がペデスタル式の空気ばね台車であるDT44・TR227である。

1978年以降に製造された117 - 250はトイレ関連機器の設置位置変更により4人掛けクロスシート12組+2人掛クロスシート2席[注 29] となったほか、水タンクカバー、窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台1次形と同様になった。客室の化粧板はクリーム色になり、台車はDT44A・TR227Aに変更された。

1988年に9両 (141 - 149) がキハ400形に改造され、残りの車両も全車が1990年から1995年にワンマン化改造により700番台となった。

キハ48形300番台・1300番台

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キハ48形の北海道向け酷寒地仕様で、デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形とも類似する。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくく[要出典]、1982年にトイレ付きの300番台車は4両 (301 - 304)、トイレなしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) が製造されたのみとなった。

寒地仕様

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キハ40形500番台

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主に東北地方を対象とした寒地仕様で、1977年末から1982年までに94両 (501 - 594) が製造された。デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。

このうち、キハ40 501 - 520はDT44・TR227台車を装備し、車内の化粧板は淡緑色であり、キハ40 521以降はキハ40 117以降と同様にトイレ関連機器の設置位置変更によって窓や座席の配置が変更され、車内の化粧板がクリーム色系、台車がDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された[注 30]

キハ47形500番台・1500番台

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新潟地区向け寒地仕様で、空気ばね台車装備。デッキはなく、客室窓は暖地向車と同じ2段上昇式となっている。1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 (501 - 522) とトイレなしの1500番台車21両 (1501 - 1521) が製造された。越後線弥彦線の電化に伴い、四国や中国、九州などに転じた。

キハ48形500番台・1500番台

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キハ40形500番台と同様の寒地仕様車で、1979年から1982年までにトイレ付きの500番台が59両 (501 - 559)、トイレなしの1500番台が50両 (1501 - 1550) 製造された。デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。主に東北地区や飯山線高山本線に投入された。

暖地・準寒地仕様

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キハ47形0番台・1000番台

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暖地向け仕様で、金属ばね台車装備で、車内の化粧板は初期に製造されたキハ47 1 - 16は淡緑色、キハ47 17以降はクリーム色である。トイレ付きの0番台は1977年上期から1983年までに193両 (1 - 193) が、トイレなしの1000番台は1978年から1982年までに134両 (1001 - 1134) がそれぞれ製造され、これら327両が本系列の最大グループとなっている。

キハ40形2000番台

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暖地向け仕様で、1979年から1982年にかけて148両 (2001 - 2148) が製造された。当初はキハ47形を両運転台としたキハ41形が想定されていたが[86]、運転台とトイレへの暖房用ダクトの配置が困難であったため、キハ40形500番台に準じた2000番台が製造された[53]

客室窓はキハ47形と同じ2段上昇式であるほか、車内の化粧板はクリーム色系で、デッキは装備されていない。なお、2000番台は1978年度1次債務以降の製造で、1977年度1次債務車からのトイレ関連機器設置位置の変更に対応した窓・座席配置であるため、いわゆる「前期型」に当たる車両は無い。台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。

キハ48形0番台・1000番台

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キハ48形500・1500番台と同一車体・デッキ仕切り付きながら金属ばね台車装備とした準寒地向けで、1981年から1982年にかけてトイレ付きの0番台車が6両、トイレなしの1000番台車が4両製造され、美濃太田(1 - 3・1001・1002)と敦賀(4 - 6・1003・1004)に配置された。

改造車

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国鉄

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冷房化

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指宿枕崎線で運用する本系列に対し、桜島の降灰対策のためバス用独立機関式クーラートヨタ2Jと自動車用車内放熱器のRH21を用いたAU34による冷房化を、1986年から1987年にかけてキハ40形5両およびキハ47形10両に実施した。

機関直噴化

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戦後本格的に使用されるようになった国鉄気動車用ディーゼルエンジンの燃焼方式は、小型高速機関に有利とされたほか、当時の燃料事情に鑑み、燃料性状に影響されにくいとされた予燃焼室式が選ばれていた[注 31]が、オイルショック以降、国鉄でも直接噴射式エンジンの開発が進められた[88]。直噴式は予燃焼室式のエンジンに比して10 %程度燃費が良い、構造が簡単で部品点数も少ない、燃焼室および排気温度が低いためエンジンの信頼性が向上する、冷間時の始動性に優れる[注 32]といった特徴がある一方で、最大爆発力が高く騒音・振動が大きい、燃焼に対する燃料噴射ノズルの状態の影響が大きいためその的確な点検が必要といった欠点があるとされていた[90]

1980年時点では、現有車両のエンジンを早急に直噴化するため、キハ40系およびDE10形等のエンジンを直噴化改造するDMF15HSA-DIおよびDML61ZB-DIの開発と、新形式急行用気動車用のDMF15HSBおよび、DD51形の後継機種用16気筒エンジンのベースとなるDML61ZCの新規開発が計画されていた[91][92]。その後は気動車用エンジンの開発が先行し、DMF15系2機種に加えて軽快気動車用のDMF13Sと12気筒のDML30HSI-DIの開発も進められており[93]、前3者とDMF15HSAの主要諸元は以下の通りとなっている。

DMF15HSAと直噴式エンジン各形式比較[94][95]
形式 燃料制御装置 過給機 中間
冷却器
定格出力 最大出力 燃料消費率
(定格時)
備考
DMF15HSA 電磁式 220 PS/1600 rpm 250 PS/2000 rpm 185 g/PS・h キハ40系用
DMF15HSA-DI 電子式 250 PS/1600 rpm 275 PS/2000 rpm 168 g/PS・h キハ40系改造用
DMF15HZB 電子式 300 PS/1600 rpm 330 PS/2000 rpm 約163 g/PS・h 新形式急行形用
DMF13S 電磁空気式 210 PS/1600 rpm 約225 PS/2000 rpm 約170 g/PS・h キハ37形用

DMF15HSA-DIはキハ47 47, 48, 1034の3両で1983年1月から実運用が行われている[96]。岡山 - 鳥取間で行われた、キハ47形の直噴化改造車と従来車の編成での営業列車における燃料消費量の測定試験の結果、力行時で14 %、アイドリング時で31 %の削減が認められた[注 33]ほか、部品点数が400点削減されたこと、電子化による始動性の向上やアイドリング時のエンジン回転数の低下および燃料制御装置化の調整が不要になったことなどにより保守性も向上している[97]。また、北海道においてはキハ40 109が試験的に改造され、その後1987年までに北海道配置のキハ40系112両が改造された[98]ほか、JR東日本のキハ40 1008, 2088や[99]キハ40 1001, 1002, 1004, 1005や八戸運輸区向けワンマン対応のキハ40形500番台など[要出典]も直噴化改造されている[注 34]

烏山線向け改造(キハ40形1000番台)

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烏山線向けに2000番台からトイレを撤去するなどの改造を行い、9両が1000番台となった。1001 - 1007は国鉄が1986年11月末から翌1987年3月末の間に、1008と1009は東日本旅客鉄道(JR東日本)が1991年と1995年に各1両を改造した。改造時期やその後の改造などにより形態には差異がある。

キハ40 1001 - 1007:1979年4月から5月に宇都宮運転所に新製配置し烏山線で運用していたキハ40形2000番台 (2011 - 2020) のうち水戸運転所へ転出した3両 (2018 - 2020) を除く7両 (2011 - 2017) を改造。工事は大宮工場で施行した[102]。トイレの撤去により定員は98名となったが、撤去したトイレ部分の小窓と屋根上の水タンクが存置された。塗色は烏山線色(白(クリーム10号)地に緑色(緑14号)でr字様帯模様の2色塗装)に変更されている。

民営化後の1990年3月に、1006を除く6両についてワンマン運転(後乗り前降り)対応改造と座席のロングシート化工事を施行した。定員は144名に増加し、車内案内自動放送装置、外部スピーカー、乗降口案内表示器が設置された。客室は旧トイレ部分の小窓をそのまま固定化して座席および網棚、吊手を延長し、ロングシートの中央部の暖房リターンダクト立ち上がり部分には消火器とくず物入れを設置した。さらに1995年から1996年にかけて冷房装置(サブエンジン式のAU34)を搭載して網棚上4か所にクーリングユニットを装備し、水タンクとその横にあった通風器が撤去された。乗降扉の半自動対応改造(乗降扉横に押しボタン式のドア開閉装置、ドア開閉時チャイム音)も行われた。機関換装は行われていないが、1001・1002・1004・1005の4両は燃料直噴式に改造(DMF15HSA-DI、出力230 PS / 1600 rpm)された。

ワンマン化されなかった1006は、耐寒耐雪改造を実施の上で東北地区に転出し、2004年秋田総合車両センターでリニューアル工事が行われた。烏山線に残留した車両とは下記の通り仕様が異なるが、番号の変更はない。

  • 座席配置がセミクロスシートのまま
  • 屋根上水タンク存置
  • 旧トイレ部分[注 35] の窓を埋め込み
  • 機関をカミンズ製DMF14HZ (300 PS / 2000 rpm) へ換装し、機関直結式冷房装置(AU26J-A×2)を搭載

キハ40 1008:1991年8月に、高崎運転所のキハ40 2087を改造[102]。他の1000番台と異なり旧トイレ部には他の客室窓と同様のユニット窓が設けられている。また、高崎時代にAU34で冷房化されており、天井部にはクーリングユニットはなく、冷房用ダクトが設けられている。水タンク横の通風器が残る他、床下機器配置も異なっている。機関は燃料直噴式へ改造(DMF15HSA-DI、出力230 PS / 1600 rpm)された。

キハ40 1009:1995年12月に水郡線営業所のキハ40 2139を改造[103]。水郡線時代にAU34による冷房化とワンマン化改造を実施しており、1008同様に水タンク横の通風器が残り、室内も冷房用ダクトが天井に設けられているほか、旧トイレ部の窓はそのまま固定化され、外部スピーカーと乗降口案内表示器の位置も他車と異なる。機関は原形のまま。

  • キハ40 2011 - 2017・2087・2139 → 1001 - 1009

JR北海道

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宗谷本線急行用(キハ400系)

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1988年11月3日のダイヤ改正での宗谷本線の高速化のため、「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車[注 36] を置き換えるためにキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を改造したもの。車番は改造前から変更せず、それぞれの形式称号の末尾に0を加えてキハ400形・キハ480形とし、総称してキハ400系ともいう。

特急が多くダイヤ密度の高い函館本線や、勾配区間のある宗谷本線で優等列車として運用するため、機関をキハ183系550番台・1550番台と同じDMF13HZ (330 PS / 2000 rpm) に、変速機はキハ85系キハ110系などと同じ多段式のN-DW14B形(3段6要素・変速1段・直結2段)に交換し、特急用気動車と同等の性能とした[要出典]。その結果、名寄駅での増解結作業が増えたにもかかわらず、所要時間は客車時より約40分、キハ56系時よりも約20分短縮した。

座席はキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへ交換され、横引きカーテンや窓框に縁取りが設けられたが、窓配置がキハ40・48時代のままのため窓と座席の間隔が一致しておらず、眺望は利かなかった。キハ400形はトイレを改良して隣に洗面所を新設し、窓1箇所を埋めている一方、キハ480形は304もトイレを撤去して[注 37]全車トイレなしとしている。冷房装置は、屋根上に各車1基搭載したインバーター式の N-AU400を、キハ400形車内の機器室に設置した発電用電源エンジンから三相交流220 Vの電力を給電して稼働させる独立機関・電気式のものとし、発電機器室は窓2箇所を埋めてルーバーを設置している[注 38]

車体の塗装をグレー系のツートンカラーに赤の細帯に変更トイレの反対側に列車名をあしらったエンブレムが描かれた。定員はキハ400形が48名。キハ480形は当初68名だったが、のちに飲料水の自動販売機が設置され66名に減少した。

予備車が少なく、またキハ400形が機器室・トイレ・洗面所付き両運転台車で定員が少ないため、多客期は自由席としてキハ56系やキハ54形などが増結された。その後、1997年にキハ400形100番台3両が、老朽化したお座敷気動車を置き換えるため、お座敷気動車の500番台に改造され、代替でキハ182形改造車3両が補充された。残る10両は、宗谷本線高速化により急行列車特急化された2000年3月11日のダイヤ改正まで使用され、その後、うち9両は同年夏に学園都市線(札沼線)用の一般車(キハ40形330番台・キハ48形1330番台)に再改造された。

キハ400系(キハ400形、キハ480形)改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍 最終配置 備考
キハ400形 キハ400 141 キハ40 141 1988年10月14日 苗穂 苗穂 改造(キハ400 501) 1997年12月28日 苗穂
キハ400 142 キハ40 142 1988年10月14日 改造(キハ400 502) 1998年2月28日
キハ400 143 キハ40 143 1988年11月18日 釧路 改造(キハ40 331) 2000年7月1日
キハ400 144 キハ40 144 1988年10月15日 五稜郭 改造(キハ40 332) 2000年7月26日
キハ400 145 キハ40 145 1988年10月27日 改造(キハ40 333) 2000年8月11日
キハ400 146 キハ40 146 1988年10月28日 改造(キハ40 334) 2000年6月20日
キハ400 147 キハ40 147 1988年10月24日 苗穂 改造(キハ40 335) 2000年7月11日
キハ400 148 キハ40 148 1988年10月27日 改造(キハ40 336) 2000年7月19日
キハ400 149 キハ40 149 1988年10月20日 改造(キハ400 503) 1998年4月18日
キハ480形 キハ480 304 キハ48 304 1988年10月24日 廃車 2006年10月6日
キハ480 1301 キハ48 1301 1988年10月15日 五稜郭 改造(キハ48 1331) 2000年7月15日
キハ480 1302 キハ48 1302 1988年10月20日 苗穂 改造(キハ48 1332) 2000年8月11日
キハ480 1303 キハ48 1303 1988年10月14日 改造(キハ48 1333) 2000年7月21日

ワンマン化(700番台)

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1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。番号は1次車 (101 - 116) が種車の車両は元番号に725を足した連番、その他の竣工順の付番とされている。

また、17両が都市近郊輸送に対応するため、旧番号時代の1991年から1992年にクロスシートを1+2列に改造している。番号は次のとおり。

  • キハ40 175・178 - 180・186 - 188・207 - 210・222・226 - 228・249・250 → 802 - 805・813 - 825

のちに、機関の換装などにより一部が300・350・400番台に改造されたほか、789は改番前(キハ40 150)の1988年に機関をキハ400形と同じDMF13HZに、変速機をN-DW14Bに換装しているが、番号上は区別されていない。DMF15HSAのまま機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はエアクリーナーが移設されたため、車体側面の機関用吸気口が塞がれている。循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。

JR移行後は、地域色を除き外板色が白地に萌黄色と青の帯に統一されていたが、2010年4月に、釧路運輸車両所所属の777が首都圏色に変更された[104]

更なる使用を目的に後述する1700番台への延命改造が実施され、一旦は全車が改造される計画であったが2011年に中断されたため一部が未改造で残存した。

キハ40形ワンマン化(キハ40形700番台)改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 700番台 キハ40 701 キハ40 239 1990年6月22日 苗穂 苫小牧 延命改造(キハ40 1701) 2005年3月30日 苫小牧
キハ40 702 キハ40 212 1990年9月21日 改造(キハ40 301) 1996年2月2日
キハ40 703 キハ40 238 1990年11月8日 延命改造(キハ40 1703) 2004年5月25日
キハ40 704 キハ40 240 1990年12月13日 延命改造(キハ40 1704) 2005年5月19日
キハ40 705 キハ40 213 1990年12月21日 延命改造(キハ40 1705) 2004年7月9日
キハ40 706 キハ40 214 1991年3月8日 延命改造(キハ40 1706) 2004年9月1日
キハ40 707 キハ40 138 1990年10月20日 旭川 延命改造(キハ40 1707) 2012年3月7日 旭川
キハ40 708 キハ40 136 1990年11月27日 廃車 2021年6月30日 旭川
キハ40 709 キハ40 244 1991年1月28日 延命改造(キハ40 1709) 2005年6月10日 釧路 2022年3月末日廃車
キハ40 710 キハ40 156 1991年1月10日 改造(キハ40 355) 1998年12月11日 旭川
キハ40 711 キハ40 242 1991年2月13日 延命改造(キハ40 1711) 2012年4月24日
キハ40 712 キハ40 241 1991年2月28日 延命改造(キハ40 1712) 2012年7月2日
キハ40 713 キハ40 155 1991年10月17日 旭川 改造(キハ40 352) 1998年7月18日
キハ40 714 キハ40 194 1991年8月27日 苗穂 延命改造(キハ40 1714) 2008年11月7日
キハ40 715 キハ40 196 1991年11月3日 旭川 延命改造(キハ40 1715) 2007年7月14日 苫小牧
キハ40 716 キハ40 200 1991年6月10日 延命改造(キハ40 1716) 2009年9月28日 旭川
キハ40 717 キハ40 201 1991年9月27日 苗穂 改造(キハ40 353) 1998年9月1日
キハ40 718 キハ40 232 1991年7月25日 旭川 改造(キハ40 351) 1998年7月8日
キハ40 719 キハ40 233 1991年8月15日 改造(キハ40 358) 1999年9月27日
キハ40 720 キハ40 234 1991年9月12日 延命改造(キハ40 1720) 2009年7月24日
キハ40 721 キハ40 245 1992年3月2日 苗穂 廃車 2022年3月31日
キハ40 722 キハ40 128 1991年9月12日 旭川 釧路 延命改造(キハ40 1722) 2011年5月19日 釧路
キハ40 723 キハ40 129 1991年10月23日 延命改造(キハ40 1723) 2008年1月17日
キハ40 724 キハ40 132 1991年12月4日 旭川 延命改造(キハ40 1724) 2010年2月5日 旭川
キハ40 725 キハ40 133 1991年10月22日 延命改造(キハ40 1725) 2011年11月10日
キハ40 726 キハ40 134 1992年1月19日 廃車 2021年5月31日
キハ40 727 キハ40 135 1992年3月2日 延命改造(キハ40 1727) 2011年10月7日
キハ40 728 キハ40 190 1991年9月12日 苗穂 改造(キハ40 356) 1998年12月11日
キハ40 729 キハ40 191 1991年10月23日 廃車 2021年6月30日
キハ40 730 キハ40 215 1991年7月27日 2022年3月31日
キハ40 731 キハ40 216 1991年8月21日 改造(キハ40 359) 1999年10月22日
キハ40 732 キハ40 217 1991年9月26日 廃車 2021年5月31日
キハ40 733 キハ40 221 1991年11月1日 2022年3月31日
キハ40 734 キハ40 152 1991年9月3日 旭川 2021年9月30日 函館
キハ40 735 キハ40 153 1991年12月19日 延命改造(キハ40 1735) 2009年8月31日 旭川
キハ40 736 キハ40 170 1991年10月19日 延命改造(キハ40 1736) 2011年4月28日
キハ40 737 キハ40 162 1991年4月20日 苗穂 釧路 延命改造(キハ40 1737) 2006年3月25日 釧路 2022年3月末日廃車
キハ40 738 キハ40 163 1991年4月25日 延命改造(キハ40 1738) 2009年4月
キハ40 739 キハ40 164 1991年5月22日 廃車 2021年4月30日
キハ40 740 キハ40 165 1991年5月30日 延命改造(キハ40 1740) 2009年10月26日
キハ40 741 キハ40 166 1991年7月9日 延命改造(キハ40 1741) 2005年1月31日
キハ40 742 キハ40 167 1991年6月14日 延命改造(キハ40 1742) 2007年10月12日
キハ40 743 キハ40 246 1991年7月19日 旭川 改造(キハ40 357) 1999年6月23日 苫小牧
キハ40 744 キハ40 168 1991年12月6日 延命改造(キハ40 1744) 2011年12月16日 旭川
キハ40 745 キハ40 169 1991年12月29日 延命改造(キハ40 1745) 2011年2月28日
キハ40 746 キハ40 203 1992年5月10日 旭川 廃車 2021年9月30日
キハ40 747 キハ40 204 1992年6月26日 延命改造(キハ40 1747) 2009年1月28日
キハ40 748 キハ40 205 1992年7月23日 改造(キハ40 302) 1996年3月7日 苫小牧
キハ40 749 キハ40 122 1992年9月1日 釧路 延命改造(キハ40 1749) 2007年11月14日 釧路
キハ40 750 キハ40 123 1992年10月22日 事故廃車 2000年7月19日 根室本線尺別駅、保線作業時に撤去し忘れた「横取り装置」に乗りあげ脱線
キハ40 751 キハ40 140 1992年9月30日 延命改造(キハ40 1751) 2011年8月3日
キハ40 752 キハ40 117 1992年10月26日 延命改造(キハ40 1752) 2005年12月24日
キハ40 753 キハ40 118 1992年11月26日 改造(キハ40 354) 1998年9月30日 旭川
キハ40 754 キハ40 119 1992年12月25日 延命改造(キハ40 1754) 2006年4月29日 釧路
キハ40 755 キハ40 124 1992年5月26日 苗穂 延命改造(キハ40 1755) 2007年3月19日
キハ40 756 キハ40 127 1992年6月6日 延命改造(キハ40 1756) 2007年8月3日
キハ40 757 キハ40 125 1992年6月25日 廃車 2021年4月30日
キハ40 758 キハ40 126 1992年8月19日 延命改造(キハ40 1758) 2010年4月22日
キハ40 759 キハ40 176 1992年7月12日 延命改造(キハ40 1759) 2005年4月27日
キハ40 760 キハ40 177 1992年8月2日 延命改造(キハ40 1760) 2006年10月24日
キハ40 761 キハ40 181 1992年8月19日 苗穂 延命改造(キハ40 1761) 2009年4月23日 旭川
キハ40 762 キハ40 185 1992年9月6日 延命改造(キハ40 1762) 2008年8月26日 苫小牧
キハ40 763 キハ40 189 1992年9月26日 延命改造(キハ40 1763) 2004年2月20日
キハ40 764 キハ40 230 1992年10月26日 廃車 2005年6月24日 旭川 鉄道員(ぽっぽや)用改造車
キハ40 765 キハ40 120 1992年11月5日 釧路 延命改造(キハ40 1765) 2006年12月12日 釧路
キハ40 766 キハ40 121 1992年12月4日 延命改造(キハ40 1766) 2007年3月1日
キハ40 767 キハ40 139 1992年5月24日 函館 延命改造(キハ40 1767) 2009年3月 苫小牧
キハ40 768 キハ40 157 1992年6月24日 延命改造(キハ40 1768) 2005年10月14日
キハ40 769 キハ40 159 1992年7月27日 改造(キハ40 401) 1996年3月6日
キハ40 770 キハ40 160 1992年8月15日 函館 改造(キハ40 402) 1996年3月11日
キハ40 771 キハ40 243 1992年9月12日 延命改造(キハ40 1771) 2005年4月20日
キハ40 772 キハ40 174 1992年10月14日 延命改造(キハ40 1772) 2005年2月10日
キハ40 773 キハ40 195 1992年11月14日 改造(キハ40 303) 1996年1月23日
キハ40 774 キハ40 235 1992年12月10日 延命改造(キハ40 1774) 2004年10月26日 釧路
キハ40 775 キハ40 236 1993年1月13日 延命改造(キハ40 1775) 2008年10月28日
キハ40 776 キハ40 237 1993年2月10日 延命改造(キハ40 1776) 2004年7月30日
キハ40 777 キハ40 248 1993年2月4日 旭川 釧路 廃車 2021年4月30日 首都圏色
キハ40 778 キハ40 154 1993年3月5日 延命改造(キハ40 1778) 2006年4月
キハ40 779 キハ40 225 1992年12月27日 苗穂 苗穂 延命改造(キハ40 1779) 2007年5月20日
キハ40 780 キハ40 224 1993年2月28日 延命改造(キハ40 1780) 2006年12月22日 苫小牧
キハ40 781 キハ40 211 1993年3月10日 函館 函館 廃車 2018年5月31日 釧路
キハ40 782 キハ40 182 1993年5月17日 苗穂 苗穂 改造(キハ40 304) 1996年1月31日 苫小牧
キハ40 783 キハ40 183 1993年6月14日 延命改造(キハ40 1783) 2006年5月13日
キハ40 784 キハ40 184 1993年7月9日 延命改造(キハ40 1784) 2006年6月28日
キハ40 785 キハ40 223 1993年8月5日 延命改造(キハ40 1785) 2004年12月14日
キハ40 786 キハ40 137 1993年9月3日 苫小牧 延命改造(キハ40 1786) 2007年12月12日
キハ40 787 キハ40 171 1993年10月10日 延命改造(キハ40 1787) 2008年2月18日
キハ40 788 キハ40 206 1993年12月8日 延命改造(キハ40 1788) 2004年12月27日
キハ40 789 キハ40 150 1994年1月27日 廃車 2018年4月30日
キハ40 790 キハ40 199 1993年8月25日 函館 函館 延命改造(キハ40 1790) 2005年7月21日 苗穂
キハ40 791 キハ40 198 1993年9月28日 延命改造(キハ40 1791) 2006年2月6日 苫小牧
キハ40 792 キハ40 173 1993年6月10日 延命改造(キハ40 1792) 2004年9月29日 函館
キハ40 793 キハ40 231 1993年5月21日 旭川 延命改造(キハ40 1793) 2007年11月26日
キハ40 794 キハ40 202 1993年6月22日 改造(キハ40 360) 1999年11月9日 函館
キハ40 795 キハ40 151 1993年7月26日 延命改造(キハ40 1795) 2005年9月8日
キハ40 796 キハ40 158 1993年5月19日 釧路 延命改造(キハ40 1796) 2004年8月16日
キハ40 797 キハ40 161 1993年6月18日 延命改造(キハ40 1797) 2008年9月22日
キハ40 798 キハ40 130 1993年7月23日 延命改造(キハ40 1798) 2009年9月18日
キハ40 799 キハ40 193 1993年7月28日 延命改造(キハ40 1799) 2006年3月25日
キハ40 800 キハ40 197 1993年9月24日 延命改造(キハ40 1800) 2005年12月14日
キハ40 801 キハ40 172 1993年5月6日 函館 延命改造(キハ40 1801) 2004年11月11日
キハ40 802 キハ40 187 1993年7月16日 廃車 2022年3月31日
キハ40 803 キハ40 188 1993年8月18日 延命改造(キハ40 1803) 2004年5月21日
キハ40 804 キハ40 222 1993年9月17日 延命改造(キハ40 1804) 2009年1月7日
キハ40 805 キハ40 209 1993年9月27日 苗穂 延命改造(キハ40 1805) 2005年2月16日
キハ40 806 キハ40 248 1994年2月3日 苗穂 延命改造(キハ40 1806) 2010年1月28日
キハ40 807 キハ40 131 1994年10月1日 函館 函館 延命改造(キハ40 1807) 2009年11月18日
キハ40 808 キハ40 192 1994年12月7日 苗穂 廃車 2018年8月31日
キハ40 809 キハ40 218 1994年12月3日 苗穂 延命改造(キハ40 1809) 2005年10月31日
キハ40 810 キハ40 219 1994年7月22日 旭川 延命改造(キハ40 1810) 2011年12月27日
キハ40 811 キハ40 220 1994年8月5日 苗穂 函館 延命改造(キハ40 1811) 2012年3月24日
キハ40 812 キハ40 229 1994年11月4日 延命改造(キハ40 1812) 2006年4月7日
キハ40 813 キハ40 175 1994年8月6日 函館 延命改造(キハ40 1813) 2004年3月12日
キハ40 814 キハ40 178 1994年10月22日 苗穂 延命改造(キハ40 1814) 2008年11月12日
キハ40 815 キハ40 179 1995年2月8日 五稜郭 延命改造(キハ40 1815) 2009年7月17日
キハ40 816 キハ40 180 1994年10月30日 釧路 苗穂 延命改造(キハ40 1816) 2011年8月10日 苗穂
キハ40 817 キハ40 186 1994年8月5日 苗穂 廃車 2020年3月31日
キハ40 818 キハ40 207 1994年7月8日 釧路 延命改造(キハ40 1818) 2010年3月27日
キハ40 819 キハ40 208 1994年8月13日 廃車 2021年8月
キハ40 820 キハ40 210 1994年9月21日 2020年5月31日
キハ40 821 キハ40 226 1994年12月22日 苗穂 延命改造(キハ40 1821) 2011年10月7日
キハ40 822 キハ40 227 1995年1月30日 廃車 2020年3月31日
キハ40 823 キハ40 228 1995年2月23日 2021年8月31日
キハ40 824 キハ40 249 1994年8月23日 旭川 延命改造(キハ40 1824) 2009年12月11日
キハ40 825 キハ40 250 1994年8月17日 苗穂 廃車 2021年4月30日 函館
キハ40 826 キハ40 101 1994年9月22日 旭川 2020年4月26日 旭川
キハ40 827 キハ40 102 1994年10月5日 苗穂 2020年4月26日
キハ40 828 キハ40 103 1994年10月26日 旭川 2021年4月30日
キハ40 829 キハ40 104 1994年8月10日 苗穂 2021年6月30日
キハ40 830 キハ40 105 1994年11月24日 旭川 2021年5月31日
キハ40 831 キハ40 106 1994年12月28日 2020年8月14日 函館
キハ40 832 キハ40 107 1995年2月1日 2021年4月30日 旭川
キハ40 833 キハ40 108 1995年3月13日
キハ40 834 キハ40 109 1994年11月28日 苗穂 2021年6月30日
キハ40 835 キハ40 110 1994年11月11日 函館 2021年4月30日 函館
キハ40 836 キハ40 111 1994年12月15日 2018年3月31日
キハ40 837 キハ40 112 1995年1月6日 2021年9月30日
キハ40 838 キハ40 113 1995年2月4日 2016年6月20日
キハ40 839 キハ40 114 1995年2月18日 苗穂
キハ40 840 キハ40 115 1994年10月7日 2018年3月31日
キハ40 841 キハ40 116 1994年12月1日 2016年6月20日

学園都市線用(300番台)

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1996年に学園都市線(札沼線)の増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台4両に対して行った[105]

機関はN-DMF13HZB (330 PS / 2000 rpm) に換装され、出力増強が図られた。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26)やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされた。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備している[105]。本番台は全車が苗穂運転所に配置され、同じく同所配置で札沼線(学園都市線)で運用されていたキハ141系気動車とともに、車体地色がライトグレーとなっている。

キハ40形300番台改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 300番台 キハ40 301 キハ40 702 1996年2月2日 五稜郭 苗穂 苗穂 マヤ35 牽引車(観測装置搭載)
キハ40 302 キハ40 748 1996年3月7日 苗穂運転所入れ替え車
キハ40 303 キハ40 773 1996年1月23日 苗穂
キハ40 304 キハ40 782 1996年1月31日 マヤ35 牽引車

学園都市線末端区間用(400番台)

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1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と、同区間で運用していたキハ53形500番台の老朽化による置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものである。

キハ53形500番台は閑散ローカル線での1両運行と降雪時の排雪抵抗増に対応するためにキハ56形を改造した両運転台・2機関車であった。それを置き換えるために、ほぼ同時期に改造されたキハ143形と同様にキハ150形気動車の駆動システムを基にして、それまでの改造車よりも高出力の動力装置を搭載している。機関はN-DMF13HZD (450 PS / 2000 rpm) 、変速機は直結2段式のN-DW14Cとし、出力増大に伴い、動台車を2軸駆動のN-DT44Bに改造した。また、デッドマン装置に代えて緊急列車停止装置を搭載した。冷房装置は搭載していない。外観上は客用扉を萌黄色として区別している[106]

キハ40形400番台改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 400番台 キハ40 401 キハ40 769 1996年3月6日 苗穂 苗穂 廃車 苗穂 解体済み
キハ40 402 キハ40 770 1996年3月11日

日高本線用改造車(350番台)

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日高本線キハ40形700番台を置き換えて使用されていたキハ130形が車体構造が原因で早期に老朽化したため、これの置き換えのために1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造して350番台に改番して再投入したもので、愛称は「優駿浪漫」である。

キハ130形時のダイヤを維持するため機関をN-DMF13HZB (330 PS / 2000 rpm) に換装して出力を増強し、落ち葉などによる空転対策のため砂撒き装置を台車に装備している。学園都市線用の300番台とは異なり車内の改造は行わず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。

基本的に日高本線の列車で使用されていたが、2015年以降における同線の一部区間不通・バス代行に伴い室蘭本線など近隣線区でも運用されていた。

キハ40形350番台改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 350番台 キハ40 351 キハ40 718 1998年7月8日 苗穂 苫小牧 廃車 2021年3月31日 苫小牧
キハ40 352 キハ40 713 1998年7月18日 五稜郭 2019年5月31日
キハ40 353 キハ40 717 1998年9月1日 苗穂 2021年3月31日
キハ40 354 キハ40 753 1998年9月30日 五稜郭
キハ40 355 キハ40 710 1998年12月11日
キハ40 356 キハ40 728 1998年12月11日 苗穂
キハ40 357 キハ40 743 1999年6月23日
キハ40 358 キハ40 719 1999年9月27日
キハ40 359 キハ40 731 1999年10月22日
キハ40 360 キハ40 794 1999年11月9日 2019年5月31日

学園都市線向けロングシート化(330番台)

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2000年の宗谷本線急行「宗谷」「利尻」の特急化に伴い余剰となったキハ400形100番台・キハ480形1300番台を学園都市線用に再改造し[105]2000年7月1日より運用されたもの[107]

通勤・通学用への転用に伴い、711系電車の廃車発生品を用いて座席をすべてロングシートとした。また、客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。300番台と同様に外板色はライトグレーとした。キハ400形は床上の機器室内に設置した電源用機関、その向かい側の洗面所を撤去[注 39] して客室とし、機器室跡に窓を1か所再設置[注 40] し洗面所側は窓なしとした。電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、両番台とも、キハ40形300番台同様の機関直結式冷房装置のN-AU26に交換され[105]、従来、冷房用電源の関係でキハ400形とペアで使用されていたキハ480も単独での運用が可能となった。新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じているほか、キハ400形・キハ480形時の装備であった横引きカーテンのレール覆いや、窓框の縁取りが残されている。

キハ40形330番台改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 330番台 キハ40 331 キハ400-143 2000年7月1日 苗穂 苗穂 苗穂 苗穂運転所入れ替え車
キハ40 332 キハ400-144 2000年7月26日 廃車 2012年10月31日 苗穂
キハ40 333 キハ400-145 2000年8月11日
キハ40 334 キハ400-146 2000年6月20日 譲渡(ミャンマー国鉄) 2012年12月5日
キハ40 335 キハ400-147 2000年7月11日
キハ40 336 キハ400-148 2000年7月19日 苗穂 苗穂運転所入れ替え車
キハ48形 1330番台 キハ48 1331 キハ480-1301 2000年7月15日 譲渡(ミャンマー国鉄) 2012年11月14日 苗穂
キハ48 1332 キハ480-1302 2000年8月11日 2012年11月22日
キハ48 1333 キハ480-1303 2000年7月21日 2012年12月5日

延命工事(1700番台)

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後の長期使用を見越し、キハ40形700番台84両に2003年度から2011年にかけて延命改造を実施したものである。改造内容は、駆動用機関のN-DMF13HZI (243 kW (330 PS) / 2,000 rpm) 、液体変速機の直結3段式 (N-DW40) への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、天井にある扇風機をラインフローファンに交換、ワンマン運転用機器の更新のほか、屋根上の水タンクの撤去と車内への移設などである。改造車の番号は原番号に1000が加えられている。

キハ40 1795が函館運転所構内の脱線転覆事故で2007年3月7日に廃車になり、2013年4月時点では苗穂運転所に5両、苫小牧運転所に18両、釧路運輸車両所に24両、函館運輸所に20両、旭川運転所に16両の計83両が配置されていた。2016年3月には、江差線道南いさりび鉄道への転換に伴い、9両が同社へ譲渡された。(#道南いさりび鉄道も参照)

函館運輸所の1792と1796が2004年・2005年の「大沼バーベキュー号」の動力車として、ナハ29000形に合わせた茶色塗装に変更されたが、その後JR北海道標準色に戻っている。2010年4月に、釧路運輸車両所所属の1749と1758が首都圏色に変更された[108][109]

2018年には4両が「北海道の恵み」シリーズとして順次改造を受け運行を開始した。また、2019年には2両が「山紫水明」シリーズとして改造を受けた。

キハ40形1700番台改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 1700番台 キハ40 1701 キハ40 701 2005年3月30日 五稜郭 苫小牧 苗穂 2021年3月30日
キハ40 1703 キハ40 703 2004年5月25日 苗穂 廃車 2022年 旭川 タイフォンあり
キハ40 1704 キハ40 704 2005年5月19日 五稜郭 函館 2021年3月20日
キハ40 1705 キハ40 705 2004年7月9日 苗穂
キハ40 1706 キハ40 706 2004年9月1日 苫小牧 カムイサウルス(むかわ竜)復興トレイン
キハ40 1707 キハ40 707 2012年3月7日 旭川 旭川
キハ40 1709 キハ40 709 2005年6月10日 釧路 廃車 2022年3月31日 旭川
キハ40 1711 キハ40 711 2012年4月24日 旭川 2022年
キハ40 1712 キハ40 712 2012年7月2日 2022年
キハ40 1714 キハ40 714 2008年11月7日 旭川
キハ40 1715 キハ40 715 2007年7月14日 苫小牧 2020年3月14日
キハ40 1716 キハ40 715 2009年9月28日 旭川
キハ40 1720 キハ40 716 2009年7月24日 道北 流氷の恵み
キハ40 1722 キハ40 722 2011年5月19日 釧路 釧路 2020年4月3日
キハ40 1723 キハ40 723 2008年1月17日 2020年3月14日
キハ40 1724 キハ40 724 2010年2月5日 苗穂 旭川
キハ40 1725 キハ40 725 2011年11月10日
キハ40 1727 キハ40 727 2011年10月7日 釧路
キハ40 1735 キハ40 735 2009年8月31日
キハ40 1736 キハ40 736 2011年4月28日 苗穂
キハ40 1737 キハ40 737 2006年3月25日 釧路 釧路 廃車 2022年3月31日 旭川
キハ40 1738 キハ40 738 2009年4月 釧路
キハ40 1740 キハ40 740 2009年10月26日 旭川 2022年3月31日
キハ40 1741 キハ40 741 2005年1月31日 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40 1742 キハ40 742 2007年10月12日
キハ40 1744 キハ40 744 2011年12月16日 旭川 旭川
キハ40 1745 キハ40 745 2011年2月28日 苗穂
キハ40 1747 キハ40 747 2009年1月28日 釧路 宗谷色
キハ40 1749 キハ40 749 2007年11月14日 釧路 旭川 2022年5月 首都圏色
キハ40 1751 キハ40 751 2011年8月3日 2022年3月25日
キハ40 1752 キハ40 752 2005年12月24日 苗穂 廃車 釧路
キハ40 1754 キハ40 754 2006年5月29日 釧路 2022年3月
キハ40 1755 キハ40 755 2007年3月19日 旭川 2022年3月
キハ40 1756 キハ40 756 2007年8月3日 廃車 釧路
キハ40 1758 キハ40 757 2010年4月22日 旭川 2022年5月 首都圏色
キハ40 1759 キハ40 759 2005年4月27日 2022年3月25日 国鉄色
キハ40 1760 キハ40 760 2006年1月24日 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40 1761 キハ40 761 2009年4月23日 苗穂 旭川 旭川
キハ40 1762 キハ40 762 2008年8月26日 苫小牧 函館 2022年3月20日
キハ40 1763 キハ40 763 2004年2月20日 苫小牧
キハ40 1765 キハ40 765 2006年12月12日 釧路 釧路 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40 1766 キハ40 766 2007年3月1日 苗穂 旭川 2022年5月 国鉄色
キハ40 1767 キハ40 767 2009年3月 苫小牧 函館 2021年3月20日
キハ40 1768 キハ40 768 2005年10月14日 廃車 釧路
キハ40 1771 キハ40 771 2005年4月20日 函館 2021年3月20日
キハ40 1772 キハ40 772 2005年2月10日 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40 1774 キハ40 774 2004年10月26日 釧路 旭川 2022年5月
キハ40 1775 キハ40 775 2008年10月28日 釧路 2022年3月25日
キハ40 1776 キハ40 776 2004年7月30日 苗穂 廃車 釧路
キハ40 1778 キハ40 778 2006年4月 旭川 2022年5月
キハ40 1779 キハ40 779 2006年3月25日 釧路 2022年3月 道東 森の恵み
キハ40 1780 キハ40 780 2005年12月14日 苗穂 苫小牧 苫小牧 道央 花の恵み
キハ40 1783 キハ40 783 2006年5月13日
キハ40 1784 キハ40 784 2006年6月28日 旭川 2021年3月27日
キハ40 1785 キハ40 785 2004年12月14日 苫小牧
キハ40 1786 キハ40 786 2007年12月12日
キハ40 1787 キハ40 787 2008年2月18日 旭川 2021年3月27日
キハ40 1788 キハ40 788 2004年12月27日 五稜郭 廃車 2022年 旭川
キハ40 1790 キハ40 790 2005年7月21日 苗穂 2009年3月 山明 
キハ40 1791 キハ40 791 2006年2月6日 苗穂 旭川 2009年3月 紫水
キハ40 1792 キハ40 792 2004年9月29日 五稜郭 函館 函館
キハ40 1793 キハ40 793 2007年11月26日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40 1795 キハ40 795 2005年9月8日 事故廃車 2007年3月7日 函館運輸所内で入換作業中にDD51と衝突
キハ40 1796 キハ40 796 2004年8月16日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日
キハ40 1797 キハ40 797 2008年9月22日 旭川 2020年3月
キハ40 1798 キハ40 798 2009年9月18日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40 1799 キハ40 799 2006年3月25日
キハ40 1800 キハ40 800 2005年12月14日 函館
キハ40 1801 キハ40 801 2004年11月11日
キハ40 1803 キハ40 803 2004年5月21日
キハ40 1804 キハ40 804 2009年1月7日
キハ40 1805 キハ40 805 2005年2月16日
キハ40 1806 キハ40 806 2010年1月28日
キハ40 1807 キハ40 807 2009年11月18日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40 1809 キハ40 809 2005年10月31日 函館 道南 海の恵み
キハ40 1810 キハ40 810 2011年12月27日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40 1811 キハ40 811 2012年3月24日 函館
キハ40 1812 キハ40 812 2006年4月7日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40 1813 キハ40 813 2004年3月12日 函館
キハ40 1814 キハ40 814 2008年11月12日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40 1815 キハ40 815 2009年7月17日
キハ40 1816 キハ40 816 2011年8月10日 苗穂 苗穂 苗穂
キハ40 1818 キハ40 818 2010年3月27日
キハ40 1821 キハ40 821 2011年10月7日 2012年3月
キハ40 1824 キハ40 824 2009年12月11日 廃車 2022年 旭川

「鉄道員(ぽっぽや)」用(キハ40 764)

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1999年に映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影用として、当時釧路運輸車両所に所属していたキハ40 764[110]を改造した。同作品に登場するキハ12形や、それ近い外観のキハ22形はすでに運用を終了していたため、キハ40形700番台を改造したもので、キハ12形に似せて側窓部の外板に横桟を入れて分割し上部をHゴム支持としたいわゆる「バス窓」風に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式とした。塗装で経年劣化した状態を表現したほか、形式番号の標記は「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)とした。映画撮影終了後の2000年3月に旭川運転所に転配。前照灯をシールドビーム2灯[注 41] に改め、本来の形式記号・番号標記を1・4位側扉点検蓋上方に小さく追加標記した以外はそのままの姿で「ぽっぽや号」として観光客向けの臨時列車に用いられたが、集客の低下に伴い石北本線でのローカル運用に充てられたのち保留車となった。側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪化していたため、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。廃車後は車体が2分割され、前位側先頭部がロケ地の幾寅駅前に保存されている。

軌道検測車の動力車への転用

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学園都市線での定期運用が終了したキハ40形のうち、300番台の301と304が、2018年から使用を開始したマヤ35形客車を挟んで運転する専属車両となり、301には組成時に先頭に出る側の前面貫通扉に前方監視カメラと建築限界測定装置(いずれもマヤ35車内の検測装置に接続)が装備された[111]

JR東日本

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冷房化

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1987年から1988年、および1995年に前述のキハ40形1000番台6両を含む計26両にサブエンジン式のAU34による冷房化改造が実施されている。床下の熱交換器を撤去して冷房装置を搭載するもので、前者は室内熱交換器を床下に設置する方式、後者は荷棚部に室内熱交換器を設置する方式である。その後1995年以降、南秋田運転所、小牛田運輸区、新津運転所の計113両は機関直結式のAU26J-Aによる冷房化改造が実施された。

ワンマン化

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JR東日本は1988年3月に大湊線においてワンマン運転を開始し、キハ40系の運転線区においては、大湊線のほか五能線男鹿線石巻線気仙沼線東北本線利府支線左沢線水郡線烏山線に拡大した[112]。ワンマン運転線区で運用される車両では運賃箱や整理券発行機、線区により乗降口案内表示窓などを設置する改造が行われているが、これに伴う改番は行われていない[112]

このうち石巻線・気仙沼線・東北本線利府支線向けにワンマン化改造された小牛田運輸区のキハ40形500番台3両とキハ48形500番台・1500番台各7両は、クロスシートの3列への変更やデッキ仕切りの撤去が行われたほか、キハ48形の反運転台側の貫通路は営団6000系のものに類似したキノコ型広幅のものに改造された[113]

機関換装

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前述の機関直結式AU26J-A冷房装置の設置などと合わせて機関をカミンズ製DMF14HZ (350 PS / 2000 rpm) へ交換する改造が実施されたが、JR他社における改造の事例と異なり液体変速機はDW10のままのため、機関出力を300 PSに下げて使用されている。

暖地向け車の寒地向け改造

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八高線や水郡線などへのキハ110系の投入で余剰となった暖地向けのキハ40形2000番台やキハ47形0番台・1000番台のうち、東北地区や新潟地区へ転用される車両は耐雪カバーや暖房機器増設などの耐寒耐雪化改造が行われ、烏山線のキハ40 1006が東北地区へ転用された際にも同様の改造が実施された[113]

衛星携帯電話アンテナの設置

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八戸線・五能線・只見線で運用される車両では、運転台屋根上にNTTドコモ衛星携帯電話のアンテナが設置された[114]。アンテナは白い円形状のもので、前頭部側にはアンテナ保護用の保護枠が設置されている[114]

JR東海

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紀勢本線向け機関換装・冷房化

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紀勢本線用としてキハ40形2000番台6両を1989年から1990年にかけて改造した。機関はキハ85系で採用されたカミンズ製のC-DMF14HZ (350 PS / 2000 rpm) に換装され、冷房装置はC-AU711Dを2基屋根上に搭載している[115]。番号は原番に3000を加えて5000番台となったが、番号整理に伴い1999年度に3000番台に再改番された。

  • キハ40 2030 - 2032・2058・2059・2129 → 5030 - 5032・5058・5059・5129 → 3001 - 3003・3005・3306・3010

武豊線向け機関換装・ワンマン化

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1992年の武豊線への投入に伴い、東海道本線での運用のためキハ48形500番台の機関をC-DMF14HZに換装して出力増強を図るとともにワンマン運転設備を付加したもので、5両が改造された[115]。番号は原番に3000を加えて3500番台となったが、ワンマン車の区別のため1999年に3800番台に再改番された。

なお、これらとペアを組むキハ48形1500番台5両(1523・1524・1528 - 1530)にもワンマン運転設備が付加されているが、機関換装は実施されず、改番も行われなかった。

  • キハ48 526・529・531・532・541 → 3526・3529・3531・3532・3541 → 3809・3812・3814・3815・3816

1994年以降の機関換装と改番

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機関換装は1994年度から再開され、保有する全形式の全車の機関をキハ75形キハ11形300番台で採用されたカミンズ製のC-DMF14HZB (350 PS / 2000 rpm)に、変速機をキハ85系・キハ75形で採用された新潟コンバータ製C-DW14A(変速1段・直結2段) に換装した[115]。同時に寒地装備、トイレ、機関の形式により一定の基準によって分類して、それぞれ原番の順に以下の通り改番した。

キハ40形5500番台
500番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(576・577 → 5501・5502)が改番されたが、のちに5502はワンマン運転設備を付加して後述の5800番台に再改番され、5501は2015年12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ40形6000番台
2000番台にC-DMF14HZBを搭載。6両(2057・2111 - 2113・2130・2131 → 6004・6007 - 6009・6011・6012)が改番されたが、全車にワンマン設備を付加して6300番台に再改番され、2000年度に消滅した。
キハ47形5000番台
0番台にC-DMF14HZBを搭載した2両(3・4 → 5001・5002)。2015年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ47形6000番台
1000番台にC-DMF14HZBを搭載した3両(1027・1109・1110 → 6001 - 6003)。2015年3・4月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形5000番台
0番台にC-DMF14HZBを搭載。3両(1 - 3 → 5001 - 5003)が改番されたが、のちに5002と5003の2両がワンマン運転設備を付加して再改番され、5001は2015年12月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形5500番台
500番台にC-DMF14HZBを搭載。13両(509 - 514・524・525・527・528・530・542・543 → 5501 - 5508・5510・5511・5513・5517・5518)がこの番台となったが、のちに8両がワンマン運転設備を付加して5800番台に再改番されたため、5501・5508・5511・5513・5518の5両が残った。5511・5513は2015年3月に廃車。残る3両は2015年7・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形6000番台
1000番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(1・2 → 6001・6002)が改番されたが、のちに6002がワンマン運転設備を付加して再改番されたため6001のみとなったが、2015年7月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形6500番台
1500番台にC-DMF14HZBを搭載。17両(1515 - 1519・1523 - 1531・1536 - 1538 → 6501 - 6517)がこの番台となったが、のちに14両がワンマン運転設備を付加して6800番台に再改番され、6501・6502・6517の3両が残った。2015年7・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。

機関形式の区別による再改番

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1999年には、以前に機関換装を実施した車両も再度改番しており、C-DMF14HZ搭載車として3000番台に区別した。

キハ40形3000番台
旧5000番台。C-DMF14HZ搭載。3001 - 3003・3005・3010の5両。このうち一部は西日本旅客鉄道(JR西日本)所属のロングシート化改造車と番号が重複している。3005は2011年6月8日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている[116]。2015年7・12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。

ワンマン化と番号整理

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JR東海では武豊線に続いて高山本線・紀勢本線でもワンマン運転が実施されたが、1999年以降はワンマン化改造車に対して番号に300を加えてさらに区別された[117]

キハ40形3300番台
旧5000番台。3000番台のワンマン運転対応車。3306のみ。2015年12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ40形5800番台
1999年に5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番(5502 → 5802)したもの。5802のみ。2015年7月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ40形6300番台
1999年から2000年にかけて6000番台にワンマン運転設備を付加[注 42] し、再改番 (6304・6307 - 6309・6311・6312)したもの。2015年7・2016年3月に廃車され、6304を除きミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形3800番台
旧3500番台。改番時点でワンマン対応改造済み。3809・3812・3814 - 3816の5両。3812は2011年4月18日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている[116]。3814は2015年3月に、残る4両は2015年4・7月と2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形5300番台
5000番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、2000年と2003年に1両ずつ(5302・5303)、計2両に実施。2016年3月に廃車され、5302はミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形5800番台
1999年から5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもの。5802 - 5807・5810・5817の8両。2015年4・7月と2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形6300番台
2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。6302の1両のみで、2016年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形6800番台
1999年から6500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、6803 - 6816の14両に対して実施された。うち6806・6807・6811 - 6813の5両は6500番台への改番時点で既にワンマン運転設備を装備していた。2015年4・7・12月と2016年3月に廃車され、6805 - 6807と6811を除きミャンマーへ譲渡。廃区分となった。

JR西日本

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ワンマン化

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ローカル線の経営合理化のため、JR西日本では1989年よりキハ40・47形を対象に大多数の車両でワンマン化改造が施工された。運賃表示器や運賃箱、整理券発行機の設置などを行い、キハ47形では運転台側客用扉から運転台仕切りまでの座席を撤去した[118]。キハ47形を両運転台化改造したキハ41形も改造時にワンマン化されている。

冷房化

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1989年度から1995年度にかけて日本電装製のサブエンジン式冷房装置AU34による冷房改造が全車に対して実施されている。床下の暖房用熱交換器を1基撤去してAU34を搭載し、車内荷棚部に室内熱交換器を設置している。

ロングシート化

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ローカル線区の朝ラッシュ時の乗降のスムーズ化と定員増加を図るため、車内の座席をロングシートに交換したグループである[119]キハ40形2000番台は3000番台に、キハ47形は0・1000番台は2000・3000番台に、500・1500番台は2500・3500番台に改番された。1991年から1992年にかけてキハ40形5両とキハ47形27両(2000番台16両、2500番台1両、3000番台9両、3500番台1両)に対して施工され、1996年度にはキハ47形21両(2000番台7両、2500番台2両、3000番台11両、3500番台1両)が追加で改造されたが、こちらはボックスシートを一部残している。

キハ40形は岡山地区に、キハ47形は岡山(吉備線)・米子・山口地区に配置され、いずれもラッシュ時に運用されている。

キハ40形、キハ47形ロングシート化改造一覧
車両形式 車両番号 種車 竣工 改造所 初期配置 体質改善工事(改造所) 現行配置 備考
キハ40形 3000番台 キハ40 3001 キハ40 2009 1992.3 後藤 津山 2007.5.23(後藤) 岡山
キハ40 3002 キハ40 2010 1993.1.9 2005.12.19(後藤)
キハ40 3003 キハ40 2028 1993.2.16 2005.2.1(金沢)
キハ40 3004 キハ40 2116 1993.3.26 2003.12.29(後藤)
キハ40 3005 キハ40 2117 1993.3.15 2007.2.27(網干)
キハ47形 2000番台 キハ47 2001 キハ47 48 1993.2.23 後藤 津山 2007.3.7(下関) 岡山
キハ47 2002 キハ47 161 1993.3.10 2004.3.26(後藤)
キハ47 2003 キハ47 163 1993.3.10 2001.3.23(後藤)
キハ47 2004 キハ47 67 1994.9.14 米子 2004.8.30(後藤) 後藤 こなきじじい列車Ⅱ
キハ47 2005 キハ47 86 1994.7.7 浜田 2006.10.30(金沢)
キハ47 2006 キハ47 97 1994.11.24 米子 2008.9.5(後藤)
キハ47 2007 キハ47 166 1994.11.5 2007.8.21(後藤)
キハ47 2008 キハ47 168 1994.9.9 2000.3.2(後藤)
キハ47 2009 キハ47 181 1994.8.11 2000.7.28(後藤)
キハ47 2010 キハ47 192 1994.11.26 鷹取 2001.5.14(後藤) 改番・観光列車化(キロ47-7006)
キハ47 2011 キハ47 193 1994.11.26 山口 改番・観光列車化(キロ47-7002)
キハ47 2012 キハ47 23 1994.10.28 広島 2001.10.12(下関)
キハ47 2013 キハ47 26 1994.9.10 2001.3.13(下関)
キハ47 2014 キハ47 108 1994.11.30 幡生 2000.7.5(下関)
キハ47 2015 キハ47 154 1994.10.7 鷹取 2007.3.1(下関) 廃車
キハ47 2016 キハ47 155 1994.10.7 2002.9.4(下関)
キハ47 2017 キハ47 17 1996.10.9 後藤 津山 2004.10.19(後藤) 後藤
キハ47 2018 キハ47 162 1996.10.12 2008.12.8(後藤)
キハ47 2019 キハ47 164 1996.9.10 米子 2004.2.27(後藤) 砂かけばばあ列車Ⅱ
キハ47 2020 キハ47 186 1996.9.19 津山 2001.12.22(後藤)
キハ47 2021 キハ47 12 1997.1.24 幡生 山口 1999.11.24(下関) 山口
キハ47 2022 キハ47 98 1997.3.27 2004.6.24(下関)
キハ47 2023 キハ48 147 1997.1.10 2002.12.28(下関)
2500番台 キハ47 2501 キハ47 508 1994.11.15 鷹取 広島 1999.3.31(下関)
キハ47 2502 キハ47 506 1997.3.27 幡生 山口 2003.7.22(下関)
キハ47 2503 キハ47 507 1997.2.17 2006.12.15(下関)
3000番台 キハ47 3001 キハ47 1001 1993.2.18 後藤 津山 2001.11.28(後藤) 岡山
キハ47 3002 キハ47 1003 1993.3.16 山口
キハ47 3003 キハ47 1111 1994.10.19 米子 2000.11.1(後藤) 後藤
キハ47 3004 キハ47 1006 1994.10.28 鷹取 広島 2004.1.27(下関) 山口
キハ47 3005 キハ47 1020 1994.10.31 幡生 2001.7.17(下関)
キハ47 3006 キハ47 1021 1994.11.30 鷹取 2003.2.4(下関)
キハ47 3007 キハ47 1067 1994.11.15 2004.3.10(金沢)
キハ47 3008 キハ47 1096 1994.11.30 2000.10.31(下関)
キハ47 3009 キハ47 1123 1994.9.30 幡生 2003.11.11(下関)
キハ47 3010 キハ47 1002 1997.3.14 後藤 米子 2001.6.13(後藤) 後藤
キハ47 3011 キハ47 1018 1996.11.15 2000.1.25(後藤)
キハ47 3012 キハ47 1034 1996.12.12 2008.7.18(後藤)
キハ47 3013 キハ47 1063 1996.11.29 1999.8.20(後藤)
キハ47 3014 キハ47 1095 1996.12.2 2006.12.29(後藤)
キハ47 3015 キハ47 1114 1997.1.6 2005.5.6(後藤)
キハ47 3016 キハ47 1115 1996.12.21 2004.5.17(後藤) 後藤 改番・観光列車化(キロ47-7005)
キハ47 3017 キハ47 1116 1997.2.15 2003.11.28(後藤)
キハ47 3018 キハ47 1124 1997.2.25 2003.12.29(後藤)
キハ47 3019 キハ47 1023 1997.3.21 幡生 広島 2000.3.23(下関) 山口
キハ47 3020 キハ47 1104 1997.1.24 山口 2005.6.28(下関)
3500番台 キハ47 3501 キハ47 1508 1994.11.15 鷹取 広島 2000.2.9(下関)
キハ47 3502 キハ47 1506 1996.12.27 幡生 山口 1999.7.30(下関)

機関と変速機の換装

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1994年度から2000年度にかけて機関および液体変速機の換装を実施している。機関はコマツSA6D125H-1AもしくはSA6D125HE-1への換装が実施され、車体側面の吸気ルーバーは埋められた[118]

液体変速機はコマツ製のKTF3335A-1A(変速2段・直結3段、自動式)または新潟コンバータ製TACN-22系(変速1段・直結2段、自動式)へ換装したが、台車が元のままの1軸駆動であり、軸重に対して出力が勝ち過ぎて空転を起こしやすい傾向があり、台車強度の関係から出力を本来の355 PSから330 PSに落としている。また、液体変速機のうちコマツ製のKTF3335A-1A換装車は、105 km/h以上で使用可能な直結3段目はキハ40系の最高速度が95 km/hのため使用されず、実質的には変速2段・直結2段である。

機関換装工事実施中は旧機関の車両との併結を考慮し出力を265 PS / 2000 rpmに制限し、換装完了後順次355 PSへ引き上げているが、岡山気動車区所属のキハ40形2000番台の一部と3000番台は、2019年1月時点でも265 PSのまま使用されている。

播但線向け両運転台化(キハ41形)

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1998年の播但線姫路駅 - 寺前駅間電化に際し、同線のうち非電化で残る寺前駅 - 和田山駅間の単行運転用としてキハ47形1000番台に運転台を増設して両運転台化改造された新形式のキハ41形が5両登場した[120]

増設運転台は種車の車体に新造の切妻前面構体を接合しており、既設運転台と灯具類の設置位置や運転室内配置を揃えた特徴的なものとなっている。増設運転台直後にトイレと水タンクを増設しており、2000番台に付番されている。鷹取工場後藤総合車両所で改造した。

塗装は姫路駅 - 寺前駅間で運用される103系3500番台と同様のワインレッドを採用し、窓周りのアクセントは103系のダークグレーに対してキハ41形では淡緑色が配された[120]。アクセントの部分には103系と同じく「BANTAN」の文字が表記されていた。

当初は播但線限定で運用されていたが、1999年10月のダイヤ改正より山陰本線豊岡駅 - 浜坂駅間でも運用されるようになったため、「BANTAN」の文字は順次消去された[121]。2002年から2005年にかけて全車に体質改善工事を実施した。2009年以降のJR西日本の単色化により車体塗装も朱色5号となった。その後キハ41 2001は方向転換が行われ、増設運転台が豊岡方に向くようになった。

2016年時点では福知山電車区豊岡支所に配置し、播但線内や山陰本線の豊岡 - 鳥取間で単行もしくは2両編成で運用している。

キハ41形改造一覧
車両形式 車両番号 種車 竣工 改造所 初期配置 体質改善工事(改造所) 現行配置・処遇 備考
キハ41形 キハ41-2001 キハ47 1010 1998.4.30 鷹取 福知山 2006.1.24(後藤) 豊岡
キハ41-2002 キハ47 1009 1998.8.28 後藤 2005.8.17(後藤)
キハ41-2003 キハ47 1024 1998.11.30 2002.10.17(下関)
キハ41-2004 キハ47 1039 1999.1.6 2004.8.5(後藤)
キハ41-2005 キハ47 1105 1999.3.30 2005.3.30(金沢)

体質改善工事と冷房装置交換

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キハ47形は1998年度から2009年度にかけて、キハ40形は1999年度から2007年度にかけて、全車両に103系電車113系電車等の国鉄形電車と同様の体質改善工事(延命40N)が行われた[122]。改造は後藤総合車両所、網干総合車両所(2000年までは鷹取工場)、下関総合車両所、金沢総合車両所の4所で施工された。

主な改造内容は、車体外板腐食部張替え、キハ47形の戸袋窓の埋め込み、通風器撤去、側窓を下段固定、上段下降式への交換、化粧板張替え、ドアの半自動装置の電気指令式への変更などである。また、同時もしくはほぼ同時期に冷房装置の機関直結式のWAU201への交換がキハ47形5両を除いて実施されており、床下のAU34の撤去と屋根上へのWAU201の熱交換器の搭載が行われている。

キハ40形、キハ41形、キハ47形、キハ48形体質改善施工実績
施工年度 施工工場施工両数 形式別施工両数施工済み車輌割合 合計
後藤 下関 網干 金沢 キハ40 キハ47 キハ48 キハ41
1998年 5 4 0 1 0/63
0 %
10/184
5 %
0/5
0 %
0/5
0 %
10
3 %
1999年 10 11 4 4 7/63
11 %
32/184
17 %
0/5
0 %
0/5
0 %
39
15 %
2000年 8 19 5 2 17/63
26 %
56/184
30 %
0/5
0 %
0/5
0 %
73
28 %
2001年 10 9 5 2 24/63
38 %
75/184
40 %
0/5
0 %
0/5
0 %
99
38 %
2002年 4 9 4 2 29/63
43 %
88/184
47 %
0/5
0 %
1/5
20 %
118
45 %
2003年 8 8 4 3 39/63
61 %
101/184
54 %
0/5
0 %
1/5
20 %
141
54 %
2004年 10 12 6 4 47/63
74 %
123/184
66 %
0/5
0 %
3/5
60 %
173
67 %
2005年 13 13 2 3 53/63
84 %
146/184
79 %
0/5
0 %
5/5
100 %
204
79 %
2006年 13 13 1 3 60/63
95 %
165/184
89 %
4/5
80 %
5/5
100 %
234
91 %
2007年 11 5 0 0 63/63
100 %
177/184
96 %
5/5
100 %
5/5
100 %
250
97 %
2008年 5 0 0 0 63/63
100 %
182/184
98 %
5/5
100 %
5/5
100 %
255
99 %
2009年 2 0 0 0 63/63
100 %
184/184
100 %
5/5
100 %
5/5
100 %
257
100 %
キハ40形体質改善工事一覧
車両番号 竣工 改造所 初期配置 現行配置 備考
キハ40 2070 1999.6.9 下関 山口 山口
キハ40 2080 1999.10.27 下関 山口 山口
キハ40 2083 2000.1.7 鷹取 加古川 富山
キハ40 2123 2000.1.19 下関 山口 山口
キハ40 2082 2000.1.27 鷹取 姫路 岡山
キハ40 2135 2000.3.7 金沢 高岡 富山
キハ40 2092 2000.3.30 後藤 加古川 富山
キハ40 2029 2000.7.14 網干 加古川 岡山
キハ40 2044 2000.9.8 下関 広島 山口
キハ40 2137 2000.9.19 金沢 高岡 富山
キハ40 2033 2000.10.10 下関 山口 山口
キハ40 2091 2000.10.11 網干 姫路 山口
キハ40 2119 2000.10.18 下関 広島 山口
キハ40 2035 2000.12.18 下関 山口 山口
キハ40 2004 2001.1.24 下関 広島 山口
キハ40 2136 2001.1.26 金沢 高岡 富山
キハ40 2027 2001.2.1 網干 加古川 富山 ベル・モンターニュ・エ・メール
キハ40 2003 2001.6.13 下関 山口 山口
キハ40 2073 2001.11.6 下関 山口 山口
キハ40 2081 2001.11.20 下関 山口 山口
キハ40 2121 2002.2.1 下関 広島 山口
キハ40 2090 2002.2.9 網干 加古川 富山
キハ40 2048 2002.3.1 後藤 津山 岡山
キハ40 2120 2002.3.15 下関 山口 山口
キハ40 2096 2002.4.16 下関 広島 山口
キハ40 2034 2002.6.24 網干 姫路 山口
キハ40 2042 2002.9.17 下関 山口 山口
キハ40 2036 2002.9.28 網干 姫路 岡山
キハ40 2045 2002.11.28 下関 広島 山口
キハ40 2047 2003.5.14 下関 広島 山口
キハ40 2076 2003.6.23 下関 山口 山口
キハ40 2005 2003.7.18 網干 姫路 山口
キハ40 2114 2003.9.29 下関 広島 山口
キハ40 2134 2003.10.12 網干 加古川 岡山 ノスタルジー
キハ40 2075 2003.10.17 金沢 山口 山口
キハ40 2093 2003.11.10 後藤 津山 岡山
キハ40 2071 2003.12.26 下関 山口 山口
キハ40 2133 2004.3.15 網干 加古川 岡山
キハ40 2115 2004.6.28 後藤 後藤 後藤 鬼太郎列車Ⅴ
キハ40 2049 2004.7.22 後藤 岡山 岡山 SAKU美SAKU楽
キハ40 2002 2004.7.27 下関 山口 山口
キハ40 2001 2004.9.22 下関 山口 山口
キハ40 2008 2004.11.24 金沢 豊岡 豊岡
キハ40 2084 2005.1.28 網干 高岡 富山 忍者ハットリくん
キハ40 2132 2005.1.31 下関 山口 山口
キハ40 2079 2005.5.9 下関 山口 山口
キハ40 2043 2005.7.26 後藤 岡山 岡山
キハ40 2074 2005.10.19 下関 山口 山口
キハ40 2118 2005.11.2 後藤 後藤 後藤 目玉おやじ列車Ⅲ
キハ40 2077 2005.12.30 下関 山口 山口
キハ40 2122 2006.4.12 下関 山口 山口
キハ40 2006 2006.5.24 後藤 岡山 岡山
キハ40 2094 2006.7.1 後藤 後藤 後藤 ねずみ男列車Ⅲ
キハ40 2078 2006.7.14 金沢 高岡 富山
キハ40 2095 2007.2.6 後藤 後藤 後藤 ねこ娘列車Ⅲ
キハ40 2046 2007.3.30 後藤 豊岡 豊岡
キハ40 2072 2007.9.10 下関 山口 山口
キハ40 2007 2007.9.28 後藤 豊岡 豊岡 竹田城跡号→うみやまむすび
キハ47形体質改善工事一覧
車両番号 竣工 改造 初期配置 現行配置 備考
キハ47 1008 1998.12.28 下関 山口 山口
キハ47 28 1999.1.14 後藤 加古川 岡山
キハ47 29 1999.1.29 後藤 加古川 後藤
キハ47 1103 1999.2.4 下関 広島 山口
キハ47 15 1999.2.12 後藤 福知山 豊岡
キハ47 1007 1999.3.18 下関 山口 山口
キハ47 1029 1999.3.30 金沢 高岡 富山
キハ47 16 1999.3.31 後藤 福知山 山口
キハ47 20 1999.3.31 後藤 津山 岡山
キハ47 69 1999.6.16 後藤 津山 岡山
キハ47 101 1999.6.23 下関 山口 山口
キハ47 30 1999.6.30 鷹取 加古川 後藤
キハ47 31 1999.6.30 鷹取 加古川 後藤
キハ47 1012 1999.7.16 金沢 福知山 豊岡
キハ47 1011 1999.8.12 金沢 高岡 富山
キハ47 45 1999.9.7 後藤 津山 岡山
キハ47 94 1999.9.7 下関 山口 山口
キハ47 148 1999.10.12 下関 広島 山口
キハ47 33 1999.10.22 後藤 後藤 後藤
キハ47 1106 1999.11.11 後藤 豊岡 豊岡
キハ47 47 1999.12.14 後藤 岡山 岡山 ノスタルジー
キハ47 1070 1999.12.14 下関 広島 山口
キハ47 1013 1999.12.19 金沢 高岡 富山
キハ47 37 2000.1.20 後藤 後藤 後藤
キハ47 1071 2000.4.28 下関 山口 山口
キハ47 1128 2000.5.22 後藤 岡山 岡山
キハ47 103 2000.6.20 下関 山口 山口
キハ47 65 2000.7.24 下関 山口 山口 廃車
キハ47 64 2000.8.25 後藤 岡山 岡山
キハ47 102 2000.8.25 下関 山口 山口
キハ47 110 2000.9.25 下関 山口 山口
キハ47 151 2000.11.28 下関 広島 山口
キハ47 1026 2000.11.28 網干 加古川 後藤
キハ47 1062 2000.12.22 下関 山口 山口
キハ47 11 2001.1.11 下関 広島 山口
キハ47 109 2001.2.28 下関 山口 山口
キハ47 1054 2001.2.28 網干 姫路 後藤
キハ47 44 2001.3.1 後藤 岡山 岡山
キハ47 1 2001.3.21 後藤 豊岡 豊岡
キハ47 1061 2001.3.26 下関 広島 山口
キハ47 18 2001.3.30 後藤 岡山 岡山
キハ47 40 2001.3.30 下関 山口 山口
キハ47 1053 2001.5.11 網干 姫路 後藤
キハ47 34 2001.5.12 後藤 後藤 後藤
キハ47 1036 2001.7.17 後藤 岡山 岡山 ノスタルジー
キハ47 5 2001.8.24 後藤 豊岡 豊岡
キハ47 1028 2001.8.31 網干 加古川 後藤
キハ47 1038 2001.10.29 後藤 後藤 後藤
キハ47 1094 2001.11.27 網干 姫路 岡山
キハ47 25 2001.12.18 金沢 高岡 富山
キハ47 1060 2001.12.21 下関 広島 山口
キハ47 142 2002.3.25 後藤 岡山 岡山
キハ47 137 2002.3.26 網干 姫路 後藤
キハ47 1015 2002.3.28 金沢 高岡 富山
キハ47 100 2002.3.30 下関 広島 山口
キハ47 9 2002.5.30 後藤 広島 山口
キハ47 1005 2002.6.5 後藤 岡山 岡山
キハ47 38 2002.6.18 下関 山口 山口
キハ47 42 2002.7.4 金沢 高岡 富山
キハ47 1022 2002.10.16 後藤 岡山 岡山
キハ47 1064 2002.11.25 金沢 高岡 富山
キハ47 1133 2002.12.4 網干 加古川 豊岡
キハ47 1004 2003.1.20 後藤 岡山 岡山
キハ47 139 2003.2.27 網干 姫路 豊岡
キハ47 153 2003.3.31 下関 山口 山口
キハ47 83 2003.7.31 後藤 後藤 後藤
キハ47 21 2003.9.30 後藤 岡山 岡山
キハ47 190 2003.10.21 金沢 山口 山口
キハ47 141 2004.1.10 網干 姫路 鳥取
キハ47 1131 2004.3.11 下関 山口 山口
キハ47 93 2004.4.23 下関 広島 山口
キハ47 1093 2004.5.29 網干 姫路 豊岡
キハ47 1059 2004.6.1 下関 山口 山口
キハ47 1092 2004.7.6 網干 姫路 高岡
キハ47 1014 2004.8.24 下関 山口 山口
キハ47 19 2004.10.5 金沢 岡山 岡山
キハ47 138 2004.10.6 網干 姫路 富山
キハ47 150 2004.10.19 下関 山口 山口
キハ47 81 2004.11.19 下関 山口 山口
キハ47 1112 2004.11.25 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 149 2004.12.16 下関 広島 山口
キハ47 165 2004.12.16 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 1091 2004.12.27 網干 高岡 富山
キハ47 39 2005.2.18 下関 山口 山口
キハ47 1019 2005.2.24 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 99 2005.3.19 網干 岡山 岡山
キハ47 1108 2005.3.28 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 96 2005.3.30 下関 山口 山口
キハ47 66 2005.4.4 網干 高岡 富山
キハ47 80 2005.6.2 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 152 2005.6.2 下関 山口 山口
キハ47 170 2005.7.20 下関 岡山 岡山
キハ47 1037 2005.9.7 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 43 2005.9.17 後藤 岡山 岡山
キハ47 1134 2005.9.29 金沢 高岡 富山
キハ47 169 2005.10.5 下関 山口 山口
キハ47 7 2005.10.20 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 6 2005.11.22 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 85 2005.11.2 下関 岡山 岡山
キハ47 1035 2005.12.5 下関 山口 山口
キハ47 27 2005.12.26 金沢 高岡 富山
キハ47 35 2005.12.29 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 95 2006.1.24 下関 山口 山口
キハ47 84 2006.2.15 網干 鳥取 鳥取
キハ47 36 2006.3.27 金沢 高岡 富山
キハ47 1102 2006.3.27 下関 山口 山口
キハ47 180 2006.3.28 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 68 2006.4.17 後藤 後藤 後藤
キハ47 63 2006.5.26 後藤 山口 山口
キハ47 1016 2006.6.23 下関 山口 後藤
キハ47 22 2006.7.13 下関 山口 山口
キハ47 1507 2006.8.3 下関 山口 山口
キハ47 143 2006.9.6 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 1100 2006.9.29 下関 山口 山口
キハ47 13 2006.11.2 後藤 豊岡 豊岡
キハ47 1101 2006.11.21 下関 山口 山口
キハ47 1017 2006.11.30 後藤 後藤 後藤
キハ47 1065 2007.1.12 下関 山口 山口
キハ47 1040 2007.2.8 下関 山口 山口
キハ47 140 2007.2.27 金沢 高岡 富山
キハ47 24 2007.3.29 下関 山口 山口
キハ47 82 2007.4.25 後藤 後藤 後藤
キハ47 1113 2007.12.4 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 1066 2007.12.12 下関 山口 山口
キハ47 8 2008.1.11 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 167 2008.1.28 後藤 後藤 後藤
キハ47 2 2008.2.8 後藤 豊岡 豊岡
キハ47 41 2008.3.24 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 32 2008.3.26 後藤 後藤 後藤
キハ47 179 2008.3.27 下関 山口 山口
キハ47 146 2008.10.20 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 1025 2009.1.29 後藤 鳥取 鳥取
キハ47 10 2009.8.18 後藤 豊岡 豊岡
キハ47 14 2010.2.23 後藤 鳥取 鳥取
キハ48形体質改善工事一覧
車両番号 竣工 改造 初期配置 現行配置 備考
キハ48 1003 2006.6.21 後藤 岡山 岡山
キハ48 1004 2006.9.11 下関 山口 富山 花嫁のれん
キハ48 6 2006.10.10 後藤 岡山 岡山
キハ48 4 2006.10.31 下関 山口 富山 花嫁のれん
キハ48 5 2007.10.15 後藤 岡山 岡山

広島・山口地区での側面LED行先表示設置

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広島支社(下関総合車両所)配属の車両は、側面中央上部にLED式の行先表示器が増設され、板式の行先標の使用を終了している。

JR四国

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冷房化

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JR四国では民営化直後の1988年にキハ40系全車の冷房化改造が行われた。冷房装置はサブエンジン式で、F-TUR-300-104(18,000 kcal/h)を屋根上に2基搭載し、機関の熱交換器を撤去してS4F給電用機関(44 PS)を設置した[123]

ワンマン化

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1989年にはJR四国に継承されたキハ40形2000番台11両を対象にワンマン化改造が行われた。改造ではトイレの撤去とトイレ跡へのロングシート設置、旧トイレ部分への他の側窓と同型の2段ユニット窓の新設が行われた。屋上水タンクの撤去も行われたが、撤去跡は屋根を整形した車両と窪みがそのまま残された車両の両方が存在した[123]

簡易電気検測車化

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四国旅客鉄道(JR四国)は、JR北海道・九州旅客鉄道(JR九州)と同様に電気検測車を保有しておらず、JR西日本からキヤ191系検測車を借り入れて自社線の信号設備等の検測を行っていた。この検測作業をある程度自社の車両等で行い、借り入れ費用を節減する目的で、1988年にキハ40 2147に検測機器を搭載し、簡易電気検測車に改造した[124]

改造により、車両両端に踏切制御子測定用受電器を、後位側台車にATS地上子測定用車上子をそれぞれ取り付け[124]、車内には測定・記録機器が搭載された。客室設備に変更はなく、営業列車に使用しながらJR四国の各線の信号・踏切機器等の検測を行った。

電気式気動車改造試験

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2020年7月18日には、既存の気動車を電気式気動車に改造すべく中村自工が開発したディーゼルパワーユニットの構内走行試験が多度津工場で行われ、テストヘッドとして前年に廃車されたキハ40 2146が用いられた[125]

JR九州

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機関換装・高出力化(キハ140系)

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篠栗線などのスピードアップ用に機関を換装して出力増強を図ったものである[126][127]。1990年から1993年にかけてキハ40形2000番台9両、キハ47形0番台17両・1000番台13両の計30両が改造された。これに合わせて形式をキハ140形キハ147形に改めた[126][127][128]。両形式を総称した俗称としてキハ140系ともいう。なお車両番号は原番のままである。

1990年に改造したキハ47形7両には新潟鐵工所製のDMF13HZA、4両には神鋼造機製のDMF14HZを試用した[126]。キハ140形と、1991年以降のキハ147形にはコマツ製のSA6D125-HD1(いずれも360 PS / 2000 rpm)を搭載した[127]。また、変速機は新潟・コマツ製機関搭載車には新潟コンバータ製DW14系が、神鋼製機関搭載車には同社製のSCR1.0-4が搭載された[126][127]。いずれも変速1段・直結2段となっている[126][127]。台車は1軸駆動のままであるため、空転抑制のため空転検出装置が取り付けられている[126][127]。 なお、神鋼造機製の機関を搭載した車両は、のちにコマツ製機関および新潟製変速機に再換装された。

  • キハ40 2039 - 2041・2061・2062・2067・2125・2127 → キハ140(同番)
  • キハ47 49・50・53・54・58・59・61・90・91・104 - 107・182 - 185・1030・1032・1033・1043 - 1045・1055・1057・1058・1068・1069・1081・1125 → キハ147(同番)

2004年には、観光列車「はやとの風」および「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するための車両が本形式から改造されている。

原型機関改造による出力増強

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機関換装ではなく改造により1997年に出力増強を図った車両を改番したものである[129]。JR西日本とJR九州の依頼により、鉄道総合技術研究所がJR北海道で実施したDML30HSIの燃費改善改造の実績をもとに開発したものであり[130]、1991年3月からJR西日本のキハ47 11で、同年11月からJR九州のキハ40 2052キハ40 2052で現車試験が実施されたものである[131]

キハ40形2000番台2両とキハ47形0番台4両、1000番台4両の計10両が改造された[129]。番号は原番に5000を加えたものとされた[129]。なお、キハ40 7056は1992年に既に改造を実施していたものの未改番であったが、この機会に改番が実施されたものである[129]

DMF15HSAに対し、吸気系について過給器の交換による能力適正化、燃料供給系について燃料噴射ポンプの交換による噴射性能向上と燃料制御装置の機械式から電気式への交換、調時系について進角時期の適正化が行われ[132]、機関形式はDMF15HSA-Pに変更された[129][注 43]。この改造では、過給空気圧・吸入空気量を高め、燃料噴射量を増大することにより、機関最大出力を300 PS / 2000 rpmに増強している[129]。燃料消費率は最大で15%改善された[129]。変速機は引き続きDW10を使用しており変更はない[129]。機関出力の増加により、登坂・加速性能が従来よりも向上した。改造はこの時の10両に留まった。

改造を実施したキハ47形は鹿児島総合車両所で、5000・6000番台車同士で2両編成を組み、キハ47未改造車+キハ147の編成とともに宮崎 - 西鹿児島 - 枕崎間の運用に充当され、電化区間乗り入れ時の運行ダイヤの改善や指宿枕崎線の高速化等の輸送改善が図られた[129][133]。キハ40形は、先行改造車は筑豊地区で、1997年改造車は鹿児島地区で使用された。

1999年度から性能向上策が新型機関への換装工事に移行し、本番台も2006年度から8000・9000番台へ再改造されている。

  • キハ40 2052・2056 → 7052・7056
  • キハ47 51・57・77・126・1046・1050・1097・1098 → 5051・5057・5077・5126・6046・6050・6097・6098

機関換装・高出力化(8000・9000番台)

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国鉄キハ40形気動車 キハ40 8052 走行音 (筑豊本線筑前山家-原田間、2023年7月21日)

エンジンを、1999年から、コマツ製SA6D125H-1Aに、2004年以降は排気ガス対策を強化したSA6D125HE-1(出力はいずれも300 PS / 2000 rpmに調整)に換装した。変速機は新潟コンバータ製TACN22-1612A(変速1段・直結2段)としたが、キハ40 8103・8126の2両はコマツ製KTF3335A(変速2段・直結3段 自動式)を搭載している。2004年には「いさぶろう」・「しんぺい」用の、2006年には「はやとの風」用の増備車が改造され、本グループに編入している。

2006年4月時点では、キハ40形10両とキハ47形0番台14両、500番台1両、1000番台10両、1500番台1両の計36両が改造されていた。番号はキハ40形に6000を、キハ47形に8000を原番に加えたものに変更されており、8000番台の一部は、機関交換と同時にトイレ用の水タンクを小型化して床下に移設し臭気抜き・換気装置を設置、不要となった屋根上のタンクを撤去し同時にトイレの窓も埋められている。2005年に寒地向けキハ47形500番台、1500番台を改造した8500番台・9500番台は、同年度中に全車が3500番台・4500番台に再改造されたほか、2017年にはキハ47 8087および9051に対し「かわせみ やませみ」用の改造を行った。

  • キハ40 2038・2050・2051・7052・2054・7056・2060・2063・2064・2065・2069・2097・2098・2099 - 2104・2126・2128 → 8038・8050・8051・8052・8054・8056・8060・8063・8064・8065・8069・8097・8098・8099 - 8104・8126・8128
  • キハ47 5051・52・55・56・60・62・70・72・5077・87・88・89・92・119・120・121・123・124・129・133・135・157・159・509・1031・1041・1042・1048・1051・1072・1073・1074・1075・1077・1082・1084・6097・6098・1126・1509 → 8051・8052・8055・8056・8060(指宿のたまて箱仕様)・8062・8070・8072・8077・8087(かわせみ・やませみ仕様)・8088・8089・8092(はやとの風仕様)・8119・8120・8121・8123・8124・8125・8126・8129・8133・8135(西九州リニューアル車[134])・8157・8158(西九州リニューアル車[135])・8159(いさぶろう・しんぺい仕様)・8509(のちに3509に改造)・9031・9041・9042・9046・9048・9049・9050・9051(かわせみ・やませみ仕様)・9072・9073・9074・9075・9077・9078・9079(指宿のたまて箱仕様)・9082(いさぶろう・しんぺい仕様)・9084・9097・9098・9126・9509(のちに4509に改造)

2軸駆動化

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寒地形の500番台・1500番台および、その機関換装車である8500番台・9500番台に行われた。従来の1軸駆動のDT44Aを2軸駆動のDT44BKに改造し、同時に、500番台・1500番台は機関がコマツ製SA6D125HE-1、変速機が新潟コンバーター製のTACN-22-1612Aに換装された。れら8500番台・9500番台からの改造車は機関は・変速機は改造前のままである。2005年には、500番台と1500番台1両ずつ、8500番台と9500番台1両ずつを改造した。番号は原番車ではプラス3000、再改造車では再改造前の車番からマイナス5000である。現在は佐世保車両センターに全4両が配置されている[注 44][注 45]

  • キハ47 8509・9509 → 3509・4509(2軸駆動化改造、原番マイナス5000)
  • キハ47 510・1510 → 3510・4510(2軸駆動化改造+機関換装、原番プラス3000)[注 46]

西九州エリア普通列車向けリニューアル

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西九州新幹線の開業に伴い非電化となる長崎本線肥前浜駅 - 諫早駅間の普通列車用に、以下の通り、キハ47形8000・9000番台の一部および3500・4500番台を改造したもので、全車とも改造前の番号のままである。

  • キハ47 3509・3510・4509・4510[134]
  • キハ47 8076・8129・8135・8158・9031・9041[134][136][137]

外装は沿線の有明海をイメージした青一色に塗装され、車体側面に「朝日を浴びて光輝く波」と、「夕日が波間に沈む」光景をイメージした黄色とオレンジ色の装飾がなされたほか、運用線区の主要地名が表記された[138]。また、キハ47 8076 + 9041[注 47]は他の車両と異なる白一色に塗装され、「Choo Choo 西九州 TRAIN」として佐世保観光名誉大使であるEXILETAKAHIROによってデザインされたラッピング車両となっている[141][137][142]

改造内容は以下のとおりであり[143]、車内についてはほぼ改造されておらず[143]、また、機器関係の改造は行われていない[139]

  • ステップ部分埋め込みによる段差の縮小
  • 車内行先票設置
  • トイレ内照明のLED化及び洋式化・美装化[144][139]

佐世保車両センターに配置され[139]、2022年9月23日(「Choo Choo 西九州 TRAIN」のみ10月10日)より、以下の線区で運用されている[138][142]

ジョイフルトレイン・観光列車への改造

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JR北海道

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キハ400形お座敷車

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老朽化したお座敷気動車キロ29形・キロ59形)を置き換えるために、1997年から1998年にかけてキハ400形100番台3両をお座敷車に改造したものである。同時期に改造されたお座敷車のキハ183系6000番台と同様、一般車と併結して運用することが可能である。

客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装は黒、深い赤、暗い灰色のブロックパターンに改められた。客室は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30 cm掘り炬燵構造としているが、乗客が足を伸ばしてくつろげるよう床面をフラットにすることも可能である。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。2015年3月31日付で2両(502・503)が廃車され、501も同年11月に解体され、キハ400形は形式消滅した。

キハ400形500番台お座敷気動車改造一覧
車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ400形 500番台 キハ400 501 キハ400 141 1997年12月28日 苗穂 苗穂 廃車 2015年10月31日 苗穂 お座敷列車
キハ400 502 キハ400 142 1998年2月28日 2015年3月31日
キハ400 503 キハ400 149 1998年4月18日 釧路

「北海道の恵み」シリーズ

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2018年2月に発表された改造車両。沿線活性化を目的とし、北海道の地域(道北道東道南道央)をイメージした外装や、木目の床・木材を使用した背もたれなどが導入されている[145][146]

全4両で、使用車両は以下のとおり。それぞれに名前が付けられている。

  • キハ40 1720「道北 流氷の恵み」
  • キハ40 1779「道東 森の恵み」
  • キハ40 1809「道南 海の恵み」
  • キハ40 1780「道央 花の恵み」

「山紫水明」シリーズ

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JR北海道は「北海道の恵み」シリーズの好評を受け、同様にキハ40形の改造により、観光列車として運行可能な車両2両を導入することとなった[147][148]

2019年9月には「山明」を公開[149]。キハ40 1790からの改造車で、外観は広大な大地をイメージした深い緑色となっている[150]。座席には木を用いたほか脱着式のテーブルも取り付けられ[150]、普通列車としての運用時はテーブルを外す[151]

2019年10月には「紫水」を公開[152][153]。キハ40 1791からの改造車で、外観やモケットの色が「山明」号の緑に対して「紫水」号は紫となっている[153]

JR東日本

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「漫遊」 → 「ふるさと」

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1995年に水戸支社でキハ48 534・548およびキハ40 2138をお座敷車に改造したもので、それぞれキロ48 1・2とキロ40 1に改番され、編成としては「漫遊」と命名された。2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。

キロ48 1には「華 (HANA) 」、キロ48 2には「風 (FU) 」、キロ40 1には「月 (GETSU) 」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。改造当初はグリーン車であったが、2003年4月に普通車に変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番された。

2016年8月28日の団体臨時列車をもって運用が終了し[154]、同年9月7日付で廃車された[155]

「リゾートしらかみ 青池編成」 → 「クルージングトレイン」

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1997年3月の秋田新幹線開業に伴い、1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジックビュートレイン」に代わる観光列車として「リゾートしらかみ」(秋田 - 弘前・青森間)が新たに設定され、本形式が改造されて導入された。当初は編成名称が存在しなかったが、2003年の「橅編成」の登場に伴い、「青池編成」と命名された。

キハ48 533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも原番のままである。1・4号車の533と540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2・3号車の1521と1543は6人または4人用の簡易個室車とし、同時に冷房装置 (AU26J-A×2) を搭載、機関をDMF14HZ (300 PS / 2,000 rpm) に換装している。

また、1・4号車の前頭部形状を高運転台・半流線型の非貫通構造に変更し、前照灯をHIDとした。併せて全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるように配慮された。この意匠は以降の「リゾートしらかみ」編成およびJR東日本の本系列改造ジョイフルトレインにも継承されている。塗装は白神山地日本海の深青をイメージした塗り分けとしている。2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成に短縮され、抜かれたキハ48 1521は「くまげら編成」に転用された。

東北新幹線全線開業に伴う2010年12月4日のダイヤ改正に合わせ、HB-E300系4両編成1本が導入される[156]ことにより「リゾートしらかみ」から置き換えられた。置き換え後、中間車のキハ48 1543はリゾートしらかみ全編成の4両編成化に伴い「橅編成」用の中間車へ転用され、残るキハ48 533・540は2011年に団体列車用の「クルージングトレイン」[157] に改称された。転用後は前面の列車ロゴが変更されている。

老朽化に伴い2023年3月に廃車となり[158]、同年9月に秋田総合車両センターで解体されている。

「びゅうコースター風っこ」

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キハ48形をトロッコ気動車に改造した車両で、仙台支社が2000年から運用を開始した。従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入換作業や保安要員の配置など運行コストの問題があったため、置き換え用としてキハ48 547・1541を改造した。改番は実施されておらず、機関をDMF14HZに換装している。

車体側面を大きく開口させ、外気を存分に感じることができるようにするとともに、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚くことができる。また、開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。天井は骨組みを剥き出しにし、白熱灯を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。

「きらきらみちのく」 → 「リゾートうみねこ」

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きらきらみちのく」は、2002年12月の東北新幹線八戸駅延伸時に設定された観光列車で、下北・津軽方面への輸送を目的としている。キハ48 1505・1506・1534を改造したが、改番はされていない。ロゴマークと同じ「き・ら・き・らみちのく」と表記されることもあった。

前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした赤を基調に窓上をグレー、窓下を白に塗り分けている。機関をDMF14HZ・変速機をDW19-Rに換装し、冷房装置(AU26J-A×2)を屋根上に搭載した。車内は、1・3号車(1505・1506)に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシート設置部は床を100 mmかさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45度窓側に向けた状態で固定可能であるほか、トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。2号車 (1534) は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっているほか、前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映することができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。

休日を中心に、東北新幹線「はやて」に接続して八戸 - 大湊間で運転されていたが、2010年11月28日に「きらきらみちのく」での運行を終了した。また、釜石線大船渡線の臨時列車でも使用された。その後、「青森デスティネーションキャンペーン」にあわせて、八戸線沿線の海をコンセプトに、上部はさわやかな「空の青」、下部は太平洋の「深い青」、上部と下部の境目に「水平線から昇る太陽(サンライズ)」をイメージした塗装に変更するなどの再改造が行われ、2012年春から八戸線を中心に運行されており、愛称は一般公募により「リゾートうみねこ」となった[159][160]。2020年に運用を終了した。

「うみねこ」 → キハ48形リクライニング車

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2002年の東北新幹線八戸駅延伸を機に、八戸線の観光路線としての活性化を図るために導入された列車である。キハ48 555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式として汚物処理装置を装備したが、冷房装置の搭載や機関の換装は行われていない。塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となったウミネコを描き、車端部は太平洋の日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたものとしている。「うみねこ」運行終了に伴って臨時列車に使用されており、JR東日本盛岡支社HPでは「キハ48系リクライニング車」と表記される。2006年5月3日と2007年9月17日には津軽線の臨時快速「終着駅号」として運行されたほか、三陸鉄道北リアス線経由で宮古駅まで乗り入れたこともある。

2011年4月から八戸線を走るリゾートトレイン「リゾートうみねこ」の運行開始に伴い、「うみねこ」としての定期運行が終了し、同年9月の全般検査の際に車体中央部のウミネコのイラストと文字が消され、前面のヘッドマークも外された。2012年8月11 - 19日のお盆期間に、盛岡 - 釜石間の快速「ふるさとの風釜石」として運行され、同年10月からは土曜、日曜、多客期および大人の休日クラブパス使用可能日に新青森 - 大湊間で運行していた「リゾートあすなろ下北1号・2号」に代わって、八戸 - 大湊間の臨時快速「まさかり」として運行された。なお、当時大湊線を走行する車両では唯一の非冷房車であった。2014年2月23日に臨時快速「まさかり」の運行が終了し、同年6月1日から走行線区と運転時刻はそのまま、臨時快速「なのはな」となり、7月1日から臨時快速「はまなすベイライン」へと改称した。

2017年11月21日に秋田総合車両センターへ配給輸送され[161]、同年11月22日付で廃車された[162]

「リゾートしらかみ 橅編成」 → 「あきたクルーズ号」

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2002年12月の東北新幹線八戸延伸に伴って展開された「北東北ディスティネーションキャンペーン」に合わせて導入された「リゾートしらかみ」の増備車である。従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために従来編成が「青池編成」、この改造車が「橅編成」と命名された。従来の「青池編成」が4両編成であるのに対して3両で組成されていたが、後の2010年12月のダイヤ改正で旧「青池編成」に連結されていたキハ48 1543を組み込み、4両編成化された。

キハ40形3両を改造したが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所または喫煙室を設置した。これにより形式をキハ48形に変更し、車番を改めた(キハ40 506・507・510 → キハ48 701・702・1701)。外観は「青池」編成の青に対して白神山地の深緑を車体色とした。本編成では客用扉にドアチャイムが設置されている。

2016年7月15日にHB-E300系に置き換えられ、その後は「あきたクルーズ号」として、2018年4月18日より秋田港に寄港するクルーズ客船の乗客専用列車「秋田港クルーズ列車」(秋田 - 秋田港間)として運行を開始した[163][164]。転用に際して、塗装が白と青のツートンカラーに変更された。その後、2020年9月1日付で廃車された[165]。2022年の秋田港クルーズ列車運転再開時は、前述の「クルージングトレイン」を後継に充当したが、同編成も引退した2023年は一般型の車種(GV-E400系)を充てている[166]

「リゾートしらかみ くまげら編成」

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2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて「くまげら編成」が新たに投入された。

内装と設備は橅編成と同一であり、本編成も客用扉にドアチャイムを設置する。種車は両先頭車がキハ40形で、中間車は旧「青池編成」のキハ48 1521である(キハ40 515・520 → キハ48 703・704)。当初3両編成であったが、2010年12月のダイヤ改正でキハ48 1503を組み込み、4両編成化された。

外観は白地にオレンジ色を基調として、青・緑の帯を入れている。

「みのり」

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「みのり」は、2008年10月から12月にかけて開催された「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」の一環として、郡山総合車両センターで改造された。

2008年10月1日から「リゾートみのり」として仙台 - 新庄間(東北本線陸羽東線経由)で運行を開始した。「みのり」の愛称は一般公募によるもので、陸羽東線のキーワードである「稲穂」=実りある収穫、「温泉」=実りあるひととき、「紅葉」=実りの秋、そして「実り多い旅にしてほしい」という意味が込められている。

東京方先頭1号車からキハ48 550+キハ48 549+キハ48 546普通車3両編成で、番号は改造前と同一。

2020年に運用を終了し廃車となった。

「越乃Shu*Kura」

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「越乃Shu*Kura」は、2014年4 - 6月に開催された「新潟デスティネーションキャンペーン」の一環として、新潟トランシスと郡山総合車両センターで改造された。

2014年5月2日から「越乃Shu*Kura」として高田 - 十日町間(上越線飯山線経由)で運行を開始した。

キハ48 558+キハ48 1542+キハ40 552の普通車3両編成で、車両番号は改造前と同一。1号車はびゅう旅行商品専用車両となっている。キハ40系列の中で初めて前照灯がLED化され、ATS-P搭載改造を施工した。

JR西日本

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「瀬戸内マリンビュー」

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2005年10月1日から呉線(瀬戸内さざなみ線)広島 - 三原間において観光列車「瀬戸内マリンビュー」が運行されるのに伴い、キハ47形2000・3000番台を改造したもの。キハ47 7001と7002の2両編成で、トイレ付き車とトイレなし車で2両編成を組み1両は指定席車として運用されるが、種車と異なりトイレの有無による番台区分はされておらず通番が付与されている。いずれも改造と同時に体質改善工事を施工している。

前面は方向幕貫通扉が埋め込まれ、船を意識したオールライフブイが飾られている。側面は運転室側の乗降扉が埋められ、ステップもかさ上げされている。指定席車のキハ47 7001は山側の腰掛に海側を向いてソファーシートが採用されるなど、客室も大幅に変更されている。一方、自由席車のキハ47 7002は乗降扉が一箇所となったほかは基本的に従来どおりである。リニューアル工事も含めた改造費用は8,000万円で、呉線沿線の4自治体三原市竹原市東広島市呉市)が全額を負担している。

2012年に宮島口 - 三原間で「清盛マリンビュー」として運転された際には、列車のヘッドマークに「大河ドラマ『平清盛』広島県推進協議会」のキャラクター「ひろしま清盛」のイラストを用い、正面右側(運転士側)のオール・ライフブイの代わりに大しゃもじが飾られるなどの意匠変更が行われた。

宮島口 - 尾道間で2020年秋より運行開始する新たな観光列車『etSETOra』(エトセトラ)への再改造に伴い、2019年12月22日に運行を終了した[167][168]

  • キハ47 2011・3002 → キハ47 7001・7002

「みすゞ潮彩」

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2007年7月1日から山陰本線新下関 - 仙崎間で運行された観光列車「みすゞ潮彩」用にキハ47形0・1000番台を改造したもの。外装には列車名になった童謡詩人金子みすゞの生きた時代にちなんだアール・デコ調の装飾が施され、側面は、指定席車は運転室側の乗降扉が埋められて三角形や八角形の窓がはめ込まれ、海側の窓配置が大幅に変わった一方で、自由席車は海側・山側とも従来どおりである。

指定席車の客室は全席海側を向いた座席となるなど大幅に変更されている。一方、自由席車は一般的なキハ47形のリニューアル車の内装とほぼ同じであるが、トイレが洋式に改造されている。改造費用の8,000万円は山陰本線沿線の自治体である下関市長門市が負担した。車番は「瀬戸内マリンビュー」の続番であるが、こちらは前面の貫通扉が存置され一般車との連結も可能である。

「みすゞ潮彩」は2017年1月29日に運行を終了し、「○○のはなし」に再改造された。

  • キハ47 1107・46 → キハ47 7003・7004

「天空の城 竹田城跡号」

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2014年4月26日、「天空の城 竹田城跡号」ラッピング列車として運行を開始した[169]。当初は改造のない単なるラッピング車両だったが、床を木目調として窓向きの座席を配置し、観光情報を映すモニターを設置するなどのリニューアルが行われ、2015年3月20日より運行を開始している[170]

2019年5月6日に「天空の城 竹田城跡号」としての運行が終了し[171]、新たな観光列車「うみやまむすび」としてリニューアルされることが発表された[172]

「花嫁のれん」

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キハ48形2両(キハ48 4とキハ48 1004)を改造し、七尾線観光特急列車「花嫁のれん」として2015年10月3日から運行を開始した[注 48][175]。車両の落成は2015年8月26日で、特急用車両であるが、台車は従来のDT22D・TR51Cのままで、最高速度も従来と変わらず95 km/hである。

「ベル・モンターニュ・エ・メール」

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2015年1月22日、キハ40形1両を改造して城端線氷見線にコンセプト列車として北陸デスティネーションキャンペーンまでに運行を開始することが発表され、同年10月10日から運行を開始した[176]。列車名は「ベル・モンターニュ・エ・メール」(愛称:べるもんた)となった[177]、車種はキハ40 2027で、落成は2015年9月10日である。

「ノスタルジー」

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キハ47 47・1036を2016年に改造した車両。「郷愁」をテーマに、外装色は国鉄一般色を模したものとし、座席を青いモケットとするなど国鉄時代をイメージした内外装に改装している。また、栓抜きの取り付けや窓向きの座席を設置するなど観光列車向けの設備としている。

2016年から津山線の定期普通列車で使用されているほか、臨時快速「みまさかノスタルジー」としても運用されており、2020年には国鉄急行色を模した塗装に変更された。

なお、後にキハ40 2134も同色に塗装変更されているが、キハ47形と異なり車内の改造はなされていないほか、キハ47形の国鉄急行色化以降も、国鉄一般色のまま運用されている。

「○○のはなし」

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キハ47 7003・7004は2017年1月29日に「みすゞ潮彩」の運行が終了したのち再改造され、同年8月5日から新下関 - 東萩間を運行する新たな観光列車「○○のはなし」の運行に使用されている[178]。1号車(元自由席車)も2+1列の大型テーブル付きボックスシートに改められて指定席化され、海側の窓が大型化されている。2号車(元指定席車)は座席配置等に大きな変更はないものの、売店スペースがオープンカウンターになり、全体的に木目を強調したデザインに改められている。

2024年1月13日から同年3月3日までの土曜・日曜・祝日に山口線新山口-津和野間で1日1往復の運行を予定している。車内では週ごとに沿線の魅力に関する「はなし」をするイベントを実施する(下りのみ)[179]

「あめつち」

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2017年8月17日に「山陰デスティネーションキャンペーン(山陰DC)」(2018年7 - 9月開催)に合わせ、キハ47形2両編成の観光列車「あめつち」が発表された[180][181]。2018年2月28日に詳細デザインが発表され、デザインに映画監督の錦織良成島根県出雲市出身)・スタジオジブリのアニメーション美術監督である吉田昇(島根県松江市出身)が協力している。2018年7月1日に運行開始した[182][183][184]。車種はキロ47 7005とキロ47 7006で、番号の新旧対照は下記のとおりである。

キハ47 3016・2010 → キロ47 7005・7006

「うみやまむすび」

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元「天空の城 竹田城跡号」のキハ40 2007を改造した「うみやまむすび」は宝箱をイメージしたデザインの車両で、2019年より城崎温泉駅を中心に普通列車として運行されている[185][186]。車内は2人掛けの転換クロスシートと窓向きの3人掛けカウンター席があり、全席自由席となっている。

「etSETOra」

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「etSETOra」は「瀬戸内マリンビュー」からの再改造車で、2020年10月3日より運行開始。全車グリーン車指定席に改造され、車番は「キロ47-7001+キロ47-7002」となった。車内にはバーカウンターや窓と並行の座席が設置。景色を楽しめられる構造となった。また、トイレはバリアフリー化された。

  • キハ47 7001・7002→キロ47 7001+キロ47 7002

「SAKU美SAKU楽」

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2022年3月17日、キハ40形1両を改造し、「岡山デスティネーションキャンペーン(岡山DC)」(2022年7月から同年9月に開催)で、同年7月より運行を開始すると発表された[187][188]。種車はキハ40 2049で、改造工事は後藤総合車両所にて行われ、6月12日に岡山気動車区まで配給輸送され[189]、同月14・15日の2日間でラッピングが施工された[190][191]

また、同月23日に津山まなびの鉄道館で車両展示され[192][193]、7月1日から運行を開始した[194][195]

JR四国

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「伊予灘ものがたり」

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キハ47 501・1501を、2014年7月に予讃線で運行を開始した「伊予灘ものがたり」用に改造してキロ47 1401とキロ47 1402としたもの。種車は2両とも2011年3月31日付で廃車された[196]後、多度津工場で保管されていたが、車籍が復活した。2021年末に老朽化に伴い運行を終了し、2022年6月30日付で廃車された[197]。後継車の2代目「伊予灘ものがたり」はキハ185系の改造車である。

JR九州

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「はやとの風」

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2004年の九州新幹線(鹿児島ルート)部分開業に伴い新設された観光特急「はやとの風」用に、キハ140 2066とキハ147 1045の2両を改造した。車体中央部の窓を床面から屋根にまで達する大きなものに取り替えて展望スペースを設けたほか、座席を回転式リクライニングシートに交換、内装には難燃性の木材を使用している。塗装はロイヤルブラック1色とされ、各所にロゴをちりばめている。その後、「指宿のたまて箱」用改造車と同じく、上下振動の抑制を図るため、台車の枕ばねに減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを、車体に4つの加速度センサーと制御装置をそれぞれ搭載した[198] が、台車本体はDT22D・TR51Cのままで、最高速度も従来と変わらず95 km/hである。

2006年には追加でキハ47 8092が改造され、キハ147 1045を方向転換したうえで同車と2両編成を組むようになり、キハ140 2066は多客時の増結用となった。キハ47 8092は指定席用で、内装が従来車に比べて明るい白木仕上げに変更されている。

2012年3月にはキハ140 2066が「指宿のたまて箱」仕様に再改造され、同列車の増結用ならびに両列車の共通予備車となった[199]

2022年3月21日をもって「はやとの風」としての運行を終了し、「ふたつ星4047」に再改造された[200]

「いさぶろう・しんぺい」

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日本三大車窓のうちの1つを有する肥薩線人吉駅 - 吉松駅間では1996年より観光列車「いさぶろう・しんぺい」が運転されており、キハ31形の簡易お座敷改造車が使用されていたが、2004年3月の九州新幹線新八代駅 - 鹿児島中央駅間部分開業に合わせてキハ140 2125がリニューアルされて投入された[201]

外板塗色は九州新幹線の800系つばめ」にも使用している古代漆色(深赤)で、座席は木製ベンチ風のボックスシートとしている。また、車体中央部に窓を拡大した展望スペースが設けられているのは「はやとの風」用車両と同じ。トンネル内を照らすため、尾灯の脇に前照灯を増設している[201]

多客時の増結用として、2004年10月にキハ47 1082がキハ47 9082に改造された。同車は機関と変速機は換装されがたが、窓の拡大はされていない[201]。2009年7月には「いさぶろう」「しんぺい」を3両編成で運転するためキハ47 8159(機関・変速機換装済み)にも同様の改造を行った。同車にはバリアフリー対応トイレの設置、車椅子スペースの設置が追加で行われている[202]。キハ140 2125については「かわせみ やませみ」との共通予備車となった。

2017年11月3日、肥薩線坂本 - 葉木間の踏切でのトレーラーとの衝突事故により、キハ140 2125が損傷した[203]

2020年7月の熊本豪雨で肥薩線の八代駅 - 吉松駅間が長期不通となった以降は鹿児島本線の臨時列車などに使用された。キハ140 2125は2022年に「ふたつ星4047」へ改造された。2023年10月4日の団体臨時列車を最後に「いさぶろう・しんぺい」としての運行を終了し[204][205]、「かんぱち・いちろく」に再改造された[206][207][208][209]

「指宿のたまて箱」

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2011年の九州新幹線鹿児島ルート全線開通に伴い設定された指宿枕崎線の観光特急列車「指宿のたまて箱」用で、キハ47 8060とキハ47 9079の2両が改造されている。外部塗装は海側(下り方向に向かって左側)側面と前面の海側半分が白色、山側(下り方向に向かって右側)側面と前面の山側半分が黒色としている。車内は回転式リクライニングシートで、一部は窓側を向いた1人掛けで、書棚やベビーサークルなども設置されている。また、沿線の浦島太郎伝説にちなみ、ドアが開いた際には玉手箱の煙に見立てたミストが連結面寄りの噴出口から噴射される[210]。また、レールの継目部での上下振動を低減するため、台車の枕ばね(コイルばね)に併設されていた従来のオイルダンパを、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパに換装し、その減衰力を車体に搭載した4つの加速度センサーと制御装置で検知した上下振動加速度を元に計算した減衰力指令値により制御することにより、上下振動を抑制している[198][注 49]

2012年3月には、「はやとの風」用だったキハ140 2066が、再改造のうえ「指宿のたまて箱」用の増結車となった[199]

「かわせみ やませみ」

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2017年3月4日に運行を開始した、肥薩線観光特急「かわせみ やませみ」用に、キハ47 8087および、キハ47 9051を改造した[211]。 人吉駅側の1号車(キハ47 8087)は青を基調とした「かわせみ」車両、熊本駅側の2号車(キハ47 9051)は緑を基調とした「やませみ」車両で、車内には885系にも使用されている座席を使った回転リクライニングクロスシートや、景色を眺められるカウンター席と子ども椅子、複数人でも楽しめるようにボックスシートが設置されている[211]。また、2号車には通常の座席よりも幅の広い「やませみベンチシート」やソファー席も設置されている[211]。2号車の熊本側にビュッフェ(サービスコーナー)が、1号車の人吉側に多目的トイレと展望コーナーが設置されている[211]。このほか、前照灯が増設され、ドアが片側2箇所から1箇所に削減されたり、車端部にオブジェを設置するなどの改造が行われた[211] が、車番は変更されていない。

「或る列車」

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2015年8月8日に運行開始した「或る列車」に使用される車両で、2012年にJR四国から譲受した元徳島運転所所属のキハ47 176・1505(いずれも2011年4月30日廃車)を小倉総合車両センターで改造してキロシ47 9176・3505としたもの[212]で、キハ40系列で初めて食堂車(「シ」)となった。なお、「キロシ」の形式記号は国鉄時代を通じても初の形式記号である。廃車済の車両を改造したため、2015年7月18日付の新製扱いである[213]。配置は長崎支社長崎鉄道事業部佐世保車両センターであり、同支社では2002年以来の配置となった。

明治時代末期に九州鉄道が導入した豪華客車をモチーフとしており、鉄道模型愛好家の原信太郎が製作した同車の模型をベースに、原の次男で原鉄道模型博物館副館長の原健人の監修のもと、水戸岡鋭治がデザインを担当している[212]。改造費用は2両計で約6億円で[214]、「ななつ星」とほぼ同額[注 50]、「指宿のたまて箱」[注 51]より高額となった[214][215]

車両前面の列車種別表示器上に前照灯を追加し[216]、乗降扉は各車2箇所から、キロシ47 9176は前位側に1箇所、キロシ47 3505は後位側1箇所に変更し[217]、側面には車外スピーカーを増設した。エンジンはコマツ製SA6D125HE-1に、液体変速機はTACN22-1612Aに交換された[218]。最高速度は走行装置の制限のため95km/hのままで変更はない。そのほかの改造内容は以下のとおり。

  • キハ47 176 → キロシ47 9176
大分方1号車[212]。定員22人[219]。トイレ撤去[212]。台車はコイルばね式のDT22D・TR51Cであるが、「はやとの風」用車と同様に枕ばねに可変減衰上下動ダンパを搭載し乗り心地を改善している[218]
  • キハ47 1505 → キロシ47 3505
日田方2号車[212]。定員18名[217]。トイレ設置[212]。台車は空気ばね式で、動台車はペデスタル式・1軸駆動のDT44から円筒案内式・2軸駆動のDT44BKに変更され、従台車はペデスタル式のTR227のままである[218]

「ふたつ星4047」

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2022年9月23日に運行開始した「ふたつ星4047」に使用される車両で、前述の「はやとの風」の2両(キハ47 8092・キハ147 1045)と「いさぶろう」・「しんぺい」の1両(キハ140 2125)を組み合わせた3両編成である。車番は3両とも「4047」に改められている。

「かんぱち・いちろく」

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2024年4月26日に運行開始した「かんぱち」・「いちろく」に使用される車両で、「いさぶろう・しんぺい」の2両(キハ47 8159・キハ47 9082)とキハ125形1両を組み合わせた3両編成である。3両全ての形式名が2R形に改められ、全車がグリーン車に格上げされている。

会社別概況

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国鉄

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キハ40系は1977年より888両が製造され、北海道から九州までの各地に投入された。最初の投入は1977年2月の北海道用キハ40形、および福知山地区の山陰本線京都口用キハ47形であった[220]。キハ48形の投入は1979年からである[220]。新造された車両の形式別・予算別の配置先は下表の通り。

キハ40系気動車年度・予算別導入車両の配置先一覧[13]
用途 管理局 配置区 形式 1975年度 1976年度 1977年度 1978年度 1979年度 1980年度 1981年度 総計[表注 1]
3次債務 2次債務 1次債務 本予算 1次債務 2次債務 3次債務 本予算 2次債務 3次債務 1次債務 3次債務 本予算 1次債務
酷寒地 釧路鉄道管理局 釧路機関区 キハ40 8両 5両 4両 3両 3両 23両
池田機関区 キハ40 8両 8両
旭川鉄道管理局 旭川機関区 キハ40 8両 7両 5両 6両 10両 6両 46両
キハ48 4両
札幌鉄道管理局 札幌運転区 キハ40 4両 4両
苗穂機関区 キハ40 8両 14両 5両 17両 2両 4両 53両
キハ48 3両
室蘭機関区 キハ40 4両 3両 7両
青函船舶鉄道管理局 函館運転所 キハ40 2両 5両 6両 3両 16両
酷寒地計 16両 30両 19両 31両 21両 23両 17両 157両
寒地 盛岡鉄道管理局 盛岡客車区 キハ48 8両 8両
八戸機関区 キハ40 9両 4両 5両 24両
キハ48 6両
秋田鉄道管理局 山形機関区 キハ40 5両 2両 30両
キハ48 8両 7両 2両 6両
秋田運転区 キハ40 3両 2両 13両
キハ48 5両 3両
弘前運転区 キハ40 10両 11両 21両
仙台鉄道管理局 郡山客貨車区 キハ40 5両 2両 13両
キハ48 3両 3両
小牛田運転区 キハ40 10両 5両 6両 42両
キハ48 8両 7両 6両
新潟鉄道管理局 新潟運転所 キハ40 6両 49両
キハ47 10両 27両 6両
長野鉄道管理局 長野運転所 キハ40 2両 4両
キハ48 2両
名古屋管理鉄道局 美濃太田機関区[表注 2] キハ40 5両 2両 43両
キハ48 11両 14両 4両 6両
寒地計 20両 10両 90両 29両 9両 15両 35両 20両 14両 4両 246両
暖地 高崎鉄道管理局 高崎第一機関区 キハ40 5両 5両
水戸鉄道管理局 水戸機関区 キハ40 6両 4両 15両
キハ47 5両
東京北鉄道管理局 宇都宮運転所 キハ40 10両 10両
名古屋管理鉄道局 美濃太田機関区[表注 2] キハ40 3両 8両
キハ48 5両
金沢鉄道管理局 敦賀第一機関区 キハ40 3両 8両
キハ48 5両
大阪鉄道管理局 向日町運転所 キハ47 15両 4両 19両
姫路第一機関区 キハ40 5両 3両 21両
キハ47 9両 4両
天王寺鉄道管理局 伊勢運転区[表注 3] キハ40 3両 2両 5両
奈良運転所 キハ40 3両 3両
亀山機関区 キハ40 6両 10両
キハ47 4両
福知山鉄道管理局 福知山機関区 キハ47 16両 24両 2両 12両 2両 56両
米子鉄道管理局 西鳥取運転区 キハ40 5両 1両 2両 1両 24両
キハ47 6両 3両 1両 4両 1両
米子機関区 キハ40 1両 2両 12両
キハ47 3両 3両 3両
浜田機関区 キハ40 3両 7両
キハ47 2両 2両
岡山鉄道管理局 岡山気動車区 キハ40 5両 1両 2両 43両
キハ47 10両 6両 8両 2両 7両 2両
広島鉄道管理局 広島運転所 キハ40 6両 4両 26両
キハ47 7両 9両
小郡機関区 キハ40 2両 10両 30両
キハ47 6両 7両 5両
厚狭機関区 キハ40 2両 6両
キハ47 2両 2両
四国総局 高知機関区 キハ40 4両 20両
キハ47 14両 2両
松山気動車区 キハ40 7両 23両
キハ47 14両 2両
門司鉄道管理局 直方気動車区 キハ47 16両 16両
竹下気動車区 キハ40 2両 11両
キハ47 3両 6両
早岐機関区 キハ40 3両 24両
キハ47 21両
長崎機関区 キハ40 10両 14両
キハ47 2両 2両
大分鉄道管理局 大分運転所 キハ40 5両 5両
熊本鉄道管理局 熊本機関区 キハ47 7両 7両
人吉機関区 キハ47 14両 14両
鹿児島鉄道管理局 鹿児島運転所 キハ40 7両 10両 43両
キハ47 10両 5両 5両 6両
暖地計 16両 31両 40両 70両 29両 18両 31両 84両 26両 77両 31両 17両 15両 485両
総計 32両 20両 41両 40両 160両 88両 46両 46両 150両 67両 100両 45両 17両 36両 888両
累計 32両 52両 93両 133両 293両 381両 427両 473両 623両 690両 790両 835両 852両 888両
  1. ^ 期間中の転属等がある場合、1981年度末における配置合計両数とは異なる
  2. ^ a b 寒地形と暖地形の両方の配置がある
  3. ^ 1987年3月1日付で名古屋鉄道管理局兵へ移管

1987年の民営化では、1983年に指宿枕崎線の脱線事故で事故廃車となったキハ40 2055を除く887両が全旅客鉄道6社へ継承された。

JR北海道

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JR北海道は、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(JR北海道は、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両を継承した [221]

電化区間の割合が低く、輸送量の少ない区間の多い北海道では、多くの区間で本系列が普通列車の主力として使用される。キハ54形など、他形式を常用する区間でも臨時で運用される例や、電化の有無にかかわらず気動車を運用することで、運用コストの最適化を図るため、電化区間でありながら使用される函館本線・室蘭本線のような事例もある。

キハ48 301 - 303を除くすべての車両には、ワンマン運転対応・機関換装・冷房装置搭載などの、札沼線用のキハ48 301 - 303には、片側の座席の1人がけクロスシートへの交換などの、線区の事情に応じた改造と改番が行われた。キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形電気連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形電気連結器の増設[注 52] が挙げられる。

老朽化した本系列の置き換え用としてH100形が2020年3月から各線区で営業運転をしており、本系列の淘汰が進められている。2023年11月24日(同25日更新)の北海道新聞電子版で、JR北海道は翌2024年度末でキハ40形の定期運行を廃止する考えである旨が報道された。なお、同記事は観光列車用に改造されたいくつかの車両はその後も残る予定としている[222]

JR東日本

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キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両を継承した[223]

民営化後に高出力車のキハ100系・110系が導入されたため、収容力は大きいが機関出力の小さいキハ40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区の配置となった。他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置の搭載、機関の直噴化改造や換装も実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキ仕切りの撤去も実施された。なお、形式もしくは番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレイン・観光列車への改造にともなう8両のみである。

1998年6月から2006年4月にかけてキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。2002年に廃車されたキハ40 511は会津鉄道に譲渡され、本系列初の譲渡例となった。

2011年3月11日の東日本大震災による津波により、キハ48 502・1512(石巻線女川駅停車中の1639D)[224]、キハ48 552・1544(気仙沼線松岩 - 最知間の2942D)[224] が流出し大破、廃車になっている[225]。また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」において、車内を畳敷きとして休憩室として利用されていた旧キハ40 519も津波で流され大破している[226]

2017年からの新型車両の導入で本格的に淘汰され、ジョイフルトレイン以外の車両は2021年3月に運用を終了している。

JR東海

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JR東海は、キハ40形14両(500番台2両・2000番台12両)、キハ47形5両(0番台2両・1000番台3両)、キハ48形40両(0番台3両・500番台18両・1000番台2両・1500番台17両)の計59両を継承した[227]

機関換装は1989年以降に少数に実施した後、1997年度からは本格的に実施されて1999年度までに全車完了しており、これにあわせて全車を改番している。また、冷房装置の搭載は1988年に試験的に実施した後、1990年度からは床下搭載型のAU27形とAU28形によって本格的に実施され、1991年度に全車の改造を完了した。ワンマン化工事は、1991年のJR東海交通事業城北線開業に伴い同線用に貸し出されたキハ40 2057・2112に実施された後、翌年には武豊線のワンマン化に伴いキハ48形にも実施され、その後ワンマン運転線区の拡大により所属車の半数以上が改造されたが、キハ47形は改造されなかった。

車体の塗色は1990年頃まで首都圏色であったが、1990年頃から順次アイボリー地に湘南色(緑とオレンジ)のラインを入れたJR東海色となった。2011年からキハ40 3005・キハ40 6309・キハ48 3812・キハ48 6812・キハ48 6502の5両は旧国鉄一般形気動車標準色類似の塗色になっており[116]、この5両の最終配置はキハ40 6309が美濃太田車両区、残りの4両は伊勢車両区であった。

2015年3月23日にキハ47・48形の7両(キハ47 5001・5002・6001・6003、キハ48 3814・5511・5513)が名古屋臨海鉄道東港へ回送された[228]。さらに、7月7日にはキハ40 6308・6312、キハ48 5501・5508・5804の5両[229] が、7月27日にはキハ40 5802・6307、キハ48 5803・5806・6808の5両が[230]7月29日には、キハ40 6309、キハ48 3815・5810・6517・6815の5両が笠寺に回送され、同日中に東港東名古屋港を経て、名古屋港大江埠頭に搬送された[231]。この他にも譲渡が行われ、2015年度にはキハ40系46両がミャンマーへ譲渡されている。

2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し[232][233]、2016年3月30日をもって全廃となった[213][注 53]。置き換えられた車両は、ミャンマーへ譲渡された[213][234][235]

JR西日本

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JR西日本は、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の、JR各社で最多の計257両を継承した[236]

最初の廃車は、2009年の急行「つやま」廃止に伴う2010年のキハ48形3両である[237]。その後2020年代に入って2両が廃車となり、2023年時点ではは252両を保有している。JR西日本が保有する一般形気動車の半分以上が本系列であるが、現在も置き換え計画はなく、後継のキハ120形とともに中国・北陸地方の非電化区間の主力として使用されている。

形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、1989年度からキハ40形の全車とキハ47形の大半にワンマン化改造が実施されている。また、全車両に体質改善工事が施工され、外観に変化が見られる。近年では、岡山地区の車両を中心に、前照灯のLED化改造が実施されている。[要出典]

また、民営化に前後して様々な地域色が登場したが、2009年からは塗装工程簡略化のため、朱色5号への変更が進められ、一般車の地域色は見られなくなった[238]

2024年頃より、運転台助士側のジャンパ栓準備用窪みにKE93形ジャンパ栓納め設置改造が実施されており、運転士側のKE53形ジャンパ栓納めと放送回路用のKE66片栓ジャンパ栓撤去を施工された車輌も確認されている。[要出典]

JR四国

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JR四国は、キハ40形(2000番台)11両とキハ47形42両(0番台19両・500番台5両・1000番台13両・1500番台5両)の計53両を継承した[239]。JR四国では、「伊予灘ものがたり」用改造車を除いて形式と番号の変更を伴う改造や機関換装は実施されていないが、接客設備の改善として1988年に53両全車に対し冷房装置の設置、1989年にキハ40形全車に対してワンマン化とトイレの撤去、1993年までにキハ47形のトイレ下に汚物処理装置の取り付けが実施されている。また、2008年2月から、徳島運転所配置のキハ47形2両の車体色が新製時の首都圏色に変更されている。

2025年度以降、新たに開発される新型車両への置き換えに伴い、全廃される予定[240]

JR九州

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JR九州は、キハ40形2000番台36両、キハ47形0番台61両、500番台2両、1000番台41両、1500番台2両の計142両を継承した[239]。2012年にJR四国で廃車されたキハ47形2両(0番台1両・1500番台1両)を譲り受けている。廃車は、1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両のみだったが、2019年より置換えが開始され、機関出力増強等未実施の車両の廃車が進んでいる。2023年時点で106両を保有し、九州島内各地で運用されている。

九州では国鉄時代に本系列に対して最初に冷房改造が行われ、民営化後も1987年から1989年にかけて全車に冷房改造が実施された。国鉄時代はバス用の装置を転用したサブエンジン式のAU34、民営化後はAU34を改良したAU600Kを搭載したほか、後に屋根上の通風器が撤去されている。ワンマン改造は、大多数に対し施行済みであるが、線区の事情に応じて内容が異なる。また、機関出力向上は1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分となった。

運用

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北海道地区

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北海道地区では1977年2月から3月にかけてキハ40形100番台が旭川機関区苗穂機関区に8両ずつ初配置され、同年8月1日より苗穂機関区配置車が札沼線札幌駅 - 新十津川駅間)で[241][242]、9月1日からは旭川機関区配置車が石北本線旭川駅 - 上川駅間)でそれぞれ営業運転を開始している[242]

2000年7月14日根室本線尺別駅で発生した脱線転覆事故のため、キハ40 750が2000年7月19日に廃車となった。また、キハ400系のうち500番台や330番台に改造されずに残っていたキハ480 304は2006年10月6日付で廃車された。さらに、キハ40形700番台のうち2022年3月12日のダイヤ改正まで残ったキハ40 721, 730, 733, 802が改正後廃車され、形式消滅区分となった。

札沼線(学園都市線)

2012年6月1日のダイヤ改正で一部区間が電化されたため、キハ48 301 - 303が運用から外され、3両ともミャンマー国鉄に売却されて300番台は廃区分となった[243][244][245][246][247][248][249]。その後、2012年10月27日には桑園 - 石狩当別間の列車がすべて電車に置き換えられて、キハ40・48形330番台のうちキハ40 334・335とキハ48形1330番台全車は海外へ譲渡された[注 54]。2020年5月7日に非電化で残った北海道医療大学以降が廃線となり、キハ40形400番台の定期運用がなくなって2023年4月以降に解体され、廃区分番台となった[253]

日高本線

キハ40形350番台は、2019年5月31日付で352・360が廃車となり、残る8両も2021年3月13日のダイヤ改正より苫小牧運転所に配置されたH100形に置き換えられ、廃区分番台となった[254]

宗谷本線

2013年8月 - 2014年7月の間は運休していた特急「サロベツ」の代替として旭川駅 - 稚内駅間で臨時快速として毎日運用されていた[要出典]

根室本線

2022年春のダイヤ改正で、新得駅 - 釧路駅間の普通列車54本が全てH100形に置き換えられた[報道 1]

室蘭本線

2021年3月13日のダイヤ改正でH100形に置き換えられ、岩見沢駅 - 苫小牧駅間および苫小牧駅 - 糸井駅間を除く運用が終了した[要出典]

2016年時点の運用は以下の通り。

2025年3月15日ダイヤ改正時点の定期運用は以下の通りとなる予定であった[259]

  • 室蘭本線(苫小牧駅 - 岩見沢駅間)
  • 日高本線

東北地区

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秋田総合車両センター南秋田センター[260][261]

秋田車両センター(現・秋田総合車両センター南秋田センター)のキハ40形にはデッキの仕切りがある車両とない車両が混在していた。

弘前運転区弘前運輸区→現・つがる運輸区)
  • 1977年と1979年にキハ40形24両(501 - 510・527 - 537・551 - 553)を五能線向けに新製配置した。
  • 組織改革と車両基地統合に伴い1987年に秋田運転区、1992年に南秋田運転区へ二度移管されたため現在の配置は0両。
八戸運輸区
  • 1979年から1980年にかけてキハ40形20両(521 - 526・543 - 545・564 - 567)・キハ48形6両 (1505 - 1510) を新製配置し八戸線・東北本線で運行していた。

大湊線

  • 2014年3月15日改正以前はキハ100形の検査時や多客期(大型連休・盆・年末年始など)に運用されていた。

八戸線

盛岡車両センター
  • 1981年にキハ48形8両(555 - 558・1546 - 1549)が新製配置された。1988年春からは釜石線向けにキハ40形2両(523・524)が配置。1991年にキハ110形が配置されると他区へ転属となった。花輪線で運用されたほか、1991年までは釜石線山田線でも、1982年までは田沢湖線でも運用された。
一ノ関運転区
  • 新製での配置はなく、キハ28・58・52・23の検査中の補填として1982年に盛岡から転入したキハ48 1549が最初となる。1988年冬にはキハ40形3両 (521 - 523) ・キハ48形8両(536・555・1505・1506・1546 - 1549)の配置となったが、1991年にキハ100形0番台に置き換えられた。

北上線

  • 大船渡・盛線向け車両が稀に定期運用へ充当されたが、1990年には運用を終了した。

大船渡線盛線大船渡線営業所

  • 普通列車を中心に1991年まで従来の気動車とともに運用されていたが、同年3月にキハ100形が投入されると一部の運用が置き換わり、同年11月30日付で最後まで残ったキハ48形4両が八戸へ転出した。
小牛田運転区
  • 宮城県を中心に幅広い運用を受け持つため、1978年から1980年にかけて新製されたキハ40形21両(511 - 520・546 - 550・568 - 573)・キハ48形21両(501 - 504・536 - 538・544 - 547・1511 - 1514・1532 - 1535・1540・1541)を民営化に伴って受け継いだJR東日本の一大グループ。1990年からは宇都宮・水戸・高崎の三支所向けに新製されたキハ40形2000番台10両も一時的に配置された。

石巻線陸羽東線

  • 1978年の投入以来、運用を共通化し全線で使用していたが1998年のキハ110系投入とワンマン運転開始に伴って運用区間を大幅に縮小。2015年3月に運用終了した。

陸羽西線

  • 陸羽東線と同じく、1978年の新製当初から快速・普通列車を中心に全線で運用していた。時には山形機関区から左沢色のキハ40を借受けて営業入りしていたこともある。1998年、キハ110系200番台の増備に伴い運用終了。
山形運転区(山形電車区→山形車両センター→現・山形新幹線車両センター) → 新庄運転区
  • 1979年から1981年にかけてキハ40形5両 (538 - 542) ・キハ48形23両(505 - 508・520 - 523・548・552 - 554・1501 - 1504・1520 - 1522・1542 - 1545)が山形機関区に新製投入されたのち、1991年と1993年の置換に伴うもの、1998年の他所からの転入と三度に分けて新庄機関区へすべての車両が移管。暖地向けのキハ40形2000番台は所属していない。

左沢線

  • 1990年のワンマン運転開始に合わせてキハ40 540をはじめとする一部がバケット構造のロングシートに改造されたことが特筆される。1993年のキハ101形導入に伴い八戸・小牛田・会津若松・秋田にそれぞれ転属となった。

長井線

  • キハ22・キハ58とともに運用されていたが、第三セクターの山形鉄道へ移管に伴い運用を終了した。
磐越東線営業所(現・郡山総合車両センター郡山派出所
  • 1980年から1981年にかけて新製されたグループを民営化に伴って受け継いだキハ40形7両(559 - 563・580・581)・キハ48形6両(533 - 535・549 - 551)が所属していた。磐越東線向け。

磐越東線

  • 1991年2月12日のキハ110系の導入によって1993年までに定期運用から離脱した。以降は臨時「漫遊」などによる不定期便のみ。郡山車両センターが近いため小牛田所属のキハ40系が試運転のため入線した。
郡山総合車両センター会津若松派出所
  • 1980年2 - 3月にキハ40 559 - 563とキハ48 533 - 535が郡山客貨車区に新製配置されたのが最初であり[269]、キハ52形・キハ55系・キハ58系などともに運用され、只見線、磐越西線、磐越東線のキハ10系を置き換えた[269]
  • 1982年11月15日上越新幹線開業により、急行「奥只見」と只見線普通列車の各1往復が上越新幹線停車駅となった浦佐駅への乗り入れた[269]が、1988年3月のダイヤ改正で廃止となっている[269]。普通列車に郵便・荷物合造車キハユニ26形が併結されることもあったが、郵便・荷物輸送の廃止に伴い1984年度までに終了した[269]
  • 1990年代以降に東北地域本社(後の仙台支社)管内の配置車が白地に緑の濃淡帯の「東北地域本社色」へ変更された[270]
  • 1993年12月に新庄運転区から4両(キハ40 503・511・513・514)、磐越東線営業所からキハ40形2両(580・581)、小牛田運輸区からキハ48形3両(549・550・551)が転入してキハ52形は他区所へ転出し、以後はキハ40系とキハ58系により運用された[270]。のちにキハ58系の両運転台化改造車のキハ53形201・202が転入した[270]
  • 1999年に陸羽東線・陸羽西線からキハ40系が転入してキハ58系が置き換えられ、普通列車はキハ40系に統一された[270]
  • 2007年に快速「南三陸」がキハ110系に置き換えられ、捻出されたキハ40形2000番台冷房車が小牛田から郡山へ転入した[注 57][271]。2007年にキハ40形1両 (514) 、キハ48形2両(504・535)が小牛田へ転出し、1993年に当線へ転入した車両の配置はなくなった。会津若松の車両の配置がなくなり、以後は小牛田所属車による運用となった。
  • 2011年7月に発生した新潟・福島豪雨により会津川口 - 只見間が不通となった[269]ため、2013年5月に小出 - 只見間の運用が新津運輸区に移管され、会津若松口が郡山総合車両センター、小出口が新津運輸区の所管となった[269]。2015年の仙石東北ライン開業に伴い小牛田区のキハ40形冷房車が会津若松・新津の両区に転入し、会津若松口、小出口ともに全車が冷房車となった[271]
  • 2019年に会津若松派出所へキハE120系が転入したため、会津若松口のキハ40系は2020年3月13日に定期運用を終了した[272]。定期運用終了後の3月21・22日には旅行商品による運転が計画されていたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により中止された[272]。キハ40 2021・2026は小湊鉄道に譲渡された[注 58]
  • 小出口に残ったキハ40系はキハ110系導入により2020年7月11日に運用を終了した。

関東地区

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烏山線

関東地区では烏山線のキハ10系・20系置き換えのためキハ40形2000番台10両が投入されたのが最初で、1979年6月2日より烏山線での運用を開始した[273][274]

キハ40形1000番台のうち1006は東北地方に転用され、それ以外の8両は引き続き烏山線で使用されていた。塗装はオリジナルの烏山線色であったが、2011年4月15日に開通88周年を迎える烏山線の「烏山線全線開通88周年記念事業」として1003および1007をそれぞれ2010年12月および2011年4月から旧国鉄一般気動車色(朱色4号+クリーム4号、標準色)に塗装変更され、1004および1005はそれぞれ2012年12月および2013年6月から登場時の塗色である首都圏色に塗装変更された。これらは郡山総合車両センターで施行している[275][276]

2014年に烏山線に量産試作車が導入されていたEV-E301形蓄電池車の量産車導入により、2017年3月3日に運用が終了し[注 59]、1009は錦川鉄道に[278][279]、1002・1005・1007の3両は那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会にそれぞれ譲渡され[280]、その他は廃車となった[注 60]

東北に転属した1006は、小牛田運輸区新庄運転区を経て1999年から秋田車両センター→秋田総合車両センター南秋田センターに配置された。奥羽本線男鹿線で使用され、2016年1月に塗色を男鹿線色から首都圏色に変更。それ以降は「国鉄メーク」気動車として五能線などで使用され[282]、2021年3月12日の同系列運用終了まで運行した後、小湊鉄道へ譲渡された[注 61]

水郡線

水郡線向けには1979年から1982年にかけてキハ40形10両(2021 - 2026・2138 - 2141)が水戸運転区に新製投入された。普通列車を中心にキハ28・58系、キハ45系とともに運用されていたが、1990年に担当運輸区が水戸から常陸大子(水郡線営業所)に移管されたことに伴いキハ40形7両(2022・2023・2026・2138・2139・2140・2141)が転入した。1990年よりご当地色へ塗り変えられる。

1991年よりキハ48形が入線すると併せて新型のキハ110系が導入され運用の一部を置換。1993年10月に新潟からキハ110系が転入したため同年12月から定期運用が終了して配置がなくなった。その後1994年にキハ48 534・548の2両が、翌1995年にキハ40 503が転入し、1999年3月に水郡線の定期運用を終了した。

高崎地区

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1980年に高崎地区用としてキハ40形5両(2085 - 2089[283])が高崎第一機関区(高崎運転所→現・高崎車両センター高崎支所)に新製配置された[284]。主に足尾線で運用されたほか、キハ35系が主体の八高線でも運用された[284]

足尾線は1989年にわたらせ渓谷鐵道へ転換され、八高線でも1991年までにキハ40系の運用はなくなった。キハ40 2087は1991年8月にキハ40 1008へ改造されて烏山線へ転用された[102] ほか、2000番台4両も各地のキハ40系運用線区に転用された。

信越地区

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新津運輸区
長野総合車両センター

飯山線飯山線営業所

  • 1981年に美濃太田よりキハ40形5両 (554 - 558) が転入したのを皮切りに、1982年にはキハ40形2両(593・594)およびキハ48形2両(559・1550)が新製配置され、キハ28形・58形やキハ52形などと共通運用が行われた。1980年代後半には新潟へキハ40形5両 (554 - 558) が転出し、それに代わって新潟からキハ40形5両 (583 - 587) が一時的に転入したが、1988年頃にそれぞれの転出元へ戻っている。これらの車両は他所から転入したキハ28形・58形の冷房改造車と交代し、1992年にそれぞれ八戸、南秋田、弘前へ転属した。その後は他支社の車両が臨時列車として入線している。

しなの鉄道北しなの線(旧信越本線

  • 定期列車では飯山線直通列車の長野 - 豊野間のみ。

小海線小海線営業所)では定期列車での運用実績はないが、小牛田運輸区より借用のびゅうコースター風っこによる臨時列車の運用実績がある。

中部地区

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高山本線や紀勢本線などで使用され、59両がJR東海に継承された。このうち紀勢本線・参宮線向けには1980年3月にキハ40形が投入され、伊勢運転区に配置されている[285]

2004年の台風23号による高山本線の線路被害のためキハ48 5803と6810は打保駅で2年以上孤立したが、搬出されて運用に復帰し、車内に「高山本線復帰車両」のプレートが取り付けられた。

鈴鹿サーキットでのF1グランプリ開催に伴う臨時列車でも運用実績があり、定期運用では見られない6両編成で運転された。武豊線および東海道本線大府 - 名古屋間での運用は1999年に終了し(同時に旧配置の名古屋車両区から美濃太田車両区と伊勢車両区に転属)、すべてキハ75形に置き換えられた。名松線では1989年のワンマン化以降、基本的に運用されなかった。

2014年4月時点で美濃太田車両区にキハ40形7両・キハ47形5両・キハ48形24両の計36両が、伊勢車両区にキハ40形7両とキハ48形16両の計23両が配属されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し[232][233]、2016年3月30日にすべて廃車された[213]

2015年の武豊線直流電化に伴い、同線のキハ25形およびキハ75形を「主に高山線・太多線に転用する」と発表され、順次置き換えられた[286]。その後、2013年3月には、2014年度から2015年度にかけてキハ25形の2次車52両を投入し、国鉄時代に製造された当系列を置き換える方針を発表した[287]。太多線の運用はキハ11形とともに2015年3月に、高山本線の運用も2015年6月で終了した[288][289]

伊勢車両区では、検査期限切れ間近な車両との入れ替えのため、2014年12月4日付で美濃太田車両区からキハ48形2両(3812・6809)が、2015年3月21日付で同2両(3809・6810)が転属した[290]。また、キハ40 5501、キハ48 6501・6812(国鉄一般形気動車標準色)が7月4日に回送され[291]7月6日付で転属した。これにより、2015年7月にキハ40 3005、キハ48 3812・6812の国鉄一般形気動車標準色3両での運転も行われた[292]

北陸地区

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敦賀地区

敦賀第一機関区(後の敦賀運転所)には国鉄時代よりキハ40・48形の配置があり、湖西線北陸本線の交直デッドセクション区間や小浜線舞鶴線での運用が存在した。1991年9月の米原駅 - 長浜駅間直流化や七尾線電化に伴う電車化で気動車の余剰が発生したため、キハ48形0番台・1000番台は1991年小郡(現・下関総合車両所新山口支所)へ転出し、そのうち5・6・1003の3両が2003年に岡山へ転出、6・1003は2010年3月31日付で廃車となった[293]

城端線・氷見線

城端線氷見線では2020年時点では金沢総合車両所富山支所(旧:高岡鉄道部)に配置されたキハ40・47形が使用されている[238]。運用範囲は城端線・氷見線[294]のほか、あいの風とやま鉄道線(旧・北陸本線)の高岡駅 - 富山駅間にも乗り入れる[295]

沿線の氷見市が漫画家・藤子不二雄Aの出身地であることから、『忍者ハットリくん』のラッピング列車も運転されている[296]

七尾線

七尾線では2015年より観光列車「花嫁のれん」へ改造されたキハ48形が運用されている。運用区間は金沢駅 - 和倉温泉駅間で、金沢駅 - 津幡駅間はIRいしかわ鉄道線(旧北陸本線)に乗り入れている。

関西地区

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山陰本線京都口・北近畿地区

関西地区では福知山機関区(後の福知山運転所)に最初のキハ47形16両が配置されて1977年2月25日より山陰本線京都口の京都駅 - 福知山駅間で5両編成3本と予備車1両で運用され、必要に応じ1両を増結したほか、夕方の1本は2編成併結の10両編成で運行された[297][298]。山陰本線京都口では通勤形のキハ35系も使用されていたが、冬季の暖房効果が不十分で乗客からも不評であったため、キハ47形の投入により置き換えられた[297]

1979年には福知山線向けにもキハ47形が投入され、従来のキハ10系・20系・55系を同年2月末までに置き換え[299]、福知山線の普通・快速列車用気動車はキハ47形に統一された[299]。1986年11月改正での福知山線全線電化では快速が一旦廃止、普通列車の気動車・客車列車は103系113系に置き換えられた[300]

1982年時点では、福知山機関区には当時最多両数となる55両のキハ47形が配置されていたほか、国鉄時代より豊岡機関区にもキハ40系の配置があったが、JR化後は1999年の舞鶴線電化を機に豊岡鉄道部(後の福知山電車区豊岡支所)に配置が集約されて福知山への配置は無くなった。

2016年時点では山陰本線[301]豊岡 - 鳥取間)、播但線寺前 - 和田山間)[302]で運用されていたほか、京都丹後鉄道宮豊線にも不定期で乗り入れていた。

関西本線・南近畿地区

1980年には亀山機関区(後の亀山鉄道部)にもキハ40・47形が配置され、関西本線紀勢本線などで運用を開始した[303]。1989年の片町線全線電化などを経て亀山へのキハ40系の配置が無くなった。

加古川線

加古川線ではJR西日本移行時点でキハ20形、キハ23形、キハ30・35形、キハ37形が使用されていたが、1987年度にキハ47形2両が姫路より転入した[304]。1989年には野村駅(後の西脇市駅) - 谷川駅間ワンマン化用にキハ40形5両が転入し、キハ20形を置き換えた[304]

1990年までに山陰本線京都口や片町線の電化で余剰となったキハ40系が転入し、キハ23・30・35形を置き換えている[304]。1998年からはキハ40系の更新工事やキハ47形のワンマン化を開始し、1999年には非ワンマンのキハ37形が置き換えられ、2000年3月改正で加古川線全列車がワンマン化された[304]

1998年のゴールデンウィークには山陰地区の境線で運用されている「鬼太郎列車」のキハ40 2115が関西地区に貸し出され、5月2日・3日は加古川線の定期列車に併結されたほか、5月4日・5日には東海道山陽本線JR神戸線)の三ノ宮駅 - 有年駅間で臨時快速列車として運転された(宮原操車場 - 三ノ宮駅間も回送列車で入線)[305]。JR神戸線の運転ではキハ40 2115と加古川色のキハ40 2134を併結した2両編成となり、複々線区間は新快速と同じ外側線を走行した[305]

1998年秋に一般公募のイラストを側面に描いて、キハ40 2133が恐竜をデザインした「きょうりゅう号」、キハ40 2134が川魚やトンボをデザインした「せいりゅう号」となり[304]、1998年10月4日から2003年まで運転された[304]

2003年以降は姫路鉄道部加古川鉄道部の間で更新車を姫新線に、未更新車を加古川線に集約するよう配置車両の交換が行われ、姫路色で転入したキハ40系も加古川線内で運用された[304]。キハ40系は2004年10月19日の加古川線電化により同線での運用を終了した。

播但線・姫新線姫路口

播但線姫新線の姫路口では姫路鉄道部のキハ40・47形が運用されたが、1998年の播但線寺前電化後の姫路所属車は姫新線のみの運用となった。2006年にはキハ40 2091がのじぎく兵庫国体のキャラクター「はばタン」のラッピング車となった[306]

キハ40系は姫路駅 - 上月駅間の高速化事業により2010年までにキハ122・127形に置き換えられたが、「はばタン」ラッピング車を含むキハ40形3両が残存した[307]。キハ40形は2012年3月16日をもって姫新線姫路口での定期運用を離脱した[308]

山陽地区

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岡山地区

岡山地区では1978年に同地区のキハ10系置き換え用としてキハ47形10両が岡山気動車区に配置され、同年6月28日より吉備線・津山線姫新線伯備線で営業運転を開始した[309]。キハ47形10両のうち5両はトイレのない1000番台である[309]

津山線では1997年11月29日ダイヤ改正での急行「砂丘」廃止を受けてキハ40系による快速「ことぶき」が岡山駅 - 津山駅間で運転を開始した。同改正では同じく岡山駅 - 津山駅間で急行「つやま」がキハ58系で運転されたが、キハ58系の老朽化により2003年にキハ40系に置き換えられ、いわゆる「遜色急行」となった[310]。「つやま」用には山口地区からデッキ付きのキハ48形が転用されて2両編成で運用された[311]。急行「つやま」は2009年に廃止された。

2025年時点では姫新線(津山 - 中国勝山間)[312]、津山線[313]、吉備線(桃太郎線)[314]で運用される。

広島・山口地区

広島・山口地区では2020年時点で下関総合車両所新山口支所(旧:山口鉄道部)にキハ40・47形が配置されており、芸備線岩徳線山口線山陰本線等で使用されている[315]。一般車の運用範囲は、2016年時点で芸備線(三次 - 広島間)[316]、岩徳線[317]、山口線[318]、山陰本線[301]益田 - 幡生間)、山陽本線(幡生 - 下関間)である。

呉線では2005年より観光列車「瀬戸内マリンビュー」が、2020年からは後継の「etSETOra」が運行されている。「etSETOra」の運用範囲は呉線に加えて山陽本線の尾道駅 - 三原駅にも乗り入れる[319]。山口地区では山陰本線の観光列車「みすゞ潮彩」と後継の「○○のはなし」が新下関駅発着で運転された。

山陰地区

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山陰地区では1979年に西鳥取運転区(後の鳥取鉄道部西鳥取車両支部、現後藤総合車両所鳥取支所)にもキハ47・40形が配置され、同年3月14日より因美線・津山線で営業運転を開始した[320]

境線では沿線の境港市が漫画家・水木しげるの出身地であることから、水木しげるロードが整備された1993年より境線用キハ40形に『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターをラッピングした「鬼太郎列車」が運行されている。2018年にはキハ40 2115が5代目「鬼太郎」ラッピング車となった[321]

2016年時点では山陰本線[301]城崎温泉 - 西出雲間)、因美線鳥取 - 那岐間)[322]境線[323]で運用される。2020年3月13日までは若桜鉄道若桜線[322]へ乗り入れる運用もあったが、翌14日からはWT3000形WT3300形に統一された[324]

四国地区

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四国地区では1980年8月から高知気動車区(後の高知運転所)に、翌1981年11月からは松山気動車区(後の松山運転所)にキハ47形が投入され、このうち松山区の配置車は予讃本線(現・予讃線)で運用を開始している[325][326]

2016年以降は以下の路線で運用される。

2009年10月の編成両数見直しや1500形の投入によって、2010年3月までに徳島運転所のキハ47形10両(111・116・117・502 - 505・1087・1502・1503)が廃車された。2011年には同6両(115・501・1088・1121・1501・1504)が廃車され、同2両(176・1505)がJR九州に譲渡された。2012年には松山運転所のキハ47形3両(172・175・1119)が、2013年には徳島運転所のキハ47形3両(1085・1089・1112)が、2014年には同2両(1090・1132)が廃車された。2016年3月25日のダイヤ改正翌日には、松山運転所所属の車両は「伊予灘ものがたり」のキロ47形2両を除き、全車徳島運転所に転属された。2016年3月には松山運転所のキハ47形1両 (1117) と徳島運転所のキハ47形2両(1118・1120)が、2018年3月には徳島運転所のキハ47形2両(113・144)がそれぞれ廃車された。2019年3月には徳島運転所のキハ40形1両 (2146) が、2020年1月には徳島運転所のキハ40形1両 (2109) がそれぞれ廃車された。2022年に松山運転所のキロ47形2両が廃車された。2022年4月1日時点では徳島運転所にキハ40形(2000番台)9両とキハ47形11両(0番台10両・1000番台1両)の計20両が配置されていた。

以前は牟岐線の阿南以南や鳴門線では車種独占となっていたが、2010年頃以降は新型車両の導入やホーム嵩上げの進行により、運用が減っている。キハ47形はワンマン設備がないことから優先的に廃車となり、現在は朝夕の通勤時間帯中心の運用である。2011年3月12日から2019年3月15日までは、阿佐海岸鉄道阿佐東線[328]でも運用されていた。また、牟岐線の阿南 - 海部間では、2019年3月15日を最後に乗り入れを終了したが、2022年の改正で阿南~桑野間の運用が復活した。

2016年3月25日までは予讃線内子線(松山駅 - 内子駅 - 八幡浜駅間および伊予市駅 - 伊予長浜駅 - 伊予大洲駅間)でも運用されていた。翌26日からは、同区間を走行する本系列は伊予灘線を経由する「伊予灘ものがたり」に使用されるキロ47形のみであったが、2021年度末で運用終了となったため、愛媛県内の運用がなくなった。

九州地区

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九州地区では1979年にキハ47形10両が鹿児島地区の指宿枕崎線向けに投入され、同年3月23日より運用を開始した[330]。熊本地区では人吉機関区に配置されたキハ47形14両が1979年3月28日より肥薩線八代駅 - 人吉駅間)・湯前線で運行を開始し、同年4月15日からは鹿児島本線熊本駅 - 出水駅間)・豊肥本線(熊本駅 - 竜田口駅間)・三角線にも運行区間が拡大している[330]

長崎地区でも1980年6月よりキハ40・47形が長崎機関区に新製配置された[331]。同時期には早岐機関区にもキハ47形26両が新製配置されている[332]。1982年には長崎機関区のキハ40 2062がキハ58 56とともに小倉工場で青20号クリーム1号のツートンカラーの試験塗装に変更され、長崎本線佐世保線松浦線大村線で運用された[333]

国鉄時代の本系列唯一の廃車はキハ40 2055である。同車は1983年6月指宿枕崎線沿線の集中豪雨の際、野元トンネル北側坑口付近の線路内に流入した土砂にトンネル内から乗上げ、乗客らの避難後さらに周辺の土砂が積み重なったため、そのまま現場で解体され同年7月付で廃車された。

2016年以降は以下の路線で運用される。

筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター
直方運用・日田彦運用・竹下運用に分かれている。なお直方運用(筑豊本線折尾 - 若松間ほか)は2017年3月3日に、竹下運用(香椎線)は2019年3月15日に、それぞれBEC819系電車に置き換えられて運用を終了した。日田彦運用は2017年の九州北部豪雨の被災および、BRTひこ星ライン開業により久大本線(夜明 - 日田間)での運用が終了した。
日田彦運用
直方車両センターに常駐。
佐賀鉄道事業部唐津車両センター
唐津地区ではキハ125形との混結で運用される場合がある。
長崎支社佐世保車両センター
長崎地区ではキハ66系やキハ200系に置き換えられキハ40系の運用はキロシ47形「或る列車」(臨時列車)のみとなっていたが、2022年9月23日の西九州新幹線開業以降、長崎本線の電化設備の撤去に伴い、上記区間で運行される[339]
熊本支社熊本車両センター
大分支社大分車両センター
YC1系の長崎地区投入に伴うキハ200系の転属に伴い、2021年3月に大分地区での運用を終了した。[344]
鹿児島支社鹿児島車両センター
宮崎支社宮崎車両センター

譲渡・貸出

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日本国内

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東海交通事業

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東海交通事業(2024年10月よりJR東海交通事業)には、1991年12月1日の城北線部分開業(勝川駅 - 尾張星の宮駅間)用として、JR東海のキハ40 2057・2112がJR東海名古屋工場でワンマン化改造と塗装変更を実施の上で貸し出された[348]

1993年3月の城北線勝川駅 - 枇杷島駅間全通時にキハ11形に置き換えられてキハ40形はJR東海に返却され、返却後は機関換装でキハ40 6004・6008に、続いてワンマン化の区別のためキハ40 6304・6308に改番された[348]

会津鉄道

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2002年からJR東日本会津若松運輸区で余剰となっていたキハ40 511を日本宝くじ協会の寄贈による宝くじ号として会津鉄道が譲り受け、新潟トランシスで改造したもので、AT-400形 AT-401として2003年4月に使用開始された。

企画当初には2階建車両も模索されたが、キハ40形からの改造として現実的な一部ハイデッキ構造の展望車となった。同じ新潟トランシスが改造に携わった、JR東日本のキハ40系のジョイフルトレインに通じる意匠であり、共通の手法や部品が見られる。定員は48名。「風覧望」(ふうらんぼう)の愛称でトロッコ車AT-351(2009年まではAT-301)と2両編成で「お座トロ展望列車」として行楽期を中心に運転されている。

会津若松方の1エンド側を展望構造に改造しており、戸袋の位置を逆(車端側)にしたうえで客扉を車体中央寄りへ移設、その前位をハイデッキとした。運転台は低い位置に移設され、通路側は上半ガラスのパーティションとなった。前面は2枚の大形平面ガラスで視界を確保しているが、ハイデッキ部はシアターシート(床を階段状にして後方席からの展望を確保する構造)ではなく、1位側には排気管の立ち上がり部がある。

後位は、当初は2人がけの回転リクライニングシート通路両側に配置され[注 62]、若干の立席スペースも設けられていたが、2016年にそれまで連結していたAT-100形お座敷気動車が廃車になったことに伴い、お座敷席に改造された。また、2エンド側の運転台にはほとんど手が入れられておらず、ケースにまとめられた角形の前照灯尾灯が新たに腰部に追加され、上部種別幕が埋められた程度で、元々の前照灯もそのままである。客室窓はすべて大型の固定窓とされた。トイレは車椅子対応となり、元の窓は埋め込まれた。

JR東日本所有時に冷房装置(AU26J-A × 2基)の搭載、屋根上水タンクの撤去などなされているほか、下回りはほぼJR東日本仕様のキハ40形500番台に準ずるが、機関はカミンズ製NH14R形(300 PS / 2000 rpm、JR東日本DMF14HZ形と同等品)に換装された。機関本来の出力は350 PSだが、液体式変速機がDW9形のままであるため300 PSで使用している。定期運行以外では、導入直後に阿武隈急行に入線したことがあるほか、訓練や貸切運転などでは両運転台構造を生かした単行運転もされている。

運行路線は以下のとおり。運用の詳細はお座トロ展望列車を参照。

道南いさりび鉄道

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2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い江差線が転換された道南いさりび鉄道では、開業時にJR北海道からキハ40形1700番台9両(1793・1796・1798・1799・1807・1810・1812・1814・1815)[349] が譲渡された[350]。うち2両(1793[351]・1799[352])は、貸切列車としても用いられる「ながまれ号」用として、塗装変更と内装の改造が行われ[353] 、他の車両も同社オリジナル塗装へ変更されている。

錦川鉄道

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2017年3月に元烏山線用のキハ40形1000番台の1009号車を錦川鉄道が譲受し[354][103]。、内装をレトロ調に改装し、同年9月16日錦川清流線で運行を開始した[279]。外装はJRマークを始め烏山線時代のものを引き継いでいる。同社のワンマン運転の規則上、本形式で初めてサイドミラーを装着している。

小湊鉄道

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小湊鉄道の主力車種であるキハ200形は、ほとんどが冷房化されているものの、DMH17Cエンジンが生産終了になって久しいことや、初期車が2021年には車齢60年に達することから、状態の悪い車両は置き換え、状態の良い車両のみを今後も継続使用することとした。そのため、運用に余裕を持たせ稼働を減らすことを目的に代替車両を探すこととなった。車両導入にあたってはキハ200形と総括制御できることに加え、下記の4条件が設定され[355]、置き換えの決まっていたJR東日本のキハ40形2000番台のうち、これらの条件すべてを満たす車両を譲受することとした。

  • 両運転台である
  • 保守性の観点から、キハ200形と同じくDT22系台車を装備する
  • 同様に保守性の観点から、エンジンが補修部品の流通が少ない原型のDMF15系列ではなく新しい高出力型[注 63]に更新されている
  • サブエンジン式ではなく、機関直結式の冷房装置を装備する

まず、2020年3月に只見線での運用が終了したキハ40形のうち、キハ40 2021・2026の2両を東北色のまま2020年5月19日に譲り受けた[356][357]。導入に際しては「キハ40」という形式はそのままに車番を改番、列車無線・車体色の再塗装・社名ロゴの交換が実施され、キハ40 1(旧2021)は再塗装に際して東北色の塗り分けラインを踏襲しつつ小湊鉄道標準色に変更されている。また、両車はJR時代の改造で車体中央側窓下の方向幕の有無、出入扉の開閉用押しボタンの有無、クロスシートの配置[注 64]などに違いがあったが、小湊鉄道入線後もそのままである[358]。トイレについては小湊鉄道に汚物処理装置の抜き取り設備がないため、使用せず締め切られている[359][注 65]

キハ40 2(旧2026)は2021年4月23日に運行された臨時急行「さと山」でキハ200と連結して使用を開始した[360][361]。キハ40 1(旧2021)は検査の関係で遅れて10月9日と10日に試乗会の団体臨時列車として五井 - 光風台間で運行され、10月16日と17日には小湊鉄道とJTBによる「新塗装キハ40本線デビュー記念ツアー」としてキハ40同士の連結で運行された[362][363][364]

2021年7月にはキハ40形3両(1006・2018・2019)を譲り受け[注 66]、先に導入された2両と同様の改造と改番が実施されたほか、キハ40 2と同様に、JR東日本から譲渡された際の塗装と同じ色に再塗装された[注 67]。このうちキハ40 4(旧2019)は2022年5月7日[365][366]に、キハ40 3(旧2019)は5月28日[367]に、それぞれ団体臨時列車「キハ40新塗装ナイトラン さと山号乗車企画」で運行を開始した。

  • キハ40 2021・2026・2018・2019・1006→キハ40 1 - 5

北条鉄道

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北条鉄道では法華口駅への列車行き違い設備新設と増発に伴う予備車の不足を解消するために、JR東日本からキハ40形[注 68]を譲り受けることとし[368]、導入あたってはクラウドファンディングが活用され[注 69]2021年10月29日の終了時点で1300万円を集めた[369]。譲渡車両はキハ40 535[注 70][370]で、錦川鉄道同様にサイドミラーが取り付けられている。運行開始は当初2022年3月13日を予定していた[368][370]が、訓練実施に伴い3月16日となった[371]

日本国外

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ミャンマー国鉄

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ミャンマー国鉄にJR北海道からキハ40系が譲渡され、元キハ40形330番台2両と元キハ48形1330番台3両が2014年8月24日からヤンゴン市内の路線で運行されている。 5両編成で冷房も使用している。2013年に竣工したキハ48形のうち、301と302はバゴー - ニャウンカシー間にて運行されている[372]

2015年にはJR東海から計53両[373][374]、JR東日本から計19両(キハ40形13両 + キハ48形6両[375])がミャンマー鉄道省へ譲渡、JR東日本は更に7月下旬から車両保守に関する技術支援を実施[376]。ミャンマーに到着後に順次改造工事を実施し、東海車は2015年7月以降[377]、東日本車は9月末から[378]、順次ヤンゴン市内の路線で運行を開始した。

運行路線は以下のとおり。

  • ヤンゴン環状線(全線)
  • ヤンゴン - ピィ線(ヤンゴン中央 - ハローガ間)
  • バゴー - モーラミャイン線(バゴー - エイビャ - ニャウンカシー間)
  • マンダレー - ミッチーナー線(マンダレー - カウリン間)
  • マンダレー - モンユワ間
  • マンダレー - パコック間

タイ国鉄

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タイ国鉄はJR北海道からキハ183系気動車を譲受して2022年に運行を開始した[379]。このキハ183系への反響が大きかったことから、同様にキハ40系を譲受することとなり[380]、2024年3月にキハ40系20両がJR東日本よりタイ国鉄に譲渡された[381]

ベトナム鉄道(計画のみ)

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ベトナム鉄道は2021年、JR東日本からキハ40系車両37両の輸入許可をファム・ミン・チン首相に申請した[382][報道 2]。同鉄道は2021年当時、機関車牽引列車のみの運行となっており、気動車の方が機動性や編成組み換えの柔軟性が高いため運用効率が上がること[報道 2][383]、また新たな車両を製造するよりも安価であること[報道 2]を理由として挙げた。しかし、同国の政令第65号では中古の鉄道車両の客車は使用期間が10年を超えている場合は輸入禁止、使用期間が40年を超えている場合は使用禁止と規定している[報道 3]ことなどから、政府はこの申請に同意しない事を決定[383][報道 3]、本計画は頓挫した。

保存

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国鉄キハ40系気動車(2代)保存車一覧
画像 番号 所在地 備考
キハ40 519 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原
女川駅構内 温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」
※解体済み
同施設で休憩所として使用されていたが、東日本大震災の津波で被災し、解体された。
キハ40 764 北海道空知郡南富良野町字幾寅
幾寅駅跡
映画『鉄道員(ぽっぽや)』撮影用の改造車。営業運転にも就いていた事があり、キハ12 23(実際のキハ12型が22両製造されたことに因む架空の番号)として運用されていた。

廃車後ロケ地である同駅にカットボディが保存されている。

キハ40 1002
キハ40 1005
キハ40 1007
栃木県那須烏山市白久218-1
那珂川清流鉄道保存会

脚注

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注釈

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  1. ^ 電化の進展や、新系列気動車の稼働安定化に時間を要していいたため、1972年以降は気動車の新製は原則行われず、気動車の需要に対しては電化の進展により捻出された余剰車を充当していた[6]
  2. ^ キハ10系の台車は、後年、関東鉄道で3扉ロングシート車に使用された実績もあるものであるが、心皿荷重上限が小さく、重量増となる座席の交換や、ロングシート化(定員増=荷重増)が困難で[要出典]交換用台車の新製などの改造予算確保より新車製造予算の確保が優先され[要出典]、1970年代後半まで抜本的な対策が講じられなかった。
  3. ^ 優等列車向けに導入されたが、車齢が高いことと冷房化改造が困難なことから1970年代後半には大半が普通列車に転用されていた。
  4. ^ 1982年時点では、準特急列車から快速列車までの運用を想定した、転換クロスシートステンレス車体で、ボルスタレス式台車、直噴式のDMF15HZB機関とDW11液体変速機を装備してする車両として設計されており[17]、DMF15HZBは300 PS / 1600 rpm、DW11は変速1段、直結1段で液体変速機部はTC2AやDF115Aと同じ3段6要素で、逆転部には爪クラッチを使用したのものであった[18]
  5. ^ キハ45系は前面板厚を厚く、運転室床面を300 mm高くしたほか、9 mm厚鋼板製のスカートを台枠に溶接している[30]
  6. ^ キハ91形の乗務員室扉から前部を撤去して強化形前頭部を接合した車両とキハ17形に前面強化改造を実施した車両を使用したものを、各々20 km/hと40 km/hでダンプカーに衝突させている。
  7. ^ 形式図では、運転台窓直後の固定窓幅をキハ66系の200 mmから330 mmに拡大したことになっている[32]
  8. ^ キハ45形等のTK106形の調整機構を改良したもの[39]、TK106形とする文献もある[40]
  9. ^ 自動での開動作機能は無く、また、手動閉時の操作はかなり重い
  10. ^ キハ20・55系などでは1953, 54年度の「色彩調節の車両への応用」研究委員会の研究結果[41]を反映して、客室室内の天井を白、壁面は3等車は淡緑1号、2等車は薄茶色4号、乗務員室は淡緑3号、トイレは淡緑4号とし、酷寒地向けのキハ22形は客室壁面を薄茶色4号としている[42]
  11. ^ DW6形は日立製の変速機番号1000番台が1段4要素、川崎重工製の変速機番号2000番台が1段3要素。
  12. ^ GB122形は減速機支え装置を推進軸と同じ側・反対側のどちらにも取り付けられる構造[56]
  13. ^ DT44形が5510 kg、TR227形が4690 kg、重量の増したDT44A形でも6240 kg、TR227A形で5400 kg[58]
  14. ^ 国鉄では165系電車などに広く採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式。
  15. ^ 従来のWH250形をベースに暖房制御用の電気回路を追加したもの。
  16. ^ 連続定格出力150 - 180 PSのDMH17系機関が標準だった国鉄気動車では、バスと同様の機関直結式冷房装置を採用することは困難であり[要出典]、当初より冷房装置を搭載した特急形気動車では一部車両にディーゼル機関による発電セットを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを、のちに冷房を追加した急行形気動車では1エンジン車の床下にコンパクトな4VK形発電セットを搭載して3両単位で電力供給を行うシステムとしており、本形式のベースとなったキハ66系ではそれを2両給電に変更し、当時の近郊形電車と同様の集中式冷房装置を搭載していた。
  17. ^ 片栓ジャンパ線を連結面に向かって左側〔運転台の助手席側〕に、栓受けを右側に装備。
  18. ^ 栓受は連結器胴受の下に設置。
  19. ^ キハ66系はキハ66形とキハ67形の2両1ユニットで、分割しての使用を考慮していない。
  20. ^ 当初、381系電車用として開発。なお、キハ66系の設計の母体となった、新系列気動車のキハ90系キハ181系では、制御方式が大幅に変更されたこともあり、接点数168(大接点4×4+小接点38×4)かつ元空気溜管とブレーキ管を内蔵したKE75形電気連結器を密着自動連結器の直下に取り付け、これ一つで済ませている。
  21. ^ キハ183系などに使用されている接点数61の気動車用多心電気連結器。昭和53年度2次債車までは60ピン接続。
  22. ^ KE53形2個とKE93形1個を接続するため、KE93形に取付ける変換アダプタ。
  23. ^ 250 PS機関2基、変速1段・直結2段変速機を搭載。
  24. ^ 1990年代当時、根室本線釧路以東(花咲線)の快速列車は、バス路線との対抗上キハ54形[注 23]基準の比較的速いダイヤ設定としていたところ、車両数の都合でキハ40形が運用に入る便のみは遅いダイヤ設定とされていたという例[79]などがある。
  25. ^ 2ノッチ発車が推奨されていたため、発車時には機関回転数がある程度上がってもなかなか動き出さず、液体変速機が空転した後に数拍おいて動き出す[80]ような運転方法となっていたが、通常に起動することも可能である。
  26. ^ 1951年の実用化時点で既に技術的に立ち遅れた機関であった[82] が、大幅な改良はほとんどなされないまま長期間にわたって生産・使用が続けられ、世界水準との落差は著しいものになっていた[83]
  27. ^ 変速機の原設計はキハ90・91形で開発されたDW4に由来するが、この変速機は平坦線では70 km/h程度まで変速段を使い、上り33 ‰の急勾配も変速段で登坂する設計。
  28. ^ 座席定員68名。
  29. ^ 座席定員66名。
  30. ^ 八戸運輸区の一般車両では客室などのリニューアル工事が行われており、シートは青紫系、壁は白系の色になっている。その他、一部車両がジョイフルトレインに改造されており、八戸運輸区では製造当初の内装をもつキハ40形は運用されていない。
  31. ^ 戦前の試作ディーゼル動車のうち、キハ41500形に搭載された三菱重工業製の6100VDおよび、キハ42500形に搭載された同じく三菱重工業製の8150VDはいずれも直噴式であった(南満洲鉄道においても、前者が機械式のケハ3型に、後者が同じく機械式のケハ5型に搭載され、改良型の8150VDaが液体式のケハ7型に搭載されている)[87]
  32. ^ 富士重工のLE-CarやDMF15HSA-DIは実際に冷間始動性に優れていたが、キハ37形が搭載したDMF13Sはそれらと比較すると始動性に難があり、現車試験の際にも冬季の朝では3両編成全車のエンジン始動するのに3-4回始動操作を繰り返す必要があった[89]
  33. ^ 混成編成では出力の高い直噴化改造車が従来車を牽引する形となるため、直噴化改造車のみの編成ではさらなる燃料消費の削減が見込まれるとされた[96]
  34. ^ DMF15HZBは1982年時点では試作機による耐久試験が継続されていた[100]ほか、12気筒形のDML30HSI-DIは1983年4月からキハ182形で現車試験が行われ[101]、JR北海道ではDML30HSJがキハ183系500番台に、DML30HZがキハ183系550番台にそれぞれ搭載されている
  35. ^ 座席は延長されず、ゴミ箱が置かれている。
  36. ^ 北海道地区の急行用気動車であるキハ56系は、グリーン車であるキロ26以外は非冷房だった。そこで1985年3月改正時に全車冷房付きで特急並みの接客設備を持ち、夜行急行「利尻」との編成共通化というメリットもある14系客車に置き換えたが、所要時間は「宗谷」の場合、気動車時代の6時間10分程度に対し20分ほど伸びていた。
  37. ^ 旧トイレ部分に固定式窓を増設。1300番台との違いはその窓構造と存置された屋根上の水タンク。
  38. ^ キハ480形のみでは冷房を使用できなかった。
  39. ^ トイレは存置。
  40. ^ 既存の窓とは形状が異なる。
  41. ^ 俗に言う「鼻」。
  42. ^ 2両は6000番台改番時点で改造済み。
  43. ^ この改造は「過給機の能力強化」「燃料噴射量の増大」「調時系の改良」を内容としており、「直接噴化」は行われていない[129]が、「直噴化」と誤って記しているものが存在する(『鉄道ピクトリアル』2017年1月号(No.927)p.161など)。
  44. ^ 2017年3月1日付で熊本配置の2両が一旦大分へ転属し、寒冷地仕様車が全車大分配置となり大分地区の路線で運用されていたが、翌年の2018年3月17日付で元々熊本に配置されていた3509と4510の2両が再び熊本へ転属している。2022年9月23日付で4両とも佐世保に転属。
  45. ^ JR西日本のキハ47形3500番台とは番号は重複していない。
  46. ^ 機関換装と同時に2軸駆動化改造を行ったため、8510や9510になった時期は存在しない。
  47. ^ 「鉄道ファン」2022年12月号では固定編成であるかのように記載されているが[139]、実際には編成の組み換えが行われ、ラッピング車と一般塗装車が混結されて運用されることもある[140]
  48. ^ 発表は2014年7月7日[173][174]
  49. ^ 可変減衰上下動ダンパや制御システムが故障した場合でも通常の上下動ダンパとして動作する。
  50. ^ JR九州の社長・青柳俊彦は「ななつ星とほぼ同じ」と[214]、水戸岡は「ちょっとお金を使いすぎてしまった」[215] と発言した。
  51. ^ 1両あたり1億円弱[214]
  52. ^ 一般放送回路との区別のため、赤色により識別。
  53. ^ これによりJR東海が保有する気動車はすべての車両が会社発足後導入の車両に統一された。
  54. ^ 11月下旬から12月上旬にかけて陣屋町駅まで甲種輸送された[250][251][252]
  55. ^ 札幌以北での運用は送り込みを兼ねたものが主であり、少数となっている。
  56. ^ 7月19日から21日にかけて千葉貨物駅まで甲種輸送[264][265]された。
  57. ^ これにより捻出された郡山のキハ48形3両は「みのり」への改造種車となった
  58. ^ 2020年5月18日から翌19日にかけて甲種輸送された[272]
  59. ^ 4月5日(1001・1003・1008・1009の4両[277])と5月10日(1002・1004・1005・1007の4両)の2回に分けて郡山総合車両センターに回送された。
  60. ^ 回送翌日付で廃車[281]
  61. ^ 他のキハ40形2000番台2両と共に、7月19日から21日にかけて千葉貨物まで甲種輸送された[264][265]
  62. ^ 画像のように、通常営業時は2脚を向かい合わせてボックスシート状としていたが、乗客が任意に座席を回転させることが可能で、その際は背もたれ背面に収納されているテーブルが利用可能となる。
  63. ^ 小湊鉄道が購入した5両はすべて、カミンズ製DMF14HZに換装されている。
  64. ^ キハ40 1(旧2021)は、小牛田運輸区に在籍していた1991年にワンマン対応工事を行った。この際に客室の座席も混雑対応のため1+2列のボックスシートに改装されている。
  65. ^ キハ40 5(←キハ40 1006←キハ40 2016)のみ、1000番台の項目で解説した通り、国鉄時代の改造でトイレ撤去済み。
  66. ^ 同年3月に定期運用を終了した秋田総合車両センター南秋田センター所属車[265]、秋田総合車両センターから甲種輸送された。[264][265]
  67. ^ 4(旧2019)は男鹿線色、3(旧2018)と5(旧1006)は「国鉄メーク」としてキハ40登場時のリメイクである朱色5号の1色塗装。
  68. ^ 2021年3月12日をもって運用終了した秋田総合車両センター南秋田センター所属車
  69. ^ 9月1日の募集開始時点では目標額300万円であった
  70. ^ 元五能線用、2021年9月18日から19日にかけて、秋田総合車両センターから秋田港へ陸送された後、フェリーで福井県まで海路で運ばれ、陸路で12月12日に北条鉄道に搬入された

出典

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  • キロシ47形」『鉄道ファン』第55巻第654号、交友社、2015年10月、66 - 68頁。 
  • 『普通列車年鑑 2015-2016』、イカロス出版、2015年8月、ISBN 978-4-8022-0030-1 
  • 『普通列車編成両数表』第36巻、ジェー・アール・アール、2016年6月、ISBN 978-4-3306-8916-6 
  • 鉄道ピクトリアル』1993年2月号(通巻571号、特集:キハ40・47・48形)、電気車研究会
  • 『鉄道ピクトリアル』2008年7月号(通巻805号、特集:キハ40系 (I) )、電気車研究会
  • 『鉄道ピクトリアル』2008年8月号(通巻806号、特集:キハ40系 (II) )、電気車研究会
  • 平石大貴「キハ40系形式集(1)」『鉄道ピクトリアル』第66巻第924号、電気車研究会、2016年11月、42-59頁。 
  • 平石大貴「キハ40系形式集(2)」『鉄道ピクトリアル』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月、34-53頁。 
  • 平石大貴「キハ40系気動車のあゆみ(1)」『鉄道ピクトリアル』第66巻第924号、電気車研究会、2016年11月、10-41頁。 
  • 平石大貴「キハ40系気動車のあゆみ(2)」『鉄道ピクトリアル』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月、58-86頁。 
  • 西脇浩二「JR各社 キハ40系の現況」『鉄道ピクトリアル』第66巻第924号、電気車研究会、2016年11月、60-71頁。 
  • 藤田吾郎「急行形キハ400系の活躍」『鉄道ピクトリアル』第66巻第924号、電気車研究会、2016年11月、71-75頁。 
  • 「キハ40系 初期車と後期車の形態変化を読み解く」『鉄道ピクトリアル』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月、54-57頁。 
  • 西脇浩二「キハ40系の個性派車両めぐり 東日本編」『鉄道ピクトリアル』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月、87-93頁。 
  • 藤村史隆「私鉄に譲渡されたキハ40系」『鉄道ピクトリアル』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月、96-99頁。 
  • 鉄道友の会客車気動車研究会「キハ40系 車歴表」『鉄道ピクトリアル 特別付録』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月。 
  • 「キハ40系改造車解説記事」『鉄道ピクトリアル 特別付録』第66巻第925号、電気車研究会、2016年12月。 
  • 『鉄道ピクトリアル』2020年8月号(通巻975号、特集:キハ40系の現況)、電気車研究会

その他

  • 車両設計事務所『新系列気動車ツナギ図集』日本国国有鉄道、1978年。 
  • 車両設計事務所『キハ40系気動車車体図面(1/2)』日本国国有鉄道、1980年。 
  • 車両設計事務所『キハ40系気動車車体図面(2/2)』日本国国有鉄道、1980年。 

関連項目

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