高木豊のYouTube動画に出演する松村 (2019年7月) | |
本名 | 松村 邦洋 |
ニックネーム |
まっちゃん バウバウ |
生年月日 | 1967年8月11日(57歳)[1] |
出身地 | 日本・山口県熊毛郡田布施町[2] |
血液型 | A型[1] |
身長 | 164 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 首都圏方言・山口弁 |
最終学歴 | 九州産業大学中退 |
芸風 | ものまね |
事務所 | 太田プロダクション |
活動時期 | 1988年 - |
同期 | |
現在の代表番組 | |
過去の代表番組 | |
配偶者 | 独身(離婚歴1回) |
弟子 | みつまJAPAN' |
公式サイト | 松村邦洋 |
受賞歴 | |
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松村邦洋 | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2020年 - | |||||||
ジャンル | エンターテインメント | |||||||
登録者数 | 12.1万人[3] | |||||||
総再生回数 | 1648万回[3] | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2022年7月30日時点。 |
松村 邦洋(まつむら くにひろ、1967年(昭和42年)8月11日[1][4] - )は、日本のお笑いタレント、ものまねタレント、YouTuber。山口県熊毛郡田布施町出身。山口ふるさと大使[5]、たぶせふるさと応援大使[6]。太田プロダクション所属。
日本史上の人物やタレント、アスリート、政治家など幅広くモノマネをしている[2]。愛称はまっちゃん、バウバウ。
山口県熊毛郡田布施町出身[2]。山口県立田布施農業高等学校に進学(1年の留年を経て[7])卒業[2]→九州産業大学に進学[8]→中退。
高校時代から、山口や広島県のローカルテレビ・ラジオ番組に出演。中国放送『サテライトNo.1』でアルバイトのADをしていたことがあり、得意のものまねを披露し人気者となり、番組レギュラーにもなった。
大学在学中に『発表!日本ものまね大賞』(フジテレビ系・1988年6月14日放送)に出演[8]。ビートたけしをはじめ石橋貴明、古舘伊知郎らのものまねを披露し、敢闘賞を受賞[注 1]。その後、テレビ西日本でケーブル捌きのアルバイトをしていた当時、番組に出演した松村のネタを見ていた片岡鶴太郎が『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』の中継で同局を訪れ、鶴太郎に「君いいよ、面白いよ」と見出されたことがきっかけで、1988年に大学を中退し上京した。
鶴太郎の在籍する太田プロに所属し、芸能界デビュー。当時同じく太田プロに所属していた爆笑問題や太田光代(当時は松永光代)、春一番らと下積みを重ねながら、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)の常連として、ビートたけしや掛布雅之のものまねで茶の間を沸かせるようになる。
1992年1月、第8回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」にて披露した、高田文夫のものまね「バウバウ」でブレイクする。この回での活躍により番組の常連となり、ダチョウ倶楽部、出川哲朗らとともに「リアクション芸人」の代表挌となる。同年7月からは松本明子とともに『進め!電波少年』で司会を務め「アポ無し取材」で人気を博した。
「林家ブー」や「バウバウ」のネタで高田文夫に気に入られ、1992年4月から『たまにはキンゴロー』などでの共演を経て、1993年秋からは『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の金曜レギュラーを務めている。
1992年には、第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を、1994年にも第32回の同賞で芸能賞を受賞した。また、『an・an』の「抱かれたくない男性タレント」の上位に出川哲朗とともにランキングしていたことでも有名。
1993年から1999年にかけて『松村邦洋のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。一時はパーソナリティを降板したものの、3か月後に復帰。通算で約6年に渡る長寿番組となった。1997年には、『電波少年』を降板させられた(進め!電波少年#松村降板騒動)ものの、以降もテレビ・ラジオのレギュラー出演を続けている。
1990年代には俳優としても活躍(『STATION』では吉田栄作に次ぐ準主役、『ハンサムマン』では長野博とのW主演)。1995年には『君を忘れない』で、当時若手として伸び盛りだった木村拓哉・反町隆史らとともに名を連ねている。
2000年4月に関西の人気番組である『探偵!ナイトスクープ』のレギュラー(探偵)に抜擢された。探偵抜擢の1年後には自身がモノマネ対象にしている西田敏行が2代目局長に就任し、共演することになった。
2013年7月に『アメトーーク!』で「本当はスゴイ!!松村邦洋」が放送される。また同年下半期は堺雅人がブレイクしたことから、堺の物真似をしている松村の仕事も増加した[9]。一方で9月27日放送分を以って13年間出演し続けた『探偵!ナイトスクープ』を卒業した[10]。
2020年8月20日、YouTubeチャンネル「松村邦洋のタメにならないチャンネル」を開設[11]。
ものまねに関して本人は、「似てる・似てないは関係なく、その人を好きになることが大事」と語っている[17][18]。また、「僕はどちらかと言うとその人に似せたいというよりも、その人自身になりたい」という考えを持つ[8]。
日常生活で人からの頼み事や仕事の依頼を受けることについて、「頼まれごとは、試されごと」との考えを持っている。「向こう(仕事の依頼者など)がダメだと思ったら、使われなくなる。こっちは、試されているんだから一生懸命やるだけです」と語っている[8]。
日常生活で何かと我慢が必要な時は、“運のポイントを貯める”という独特の考え方で乗り越えている[注 3]。
生きていくためには、「驚くことが大切」との考えを持つ[注 4]。
下積み時代から交流が続く高田文夫と、デビュー前から何かと気にかけてくれている片岡鶴太郎のことを「芸能界での恩人」と評している[8]。
高田について、「高田先生からは古今の演芸についてもそうですし、挨拶や礼儀が大切だということ、他にも色々なことを教えて下さいます。また先生は、『タレントにおける人気とは、高さではなく長さ』ってよく言うんです。(何かをきっかけに)一気に売れたり有名になることも大切だけど、コツコツ続けることも大事だっておっしゃるんです」と語っている[8]。
『電波少年』のディレクターで、ロケに同行した〆谷浩斗からは、「松村くんはピュアなんです。アポなしロケのときも変な計算(こうすれば視聴者にウケる等)をしない」と評されている[注 5]。
松村のマネジャーを30年以上務める大竹昇司からは、「彼は一般常識など人間として欠けているところがいっぱいある。ですが、その分だけ集中して突出した長所がある」と評されている[8]。
高田文夫からは、「松村はある時は天才に見え、ある時は本物のバカに見える」と評されている[注 6]。
原田龍二とは、時代劇専門チャンネルの旅番組『龍ちゃん・松ちゃんぶらり探訪東海道』で共演して以来、親交がある[8]。原田は「松ちゃんはものまねの天才に見えて、ものすごく努力の人。思いやりも深い」と評している[注 7]。
子供の頃から目立つことが好きで、ものまねの原点は、通っていた中学校に15人ほどいた教師たち(全員をマスターした)や、テレビで見る小西博之やドラマ『3年B組金八先生』の生徒・加藤優役といった有名人のものまね[8]。また当時は、1980年代前半に大流行した「ツッパリブーム」に影響され、中学校時代からヤンキーだった半面、いじめられるようなタイプでもあった[19]。なお、ヤンキーではあったが、悪いことはせず、友人とお菓子を食べながら雑談に花を咲かせていた。
高校生頃までは痩せており、ある日友達から「顔がビートたけしに似てる」と言われたことがきっかけで、彼のモノマネをやり始めた[注 8]。また、高校2年時に8科目が赤点となり1年留年し、修学旅行に2回行ったという[7]。
卒業後の進路としてお笑い芸人の道を本気で目指していたと言い、当初大阪にある吉本興業の養成所・NSCに入ることを考えていた[8]。学校の視聴覚室で教師にビデオを回してもらい、得意のものまねを収録したテープを吉本興業に送付したという。しかし、高校に4年通った経験から“遠回りの発想[注 9]”ができ、進路変更して九州産業大学に進学した[8]。また、進路変更には高校3年の12月に起きたフライデー襲撃事件の影響でビートたけしのものまねを一時自粛せざるをえなくなったことも影響したという。
『発表!日本ものまね大賞』の敢闘賞を受賞した直後、とある芸能事務所から電話でものまねタレントとしてスカウトされたが、上記の遠回りの発想から断っている[8]。その後太田プロに所属したが、しばらくはショーパブでバイトしながら芸を磨く下積み時代を過ごした[8]。思うような結果が出ないこともあったが、当時出会ったダチョウ倶楽部、春一番、爆笑問題などの芸人たちの励ましに支えられた[8]。
下積み時代に出会った高田文夫の飲み会の席に爆笑問題の太田の紹介で彼と初対面した[8]。その際、高田にビートたけしのマネで「高田さんよォ、オイラもさぁ」といきなり話しかけ[注 10]、このものまねを気に入られたことで、以後高田との交流が始まった[8]。
ほどなくして高田の「手を叩きながら“バウバウ”という笑い方[注 11]」のものまねもするようになった[8]。同時期に憧れのビートたけしとも数々の番組で共演し、本人の前で彼のものまねも披露するようになった[注 12]。
バラエティー番組『進め!電波少年』のアポなしロケでは、渋谷のチーマーに体当たりロケ企画「渋谷のチーマーを更生させたい!」も行った。一触即発の雰囲気があったが、高校時代に不良に絡まれることがよくあったため、チーマーも特に怖いとは思わなかったという[注 13]。
「豪邸のプールで泳ぎたい!~アラブ首長国連邦編~」のロケでは、豪邸に向かう途中の砂漠で一時遭難し、脱水症状になって危うく死にかけた[8]。
『電波少年』の突然の降板はショックではあったが、“時間に余裕ができた”と気持ちを切り替え、以前から大好きな野球や大河ドラマをじっくり見られるようになった[8]。この結果達川光男などの野球解説者や、津川雅彦などの役者のものまねレパートリーの開発に繋がった[注 14]。
歴史・大河ドラマ・高校野球・プロ野球に詳しいことで知られている[2]。また松村の自宅には、大河ドラマを始めとするドラマの気に入ったセリフのメモ(自らの手書きによる)が、壁一面にぎっしりと貼られている[8]。
注釈なきものは事務所の公式プロフィール[1] に掲載されているもの。オビスポや森光子[注 15]などといった一部のレパートリーはビバリー昼ズなど、披露する場が限られている[40]。アスリート、役者、議員が中心。浅香の前でモノマネを披露した際には、本人からメガネをもらっている。木村拓哉はトークとかは似ているが容姿が全然違うため、キムタクファンから「ふざけるな」とクレームが来ると言う。本人と共演した時は本人を「松村」と呼び「ニセモノ」扱いする事もある。
レパートリーは約150(「お願い!ランキング」2012年2月11日「最新のランキング」より)。