2022年 デイトナ24時間レース | |
スポーツ | スポーツカーレース |
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管轄地域 | 北米 |
略称 | IMSA(イムサ) |
創立 | 1969年 |
所属 | ACCUS-FIA |
本部所在地 | フロリダ州デイトナビーチ |
公式サイト | |
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国際モータースポーツ協会(英: International Motor Sports Association)は、フロリダ州デイトナビーチに拠点を置く、米国の自動車レース統括団体である。略称はIMSA(イムサ)。
SCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ[1])の元常務取締役であったジョン・ビショップ[2]と彼の妻ペギー・ビショップ[3]によって、NASCARのビル・フランス・シニア[4]の援助を受けて、1969年に創設された[5]。
デイトナ24時間やセブリング12時間をメインに据えるプロトタイプカーレースを長年主催し、アメリカの耐久レース文化を守ってきた。現在IMSAは、ユナイテッド・スポーツカー選手権を運営し、NASCARが会社の一部門として所有している[6]。またミシュラン・パイロットチャレンジなどのエントリーシリーズも開催している。
IMSA GT選手権が発足した1971年は6戦が行われた。当初の車両規定は国際自動車連盟(FIA)で規定されていたグループ2およびグループ4同様のものであったが、やがて・GTO(排気量2.5L以上のエンジンを搭載したグランドツーリングタイプの車、文字のOの 「2.5L以上」の意味)[7]。・GTU(排気量2.5L以下のエンジンを搭載したグランドツーリングタイプの車。文字Uは「2.5L未満」の意味)・TO・TUの4つに分割された。
最初のチャンピオンは、ポルシェ・914/6 GTUのピーター・H・グレッグとハーレイ・ヘイウッドだった。IMSAの初期は、ポルシェ・911 カレラRSRとシボレー・コルベットが勝利することがほとんどであった。翌年キャメルが冠スポンサーとなり、シリーズは「キャメルGT」と呼ばれるようになった。
1975年に、GTOでポルシェの優位を打破するために「AAGT」(オール・アメリカン・グランドツーリング)と呼ばれる新しいカテゴリを導入した。
ターボチャージャーは、1977年の中頃までは認可されていなかったが、アル・ホルバートの優勝車であり、2つのタイトルをもたらしたシボレー・モンツァの検査の後、ポルシェのモータースポーツ部門の抗議により、認可されることとなった。1977年以前からポルシェを使用していたプライベーターは、時代遅れの911カレラRSR3.0で間に合わせなければならず、時には辛うじて勝利することもあったが、他のAAGT出場車との間で苦戦を強いられることとなった[8]。
ターボ認可の結果、1978年から「GTX」(グランドツーリング・エクスペリメンタル:FIAの定めるグループ5を基にしたもの)として知られている新しい最上位のクラスはポルシェ・935が絶対的な優勢となった。その為主催者側はツインターボを禁止した。
勝利を経験したメーカーは他にマツダがある。マツダ・RX-2とRX-3により幾度か成功した後に、RX-7はデイトナ24時間レースで1982年から93年まで12年連続でGTUクラス優勝を飾り、1980年から1987年までGTUクラス(GTU:グランドツーリング・2リッター以下クラス)でマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。RX-7は、IMSAレースにおいて他のモデルの車よりも多く勝ち続け、1990年9月2日に100勝目を挙げ、1995年までにIMSA合計117勝という輝かしい戦績を残した[9]。
また、トヨタもガーニーフラップの考案者であるダン・ガーニーのオール・アメリカン・レーサーズとジョイントし、1987年にセリカでGTOクラスのタイトルを獲得した。
1981年には、新しいプロトタイプカテゴリー「GTP」が登場した。この車は世界耐久選手権(WEC)で導入された新しいグループC規定と類似したものであるが、2つのカテゴリの主な違いは、燃料使用総量が規制されたグループCと異なり、GTPは燃費について規制が無かったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランを見に来ているのではない」と強調した[10]。他にも、GTPはガソリンタンク容量が20リッター多い120リッターであったことや、ツインターボが禁止されていたことなどがグループC(C1)と異なる。
1984年にはポルシェ・962が導入され、1985年から1987年までシリーズを支配した。この当時のIMSA-GTPシリーズには、ポルシェのほか、ザクスピード製作のフォード・プローブGTP、グループ44製作のジャガー・XJR-7、マーチ製作のBMW-GTP、ローラ製作のコルベットGTP(T610)、日産・GTP(T810)が参戦し、世界耐久選手権を上回る盛況を誇った。
1988年、WSPCを制覇したTWRジャガーが参戦、IMSA-GTPは益々激戦となる。しかしポルシェに代わり王座に就いたのは、エレクトラモーティブが走らせる日産・GTP ZX-Tであった。IMSA新記録の8連勝を含む参戦12戦中9勝の圧倒的強さで、ジェフ・ブラバムがドライバーズタイトルを獲得する。しかしクラシック耐久のデイトナ24時間、セブリング12時間への欠場、および台数のハンデのため、メイクス部門はポルシェにタイトルを死守される。
しかし翌1989年以降3年間はジャガー、ポルシェ、トヨタからの追撃をかわし、日産がシリーズを両部門とも制覇する。
一方でトヨタは1991年終盤にイーグル・MkIIIを投入。このマシンは高い戦闘力を発揮して1992年にダブルタイトルを獲得、1993年にはデイトナ含め、出場したレース全勝でタイトルを連覇した。しかし1991年にFIAがスポーツカー世界選手権をF1振興を目的に軽量シャシー(ハイコストなカーボン前提)に3.5L NAエンジン化(F1参画前提)を発表、これがコストはもちろん、各メーカーのアイデンティティの象徴である自社製エンジンが使えない、ということで他のメーカー次々に撤退。もちろんIMSAにも飛び火し、1993年でGTPクラスは終焉を迎えた。
コストの上昇とメーカー系ワークス・チームの離脱により、シリーズへの出場チームが減少したのに伴い、IMSAは1993年にWSC(ワールド・スポーツカー)と呼ばれる新プロトタイプカテゴリーを導入し、翌年よりGTPクラスおよびGTPライトクラスのクローズドボディの車両を置き換えることとした。WSC用車両はオープントップ、フラットボトムの車両で、GTP用車両がレース専用に製作されたエンジンを搭載するのに対して、量産車用のエンジンをチューニングしたものを搭載した。その後、フェラーリ・333SPとライリーアンドスコット・MkⅢ(オールズモビル/フォード)が、1995年から1998年終わりのIMSAの終焉まで、WSCクラスの主要なマシンとなった。
1987年にビショップは心臓手術が成功した後、自分の優先事項を再考し始めた。彼はIMSA セントピーターズバーグGPの所有者であるマイクコーンと、ジェフパーカーから連絡を受けた。
1989年1月、ビショップとフランスはシリーズをコーンとパーカーに売却し、ビショップは会長を辞職した。新しいオーナーは、IMSA本部をコネチカットからタンパベイに移転した。その後コーンとパーカーはシリーズをビジネスマンのチャールズ・スレーターに売却した。
1996年、チャールズ・スレーターは組織をロベルト・ミュラー(リーボックの元CEO)とウォール街の金融業者でインディカーのチームオーナーで、スカンディアWSCチームのオーナードライバーでもあったアンディ・エバンスに売却した。エバンスはIMSAから、プロフェッショナル・スポーツカー・レーシング(PSCR)に名称を変更した[11]。
1990年代のシリーズは複数の所有権が交錯した状況、およびPSCRへの改名と、変化に富んだものとなった。
1998年、ドン・パノスはル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)と提携し、自身の所有するロード・アトランタでプチ・ル・マンを開催し、1998年のIMSA GT選手権の1戦として初開催のプチ・ルマンの成功させた。1998年限りでIMSA GT選手権は終了となり、翌年から新シリーズの、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)が開催された。ACOは、創設者のドン・パノスにル・マンの名前をライセンス供与し、ル・マンのレギュレーションに沿った車両によるシリーズを創設した。チームオーナーと経営陣からの多大な重圧を受けていたアンディ・エバンスは、PSCRを2001年にドン・パノスに売却した[11]。これにより1999年以来、PSCRによって認可されていたALMSを、パノスによる体制に固めた。パノスは組織名を再びIMSAに改名し、ALMS、スター・マツダシリーズ、パノス・GTプロシリーズの公式認可組織となった。ALMSはル・マン24時間レースに基づいた規制を使用しているが、2005年にパノス側とACOとの関係に問題が生じた。
ALMSとACOの間には関係開始以来いくつかの点において意見の相違が見られ、この紛糾もあってエントリー数が予想よりも少なくなってしまった。 これを受けてALMSは、エントリーを増加させるため、ACOの規則に適合しない車両が2005年シーズンに参戦することを、ACOの意向に反して決定した。これによりポルシェが元々プライベーター向けのカテゴリー設計だったLMP2クラスの有利さに気が付き、トップカテゴリーではなくLMP2(ポルシェ・RSスパイダー)で復帰し、総合優勝を争うマシンとして大活躍した。さらに2006年にはいくつかの新型のシャシーが参戦可能になることが告知されると、ALMSが再興するのではないかという楽観的なムードに包まれたが、結局それほど大きな効果はなく2010年をもってポルシェはLMP2から撤退した。
1998年からPSCRから別れ、USRRCという名でスポーツカー・クラブオブ・アメリカ(SCCA)の認可を受け、アメリカンスタイルのカーレースを維持したいと考えた競合するグループによって結成されたシリーズは、1999年で失敗に終わった。次にNASCARのジム・フランスから全面的な支援を受けてグランド・アメリカン・ロードレーシング(グランダム)を設立、2000年から、ロレックス・スポーツカー・シリーズ(グランダム・シリーズ)を運営した。グランダムは初期のころは苦戦していたが、後に有名なドライバー、広大なフィールド、僅差での勝負、安価な参戦コスト、さらにはデイトナ24時間レースを擁しているなどの点から、ALMSに対する強力なライバルとして存続した。2003年導入当初のデイトナ・プロトタイプは規定上、醜いスタイルだったが改定され、コルベット・DPに代表されるアイデンティティのある美しいマシンに変貌した。またGTクラスでは北米マツダとジョイントしたスピードソースチームのRX-8が活躍。デイトナ24時間では2度のクラス優勝を勝ち取った。しかしチャンプカーとインディ・レーシング・リーグ(IRL)との分裂状態と同様に、このような分裂状態は観客数、スポンサー、マスコミの報道の劇的な減少を引き起こし、アメリカの耐久レース文化に大きな悪影響を及ぼした。
以後北米のスポーツカーレースシリーズは、ALMSとグランダム・シリーズという2つのシリーズが併存する状況が長く続いていたが、ドン・パノスはジョージア州ブラゼルトンを拠点とするALMSをグランドダム・ロードレーシングに売却し、それをNASCARが直接所有し、ALMSとグランダム・シリーズの合併を支援した。2012年9月に両シリーズの主催者が2014年からシリーズを統合することで合意[12]、2013年3月、「ユナイテッド・スポーツカー・レーシング」の発足を発表した[13]。同年9月には新名称が「ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ」(以下USCC)となることが発表された[14]。IMSAはNASCARの子会社として新シリーズを主催する。
2014年はチュードル、2016年からはウェザーテックがタイトルスポンサーとなっており、ユナイテッドを省いて【冠スポンサー】+スポーツカーチャンピオンシップと呼ぶのが一般的である。IMSAのLMP1とグランダムのGXクラスは廃止され、デイトナ・プロトタイプとLMP2が混走するPクラスが頂点となり、IMSAのLMPC・GTクラスがそれぞれPC・GTLMクラス、IMSAのGTCとグランダムのGTが統合されGTDクラスとなった。
さらに合併に伴いドイツツーリングカー選手権(DTM)とも車両規定を統一することで合意、2015年または2016年にDTMスタイルのレースをUSCCと併催する形で開催する予定であると発表された。これにより予定されているこのレースにDTMや2014年に車両規定統合が決まっているSUPER GTのGT500クラスの車両が参戦できるようになり、最終的には3選手権のグローバル化が図られる見込みであったが、[15]のちにこれらは全て白紙撤回された。
2017年にPCクラスが廃止され、プロトタイプのPクラス(2019年よりLMP2クラスが分離)、LM-GTE車両のGTLMクラス、GT3車両のGTDクラスに分かれており、LMP2、GT-LMマシンはWEC/ル・マンと共通の車両で参戦することが可能になっているため、欧州からの有力チーム・ドライバーの参戦も増加している。またPクラスはデイトナ・プロトタイプが廃止され、従来のLMP2に加えて、LMP2のシャーシをベースにメーカーが改造を施すDPi(デイトナ・プロトタイプ・インターナショナル)規定が2017年に導入され、これにキャデラック・日産、マツダが参戦。またアキュラも2018年にDPiに参入し、隆盛の兆しを見せている。
2020年に独自のプロトタイプ規定である『LMDh』を発表した。IMSAとFIA・ACOの合意によりLMH(ル・マン・ハイパーカー)/LMDh規定のマシンがル・マン24時間レース、デイトナ24時間レースなどに相互参戦することが認められている[16][17]。
LMDhで2023年よりIMSAに、ポルシェ[18][19]、アキュラ[20]、BMW[21]、キャデラック[22]が参戦を表明している。
2021年、IMSAは2022年シーズンの同シリーズにGTデイトナPro(GTD Pro)クラスを新たに導入することを発表した。FIA-GT3マシンで争われるこのクラスは、GTEカテゴリーでオールプロが基本となる現行のGTル・マン(GTLM)クラスを置き換えることになった[23]。