工藤 堅太郎 くどう けんたろう | |
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生年月日 | 1942年10月13日 |
出生地 | 日本 岩手県九戸郡種市町 |
没年月日 | 2021年3月24日(78歳没) |
死没地 | 日本 岩手県盛岡市 |
出身校 | 中央大学商学部 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (自由党→) (民主党→) 生活の党 |
称号 |
従四位 旭日中綬章 商学士 |
親族 | 子:工藤大輔(岩手県議会議員) |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2004年7月26日 - 2010年7月25日 |
選挙区 |
(旧岩手1区→) 比例東北ブロック |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1993年7月 - 1996年9月27日 2000年6月 - 2003年10月10日 |
選挙区 | 九戸郡選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1979年 - 1993年 |
工藤 堅太郎(くどう けんたろう、1942年10月13日 - 2021年3月24日)は、日本の政治家。岩手県九戸郡種市町(現・洋野町)出身。 参議院議員(1期)、衆議院議員(2期)などを歴任した。位階は従四位。息子は岩手県議会議員で、岩手県議会議長の工藤大輔。
1979年に岩手県議会議員に当選。県議時代は自由民主党に所属。任期途中の1993年に第40回衆議院議員総選挙に新生党公認で旧岩手1区から立候補し初当選。
1994年の新進党結党に参加。1996年の第41回衆議院議員総選挙で岩手2区より立候補し落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補し比例東北ブロックの復活当選で返り咲きを果たす。その後民主党所属となるが、2003年の第43回衆議院議員総選挙では落選。
2004年の第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から立候補、岩手県で多くの得票があり、当選を果たした。選択的夫婦別姓制度に反対していた[1]。
2010年の第22回参議院議員通常選挙において落選。
2013年4月29日、旭日中綬章を受章[2]。引退後は生活の党岩手県連の顧問を務めていた[3]。
2021年3月24日、慢性閉塞性肺疾患による呼吸困難のため、盛岡市内の病院で死去[4][5][6]。78歳没。死没日をもって従四位に叙される[7]。
議会 | ||
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先代 高嶋良充 |
参議院内閣委員長 2005年 - 2006年 |
次代 藤原正司 |