旧唐書

旧唐書』(くとうじょ、繁体字: 舊唐書; 簡体字: 旧唐书; 繁体字: 舊唐書; 拼音: Jiù Tángshū; ウェード式: Chiu T'ang-shu)は、中国五代十国時代後晋出帝の時に劉昫張昭遠賈緯趙瑩らによって編纂された歴史書[1]二十四史の一つ。の成立(618年)から滅亡まで(907年)について書かれている。

当初の呼び名は単に『唐書』だったが、『新唐書』が編纂されてからは『旧唐書』と呼ばれるようになった。

概要

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完成と奏上は945年開運2年)6月[2]だが、その翌年には後晋が滅びてしまうため、編纂責任者が途中で交代するなど1人の人物に2つの伝を立てたり、初唐に情報量が偏り、晩唐は記述が薄いなどの問題があった。なお、北宋時代に『新唐書』が編纂されているが、逆に生の資料をそのまま書き写したりしているため、資料的価値は『新唐書』よりも高いと言われる。[要出典]

構成

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本紀」20巻、「列伝」150巻、「」30巻の計200巻から成る。紀伝体の書である。

本紀

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  1. 本紀第一 高祖
  2. 本紀第二 太宗
  3. 本紀第三 太宗下
  4. 本紀第四 高宗
  5. 本紀第五 高宗下
  6. 本紀第六 則天皇后
  7. 本紀第七 中宗 睿宗
  8. 本紀第八 玄宗
  9. 本紀第九 玄宗下
  10. 本紀第十 粛宗
  11. 本紀第十一 代宗
  12. 本紀第十二 徳宗
  13. 本紀第十三 徳宗下
  14. 本紀第十四 順宗 憲宗
  15. 本紀第十五 憲宗下
  16. 本紀第十六 穆宗
  17. 本紀第十七上 敬宗 文宗
  18. 本紀第十七下 文宗下
  19. 本紀第十八上 武宗
  20. 本紀第十八下 宣宗
  21. 本紀第十九上 懿宗
  22. 本紀第十九下 僖宗
  23. 本紀第二十上 昭宗
  24. 本紀第二十下 哀帝

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  1. 志第一 礼儀一
  2. 志第二 礼儀二
  3. 志第三 礼儀三
  4. 志第四 礼儀四
  5. 志第五 礼儀五
  6. 志第六 礼儀六
  7. 志第七 礼儀七
  8. 志第八 音楽一
  9. 志第九 音楽二
  10. 志第十 音楽三
  11. 志第十一 音楽四
  12. 志第十二 暦一
  13. 志第十三 暦二
  14. 志第十四 暦三
  15. 志第十五 天文上
  16. 志第十六 天文下
  17. 志第十七 五行
  18. 志第十八 地理一
  19. 志第十九 地理二
  20. 志第二十 地理三
  21. 志第二十一 地理四
  22. 志第二十二 職官一
  23. 志第二十三 職官二
  24. 志第二十四 職官三
  25. 志第二十五 輿服
  26. 志第二十六 経籍
  27. 志第二十七 経籍下
  28. 志第二十八 食貨上
  29. 志第二十九 食貨下
  30. 志第三十 刑法

列伝

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  1. 列伝第一 后妃上 - 高祖太穆皇后竇氏太宗文徳皇后長孫氏賢妃徐氏高宗廃后王氏中宗和思皇后趙氏中宗韋庶人上官昭容睿宗粛明皇后劉氏睿宗昭成皇后竇氏玄宗廃后王氏玄宗貞順皇后武氏玄宗楊貴妃
  2. 列伝第二 后妃下 - 玄宗元献皇后楊氏粛宗張皇后・粛宗韋妃・粛宗章敬皇后呉氏代宗睿真皇后沈氏・代宗崔妃・代宗貞懿皇后独孤氏徳宗昭徳皇后王氏・徳宗韋賢妃・順宗荘憲皇后王氏憲宗懿安皇后郭氏憲宗孝明皇后鄭氏・女学士尚宮宋氏・穆宗恭僖皇后王氏・敬宗郭貴妃・穆宗貞献皇后蕭氏穆宗宣懿皇后韋氏・武宗王賢妃・宣宗元昭皇后晁氏懿宗恵安皇后王氏昭宗積善皇后何氏
  3. 列伝第三 - 李密単雄信
  4. 列伝第四 - 王世充竇建徳
  5. 列伝第五 - 薛挙李軌劉武周高開道劉黒闥徐円朗
  6. 列伝第六 - 蕭銑杜伏威輔公祏中国語版沈法興李子通羅芸梁師都
  7. 列伝第七 - 裴寂劉文静
  8. 列伝第八 - 唐倹長孫順徳劉弘基殷嶠劉政会柴紹武士彠
  9. 列伝第九 - 屈突通任瓌中国語版丘和許紹李襲志姜謩中国語版
  10. 列伝第十 宗室 - 永安王孝基淮安王神通襄邑王神符長平王叔良襄武王琛河間王孝恭廬江王瑗淮陽王道玄江夏王道宗隴西王博乂
  11. 列伝第十一 - 温大雅陳叔達竇威竇惲
  12. 列伝第十二 - 李綱鄭善果楊恭仁皇甫無逸李大亮
  13. 列伝第十三 - 封倫蕭瑀裴矩宇文士及
  14. 列伝第十四 高祖二十二子 - 隠太子建成衛王玄霸巣王元吉楚王智雲荊王元景漢王元昌酆王元亨周王元方徐王元礼韓王元嘉彭王元則鄭王元懿霍王元軌虢王鳳道王元慶鄧王元裕舒王元名魯王霊夔江王元祥密王元暁滕王元嬰
  15. 列伝第十五 - 高士廉長孫無忌
  16. 列伝第十六 - 房玄齢杜如晦
  17. 列伝第十七 - 李靖李勣
  18. 列伝第十八 - 尉遅敬徳秦叔宝程知節段志玄張公謹
  19. 列伝第十九 - 侯君集張亮薛万徹薛万均
  20. 列伝第二十 - 王珪戴冑岑文本杜正倫
  21. 列伝第二十一 - 魏徴
  22. 列伝第二十二 - 虞世南李百薬褚亮
  23. 列伝第二十三 - 薛収姚思廉顔師古令狐徳棻李延寿)・孔穎達
  24. 列伝第二十四 - 劉洎馬周崔仁師
  25. 列伝第二十五 - 蘇世長韋雲起孫伏伽張玄素
  26. 列伝第二十六 太宗諸子 - 恒山王承乾楚王寛呉王恪濮王泰庶人祐蜀王愔蔣王惲越王貞紀王慎江王囂代王簡趙王福曹王明
  27. 列伝第二十七 - 韋挺楊纂劉徳威閻立徳閻立本)・柳亨崔義玄
  28. 列伝第二十八 - 于志寧高季輔張行成
  29. 列伝第二十九 - 祖孝孫傅仁均傅奕李淳風呂才
  30. 列伝第三十 - 褚遂良韓瑗来済上官儀
  31. 列伝第三十一 - 崔敦礼盧承慶劉祥道李敬玄李義琰孫処約楽彦瑋趙仁本
  32. 列伝第三十二 - 許敬宗李義府
  33. 列伝第三十三 - 郭孝恪張倹蘇定方薛仁貴程務挺張士貴趙道興
  34. 列伝第三十四 - 劉仁軌郝処俊裴行倹
  35. 列伝第三十五 - 唐臨張文瓘徐有功
  36. 列伝第三十六 高宗中宗諸子 - 燕王忠原王孝沢王上金許王素節孝敬皇帝弘章懐太子賢懿徳太子重潤庶人重福節愍太子重俊殤帝重茂
  37. 列伝第三十七 - 裴炎劉禕之魏玄同李昭徳
  38. 列伝第三十八 - 韋思謙陸元方蘇瓌
  39. 列伝第三十九 - 狄仁傑王方慶姚璹
  40. 列伝第四十 - 王及善杜景倹朱敬則楊再思李懐遠豆盧欽望
  41. 列伝第四十一 - 桓彦範敬暉崔玄暐張柬之袁恕己
  42. 列伝第四十二 - 魏元忠韋安石蕭至忠
  43. 列伝第四十三 - 婁師徳王孝傑唐休璟張仁愿薛訥王晙
  44. 列伝第四十四 - 蘇味道李嶠崔融盧蔵用徐彦伯
  45. 列伝第四十五 睿宗諸子 - 譲皇帝憲恵荘太子撝恵文太子範恵宣太子業隋王隆悌
  46. 列伝第四十六 - 姚崇宋璟
  47. 列伝第四十七 - 劉幽求鍾紹京郭元振張説
  48. 列伝第四十八 - 魏知古盧懐慎源乾曜李元紘杜暹韓休裴耀卿
  49. 列伝第四十九 - 崔日用張嘉貞蕭嵩張九齢李適之厳挺之
  50. 列伝第五十 - 尹思貞李傑解琬畢構蘇珦鄭惟忠王志愔盧従愿李朝隠裴漼王丘
  51. 列伝第五十一 - 李乂薛登韋湊韓思復張廷珪王求礼辛替否
  52. 列伝第五十二 - 馬懐素劉子玄徐堅元行沖呉兢韋述
  53. 列伝第五十三 - 郭虔瓘郭知運王君㚟張守珪牛仙客王忠嗣
  54. 列伝第五十四 - 高仙芝封常清哥舒翰
  55. 列伝第五十五 - 宇文融韋堅楊慎矜王鉷
  56. 列伝第五十六 - 李林甫楊国忠張暐王琚王毛仲
  57. 列伝第五十七 玄宗諸子 - 靖徳太子琮庶人瑛棣王琰庶人瑤靖恭太子琬庶人琚夏悼王一儀王璲潁王璬懐哀王敏永王璘寿王瑁延王玢盛王琦済王環信王瑝義王玼陳王珪豊王珙恒王瑱涼王璿汴哀王璥
  58. 列伝第五十八 - 韋見素崔円崔渙杜鴻漸
  59. 列伝第五十九 - 馮盎阿史那社爾契苾何力黒歯常之李多祚李嗣業白孝徳
  60. 列伝第六十 - 李光弼王思礼鄧景山辛雲京
  61. 列伝第六十一 - 崔光遠房琯張鎬高適暢璀
  62. 列伝第六十二 - 李暠李麟李国貞李峘李巨
  63. 列伝第六十三 - 苗晋卿裴冕裴遵慶
  64. 列伝第六十四 - 魯炅裴茙来瑱周智光
  65. 列伝第六十五 - 崔器趙国珍崔瓘敬括韋元甫魏少遊衛伯玉李承
  66. 列伝第六十六 粛宗代宗諸子 - 越王係承天皇帝倓衛王佖彭王僅兗王僩涇王侹鄆王栄襄王僙杞王倕召王偲恭懿太子佋定王侗淮陽王僖昭靖太子邈均王遐睦王述丹王逾恩王連韓王迥簡王遘益王迺隋王迅荊王選蜀王遡忻王造韶王暹嘉王運端王遇循王遹恭王通原王逵雅王逸
  67. 列伝第六十七 - 厳武郭英乂崔寧厳震厳礪
  68. 列伝第六十八 - 元載王縉楊炎黎幹庾準
  69. 列伝第六十九 - 楊綰崔祐甫常袞
  70. 列伝第七十 - 郭子儀
  71. 列伝第七十一 - 僕固懐恩梁崇義李懐光
  72. 列伝第七十二 - 張献誠路嗣恭曲環崔漢衡楊朝晟樊澤李叔明裴冑
  73. 列伝第七十三 - 劉晏第五琦班宏王紹李巽
  74. 列伝第七十四 - 薛嵩令狐彰田神功侯希逸李正己
  75. 列伝第七十五 - 張鎰劉従一蕭復柳渾
  76. 列伝第七十六 - 李揆李涵陳少遊盧𢝖裴諝
  77. 列伝第七十七 - 姚令言張光晟源休喬琳張渉蔣鎮洪経綸彭偃
  78. 列伝第七十八 - 段秀実顔真卿
  79. 列伝第七十九 - 韓滉張延賞
  80. 列伝第八十 - 王嶼李泌崔造関播
  81. 列伝第八十一 - 李勉李皋
  82. 列伝第八十二 - 李抱玉李抱真王虔休盧従史李芃李澄
  83. 列伝第八十三 - 李晟李愬
  84. 列伝第八十四 - 馬燧渾瑊
  85. 列伝第八十五 - 盧杞白志貞裴延齢韋渠牟李斉運李実韋執誼王叔文程异皇甫鎛
  86. 列伝第八十六 - 竇参斉映劉滋盧邁盧邁斉抗
  87. 列伝第八十七 - 徐浩趙涓劉太真李紓邵説于邵崔元翰于公異呂渭鄭雲逵李益李賀
  88. 列伝第八十八 - 趙憬韋倫賈耽姜公輔
  89. 列伝第八十九 - 陸贄
  90. 列伝第九十 - 韋皋張建封盧群
  91. 列伝第九十一 - 田承嗣田弘正張孝忠
  92. 列伝第九十二 - 李宝臣王武俊王廷湊
  93. 列伝第九十三 - 李懐仙朱滔劉怦程日華李全略
  94. 列伝第九十四 - 尚可孤李観戴休顔陽恵元李元諒韓游瓌賈隠林杜希全尉遅勝邢君牙楊朝晟張敬則
  95. 列伝第九十五 - 劉玄佐董晋陸長源劉全諒李忠臣李希烈呉少誠
  96. 列伝第九十六 - 薛播鮑防李自良李説厳綬蕭昕杜亜王緯李若初于頎盧徴楊憑鄭元杜兼裴玢薛伾
  97. 列伝第九十七 - 杜黄裳高郢杜佑
  98. 列伝第九十八 - 裴垍李吉甫李藩権徳輿
  99. 列伝第九十九 - 于休烈令狐峘帰崇敬奚陟張薦蔣乂柳登沈伝師
  100. 列伝第一百 徳宗順宗諸子 - 舒王誼通王諶虔王諒粛王詳文敬太子謜資王謙代王諲昭王誡欽王諤珍王諴郯王経
  101. 列伝第一百一 - 高崇文伊慎朱忠亮劉昌裔范希朝王鍔閻巨源孟元陽趙昌
  102. 列伝第一百二 - 馬璘郝廷玉王栖曜劉昌李景略張万福高固郝玼段佐史敬奉
  103. 列伝第一百三 - 姚南仲劉迺袁高段平仲薛存誠盧坦
  104. 列伝第一百四 - 孔巣父許孟容呂元膺劉栖楚張宿熊望柏耆
  105. 列伝第一百五 - 穆寧崔邠竇群李遜薛戎
  106. 列伝第一百六 - 于頔韓弘王智興
  107. 列伝第一百七 - 王翃郗士美李鄘辛祕馬摠韋弘景王彦威
  108. 列伝第一百八 - 武元衡鄭余慶韋貫之
  109. 列伝第一百九 - 衛次公鄭絪韋処厚崔群路隨
  110. 列伝第一百十 - 韓愈張籍孟郊唐衢李翺宇文籍劉禹錫柳宗元韋辞
  111. 列伝第一百十一 - 李光進烏重胤王沛李珙李祐董重質楊元卿劉悟劉沔石雄
  112. 列伝第一百十二 - 潘孟陽李翛王遂曹華韋綬鄭権盧士玫韓全義高霞寓高瑀崔戎陸亘張正甫
  113. 列伝第一百十三 - 孟簡胡証崔元略杜元穎崔弘礼李虞仲王質盧簡辞
  114. 列伝第一百十四 - 王播王亀王式)・李絳楊於陵
  115. 列伝第一百十五 - 韋夏卿王正雅柳公綽崔玄亮温造郭承嘏殷侑徐晦
  116. 列伝第一百十六 - 元稹白居易
  117. 列伝第一百十七 - 趙宗儒竇易直李逢吉段文昌宋申錫李程
  118. 列伝第一百十八 - 韋温独孤郁銭徽高釴馮宿封敖
  119. 列伝第一百十九 - 李訓鄭注王涯王璠賈餗舒元輿郭行余羅立言李孝本
  120. 列伝第一百二十 - 裴度
  121. 列伝第一百二十一 - 李渤張仲方裴潾李中敏李甘高元裕李漢李景倹
  122. 列伝第一百二十二 - 令狐楚牛僧孺蕭俛李石
  123. 列伝第一百二十三 - 鄭覃陳夷行李紳李回李玨李固言
  124. 列伝第一百二十四 - 李徳裕
  125. 列伝第一百二十五 憲宗二十子・穆宗五子・敬宗五子・文宗二子・武宗五子・宣宗十一子・懿宗八子・僖宗二子・昭宗十子 - 恵昭太子寧澧王惲深王悰洋王忻絳王悟建王恪鄜王憬等・懐懿太子湊安王溶悼懐太子普梁王休復譲王執中紀王言揚陳王成美荘恪太子永蔣王宗倹・武宗五子・宣宗十一子・懿宗八子・僖宗二子・徳王裕棣王祤等・嗣襄王熅朱玫王行瑜
  126. 列伝第一百二十六 - 李宗閔楊嗣復楊虞卿馬植李譲夷魏駿周墀崔亀従鄭粛盧商
  127. 列伝第一百二十七 - 崔慎由崔珙盧鈞裴休楊收韋保衡路巌夏侯孜劉瞻劉瑑曹確畢諴杜審権劉鄴豆盧瑑
  128. 列伝第一百二十八 - 趙隠張裼李蔚崔彦昭鄭畋盧携王徽
  129. 列伝第一百二十九 - 蕭遘孔緯韋昭度崔昭緯張濬朱朴鄭綮劉崇望徐彦若陸扆柳璨
  130. 列伝第一百三十 - 朱克融李載義楊志誠張仲武張允伸張公素李可挙李全忠
  131. 列伝第一百三十一 - 史憲誠何進滔韓允忠楽彦禎羅弘信
  132. 列伝第一百三十二 - 王重栄王処存諸葛爽高駢時溥朱瑄
  133. 列伝第一百三十三 外戚 - 独孤懐恩竇徳明長孫敞武承嗣韋温王仁皎呉漵竇覦柳晟王子顔
  134. 列伝第一百三十四 宦官 - 楊思勗高力士李輔国程元振魚朝恩竇文場霍仙鳴倶文珍吐突承璀王守澄田令孜楊復光楊復恭
  135. 列伝第一百三十五上 良吏上 - 韋仁寿陳君賓張允済李桐客李素立薛大鼎賈敦頤李君球崔知温高智周田仁会韋機権懐恩馮元常蔣儼王方翼薛季昶
  136. 列伝第一百三十五下 良吏下 - 裴懐古張知謇楊元琰倪若水李濬陽嶠宋慶礼姜師度強循潘好礼楊茂謙楊瑒崔隠甫李尚隠呂諲蕭定蔣沇薛玨李恵登任迪簡范伝正袁滋薛苹閻済美
  137. 列伝第一百三十六上 酷吏上 - 来俊臣周興傅游芸丘神勣索元礼侯思止万国俊来子珣王弘義郭霸吉頊
  138. 列伝第一百三十六下 酷吏下 - 姚紹之周利貞王旭吉温羅希奭毛若虚敬羽
  139. 列伝第一百三十七上 忠義上 - 夏侯端劉感常達羅士信呂子臧張道源李公逸張善相李玄通敬君弘馮立謝叔方王義方成三郎尹元貞高叡王同皎蘇安恒兪文俊王求礼燕欽融安金蔵
  140. 列伝第一百三十七下 忠義下 - 李憕張介然崔無詖盧奕蔣清顔杲卿薛愿張巡許遠程千里袁光庭邵真符璘趙曄石演芬張伾甄済劉敦儒高沐賈直言庾敬休辛讜
  141. 列伝第一百三十八 孝友 - 李知本張志寛張志寛王君操趙弘智陳集原元譲裴敬彝裴守真李日知崔沔陸南金張琇梁文貞崔衍丁公著羅譲
  142. 列伝第一百三十九上 儒学上 - 徐文遠陸徳明曹憲欧陽詢朱子奢張士衡賈公彦張後胤蓋文達谷那律蕭徳言許叔牙敬播劉伯荘秦景通羅道琮
  143. 列伝第一百三十九下 儒学下 - 邢文偉高子貢郎余令路敬淳王元感王紹宗韋叔夏祝欽明郭山惲柳沖盧粲尹知章徐岱蘇弁陸質馮伉韋表微許康佐
  144. 列伝第一百四十上 文苑上 - 孔紹安袁朗賀徳仁庾抱蔡允恭鄭世翼謝偃崔信明張蘊古劉胤之張昌齢崔行功孟利貞董思恭元思敬徐斉聃杜易簡盧照鄰楊炯王勃駱賓王鄧玄挺
  145. 列伝第一百四十中 文苑中 - 郭正一元万頃喬知之劉允済富嘉謨員半千劉憲沈佺期陳子昂宋之問閻朝隠賈曾許景先賀知章席豫斉澣王澣李邕孫逖
  146. 列伝第一百四十下 文苑下 - 李華蕭穎士陸拠崔顥王昌齢孟浩然元徳秀王維李白杜甫呉通玄王仲舒崔咸唐次劉蕡李商隠温庭筠薛逢李拯李巨川司空図
  147. 列伝第一百四十一 方伎 - 崔善為薛頤甄権宋侠許胤宗乙弗弘礼袁天綱孫思邈明崇儼張憬蔵李嗣真張文仲尚献甫孟詵厳善思金梁鳳張果葉法善僧玄奘神秀一行桑道茂
  148. 列伝第一百四十二 隠逸 - 王績田遊巌史徳義王友貞盧鴻一王希夷衛大経李元愷王守慎徐仁紀孫処玄白履忠王遠知潘師正劉道合司馬承禎呉筠孔述睿陽城崔覲
  149. 列伝第一百四十三 列女 - 李徳武妻裴氏・楊慶妻王氏・楊三安妻李氏・魏衡妻王氏・樊会仁母敬氏・絳州孝女衛氏・濮州孝女賈氏・鄭義宗妻盧氏・劉寂妻夏侯氏・楚王霊亀妃上官氏・楊紹宗妻王氏・于敏直妻張氏・冀州女子王氏・樊彦琛妻魏氏・鄒保英妻奚氏・宋庭瑜妻魏氏・崔絵妻盧氏・奉天県竇氏二女・盧甫妻李氏・鄒待徴妻薄氏・李湍妻・董昌齢母楊氏・韋雍妻蘭陵県君蕭氏・衡方厚妻武昌県君程氏・女道士李玄真・孝女王和子
  150. 列伝第一百四十四上 突厥上 - 始畢可汗処羅可汗頡利可汗突利可汗思摩車鼻・単于 瀚海二都護府・骨咄禄默啜毗伽可汗登利
  151. 列伝第一百四十四下 突厥下 - 処羅可汗・射匱可汗統葉護可汗莫賀咄侯屈利俟毗可汗咄陸可汗泥孰沙鉢羅乙毗沙鉢羅葉護可汗乙毗射匱可汗阿史那賀魯阿史那弥射阿史那歩真突騎施烏質勒蘇禄
  152. 列伝第一百四十五 迴紇 - 迴紇
  153. 列伝第一百四十六上 吐蕃上 - 吐蕃
  154. 列伝第一百四十六下 吐蕃下 - 吐蕃
  155. 列伝第一百四十七 南蛮 西南蛮 - 林邑国婆利国盤盤国真臘国耨陀洹国訶陵国堕和羅国堕婆登国東謝蛮西趙蛮牂牁蛮南平獠東女国南詔蛮驃国
  156. 列伝第一百四十八 西戎 - 泥婆羅党項羌高昌吐谷渾焉耆国亀茲国疏勒国于闐国天竺国罽賓国康国波斯国拂菻国大食国
  157. 列伝第一百四十九上 東夷 - 高麗百済国新羅国倭国日本国
  158. 列伝第一百四十九下 北狄 - 鉄勒契丹奚国室韋靺鞨渤海靺鞨烏羅渾国
  159. 列伝第一百五十上 - 安禄山高尚孫孝哲史思明
  160. 列伝第一百五十下 - 朱泚黄巣秦宗権

日本に関する記述

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『旧唐書』「巻199上 列傳第149上 東夷[3]」には、「倭国伝」と「日本国伝」の2つの記述もあり、「倭国」の記述に続く「日本」においては、「日本國者,倭國之別種也。以其國在日邊,故以日本爲名。或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。或云:日本舊小國,併倭國之地。其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里,西界、南界咸至大海,東界、北界有大山爲限,山外即毛人之國。[4]」とあり、「日本の国は、倭国の別の種なり。 その国は日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。」そして続いて言い分が異なる二例を挙げ、まず「或いは曰く、倭国は自ら其の名が雅でない事を悪(にく)み、改めて日本と為す」、しかし続いて「或いは云ふ、日本は旧小国。倭国の地を併せる。其の人、入朝する者、多くは自ら矜大(傲慢)、実(真実)をもって対(こた)えず。故に中国、焉(これ)を疑う。」 総括として前者の言い分には懐疑的であり、後者の見解により「日本の国は、倭国の別の種なり。 その国は日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。」の言葉となっている。 そして地勢が述べられ、「又云う、その国境は、東西南北各数千里、西と南の境界は大海に全て至り、東と北は大山が有る為限られている。山の外は即ち毛族の国である。」と記述されている。

そして、代初頭の『太平御覧』にもそのまま二つの国である旨が引き継がれている。これについては、編纂過程の影響であると考えるのが日本における通説である。異論も存在していて、例えば、森公章は「日本」の国号成立後の最初の遣唐使であった702年の派遣の際には国号変更の理由について日本側でも不明になっており、遣唐使が唐側に理由を説明することが出来なかった可能性を指摘する[5]大庭脩は、これを単なる編纂過程のミスではなく「倭国伝」と「日本国伝」の間の倭国(日本)関連記事の中絶期間には、白村江の戦い及び壬申の乱が含まれており、当時の中国側には、壬申の乱をもって「倭国(天智政権)」が倒されて「日本国(天武政権)」が成立したという見解が存在しており、結論が出されないままに記述された可能性があると指摘している。   

関連項目

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脚注

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  1. ^ 魯迅『中国小説史略 上』ちくま学芸文庫、1997年、26頁。 
  2. ^ 王溥五代会要』巻18 前代史より
  3. ^ ウィキソース出典 劉昫 (中国語), 舊唐書/卷199上, ウィキソースより閲覧。 
  4. ^ ウィキソース出典 劉昫 (中国語), 舊唐書/卷199上#.E6.97.A5.E6.9C.AC, ウィキソースより閲覧。 
  5. ^ 森公章「大宝度の遣唐使とその意義」(初出:『続日本史研究』355号(2005年)/所収:森『遣唐使と古代日本の対外政策』(吉川弘文館、2008年))