太平洋の翼 | |
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監督 | |
脚本 | 須崎勝彌 |
製作 | |
出演者 | |
音楽 | 團伊玖磨 |
撮影 | |
製作会社 | 東宝[1][2] |
配給 | 東宝[1][3] |
公開 | 1963年1月3日[1][2][4][3][5] |
上映時間 | 101分[1][2][5] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語・英語 |
前作 | ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐 |
太平洋の翼(たいへいようのつばさ)は、1963年(昭和38年)に制作された戦争映画[2][4]。カラー、東宝スコープ[2]。
源田實原作の『海軍航空隊始末記』を基に[6]、壮烈な戦闘機隊の戦いを描く"太平洋シリーズ三部作"[注釈 1]の最終篇[6][7]。前2作と異なり、パイロットの青春群像劇となっている[7][4]。
制空権を握られている帝国海軍が南方地域に残存する精鋭パイロットを集め、新鋭戦闘機「紫電改」を中心とした第343海軍航空隊(以下、「343航空隊」とする)の戦いと人間模様を描く[3]、史実を元にしたフィクション映画作品[4]。登場人物は仮名で設定されており、主人公格である三船敏郎演じる「千田」は343空司令の源田實をモデルとしている[8]。さらに、343航空隊とはまったく無関係である戦艦大和が登場する、渥美清ら人情派俳優が演じるパイロットたちが4機のみで天一号作戦に随伴するなど、フィクションながらも印象的な存在となっている。[独自研究?]
前線基地に残って死ぬ者と、内地に帰還して航空戦を戦い抜いて死ぬ者、作中ではいずれの者も「散る桜」として、当時の絶望的な戦況が語られている。
昭和19年8月、マリアナ沖海戦に大敗した日本海軍は制空権を失った。その前途に暗雲が垂れ込め始める中、軍令部内では一撃一殺の特攻による戦局挽回を唱える者が大勢となっていた。しかし、千田中佐は特攻に異を唱え、紫電改によって構成された精鋭部隊による局地の制空権の確保を突破口として、制空権の奪還を提唱する。千田中佐によって招集をかけられた精鋭パイロットたち(安宅中尉らは硫黄島の包囲網を突破して潜水艦で、矢野大尉らはラバウルから敵のPTボートを乗っ取り、滝大尉らは航空要員すら陸戦隊として戦うフィリピンから「内地に帰れる」と嫌みを叩かれ、戦闘で戦友を犠牲にし、その遺体を洋上へ投棄した)は戦うために本土へ帰還すると、千田中佐の下松山基地で343航空隊として再編成され、滝の率いる「新撰組」、矢野の率いる「天誅組」、安宅の率いる「維新隊」と3つの飛行隊が揃えられる。一方、滝のもとには玉井兵曹の姉である美也子が訪れ、滝は玉井の遺体を投棄した事実を伝える。
連日、343航空隊へ指示される命令は、敵機と戦う空戦ではなく、松山基地からの一時的な空中退避であった。特攻隊員から「逃げ回ってばかりじゃないか」と批判されるが、343航空隊は「満を持して、戦うためだ」と自分たちをなだめる以外に方法がなかった。そして昭和20年3月11日、敵機動艦隊から艦載機が南九州や四国沿岸へ飛来し、ついに343航空隊に出撃命令が下る。3人の飛行隊長に率いられて飛び立った343航空隊の各機は激しい空中戦を演じ、初出撃で63機もの米軍機を撃墜した[注釈 2]。これは、同年3月時点で「過去3か月間にこんな大きな被害を受けたことがない」と米軍に言わしめるほどの大戦果であり、狂喜した軍令部は343航空隊の担当空域を西日本全域に拡大することを求める。それは、当時の日本海軍において343航空隊ほど、戦果の面で頼りになる航空隊が存在しなかったことに起因する。千田中佐は、西日本空域全体を防衛を任せるという海軍の過大な要求により、防衛戦域の拡大と戦力の分散による戦闘機の消耗を危惧するが、当時の日本の軍事情勢は、それを343航空隊単独で呑ませざるを得ないほどにひっ迫していた。そんな中、沖縄への出撃が決まった戦艦大和の上空に飛来し、ブーツごと手紙を投下した者がいたことが判明する。343航空隊は沖縄へ特攻する大和を途中まで護衛するが、同隊のうち4機が命令違反を犯し、大和と運命を共にしたほか、各飛行隊長も戦死して兵力は激減する。その後、日本は敗戦を経て平和を迎えるのだった。
茨城県霞ヶ浦ではセット撮影[6]、宮城県仙台市では飛行機の空中戦場面[6]、神奈川県横須賀市や広島県呉市では港の撮影[6]、東京都八丈島ではラバウルでの駐屯地シーンなどがそれぞれ行われた。ガダルカナル島での戦闘シーンは十国峠で撮影されているようで背景に箱根駒ヶ岳が見える。[独自研究?]
撮影前には、俳優らに対し元操縦士らから操縦の指導が行われた[8]。千田のモデルである源田實も製作に協力しており、源田と対談する機会のあった佐藤允は後に『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968年)で源田を演じた[8]。
紫電改の実物大セット、対空銃座や管制塔まで再現した松山基地の野外セット、戦艦大和の模型や空戦シーンなどが精巧に作りこまれており、円谷英二の特撮技術が映画全編に反映されている。劇中の軍艦役で潜水艦「くろしお」、魚雷艇10号、護衛艦「ゆきかぜ」など、当時の海上自衛隊護衛艦が多く登場している。
本作品は、戦後初めて本格的な空中戦を描いた映画である[10][3]。空中戦の撮影に使用された戦闘機のミニチュアは約300機におよび、特撮ステージでの操演のほか、屋外でラジコン機やUコン機を用いての撮影も行われた[11][12][3]。松山基地から紫電改が飛び立つシーンでは水を抜いた大プールを使用し[3]、レール上に設置した紫電改のミニチュアのワイヤーをトラックに引かせている[12][13]。
戦艦大和のミニチュアは1/15スケールのものが作られ、山中湖上で撮影された[11][12][4][3][注釈 3]。このミニチュアは造船所で作られ、内部には自動車用の360ccのエンジンを搭載している[11][3]。紫電改から見た大和の描写はヘリコプターを用いて撮影されたが、淡水ゆえに水の透明度が高く艦底まで写ってしまったため、多くは使えなかった[11][12][3]。
特撮班の監督助手(チーフ助監督)は、浅井正勝に替わり中野昭慶が起用された[11]。チーフ助監督は通常10年以上の経験者が起用されるため、助監督歴3、4年の中野は異例の抜擢であった[11]。
紫電改(滝機)やヘルキャットのミニチュアは、1999年の時点で東宝特美倉庫に保管されていることが確認されている[4]。
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