梁石日 | |
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誕生 |
1936年8月13日![]() |
死没 |
2024年6月29日(87歳没)![]() |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 朝鮮籍 |
ジャンル | 小説 |
代表作 |
『タクシー狂躁曲』 『血と骨』 『闇の子供たち』 |
主な受賞歴 | 山本周五郎賞 |
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梁 石日(ヤン・ソギル[1]、ヤン・ソクイル[2]、양석일、1936年8月13日 - 2024年6月29日)は、日本の小説家。在日朝鮮人。本名は梁正雄(ヤン・ジョンウン)[3]、通名:梁川正雄。
大阪市猪飼野で生まれる。両親は済州島から大阪市に移住してきた。戦後、一家は蒲鉾製造で成功したが、父はほどなく愛人を作り、妻子を棄てて家を出た。
大阪府立高津高等学校定時制在学中に、内灘闘争に参加。1954年に猪飼野で詩人の金時鐘に出会う[3]。 その後、金が主宰する同人誌『ヂンダレ』に詩を投稿し、手ほどきを受ける。梁石日という筆名は「石の上にも三年、日が照るまで粘り強く書く」の含意で、金時鐘が名付け親である[3]。なお、後に作家として成功してからも親交は続いた[3]。
その間、靴屋や鉄屑屋、洋服店勤めなどを経て、実父から300万円を借りて印刷会社を経営するが事業に失敗。仙台に逃げる。喫茶店の雇われマスターになったが更に借金は増え、やがて上京する。そこで新宿に寮のあるタクシー運転手の職に就いた。そんな中、病床にあった実父から家業を継ぐ事を求められたが断り、実父はほどなく全財産を寄付して北朝鮮に渡り、現地で病死した。
新宿のスナックで酒を飲みながら、タクシー客とのやりとりを面白おかしく語っていたところ、たまたま聞いていた出版編集者に執筆を勧められて書いた『狂躁曲』(単行本出版時の題名は『タクシー狂躁曲』)で作家デビュー。同作は1993年に崔洋一監督により『月はどっちに出ている』として映画化され、大ヒットする。タクシードライバー時代に2度事故を起こし大怪我を負い退職。物品販売業をしながら執筆を行う。
1994年、大阪砲兵工廠跡を舞台に在日韓国・朝鮮人の鉄屑窃盗団アパッチ族の暗躍を描いた『夜を賭けて』が第113回直木賞候補(1995年上半期)になる[4]。同作は2002年、劇団新宿梁山泊の座長金守珍が監督となり山本太郎主演で映画化された。
1998年、実父をモデルに戦中戦後の強欲、好色、妄執に執りつかれた男の栄光と転落を描いた『血と骨』で第11回山本周五郎賞受賞[5]。同作は馳星周、関口苑生、原田芳雄などに絶賛され、同年(上半期)の第119回直木賞候補となる[4]。その後、崔洋一監督によりビートたけし主演で映画化、2004年に公開された。
2002年、タイを舞台とした幼児の売買春・人身売買・臓器売買を描いた『闇の子供たち』を発表。内容は梁による創作である(闇の子供たち#作品内容のフィクション性参照)。同作は阪本順治監督によって映画化され、2008年に公開されたが、バンコク国際映画祭での上映中止などタイで強い反発を呼んだ。日本でも、ネットなどでノンフィクション映画と宣伝されたことについて反発があった[6]。結局宣伝コピーからノンフィクションの文字は削られた。また、柳美里の芥川賞受賞作『家族シネマ』の映画化の際には、父親役として出演した。
2008年12月 NHK教育テレビ「知るを楽しむ 人生の歩き方(全4回[7])」で、自らの生い立ちと文学的背景、現代が抱える闇を語った。そのなかで、自作『夏の炎』でモティーフにした、朴大統領暗殺を謀り夫人を射殺した在日同胞の文世光に強い共感を覚えたと発言した。
2024年6月29日午前、東京都の病院で死去した。87歳没[8]。 長く親交が続いた金時鐘は、訃報に接して「正真〈在日〉があらしめた詩人作家の自由人であった」と追悼している[3]。
日韓基本条約を批判するなど日本政府の北朝鮮政策を厳しく批判しており、北朝鮮の核兵器開発や拉致問題に対して太陽政策を求めている。