レンジャー(RANGER)は、日野自動車が製造する中型クラスのトラックである。GVW(車両総重量)8トンクラスからGVW20トンクラスの6x4低床車まで幅広いバリエーションを揃えている。日本国外では500シリーズとして販売されている。
3.5t積の初代レンジャーは2代目KL型の登場後も継続生産され、デーキャブレンジャー(後述)の登場まで20年にわたって生産された。
アジアなどの海外仕様車では1995年まで「エコノ・ディーゼル(Econo Diesel)」として継続生産されていた。
通常のレンジャーとは異なる外観であり、簡単に区別できるよう縦型のアウタードアハンドル、角目4灯ヘッドライトを採用し差別化を図っていた。エンジンはW04D型、W06D型、H07C型の3種類。
特記事項としてラリーレイド、特にダカール・ラリーへの参戦が挙げられる。
日野自動車創立50周年記念の社内提案[22]がきっかけで1991年の第13回大会に参戦、以降日本車で唯一カミオン(トラック)部門に連続して参戦しており、1997年にはこれも日本車で唯一のカミオン部門総合優勝、および表彰台独占を成し遂げている。部門総合では排気量20Lにも及ぶカマズ(ロシア)やタトラ(チェコ)、DAFとGINAF(ともにオランダ)、同じ10L未満クラスではイヴェコ(イタリア)やメルセデスやMAN(ともにドイツ)等の欧州勢を相手にトップ争いを繰り広げた。小排気量でトラックとしては小柄な車体ながらも大排気量車に伍する戦いぶりを見せることから、『リトルモンスター』の異名を取っていた。
消防車仕様の四輪駆動車「FT」をベースとしている。スペックは2013年バージョンで長さ6.15m×幅2.4m×高さ3.05m、ホイールベース3.75m。排気系や動弁系は菅原義正も若い頃縁のあったヨシムラが2013年から供給に関わっている[23]。チューニングを施された排気量8LのJ08Cエンジンの最高出力は485PSで、600〜1000馬力のライバルには劣る。しかし小柄なボディゆえの取り回しの良さと総重量6-7tの軽さを武器に、大排気量・高出力エンジンを搭載するライバルを脅かすことは多かった。2000年代からシャシー・サスペンション面の大幅な進化に伴い部門全体の高速化が進み[24]、2010年代は総合優勝を争うのが難しくなったが、それでも高頻度でトップ10入りを果たしている。
ライバルたちが公認取得条件の最低生産台数15台以上をクリアして、事実上プロトタイプのマシンでミッドシップ車を繰り出してくるのに対し、日野は量産ベースのフロントエンジン車で戦い続けた。2009年にプロトタイプ規定が施行された際はフロントミッドシップに切り替えたが、冷却の問題から一旦市販車に戻し、2012年から再びプロトタイプで参戦している[25]。
2014年バージョンでは1号車のエンジンがプロフィアに搭載されているA09Cに換装され、こちらは600PSを発揮する[26]。2015年バージョンからは2号車のエンジンもA09Cに換装された。四輪駆動は参戦当初から2016年までパートタイム式だったが、2017年からセンターデフを用いた(前後50:50)のフルタイム式へ変更されている[27]。
参戦当初の1991〜1992年は『エキップ・カミオン・ヒノ』というチーム名で日野自動車本体が菅原義正の日本レーシングマネージメント(JRM)の協力の元にワークス・チームを編成して参戦しており、マグナ・シュタイア社も車体開発協力に就いた。1991、1992年のドライバーはフランスF3選手権王者でル・マン24時間レース優勝者のフランス人ジャン=ピエール・ジョッソー、シュタイア社のチーフエンジニアで工学博士のオーストリア人JP-ライフ(ヨハン=ピーター・ライフ)、エアメカニック出身のベルギー人ジョセフ・プティの3人が務めた。ライフはプティは日本人に近い職人気質でチームに愛され、1992年にはチームメイトの壊れたギアボックスを引き取り、自分は1速と6速しか使えない状況で後半戦を走り切る器用さを見せた。またライフも3本足のマシンで走り切るなど、ダカールに慣れていないスタッフたちの想定を大きく上回る走りでチームに刺激を与えた[28]。ライフとペティは1997年にも日野で参戦し、菅原と併せて1-2-3フィニッシュを達成した。
1992年のパリ-モスクワ-北京ラリー以降はJRMが母体となって参戦している。日野のワークス体制は1991〜1992年、1996〜1997年[29]、2006〜2022年であり、それ以外はJRMの『チームスガワラ』(1993~1995年は『チーム子連れ狼』)によるプライベーター体制での参戦となっている。JRMは90年代半ばからル・マンの7km南に位置するテロッシェ村にガレージを持っており、村では英雄のような扱いを受けることもある[30]。なお義正によるとこのガレージは元々はポルシェがル・マン24時間参戦の拠点としていたもので、スティーブ・マックィーンの917Kや生沢徹の904も整備していた工場であるという[31]。
1995年の第17回大会からは、全国の日野自動車販売会社からチームのメカニックを選抜してダカール・ラリーに参戦する体制を採っている。
2019年4月に、1992年大会から出場してきた菅原義正が、2019年大会をもってダカール・ラリーからの引退を発表。チームスガワラと日野自動車は、2020年大会以降における菅原義正の後任ドライバーの選定を行い[32]、2019年6月3日に2020年大会の体制を発表。車両はレンジャー2台体制から、レンジャー・600各1台体制に変更する他、1号車となるレンジャーのドライバーは義正の息子菅原照仁が、2号車となる600のドライバーはサミットレーシングプロモーションズ所属のオフロードレーサーの塙郁夫がそれぞれ務める[33]。2021年大会は新型コロナウイルス感染症の影響で菅原1台体制に縮小されたと同時に、レンジャーとしては最後のダカール・ラリー参戦となった。
2022年大会は車両をレンジャーから600ハイブリッドへ変更し、2021年大会同様に菅原1台体制で参戦することとなって、レンジャーはその役割を終えた[34]。しかし現在の600はレンジャーをベースにボンネット型にしたような構造となっており、その遺伝子は現在も生き続けている。
ダカール・ラリーにおけるレンジャーの総合成績。2000 - 2002年のみフロントエンジン四輪駆動車クラス、他は10リッター未満クラスの順位。2010年、2011年は市販車クラスでも1位を獲得[35][36][37]。
年 | ドライバー | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|
1991年 | ![]() |
7 | |
![]() |
10 | ||
![]() |
14 | ||
![]() |
リタイヤ(負傷) | ||
1992年 | ![]() |
4 | |
![]() |
5 | ||
![]() |
6 | ||
![]() |
10 | ||
1993年 | ![]() |
6 | |
1994年 | ![]() |
2 | |
1995年 | ![]() |
2 | |
1996年 | ![]() |
6 | 1 |
![]() |
11 | 2 | |
1997年 | ![]() |
1 | 1 |
![]() |
2 | 2 | |
![]() |
3 | 3 | |
1998年 | ![]() |
2 | 1 |
1999年 | ![]() |
4 | 1 |
2000年 | ![]() |
5 | 1 |
2001年 | ![]() |
2 | 1 |
2002年 | ![]() |
3 | 1 |
2003年 | ![]() |
5 | |
2004年 | ![]() |
5 | |
2005年 | ![]() |
2 | 1 |
![]() |
6 | 3 | |
2006年 | ![]() |
5 | 1 |
![]() |
7 | 3 | |
2007年 | ![]() |
9 | 1 |
![]() |
13 | 2 | |
2008年 | ![]() |
レース中止 | |
![]() | |||
2009年 | ![]() |
14 | 2 |
![]() |
25 | 6 | |
2010年 | ![]() |
7 | 1 |
![]() |
失格 | ||
2011年 | ![]() |
9 | 1 |
![]() |
13 | 2 | |
2012年 | ![]() |
9 | 1 |
![]() |
24 | 3 | |
2013年 | ![]() |
19 | 1 |
![]() |
31 | 4 | |
2014年 | ![]() |
12 | 1 |
![]() |
32 | 2 | |
2015年 | ![]() |
16 | 1 |
![]() |
32 | 2 | |
2016年 | ![]() |
13 | 1 |
![]() |
31 | 2 | |
2017年 | ![]() |
8 | 1 |
![]() |
29 | 2 | |
2018年 | ![]() |
6 | 1 |
![]() |
スタックでリタイヤ | ||
2019年 | ![]() |
9 | 1 |
![]() |
マシントラブルでリタイヤ | ||
2020年 | ![]() |
10 | 1 |
2021年 | ![]() |
12 | 1 |
普通型トラックとしては珍しく芸能人や著名人を起用し、特にクルージングレンジャーのCMでは、ダイアン・レインを起用してそれまでのトラックの武骨なイメージを払拭させる事に貢献している。
これらの他にも、積載量の異なる6台のレンジャーを用意し、子供のナレーションで「1レンジャー!2レンジャー!3レンジャー!4レンジャー!5レンジャー! もう1つあるんじゃー。6レンジャー!! 日野レンジャーどんなもんじゃー」と『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET系列)のパロディをやるCMが存在していた。
ジャンボ鶴田が所属した全日本プロレスも、鶴田がCM出演したのがきっかけで、選手の移動バスは日野だった。
一部荷台の総軸エアサス車は6速MTのみの設定となる。