影山利郎 七段 | |
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名前 | 影山利郎 |
生年月日 | 1926年6月21日 |
没年月日 | 1990年7月31日(64歳没) |
プロ入り年 | 1949年 |
出身地 |
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師匠 | 安永一 |
段位 | 七段 |
概要 |
影山 利郎(かじやま としろう、1926年6月21日 - 1990年7月31日)は、日本の囲碁棋士である。静岡県出身[1][2]。計算に明るく堅実な棋風の棋士であった[2]。
1926年(大正15年)6月21日、静岡県に生まれる。16歳になった1942年(昭和17年)から囲碁を習い始め、1948年(昭和23年)の全日本素人本因坊戦で優勝し、翌年の秋にプロ入り(初段)を果たした[1][2]。1953年(昭和28年)に大手合第二部でも優勝して四段となり[1][2]、その2年後に日本棋院入門講習会を開設、講師となった。
1961年(昭和36年)には六段に昇段したほか、1965年(昭和40年)の第9期高段者トーナメントと、その翌年の第10期高段者トーナメントにおいて、いずれも準優勝を果たすなど、着々と実力の向上を見せた[1]。1967年(昭和42年)には囲碁選手権戦で活躍して高松宮賞を受賞し、また同年からの2年間、NHKテレビ囲碁講座に出演した。七段には10年後の1977年(昭和52年)に昇段を果たし、同年に大手合第一部全勝賞と準優勝なった[1]。1990年(平成2年)7月31日、影山は逝去した。享年64。
影山は「囲碁レッスン日本一」とも称され、アマ囲碁(アマ碁界)の普及・発展に大いなる貢献をしたことで知られる[1][2]。彼のその指導法は比較的好評であった[1][2]。執筆家としての側面も持ち、多数の著書がある[2]。
黒白、両者が是非とも打ちたい場所で、打った側の手が盤上に強くパワーを発揮する打ち手の威力を「力の光」と表現した[3]。