大塚 耕平 おおつか こうへい | |
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![]() 大塚耕平(2022年12月、国会にて) | |
生年月日 | 1959年10月5日(65歳) |
出生地 |
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出身校 |
早稲田大学政治経済学部経済学科卒業 早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了 |
前職 |
日本銀行員 早稲田大学客員教授 参議院議員 |
現職 | 藤田医科大学教授 |
所属政党 |
(民主党→) (民進党→) (旧国民民主党→) (国民民主党→) 無所属 |
称号 | 博士(学術) |
公式サイト | 参議院議員 大塚耕平 公式サイト |
選挙区 | 愛知県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2001年7月29日 - 2024年11月5日 |
その他の職歴 | |
![]() 代表:玉木雄一郎 (2021年12月21日[1] - 2024年4月30日) | |
![]() 代表:玉木雄一郎 (2020年9月11日 - 2024年4月30日) | |
![]() 共同代表:玉木雄一郎 (2018年5月7日 - 2018年9月4日) | |
![]() (2017年10月31日 - 2018年5月7日) |
大塚 耕平(おおつか こうへい、1959年10月5日 - )は、日本の政治家、経済学者。藤田医科大学教授。
参議院議員(4期)、内閣府副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、厚生労働副大臣(菅直人第2次改造内閣)、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、参議院国家基本政策委員長、民主党政策調査会長代理、民主党参議院政審会長、民進党参議院政策審議会長、民進党代表(第4代)、旧国民民主党共同代表、同党代表代行・参議院議員会長、国民民主党代表代行兼政務調査会長を歴任した。
名古屋市生まれ[2](父は一宮市木曽川町出身[3]、母は新潟県燕市又新出身[4][5])。名古屋市立田代小学校、名古屋市立城山中学校を経て[6][7]、愛知県立旭丘高等学校に進学。高校時代はバレーボール部のキャプテンを務めた。卒業後は1年間の浪人を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学[8]。同大学卒業後の1983年4月、日本銀行入行。窓口指導・市場調節・金融機関指導を行っていた旧営業局(その後は、金融市場局、金融機構局、決済機構局に改組)に長く在籍した[2]。在職中の2000年に早大大学院社会科学研究科博士課程を修了し、博士号を取得[9]した(マクロ経済学・公共政策論などを専門としている)。
2000年11月、知人を通じて、翌年の参議院議員選挙の候補者を探していた民主党愛知県連から勧誘を受ける。決断する前に勧誘を受けたことが新聞に載ってしまい、同年暮れに日本銀行を退職することとなる。大塚が選ばれたことについては、保守新党代表の熊谷弘が後ろで糸を引いていたとも言われている[10]。最後の役職は政策委員会室調査役であった。
2001年7月29日、第19回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から民主党公認で立候補し、初当選。2007年、再選[2]。2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣において内閣府副大臣に就任[2]。2011年1月18日、菅直人第2次改造内閣における内閣改造人事で厚生労働副大臣(医療、介護、年金、福祉を担当)に就任[11][2]。2013年3月17日、中根康浩衆議院議員が前年の衆院選惨敗の責任をとって、民主党県連代表を辞任。同日、その後任として県連代表に就任[12]。同年7月の参院選で3選。2016年10月18日、民進党次の内閣で財務・金融担当大臣に就任。2017年10月27日、民進党代表の前原誠司が、同月の衆院選で党を分裂させる形で戦う原因をつくったことについて陳謝し、引責辞任を正式に表明[13]。前原の辞任に伴い10月31日に行われた代表選挙に立候補。無投票により第4代民進党代表に選出された[14]。
2018年5月7日、国民民主党共同代表に就任[15]。9月4日実施の国民民主党代表選挙には出馬せず共同代表を退任し、同11日付で代表代行に就任[16]。2019年7月21日の参院選で4選[17]。2020年9月3日、愛知県庁で記者会見し、立憲民主党と国民民主党が解党して設立する合流新党(新「立憲民主党」)に参加しないと表明した[18]。この時点では玉木雄一郎らの「分党」側に加わるかどうかは明言せず、「今後さまざまな話を聞いて対応を決める」と述べるにとどめた[19]。9月7日、新「国民民主党」に加わる国会議員の募集が締め切られ、大塚が同党に入党を届けたことが明らかとなった[20]。9月15日に新「国民民主党」の設立大会が開かれ、代表代行に就任した[21]。2021年12月より党政調会長兼任[22]。
2023年4月27日、2025年に予定されている第27回参議院議員通常選挙には立候補せず、同年に任期満了を迎える名古屋市長選挙に無所属で立候補する意向を表明した[23][24]。2024年3月、新年度予算成立後に離党届を提出することを明らかにした[25]。同年3月29日に離党届を提出し、4月30日付で離党した[26]。なお、後述の議員辞職まで「国民民主党・新緑風会」の会派には在籍していた。
その後、河村たかしが2024年10月15日に公示された第50回衆議院議員総選挙に立候補し、公職選挙法の規定で名古屋市長を退職(自動失職)したことで欠員が生じ、当初の予定よりも早く名古屋市長選挙が同年11月10日告示、24日に執行されることとなった。告示に先んじて、大塚は11月5日に参議院に議員辞職願を提出し、尾辻秀久参議院議長により辞職が許可された[27]。選挙戦では自民、公明、立憲民主、国民民主の各党の推薦を受け、河村市政の見直しなどを訴えたが、投開票日の午後8時に、河村の後継者の広沢一郎の当選確実が報じられ、大塚の落選が確実となった。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第19回参議院議員通常選挙 | 2001年 7月29日 | 41 | 愛知県選挙区 | 民主党 | 66万96票 | 23.50% | 3 | 2/22 | / |
当 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年 7月29日 | 47 | 愛知県選挙区 | 民主党 | 88万856票 | 26.42% | 3 | 1/9 | / |
当 | 第23回参議院議員通常選挙 | 2013年 7月21日 | 53 | 愛知県選挙区 | 民主党 | 74万1598票 | 24.85% | 4 | 2/10 | / |
当 | 第25回参議院議員通常選挙 | 2019年 7月21日 | 59 | 愛知県選挙区 | 旧国民民主党 | 50万6817票 | 17.69% | 4 | 2/12 | / |
落 | 2024年名古屋市長選挙 | 2024年11月24日 | 65 | ーー | 無所属 | 26万1425票 | 35.6% | 1 | 2/6 | / |
公職 | ||
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先代 細川律夫 長浜博行 |
![]() 小宮山洋子と共同 2011年 |
次代 牧義夫 辻泰弘 |
先代 増原義剛 宮澤洋一 谷本龍哉 |
![]() 大島敦、古川元久 →大島敦、平岡秀夫と共同 2009年 - 2010年 |
次代 東祥三 末松義規 平野達男 |
議会 | ||
先代 古川俊治 |
![]() 2020年 - 2021年 |
次代 上田清司 |
先代 白眞勲 |
![]() に関する特別委員長 2011年 - 2012年 |
次代 徳永久志 |
党職 | ||
先代 結成 |
国民民主党代表代行 2023年までは前原誠司と共同 初代:2020年 - 2024年 |
次代 古川元久 |
先代 舟山康江 |
国民民主党政務調査会長 第2代:2021年 - 2024年 |
次代 濱口誠 |
先代 原口一博 |
旧国民民主党代表代行 古川元久と共同 第2代:2018年 - 2020年 |
次代 新国民民主党へ |
先代 結成 |
旧国民民主党共同代表 玉木雄一郎と共同 初代:2018年 |
次代 玉木雄一郎 |
先代 結成 |
旧国民民主党参議院議員会長 初代:2018年 - 2020年 |
次代 新国民民主党へ |
先代 前原誠司 |
民進党代表 第4代:2017年 - 2018年 |
次代 旧国民民主党へ合流 |