森山 眞弓 もりやま まゆみ | |
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生年月日 | 1927年11月7日 |
出生地 | 日本 東京都 |
没年月日 | 2021年10月14日(93歳没) |
死没地 | 日本 東京都 |
出身校 |
旧制津田塾専門学校 (現・津田塾大学) 東京大学法学部法律学科 |
前職 |
労働省婦人少年局局長 参議院議員 衆議院議員 白鷗大学学長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
法学士(東京大学・1950年) 旭日大綬章(2009年) ニュージーランド・メリット勲章(2009年) 正三位(2021年) |
配偶者 | 夫:森山欽司(衆議院議員、運輸大臣、科学技術庁長官) |
第71代 法務大臣 | |
内閣 |
第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
在任期間 | 2001年4月26日 - 2003年9月22日 |
第118代 文部大臣 | |
内閣 | 宮澤改造内閣 |
在任期間 | 1992年12月12日 - 1993年8月9日 |
第52代 内閣官房長官 | |
内閣 | 第1次海部内閣 |
在任期間 | 1989年8月25日 - 1990年2月28日 |
第22代 環境庁長官 | |
内閣 | 第1次海部内閣 |
在任期間 | 1989年8月10日 - 1989年8月25日 |
選挙区 |
(比例北関東ブロック→) 栃木2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 2009年7月21日 |
その他の職歴 | |
参議院議員 栃木県選挙区 当選回数 3回 (1980年7月8日 - 1996年9月20日) |
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉10月14日[1])は、日本の労働官僚、政治家。位階は正三位。旧姓名は古川 眞弓[2]。
労働省婦人少年局長、参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、環境庁長官、内閣官房長官(女性初)、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長(2007年2月 - 2013年3月)などを歴任した。
北海道硫黄株式会社社長の古川俊雄の三人姉妹の長女として生まれた。津田塾専門学校外国語学科(現・津田塾大学)へ入学。極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトをしていた。津田塾専門学校を卒業後、女性として初めて東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部)へ入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。大学3年生のときに森山欽司と結婚した[3]。
国家公務員上級甲試験(現在の「国家公務員採用総合職試験」にあたる)に合格し、東京大学卒業後、1950年4月に女性上級職員第1号として労働省に入省[3][4]。女性官僚の草分け的存在としてキャリアを築いた。1980年(昭和55年)、婦人少年局長を最後に労働省を退官。局長時代には男女雇用機会均等法の草案に尽力した。その模様は『プロジェクトX』で後に紹介されている。
労働省局長を退官する頃、特命全権大使の下馬評にも上っている[3]。
1980年(昭和55年)に労働省を退官し、第12回参議院議員通常選挙の栃木県選挙区に自由民主党より立候補、トップ当選する。当時、自民党栃木県連会長だった夫は、彼女の立候補に積極的ではなかったが、この選挙で自民党は2議席を独占した。夫の森山欽司とは「おしどり夫婦」として知られた。
連続3期当選したのち、第41回衆議院議員総選挙に鞍替え立候補するため、参議院議員を辞職した。同選挙では比例北関東ブロックより単独立候補し、当選する。以降連続4期当選しており、その間に選挙区を栃木2区に変更している(夫が死去した後の1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙で、自身が衆議院鞍替えを望んだが断念、簗瀬進を擁立した)。
1989年(平成元年)、第1次海部内閣で環境庁長官として初めて入閣するが、女性スキャンダルで内閣官房長官の山下徳夫が辞任したため、後任の官房長官に横滑りで就任し、女性初の官房長官となった(女性の官房長官は2022年時点まででも森山が唯一である)。
1992年(平成4年)、宮澤改造内閣で文部大臣として入閣。1993年の選抜高校野球では、始球式を務めた。
第1次小泉内閣、および、内閣改造後の第1次小泉第1次改造内閣で、法務大臣として入閣した。約2年4ヶ月の法務大臣在任中には死刑囚5人の死刑執行命令書に署名した。
なお、法務大臣在任中の2002年(平成14年)に鈴木宗男事件が発生している。
2005年の郵政選挙後には、自民党党紀委員長として郵政民営化法案に反対した衆参議員ら50人に対する処分を決定する。首班指名でも他党党首に投票した野呂田芳成を除名処分とし、平沼赳夫、堀内光雄、野田聖子ら26人には離党勧告、中曽根弘文、鴻池祥肇らは1年間の役職停止などとした。
2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界からの引退を表明する[7]。
2021年(令和3年)10月14日、老衰のため東京都内で死去。93歳没。同月18日に訃報が明らかにされた[7][8]。死没日をもって正三位に叙された[9]。
公職 | ||
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先代 高村正彦 |
法務大臣 第71代:2001年 - 2003年 |
次代 野沢太三 |
先代 鳩山邦夫 |
文部大臣 第117代:1992年 - 1993年 |
次代 赤松良子 |
先代 山下徳夫 |
内閣官房長官 第52代:1989年 - 1990年 |
次代 坂本三十次 |
先代 山崎竜男 |
環境庁長官 第22代:1989年 |
次代 志賀節 |
議会 | ||
先代 宮澤弘 |
参議院外務委員長 1987年 - 1988年 |
次代 堀江正夫 |
学職 | ||
先代 小山宙丸 |
白鷗大学学長 第4代: 2007年 -2013年 |
次代 奥島孝康 |