埼玉西武ライオンズ #1 | |
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2011年3月10日 阪神甲子園球場 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県神戸市西区 |
生年月日 | 1983年9月3日(41歳) |
身長 体重 |
177 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、指名打者 |
プロ入り | 2001年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2004年9月24日 |
年俸 | 8000万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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栗山 巧(くりやま たくみ、1983年9月3日 - )は、兵庫県神戸市西区[2]出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
神戸市立小寺小学校時代は神戸市少年団リーグの小寺に所属し、武内晋一と同リーグだった。
神戸市立太山寺中学校時代はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に所属。チームの1年後輩には坂口智隆[3]、1年先輩に橘田恵(女子野球日本代表監督)[4]がいた。
育英高等学校に進学し、2年時には3番左翼手として第72回選抜高等学校野球大会、第82回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場[2]。春は開会式直後の1回戦で國學院栃木高校と対戦し初戦敗退。夏は大会第1試合となる1回戦で田村彰啓を擁する秋田商業高校と対戦して勝利し、その後ベスト4まで勝ち進む[2]も、準決勝で中村一生・山田憲らを擁する東海大浦安高校に敗れた。自身は5試合で打率.348、9打点を記録。3年夏は兵庫大会5回戦敗退。高校通算47本塁打。
2001年のドラフト会議において、西武ライオンズから4巡目指名を受け入団[2]。背番号は「52」。
2003年は二軍で打率.274、出塁率.359、7本塁打を記録。フレッシュオールスターゲームに選出されフルイニング出場した。
2004年は二軍で打率3割、11本塁打を記録し優秀選手を受賞。西武にとってレギュラーシーズン最終戦となった9月24日の大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)で「9番・左翼手」で一軍初出場・初先発・初安打を記録した。
2005年は3・4月に打率3割を記録して一軍に定着し、セ・パ交流戦でも5本塁打、5月29日の対広島東洋カープ戦(インボイスSEIBUドーム)では1-1の同点で迎えた延長10回一死一・二塁の打席でサヨナラ安打を放つ[5]など、84試合に出場して打率.297、出塁率.357を記録した。
2006年8月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で9回一死満塁の打席で空振りした際に右手首を痛め[6]、直後に小林雅英から自身初の満塁本塁打を放った[7]が、翌日に右手有鈎骨の骨折と判明[8]し、戦線離脱。シーズン終盤に一軍に復帰した。オフにはフェニックス・リーグに参加。
2007年は初めて100試合以上に出場。7月以降スタメンに定着する。チーム2位の45四球を選んで出塁率.380、得点圏打率.324を記録し、チームトップの勝利打点10を挙げた。オフに背番号を1へ変更。
2008年5月4日の対ロッテ戦で一塁手のフリオ・ズレータが弾いた栗山の打球を、二塁手のホセ・オーティズがグラブを投げて止め、公認野球規則に則り安全進塁権を3つ与えられ三塁打となった。これについて栗山は「ルール知りませんでした」、ヘッドコーチの黒江透修は「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言した。10月1日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)では2回に渡辺俊介から満塁本塁打を放った[9]。同年は2番に固定され自己最多の138試合に出場、初めて規定打席に到達して打率.317、チーム3位の49四球、同2位の出塁率.376、得点圏打率.325、72打点を記録した。初タイトルとなる最多安打を獲得した他、22犠打、17盗塁と小技足技も向上してリーグ優勝と日本一に貢献し、ベストナインにも選出された。
2009年はオープン戦で55打数22安打、打率.400だったが、開幕直後は21打席連続無安打を記録した。6月には18試合中9試合でマルチヒットを打ち、交流戦チームトップの打率.333を記録。その後、新型インフルエンザに感染した。同年は自己最多を更新する140試合に出場し、打率.267、リーグ9位の106三振を記録、サウスポーに対して打率.350、リーグ4位の6三塁打、同9位の18盗塁を記録し、外野守備ではリーグトップの守備率.997、同3位の8補殺を記録した。
2010年、外野手としては球団史上初の144試合フルイニング出場を、2年ぶりの3割超となる打率.310に、共に自己記録を更新する出塁率.400、74打点を記録。2度目となるベストナイン選出に加え、ゴールデングラブ賞を初受賞した。12月21日、兼ねてから交際していた3歳年上の一般人女性と同月14日に入籍したことが公表された[10]。
2011年は2番打者・5番打者として起用されていたが、片岡易之が故障で離脱した7月以降は1番打者として起用され[11]、好不調の波が激しかったチームにおいて安定した打撃で貢献した。2年連続で全試合フルイニング出場を達成したが、ケガの影響から9月8日の対ロッテ戦より従来の中堅から左翼の守備に回り、その後シーズン終了まで左翼手として起用され、2年連続の打率3割超、得点圏打率は両リーグトップの.380を記録した。5月6日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では田中将大から球団通算8000本塁打となる決勝2点本塁打を打った[12]。11月には右肘の遊離軟骨除去手術を受けた[11]。
2012年は2番、1番で起用されたが、8月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦で左前腕に死球を受け、途中交代。連続試合フルイニング出場も、パ・リーグ歴代2位の390試合で途切れた[13]。故障の状態からシーズン中の復帰は絶望となり、翌日に登録抹消されて以降は再昇格することなくシーズンを終えた。すでに規定打席に到達していたが、打率.289に終わり、3年連続の打率3割を逃した。なお、この年より中島裕之に代わり、キャプテン(主将)となった。
2013年は2年ぶりに全試合出場、自身4年ぶり4度目の2桁本塁打で自己最多タイとなる12本塁打を記録したが、打率は前年を下回った。
2014年は前年に続き全試合出場。7月5日の対オリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)では7回一死満塁の打席で馬原孝浩から満塁本塁打を放つ[14]など、前年を上回る打率.288、出塁率.394を記録した一方で打点、本塁打数は前年を下回った。オフには球団史上初のゴールデンスピリット賞を受賞[15]。
2015年、開幕直後は不調で5月上旬までは打率2割を下回った。その後は本来の調子を取り戻し、打率.268でシーズンを終了。また自身5度目の2桁本塁打を記録した。また、8月16日のみ試合に出なかったため、2013年から続いていた連続試合出場が396試合で途切れた。
2016年6月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上120人目の通算1500安打を記録した[16]。7月4日にオールスターゲームの監督推薦選手が発表され、プロ15年目にして初めて選出された[17]。7月15日の第1戦(福岡ヤフオクドーム)の7回の左翼守備で初出場。9回表に2点本塁打を打った[18]。オールスターでの初打席初本塁打は16人目[19]。この活躍で第1戦の敢闘賞に選ばれた[20]。11月10日、FA権を行使した上で西武に残留を表明[21]。同日、NPBより公示される[22]。
2017年4月7日の対ソフトバンク戦で、史上187人目の通算1500試合出場を記録したが[23]、翌日の試合で右足を負傷し[24]、4月14日のロッテ戦で途中交代した後は指名打者や代打での起用が多く、10年ぶりに規定打席に到達しなかった。しかし、5月21日のソフトバンク戦でプロ初のサヨナラ本塁打[25]。8月17日、楽天戦で代打サヨナラ3点本塁打[26]。9月17日の対ソフトバンク戦で押し出しとなる四球を選びサヨナラ勝ち[27]などを記録しここ一番で勝負強さを発揮し、貴重な切り札として活躍した。
2018年4月30日の対楽天6回戦の4回に通算309本目となる適時二塁打を打ち、石毛宏典のもつ球団記録(308本)を更新[28]。若手の活躍もあり、この年も控えに回ることが多かったが、左の代打の切り札として活躍。9月に入り外崎修汰が怪我で抜けて以降は5番に定着し、同月17日の対ソフトバンク戦(メットライフドーム)では初回にアリエル・ミランダから満塁本塁打を放つ[29]など、10年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
2019年は開幕から先発出場。8月11日の対ロッテ戦にて通算100本塁打を達成[30]。同月17日の対ソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)では2回二死一・二塁の打席で千賀滉大からNPBにおける令和通算1000本塁打となる3点本塁打を放った[31]。そして同月31日の対ソフトバンク戦、3回裏の安打は通算1807安打目となり、石毛の持つ通算安打球団記録(1806本)を更新[32]。また、2016年以来3年ぶりの規定打席にも到達した。
2020年は新型コロナウイルス感染症流行の影響で120試合制となる。開幕から好調を維持し、シーズン終盤は4番に起用され、11月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(メットライフドーム)では2点を追う3回二死一塁の打席で西村天裕から4番打者として初本塁打となる同点2点本塁打を放った[33]。111試合の出場で規定打席到達の上、打率.272、12本塁打、67打点を記録した。指名打者としては自身初のベストナイン(通算4度目)に選出された[34]。シーズン終了時点で通算安打数を1926とし、西武生え抜き選手(前身球団含む)として史上初の2000安打達成まであと74と迫った状況を考慮され、2000万円増の推定年俸1億7000万円で3年契約を結んだ[35]。
映像外部リンク | |
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【万感胸に迫る】栗山巧『球団生え抜き史上初の2000安打達成』 - YouTube パーソル パ・リーグTV 2021年9月4日公開 |
2021年は開幕戦から好調だったが、左下肢の張りにより3月31日に登録を抹消された[36]。4月18日の二軍戦で実戦復帰を果たし[37]、これが2006年9月30日以来、約15年ぶりとなるイースタン・リーグ公式戦への出場となった。4月20日に一軍復帰すると、6月12日の対中日ドラゴンズ戦で史上52人目の通算2000試合出場を達成した[38]。6月23日には通算安打数を1970としたことで、西武公式が『ONE ROAD』と題したカウントダウン特設サイトが公開された[39]。ただ6月以降は月間OPSが.600→.583→.584と不調に苦しんだ[40]。通算1998安打で迎えた9月3日の楽天戦では史上初「誕生日での2000安打達成」に注目が集まったが、4打席に立ち1安打でバースデー到達とはならなかった[41]。翌9月4日の楽天戦の第4打席で牧田和久から左安打を放ち史上54人目の2000安打を達成。西武の生え抜き選手では初となる偉業を成し遂げた[42]。記録達成直後は打撃の調子が上向いたが[43]、それも長くは続かず、最終的には117試合の出場で規定打席に到達はしたが、打率.251、長打率.320は共にキャリア20年目で最も低い数字に終わった。900万円増の推定年俸1億7900万円で契約更改した[44]。
2022年、5月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(ベルーナドーム)で2-2の同点で迎えた9回無死無走者の場面で古賀悠斗の代打として出場し、平田真吾からシーズン初本塁打となる代打サヨナラ本塁打を放った。西武で38歳8か月でのサヨナラ本塁打は2000年8月23日の対福岡ダイエーホークス戦で放ったトニー・フェルナンデスの38歳0か月を抜く球団最年長記録となった[45]。この一打は後に5月度の「月間スカパーサヨナラ賞」に選出された[46]。6月28日の日本ハム戦(ベルーナドーム)で史上12人目の同一球場での1000安打を本塁打で達成した。西武ドームでの達成は栗山が史上初だった[47]。7月5日に新型コロナウイルス陽性判定者と接触があったため、特例2022で出場選手登録を抹消された[48](8月2日に一軍に復帰[49])。シーズン通算では89試合の出場で打率.264、3本塁打、29打点を記録した。オフの12月2日には現状維持の1億7900万円で契約更改した[50]。
2023年、5月31日の対阪神タイガース戦(ベルーナドーム)で4回無死無走者の打席で西勇輝からシーズン初本塁打を放ち、球団で伊東勤(1984年 - 2003年)、中村剛也(2004年 - 2023年)に次ぐ史上3人目の19年連続本塁打を記録した[51][52]。7月17日の対日本ハム戦(ベルーナドーム)ではシーズン初めて4番打者で出場し、2回無死無走者の打席で鈴木健矢から自身4番打者として2本目の本塁打を放った[53]。8月20日の対ソフトバンク戦(福岡PayPayドーム)で第3打席に放った福岡銀行の看板直撃打を含む2020年9月16日以来の1試合4安打を記録した[54]。シーズン通算では77試合に出場し、打率.217、7本塁打、19打点の成績に終わった[55]。オフの12月5日の契約更改では7100万円減の推定年俸1億800万円の単年契約でサインした[55]。
2024年は開幕を一軍で迎え[56]、指名打者(中村剛也との併用)や代打として起用されたが、8試合・26打席で打率.150の不振[57]で4月21日に登録抹消[58]。同25日の二軍戦では出場機会を求め、3年ぶりに実戦での外野守備に就いたが[59]、5月11日終了時点ではイースタン・リーグで10試合に出場し、30打席で打率.148と二軍でも打撃不振が続いた[60]。ただ、その後の11試合で打率.314、同リーグのシーズン打率を.242[61]まで持ち直す復調を見せ、6月4日に出場選手登録されると[62]、同日対ヤクルト戦の7回に代打で出場し、勝ち越しとなる中越え二塁打を放つ。これが通算400本目の二塁打で、NPB史上15人目となった[63]。
手元までボールを呼び込みバットを振り切る打撃を持ち味とし[64]、選球眼、出塁能力、投手に球数を費やさせる能力に優れる[65]。
藤井康雄は栗山について「実に嫌らしいバッターに成長しましたね。粘っこいし、広角に打ち分ける技術を持っている。またボールを呼び込んで打つタイプなので三振が少なく、どんなボールにも対応することができる。」などと評している[66]。
一軍定着当初は左翼手や指名打者として起用され、打撃に比べて守備走塁面が課題とされていたが、2009年途中から「いつかは守りたい」と同年の開幕前に話していた[67]中堅手に定着。同年はレンジファクターと刺殺でリーグトップの数値を記録した[68]。しかし、翌2010年はリーグ3位の守備率.994を記録しゴールデングラブ賞を受賞したものの、守備イニング500以上の選手の中ではワースト4位のUZR -5.2と数字を落とした[69]。2011年途中からは故障の影響もあるため再び左翼手で起用され、2012年には守備イニング500以上の左翼手で両リーグ2位のUZR13.9を記録した[70]。
2017年以降は指名打者としての出場が多くなり、守備に就く機会は減少している。
走塁面では一塁到達まで3.90秒で[71]、盗塁に関しても「20個以上走れたら(盗塁できたら)、『アイツは走れる』というイメージがつくと思うので狙っていきたい」と述べている[72]。
愛称は「クリ」[73]、「クリボー」[74]、「ミスターレオ」[75]など。
少年時代からプロ野球選手になるのが夢で、グリーンスタジアム神戸から至近距離に住んでいたこともあり、当時はオリックス・ブルーウェーブのファンであった。ファンクラブにも加入し、当時在籍していたイチローのサインボールを持っている[76]。
2011年に自身の名前を冠した「栗山巧杯少年野球大会」を神戸市の少年団野球リーグなどと共に創設し、小学生を対象にした野球教室と並行して主催している[77][78]。
パインアメが幼少期からの好物であり、2000安打を達成した際には2000粒のパインアメが贈られた[80]。
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 西武 | 1 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 |
2005 | 84 | 316 | 286 | 45 | 85 | 11 | 2 | 10 | 130 | 28 | 1 | 0 | 2 | 1 | 24 | 1 | 3 | 59 | 4 | .297 | .357 | .455 | .811 | |
2006 | 63 | 164 | 142 | 18 | 38 | 8 | 1 | 2 | 54 | 22 | 3 | 1 | 4 | 0 | 16 | 0 | 2 | 32 | 2 | .268 | .350 | .380 | .730 | |
2007 | 112 | 362 | 302 | 39 | 84 | 18 | 2 | 5 | 121 | 29 | 8 | 3 | 9 | 1 | 45 | 2 | 5 | 53 | 8 | .278 | .380 | .401 | .780 | |
2008 | 138 | 612 | 527 | 76 | 167 | 31 | 3 | 11 | 237 | 72 | 17 | 8 | 22 | 8 | 49 | 0 | 6 | 61 | 8 | .317 | .376 | .450 | .826 | |
2009 | 140 | 643 | 569 | 78 | 152 | 24 | 6 | 12 | 224 | 57 | 18 | 5 | 8 | 3 | 53 | 0 | 10 | 106 | 9 | .267 | .339 | .394 | .732 | |
2010 | 144 | 660 | 554 | 77 | 172 | 35 | 2 | 4 | 223 | 74 | 14 | 5 | 18 | 3 | 80 | 1 | 5 | 69 | 7 | .310 | .400 | .403 | .803 | |
2011 | 144 | 653 | 557 | 87 | 171 | 30 | 2 | 3 | 214 | 60 | 6 | 2 | 9 | 6 | 73 | 0 | 8 | 90 | 17 | .307 | .391 | .384 | .776 | |
2012 | 103 | 467 | 394 | 57 | 114 | 17 | 1 | 2 | 139 | 33 | 3 | 1 | 12 | 3 | 52 | 0 | 6 | 62 | 4 | .289 | .378 | .353 | .731 | |
2013 | 144 | 637 | 527 | 77 | 147 | 29 | 3 | 12 | 218 | 73 | 6 | 3 | 1 | 4 | 99 | 2 | 6 | 96 | 8 | .279 | .396 | .414 | .810 | |
2014 | 144 | 642 | 532 | 64 | 153 | 34 | 4 | 3 | 204 | 61 | 3 | 2 | 2 | 9 | 96 | 2 | 3 | 100 | 9 | .288 | .394 | .383 | .783 | |
2015 | 142 | 622 | 533 | 66 | 143 | 25 | 0 | 10 | 198 | 42 | 3 | 1 | 8 | 4 | 72 | 0 | 5 | 88 | 15 | .268 | .358 | .371 | .730 | |
2016 | 135 | 569 | 477 | 52 | 133 | 30 | 2 | 3 | 176 | 41 | 0 | 0 | 0 | 3 | 83 | 0 | 6 | 87 | 9 | .279 | .390 | .369 | .759 | |
2017 | 116 | 374 | 333 | 28 | 84 | 13 | 0 | 9 | 124 | 46 | 0 | 0 | 4 | 7 | 27 | 0 | 3 | 64 | 10 | .252 | .308 | .372 | .680 | |
2018 | 114 | 363 | 305 | 32 | 78 | 18 | 1 | 8 | 122 | 52 | 1 | 0 | 0 | 3 | 52 | 2 | 3 | 78 | 5 | .256 | .366 | .400 | .766 | |
2019 | 123 | 466 | 409 | 35 | 103 | 21 | 0 | 7 | 145 | 54 | 0 | 0 | 3 | 3 | 48 | 2 | 3 | 100 | 13 | .252 | .333 | .355 | .687 | |
2020 | 111 | 428 | 372 | 37 | 101 | 22 | 0 | 12 | 159 | 67 | 0 | 0 | 0 | 2 | 53 | 2 | 1 | 77 | 10 | .272 | .362 | .427 | .790 | |
2021 | 117 | 446 | 387 | 33 | 97 | 15 | 0 | 4 | 124 | 43 | 1 | 0 | 0 | 7 | 49 | 1 | 3 | 58 | 11 | .251 | .334 | .320 | .654 | |
2022 | 89 | 267 | 239 | 20 | 63 | 14 | 0 | 3 | 86 | 29 | 0 | 1 | 0 | 4 | 23 | 1 | 1 | 57 | 9 | .264 | .326 | .360 | .686 | |
2023 | 77 | 191 | 157 | 17 | 34 | 4 | 0 | 7 | 59 | 19 | 1 | 0 | 0 | 2 | 31 | 1 | 1 | 32 | 7 | .217 | .346 | .376 | .721 | |
2024 | 60 | 154 | 124 | 8 | 28 | 7 | 1 | 1 | 40 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 26 | 1 | 2 | 23 | 1 | .226 | .364 | .323 | .686 | |
通算:21年 | 2301 | 9039 | 7729 | 946 | 2148 | 406 | 30 | 128 | 2998 | 914 | 85 | 32 | 102 | 75 | 1051 | 18 | 82 | 1393 | 166 | .278 | .367 | .388 | .755 |
年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2004 | 西武 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2005 | 77 | 130 | 0 | 4 | 0 | .970 | |
2006 | 25 | 34 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |
2007 | 68 | 119 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
2008 | 127 | 245 | 6 | 5 | 0 | .980 | |
2009 | 140 | 291 | 8 | 1 | 1 | .997 | |
2010 | 144 | 316 | 5 | 2 | 1 | .994 | |
2011 | 144 | 283 | 2 | 1 | 0 | .997 | |
2012 | 103 | 206 | 7 | 4 | 0 | .982 | |
2013 | 127 | 240 | 4 | 1 | 0 | .996 | |
2014 | 129 | 244 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 142 | 237 | 5 | 1 | 1 | .996 | |
2016 | 121 | 199 | 2 | 0 | 2 | 1.000 | |
2017 | 34 | 42 | 0 | 1 | 0 | .977 | |
2018 | 68 | 95 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 17 | 19 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 35 | 53 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2021 | 51 | 100 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2024 | 9 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 1561 | 2870 | 59 | 20 | 6 | .993 |