村田亙

村田 亙
生年月日 (1968-01-25) 1968年1月25日(57歳)
出身地 日本の旗 日本
 福岡県福岡市城南区
身長 1.72 m (5 ft 7+12 in)
体重 75 kg (11 st 11 lb)
大学 専修大学
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スクラムハーフ
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
城南中学校
東福岡高等学校
専修大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1990-1999
1999-2001
2001-2008
東芝府中
バイヨンヌ
ヤマハ発動機
()
代表
チーム 出場 (得点)
1991-2005  日本 41
更新日:  2015年7月
7人制代表
チーム 大会
 日本
コーチ歴
チーム
2008-2012
2012-2022
7人制日本代表
専修大学

村田 亙(むらた わたる、1968年(昭和43年)1月25日 - )は、日本の元ラグビー選手、元専修大学監督

経歴

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福岡市城南区出身。小学校1年から地元の草ヶ江ヤングラガーズでラグビーを始めた[1]

当初はフルバックだったが、福岡市立城南中学校時代からスクラムハーフに転向。東福岡高等学校ではスタンドオフも経験したが、2年時から再びスクラムハーフとなり、花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)に出場した[1]

専修大学ラグビー部4年時には主将として関東大学リーグ優勝に貢献[1]

大学卒業後、東芝府中に入社。1996年(平成8年)度からの日本選手権3連覇に貢献した。

1990年(平成2年)には、U23日本代表としてアメリカ代表に勝利。

1991年(平成3年)のアメリカ代表戦で日本代表初キャップを得る[2]ラグビーワールドカップには第2回大会(1991年)スコットランド代表戦、第3回大会(1995年)ニュージーランド代表戦、第4回大会(1999年)ウェールズ代表戦の3度出場している。日本代表キャップ数は41。

1999年(平成11年)、フランスリーグのバイヨンヌとプロ契約し、日本人初のプロ選手となった[3][4]。デビュー戦でいきなり2トライを挙げるなど、フランスリーグでは44試合出場し7トライを挙げ、チームの中心選手として活躍した。

2001年(平成13年)にヤマハ発動機ジュビロに移籍。2002年(平成14年)度には関西社会人リーグ初優勝を果たす。

2005年(平成17年)には37歳で日本代表に復帰し、ロス・トンプソン英語版が持っていた最年長出場記録を更新した[注釈 1]。またトップリーグにおいても一時期最年長出場記録を持っていた(40歳)[注釈 2]

2008年(平成20年)1月、2007-08シーズンをもって現役引退することを表明。2月2日東芝戦後に引退セレモニーが行われ、同い年の親友で、同じ磐田市をホームとするジュビロ磐田中山雅史選手から花束を贈呈され、お互いのユニフォームを交換した[7][8]

2008年(平成20年)2月、日本ラグビー協会より7人制日本代表監督の要請を受け就任。同年3月の香港セブンズで初指揮を執った。同年の10月には、やはり香港で行われたラグビーワールドカップセブンズ予選で、日本代表を、2009年(平成21年)3月ドバイで行われる本大会への出場に導いた[9]

2012年(平成24年)から2023年2月まで[10]の11シーズンOBである専修大学ラグビー部の監督を務め[11]、同大学は2014年に13年ぶりの1部復帰を果たした[12]。しかし2021年にはリーグ全敗、入替戦にも敗戦し在籍期間で2度目の2部降格。翌年の2022年シーズンでの1部復帰は叶わず、監督を退任[13][14]

所属

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脚注

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注釈

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  1. ^ この記録は、2019年のラグビーW杯で、大野均に更新されている[5]
  2. ^ 2010年に元チームメイトでもある東芝の松田努により更新された[6]

出典

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  1. ^ a b c 初のプロラグビー選手・村田亙が作った「海外移籍」の道 日本人でも世界に通用することを証明した (2ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2025年3月19日). 2025年3月20日閲覧。
  2. ^ 初のプロラグビー選手・村田亙が作った「海外移籍」の道 日本人でも世界に通用することを証明した (2ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2025年3月19日). 2025年3月20日閲覧。
  3. ^ 初のプロラグビー選手・村田亙が作った「海外移籍」の道 日本人でも世界に通用することを証明した (3ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2025年3月19日). 2025年3月20日閲覧。
  4. ^ レジェンドが語るTOP14の魅力。〜村田亙編〜”. Rugby Republic (2016年9月15日). 2023年6月5日閲覧。
  5. ^ ラグビー歴代最多キャップ 頼れる男・大野均 写真特集”. 時事ドットコム. 2024年6月27日閲覧。
  6. ^ ラグビーの楽しさと「ノーサイド」の精神を伝えていきたい”. 日経BP. 2024年6月27日閲覧。
  7. ^ 村田亙選手引退セレモニー - ラグビー愛好日記 | J SPORTSコラム&ニュース”. news.jsports.co.jp. 2025年3月20日閲覧。
  8. ^ asahi.com:ラグビー・村田、引退セレモニー 40歳のゴン送る - スポーツ”. www.asahi.com. 2025年3月20日閲覧。
  9. ^ JRFU. “2008年度 7人制日本代表監督に村田亙氏が就任|日本ラグビーフットボール協会”. www.rugby-japan.jp. 2025年3月20日閲覧。
  10. ^ “専大の新監督に石倉俊二氏就任。スピアーズ率いた指導力でFW強化、1部復帰目指す”. Rugby Republic. (2023年3月2日). https://rugby-rp.com/2023/03/02/domestic/95976 
  11. ^ rugby2011 (2012年1月27日). “村田亙氏が専修大監督就任 5年以内の1部リーグ優勝目指す - ラグビーリパブリック”. 2025年3月20日閲覧。
  12. ^ ラグビー - 専修大学・村田亙監督 気配り、目配り、原点に帰って再挑戦の11年目 | 4years. #学生スポーツ”. 4years (2022年3月20日). 2025年3月20日閲覧。
  13. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年3月1日). “元日本代表の村田亙氏退任 専大ラグビー部、石倉俊二コーチが昇格”. サンスポ. 2025年3月20日閲覧。
  14. ^ Re-challenge”. 村田亙オフィシャルブログ (2021年12月25日). 2024年6月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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