崔済愚 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 최제우 |
漢字: | 崔済愚 |
発音: | チェ・ジェウ |
日本語読み: | さい せいぐ |
英語表記: | Choe Je-u |
崔 済愚(チェ・ジェウ、さい せいぐ、최제우、1824年12月18日(旧暦10月28日) - 1864年4月15日(旧暦3月10日))は、李氏朝鮮(李朝)後期の宗教家。民族主義的な新宗教、東学を創始した。『竜潭遺詞』、『東経大全』などを著した。号は水雲(スウン、すいうん)。
1824年、慶尚北道の慶州の両班の家系に生まれた。本貫は慶州崔氏[1]。6歳で母を亡くし、16歳で父を亡くす。その後20年近く全国を放浪し求道の旅を続け、1855年に蔚山の内院庵で本格的な修行を開始し、1860年に慶州の竜潭亭で天啓を受け、儒教・仏教・民間信仰などを融合した東学を創始した[2]。東学という名称には、西学(キリスト教)への対抗がみられた[2]。かれは、やがて(先天開闢に対する)理想的な「後天開闢」の時代がやってくるので、人びとは東学の信者となり、熱心に呪文(至気今至、願為大降、侍天主造化定、永世不忘万事知)を唱えて修養に励み、霊符を飲むことで天と人が一体となり、地上天国が実現することを説いたが、これが当時の厳格な身分制社会、李朝の統治理念である儒学(朱子学)思想を動揺させる恐れがあったため、1863年に政府によって捕らえられ、翌年に「邪道亂正」の罪で処刑された[2][注釈 1]。