李 善蘭(り ぜんらん、Li Shanlan、1810年 - 1882年)、字は「壬叔」、号は「秋紉」。清末の数学者。
李善蘭
李善蘭と彼の学生たち
1810年、浙江省嘉興海寧生まれ。幼時より経学・数学に優れていた。15歳で『幾何原本』6巻を読破した。17歳で杭州の郷試を受けて不合格となるが、このころから天文学・暦法の研鑽を積み、数学家として知られるようになった。
35歳で『方円闡幽』『弧矢啓秘』『対数探源』の3つの数学の著作を発行した。1852年から1866年まで上海の墨海書館の編訳スタッフに招かれ、アレクサンダー・ワイリー(英語版)(偉烈亜力)とともに、明代にマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓が訳さなかった『幾何原本』の後半9巻の訳を完成させた[1]。他にワイリー、アレクサンダー・ウィリアムソン(韋廉臣)、ジョセフ・エドキンス(艾約瑟)らとともに『談天』、ド・モルガンの『代数学』、イライアス・ルーミス(英語版)の『代微積拾級』[注 1][2]、また『円錐曲線説』『奈端数理』[注 2]『重学』『植物学』などの本を訳し、これらは墨海書館から刊行され大きな反響を呼んだ。
後には曽国藩のブレーンを務めている。1868年からは同文館で教鞭をとった。
- 『方円闡幽』
- 『弧矢啓秘』
- 『対数探源』
- 『即古昔斎算学十三種』
- 『考数根法』
- 注
- ^ 原題はElements of Analytical Geometry and of Differential and Integral Calculus
- ^ 奈端はニュートンの訳名。
- ^ 切線の語は既に志筑忠雄の1802年の『暦象新書』に見えるなど、李善蘭による造語か疑わしい語もある[4]。
- ^ 原著は Lindley, J. (1947) Elements of botany であった。
- ^ ただし「胚珠」は今日における胚珠(ovule)ではなく珠心(nucleus)の訳語としてであったが、小野職愨 (1874) 『植学訳筌』で ovule の訳語として「胚珠」が採用され、現在でもこれが用いられている[5]。
- 出典
- ^ “幾何原本 15卷首11卷”. 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ. December 8, 2020閲覧。
- ^ 公田藏「近代日本における, 函数の概念とそれに関連したことがらの受容と普及 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1787巻、京都大学数理解析研究所、2012年4月、265-279頁、CRID 1050282810743929856、hdl:2433/172764、ISSN 1880-2818、2024年2月6日閲覧。
- ^ 馮立升. “数学史研究 162号(日本数学史学会)”. 和算の館. October 24, 2020閲覧。
- ^ 『日本哲学思想全書 第6巻(科学 自然篇)』平凡社、1956年。全国書誌番号:51002270。
- ^ a b 北川尚史 (2001). “心皮という用語の由来”. 分類 1 (1–2): 63–70. doi:10.18942/bunrui.KJ00003496997.