小山薫堂 | |
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プロフィール | |
本名 | 小山 薫堂 |
別名 | うどん熊奴 |
誕生日 | 1964年6月23日(60歳) |
出身地 | 熊本県本渡市(現天草市) |
主な作品 | |
テレビドラマ | 『東京ワンダーホテル』 |
映画 | 『おくりびと』 |
受賞 | |
日本アカデミー賞 読売文学賞 |
小山 薫堂(こやま くんどう、1964年6月23日 - )は、日本の放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティ。
株式会社オレンジ・アンド・パートナーズ代表取締役社長 兼 N35 inc代表、株式会社下鴨茶寮代表取締役社長、京都芸術大学副学長・芸術学部教授。前東北芸術工科大学教授。一般財団法人今日庵評議員。
『料理の鉄人』以来、別名としてうどん熊奴(くまやっこ、「こやまくんどう」を逆さにしたアナグラム)の作家名を使い分けている。
熊本県本渡市(現天草市)出身。天草市立本渡中学校、熊本マリスト学園高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。
小学生の時に初めて訪れた映画館が本渡第一映劇であると語っている[1]。高校時代は中原中也が好きで、ラブレターに詩を書いて送ったことがある。父親から防衛大学校の入学試験に合格すれば車を買ってやると言われて防衛大学校を受験したが失敗。いろいろなホテルに宿泊したくて日本各地の私立大学を受験したが、友人(平田輝だとされる[注 1])の勧めで受験した日本大学藝術学部に合格した。当の友人は不合格であった。
大学の先輩に文化放送でADをしないかと勧誘されたことがきっかけで、大学在学中より文化放送の番組制作アルバイトを経験。のちにラジオ番組の放送作家になった。大学では3年までの間にほとんどの卒業単位を取得し、大学4年生では卒業制作に専念。卒業制作は、姫路 - 東京間を往復する放送作家の長谷川勝士と、北海道帯広に住むソーセージ職人との往復書簡を軸に描いた「普通の生活」というタイトルのビデオ作品を制作し提出した。
大学3年生の頃にラジオ番組『吉田照美のてるてるワイド』の企画で、吉田照美と共同でファッションブランド「バナナトリップ」を立ち上げ。原宿の竹下通りに出店するが、10か月で閉店の憂き目に遭った。その後、約1年間吉田照美事務所に所属し、吉田のマネージャーも兼務した。
大学4年生の頃に(1985年〈昭和60年〉)、放送作家長谷川勝士の紹介で、初めてテレビ番組『11PM』の作家として参加。その後、放送作家として独立。
深夜番組の構成を中心に活動しているが、『カノッサの屈辱』や前述の『料理の鉄人』などといった数多くの名番組も手掛けている。また、TVドラマ・映画脚本や、小説の執筆、作詞、プロモーション企画の立案方面でも活躍している。
2009年4月に、東北芸術工科大学デザイン工学部企画構想学科の新設に伴い教授 兼 学科長に就任。東北芸術工科大学では月に1日程度、講義と演習を担当。
2017年4月1日より京都造形芸術大学副学長・芸術学部教授。
母親は美容師で、父親はその美容院を経営する一方、貸金業、不動産業、貸衣装など幅広い商売をしていた[3]。ダウン症の弟がおり、小学2年生のとき、父親に「お前は弟の分まで引き受けて、ふたり分頑張って生きていかなければならない」と話をされている[4]。
若い頃からの憧れの地であったという京都に古民家をリノベーションした別邸がある[5]。また長野県軽井沢を「こよなく愛する」と述べ、よく通っているという[6]。
お風呂愛好家であり、入浴文化を探求する「湯道」を提唱・実践している[7]。自動車愛好家であり、これまでシトロエン・BX、ポルシェ・911、ランドローバー・レンジローバー、アストンマーティン・DB9等、輸入車を中心に数多く乗り継いでいる[8]。また多数のグルメ本を出版するほどの食べ歩き好きであり、大のホテル好きでもある[9]。
自称「誕生日プレゼントマニア」であり、人に誕生日プレゼントをあげたときの喜んでもらえた喜びというのが好きで、そういった人の喜びを自分の喜びとして感じるために番組やプロジェクトの制作に関わって仕事をしていると話している[10]。また、「仕事という言い訳で趣味を広げているという感覚はある」とも述べている[10]。
モノに対して感情移入するような妄想癖があると話し、愛車に名前をつけたり、愛用したパンツの最後の迎え方を考えたり、また「この(履き古した)靴とは一生会えない」と思うと涙が出てくるという[11]。
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