まさゆき 摩砂雪 | |
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プロフィール | |
本名 | 山口 正幸(やまぐち まさゆき) |
別名義 |
夷 倭世(えみし わせ) 摩砂一(まさかず) 沙那芭 美智(さなば よしとも) |
生年月日 | 1961年1月3日(64歳) |
出身地 |
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出身校 | 東京デザイナー学院アニメーション科 |
職業 |
アニメーター 演出家 映像作家 |
所属 | カラー(相談役) |
ジャンル | アニメーション |
交流関係 | 庵野秀明 |
その他 | 山羊座、A型 |
摩砂雪(まさゆき[1]、1961年[1]1月3日 - )は、日本のアニメーター[1]、演出家[1]、映像作家。株式会社カラー相談役。長野県出身。山羊座、A型。本名は山口 正幸(やまぐち まさゆき)。夷 倭世(えみし わせ)、摩砂一(まさかず)、沙那芭 美智(さなば よしとも)などの名義での作品参加もある。
高校時代に映像関係の仕事を目指す中で、宮崎駿演出の『未来少年コナン』に影響を受けアニメーションの世界を志す[2]。東京デザイナー学院アニメーション科卒業後、作画スタジオのスタジオジャイアンツへ入社。数々のテレビアニメの作画で経験を積んだ後、1987年公開の劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』よりガイナックス作品に参加し、『ふしぎの海のナディア』で演出と作画監督を担当。社会的ブームになった『新世紀エヴァンゲリオン』では鶴巻和哉と共に副監督に就任し数々の役職をこなした。
ガイナックス作品以外にも『帝都物語』、『マクロスプラス』などでキャラクターデザイン、作画監督などを担当。スタジオジャイアンツ、グラビトン、ガイナックスを経てフリーとなる[1]。広角パースの作画・画面設計・映像編集に長けており、近年は庵野秀明の右腕として『シン・ゴジラ』などの実写作品にも参加。現在は庵野が設立したアニメスタジオ「カラー」にて相談役を務める[3]。
『ふしぎの海のナディア』制作時に薩川昭夫と知り合い、お互いが岡本喜八・黒澤明の作品群が好きなことで話が弾み、親交が深まった。仕事でも薩川が「摩砂雪はこんなことがやりたいんでしょ?」と「1カットと1カットを切った間に、インサートカットを入れる」というアニメではあまり行わない編集をしたことで、映像編集の面白さに目覚める。丁度その頃に「どんなに演出意図や動きの指示を絵コンテに書いても、それを編集が理解してくれないために、リズムがずれて、1カットとしては良くできていても、映像としては笑いも感動も迫力もない、全然面白くないものになってしまう」という制作現場そのものの問題に当たってしまい、『新世紀エヴァンゲリオン』制作序盤ではフィルム編集技師に頭を下げ、ネガ編集者への指示の出し方・ポジ編集の実務作業のやり方を教えてもらい、制作終盤の頃になると普通のアニメスタジオでは見ない機材が集まり、1室が編集室となり、そこで摩砂雪・庵野・鶴巻がフィルムをつないでいった。その頃から「作品のために作画・絵コンテを描くことが嫌になった」「他人の作画・家庭用デジタルビデオカメラで撮影した映像等の色々な素材を切り貼りしてからつないでいけば、もっと面白いことができる」と編集を主体にした演出作業にのめり込むようになった[4]。
監督を務めた『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』『DEATH』編の制作後、仕事が残っていたにもかかわらず海で遊びほうけていたことに総監督であった庵野が激怒し、続編の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』ではビジュアルウォーターアーチストとクレジットされた。ただし二人の関係は深く、1000カット以上はあると言う庵野の結婚式のビデオを摩砂雪が半年かけて編集を行っている[5]。ガイナックス時代は、庵野とスタジオで延々とくだらない話をしているたびに赤井孝美から怒られていたという[6]。