『汽車のえほん』(きしゃのえほん、原題: The Railway Series)は、ウィルバート・オードリー牧師と息子のクリストファー・オードリー(第27巻以降)が作り上げた、イギリスの架空の島ソドー島を舞台に、そこの鉄道網で活躍する、顔と意思を持った機関車や自動車などと、それに関わる人々を描いた絵本。テレビシリーズ「きかんしゃトーマス」の原作である。
当稿では原作『汽車のえほん』のみの基本情報について総括する。なお作品の舞台については「ソドー島」を参照。
巻数 | 英題 | 邦題 | 出版年(英) | 出版年(邦) | 絵 |
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ウィルバート・オードリー・作 | |||||
1 | The Three Railway Engines | 三だいの機関車 | 1945年 | 1973年 | レジナルド・ダルビー[注釈 1] |
2 | Thomas The Tank Engine | 機関車トーマス | 1946年 | ||
3 | James the Red Engine | 赤い機関車ジェームス | 1948年 | レジナルド・ダルビー | |
4 | Tank Engine Thomas Again | がんばれ機関車トーマス | 1949年 | ||
5 | Troublesome Engine | やっかいな機関車 | 1950年 | ||
6 | Henry the Green Engine | みどりの機関車ヘンリー | 1951年 | ||
7 | Toby the Tram Engine | 機関車トビーのかつやく | 1952年 | 1974年 | |
8 | Gordon the blue Engine | 大きな機関車ゴードン | 1953年 | ||
9 | Edward the blue Engine | 青い機関車エドワード | 1954年 | ||
10 | Four Little Engines | 四だいの小さな機関車 | 1955年 | ||
11 | Percy the Small Engine | ちびっこ機関車パーシー | 1956年 | ||
12 | The Eight Famous Engines | 八だいの機関車 | 1957年 | ジョン・ケニー | |
13 | Duck and the Diesel Engine | ダックとディーゼル機関車 | 1958年 | ||
14 | The Little old Engine | 小さなふるい機関車 | 1959年 | ||
15 | The Twin Engines | ふたごの機関車 | 1960年 | ||
16 | Branch Line Engines | 機関車トーマスのしっぱい | 1961年 | 1980年 | |
17 | Gallant Old Engine | ゆうかんな機関車 | 1962年 | ガンバー&ピーター・エドワーズ | |
18 | Stepney the "Bluebell" Engine | がんばりやの機関車 | 1963年 | ||
19 | Mountain Engines | 山にのぼる機関車 | 1964年 | ||
20 | Very Old Engines | 100さいの機関車 | 1965年 | ||
21 | Main Line Engines | 大きな機関車たち | 1966年 | ||
22 | Small Railway Engines | 小さな機関車たち | 1967年 | ||
23 | Enterprising Engines | 機関車のぼうけん | 1968年 | ||
24 | Oliver the Western Engine | 機関車オリバー | 1969年 | ||
25 | Duke The Lost Engine | きえた機関車 | 1970年 | 1981年 | |
26 | Tramway Engines | わんぱく機関車 | 1972年 | ||
クリストファー・オードリー・作 | |||||
27 | Really Useful Engines | ほんとうにやくにたつ機関車 | 1983年 | 2023年 | クライヴ・スポング |
28 | James and the Diesel Engines | 未翻訳 | 1984年 | - | |
29 | Great Little Engines | 1985年 | |||
30 | More About Thomas the Tank Engine | 1986年 | |||
31 | Gordon the High-Speed Engine | 1987年 | |||
32 | Toby, Trucks and Trouble | 1988年 | |||
33 | Thomas and the Twins | 1989年 | |||
34 | Jock the New Engine | 1990年 | |||
35 | Thomas and the Great Railway Show | 1991年 | |||
36 | Thomas Comes Home | 1992年 | |||
37 | Henry and the Express | 1993年 | |||
38 | Wilbert the Forest Engine | 1994年 | |||
39 | Thomas and the Fat Controller's Engines | 1995年 | |||
40 | New Little Engine | 1996年 | |||
41 | Thomas and Victoria | 2007年 | |||
42 | Thomas and his Friends | 2011年 |
1942年、ウィルバート・オードリー牧師は、はしかを患っていた息子クリストファーに、様々な物語や詩を語り聞かせた。[1]特にクリストファーが気に入っていた詩は次のようなものである。
ウィルバートは顔のついた機関車たちのスケッチを描き、クリストファーに見せた。クリストファーに最も悲しそうな顔をした機関車の名前を尋ねられ、ウィルバートは最初に思いついた「エドワード」という名前を答えた。クリストファーはさらに質問を繰り返し、ウィルバートはその答えを最初の短編「エドワードのたのしい一日」の創造につなげていった。 [3]
続いてウィルバートは、エドワードに関する別の物語「エドワードとゴードン」を創作した。この物語には、ウィルバートの幼少期に近所に住んでいたガキ大将にちなんで命名した[4]大きな機関車ゴードンが登場し、エドワードとともに活躍した。
そして第3話「なさけないヘンリー」は、次の五行俗謡から創作された。
これは19世紀、イギリスのある鉄道でアメリカ製の機関車がトンネル内で故障し、そのまま放置されたという出来事に由来したものである。ヘンリーはエドワードと同様に、クリストファーの質問に対して、ウィルバートが最初に思いついた名前から命名された。[6]この物語には「ふとっちょの重役」が初めて登場する。
はしかが治った後もクリストファーは、何度もウィルバートに機関車たちの話をするようにせがんだ。話に間違いがあると指摘をするようになったクリストファーに、ウィルバートは物語を書き留めることで対応した。[7]そこで妻マーガレットは物語を出版するようウィルバートに薦め、児童図書を出版していたエドモンド・ウォード社の目に留まる。[8]
ウィルバートは機関車たちが同じ鉄道会社で働いているのを意図していなかったが、出版社は3台についての物語を書くよう伝えた。[9]これに対してウィルバートは「なかよしになった三だい」という話で要求に応じ、ヘンリーを救出し復権させ、3台が仲良くなる物語を創作した。1943年11月末までに物語は完成していた[10]が、第二次世界大戦に伴う紙不足により出版は引き延ばされた。そして1945年5月12日、ついに第1巻「三だいの機関車」がウィリアム・ミドルトン (William Middleton) の挿絵をつけて出版された。[11]ミドルトンの挿絵は機関車の描写が稚拙で、ウィルバートは非常に不満を抱いていた。[12]
オードリーは1945年のクリスマスに、木切れからクリストファーのためのタンク式蒸気機関車のおもちゃを作り出した。クリストファーはこのおもちゃに「トーマス」と名付け、一番のお気に入りのおもちゃになった。こうして世界一有名な機関車「トーマス」が誕生した。クリストファーは、「トーマス」に関する話を作るように父親に求め、オードリーは1946年までにトーマスが活躍する4つの話を作り、レジナルド・ペイン (Reginald Payne) が挿絵を付けて第2巻「機関車トーマス」が出版された。その際、ペインはクリストファーのおもちゃの機関車のままでは挿絵にできないと判断し、ロンドン・ブライトン・アンド・サウスコースト鉄道のE2形機関車(クラスE2)をモデルにトーマスを描いた。オードリーはリアルなペインの挿絵には満足だった。ペインの挿絵は重版時にレジナルド・ダルビーにより描き直されたが、大半は従来の挿絵を模写しているため、ある程度ペインの作風をうかがい知ることはできる。
2冊の本は好評で、次に第2巻第4話「トーマスときゅうえん列車」に出てきたジェームスに関する話を書くよう、出版社から依頼された。1948年、「赤い機関車ジェームス」が出版された。
当初、挿絵はオードリーのお気に入りだったレジナルド・ペインが担当する予定だったが、海軍関係の仕事で神経を病んでしまい、降板することになった。編集者のエリック・マリオットは、代理の画家として、オードリーの承諾を得ずに、レスター生まれのクラレンス・レジナルド・ダルビー(Clarence Reginald Dalby 1904年 - 1983年)を呼んだ。第3巻が出版されると、親しみやすい絵柄と大胆な色使い・構図でダルビーは人気を得、先の2冊が版を重ねる際には、ダルビーの挿絵に差し替えられることになった。挿絵の出来が刊行順と無関係に3巻→2巻→1巻と上手くなっているのはこれが理由である。
※日本語表記は長らく「レジナルド・ドールビー」だったが(英語で語頭がアクセントのある"al"の場合、ほとんどが[o:l]と発音する)、2005年刊行の新装版以降は「レジナルド・ダルビー」に変更された。
なお、本巻の出版された1948年に、第二次世界大戦の影響で荒廃し、莫大な負債を抱えたイギリスの四大私鉄が全て国有化され、イギリス国鉄となった。鉄道国有化の影響で、この巻からトーマスたちの働く鉄道も国有化(北西局となった)された。トップハム・ハット卿の肩書きも「重役(Director)」から「局長(Controler)」になっている。
以後、人気に応えて、1年に1巻のペースで、オードリーの文とダルビーの挿絵でシリーズは続刊していった。
しかし、ダルビーの挿絵は当初から機関車や鉄道部分の細部描写がいい加減で、挿絵同士の一貫性にも問題があり、鉄道に詳しく描写のリアリティーを求めるオードリーには不満があった。オードリーがそのことで不満を述べると、挿絵の打ち合わせが度々言い争いになった。そして第11巻「ちびっこ機関車パーシー」の執筆中、オードリーがパーシーを見て「これじゃ赤線の入ったイモムシだ」と言ったことにダルビーが激怒、積年の確執からダルビーは挿絵を降板した。
この時代は、第二次世界大戦の終戦に伴い、戦地となって荒廃した世界各地の鉄道が復興・近代化を進めていた。それと同時にディーゼル機関車や電気機関車・電車が高性能化・高速化し台頭、蒸気機関車の置き換えが始まっていた。また、4大私鉄の負債を引き継いだイギリス国鉄においては、地方の不採算路線の廃線が進められていた。そのような時代の中、イギリス各地で勃興しつつあった保存鉄道の運動に共鳴したオードリーは、第10巻には、実在の保存鉄道であるタリスリン鉄道(原作旧版での日本語表記は「タリリン鉄道」)をモデルにした狭軌のスカーロイ鉄道も舞台に加えた。
ダルビーにかわり、同じくレスター生まれのジョン・セオドア・アードリー・ケニー(John Theodore Eardley Kenney 1911年 - 1972年)が「八だいの機関車」から挿絵を担当した。ケニーの絵のスタイルはそれほどカラフルでなく、より現実的でリアルでダルビーとは随分と異なるものだったが、挿絵のために機関車をスケッチしたり、アトリエの存在も子供たちに知られ、リアル指向のオードリーとは良好な関係であり、どことなくユーモア漂う作風も、読者にもすぐ受け入れられた。
ケニーは口の横のエクボを深く描いたことで、機関車の表情を豊かにした。また、ダルビーが描いたエドワードやジェームズの半円型の眼が普通の丸眼に変更となっている。ケニー独自の顔は何種類もあるが、顔の中央を黒っぽくして非常にリアルな顔を描くというものがあり、特に第13巻 - 第15巻で見られる。驚いたり怒ったりした時の、丸眼を縦長にしてまゆ毛を逆立てた顔は迫力があり、良い味を出していた。 しかし、眼疾患による失明のため交代を余儀なくされ(後にその疾患が原因で死去)、 担当巻数は最も少ない。
当時のイギリス国鉄では近代化計画が進められており、蒸気機関車の淘汰・ディーゼル機関車への置き換えが進んでいた。危機感を抱いた牧師は、保存鉄道での活動を活発化させる。絵本でも蒸気機関車の保存活動を描く傾向が強まり、13巻・15巻の物語では特にその影響が見られる。また、13巻では実在する著名な機関車シティ・オブ・トルーローが登場した。
ケニーの代わりとして出版社が選んだ5人目の画家は、スウェーデン生まれの女性画家、ガンバー・エドワード (Gunvor Edward) であった。 彼女は「がんばりやの機関車」から早速担当することになった。まず第4話の初めの挿絵から始めてみたが、限られた構図の中に5両の機関車を正確に描くのは、自分では困難な仕事であると感じたようで、同じ画家の夫ピーター・エドワード (Peter Edward) に描けるかどうか試してもらった。このことがきっかけで仕事を手伝ってもらい、後にピーターが機関車、ガンバーが背景の担当になった。ちなみにロンドン生まれのピーターはガンバーと英国で知り合い、結婚後一度スウェーデンに住んでから、ロンドンに戻っている。
こうしてガンバー&ピーター・エドワーズの共作挿絵によりシリーズは再開した。オードリーと新しい挿絵画家夫妻との関係は最初のミーティングから順調に進んだ。実際の保存鉄道の機関車を見て描く等、機関車のディテールは歴代挿絵画家中最高の精度で、細部の挿絵は巧みで魅力があり「明らかにキャラクターに対する愛情を持っています」と語るまでに、オードリーはエドワーズ夫妻の挿絵の仕事に感謝した。
1960年代に入り、イギリス国鉄の無煙化・近代化計画は急速に進行した。多くの蒸気機関車がディーゼル機関車・電気機関車・電車への置き換えに伴いスクラップとなり、イギリスの本線上から蒸気機関車が消えるのはもはや時間の問題であった。また、イギリス国鉄の財務収支改善のため、多くの不採算地方路線が廃線され(ビーチング・アックス)、その跡地を利用した保存鉄道群が増えていった。このような事情もあり、オードリーは保存鉄道の援助活動により注力するようになった。18巻・23巻では、暗にイギリス国鉄の無煙化計画を批判しているとも取れる描写も存在する。従来から描かれているスカーロイ鉄道(タリスリン鉄道)の物語が増えた他、18巻ではブルーベル鉄道、19巻ではスノードン登山鉄道、22巻ではレイブングラス・エスクデール鉄道をそれぞれ援助するための物語が描かれた。また、13巻に続き、18巻のステップニーや23巻のフライング・スコッツマンなど、現実に保存されている著名な蒸気機関車が登場している。エドワーズ夫妻はこれらの保存鉄道や蒸気機関車達の姿をリアリティーある挿絵に仕上げ、物語を魅力的に彩った。
1968年にイギリス国鉄で蒸気機関車の運行が終了した。蒸気機関車を主題とした創作の題材を取得し難くなったこともあり、オードリーは「井戸は干上がった」と感じて、第26巻「わんぱく機関車」をもってこの絵本シリーズをいったん終了することにした。
クリストファーもまた父のように鉄道ファンであった。クリストファーにも子どもができ、かつての父と自分のように、機関車について子どもと対話するようになった。 ある日ネーンバレー保存鉄道を訪問した際、インスピレーションを受けて最初の話を発想、早速文章にして父親に見せた。ちょうどテレビシリーズ化の相談を受けていたウィルバートはそれを読んで天恵を感じ、公表・出版を提案した。そしてクリストファーの持込により27巻「Really Useful Engines」は1983年に発行された。オードリーは本書を「汽車のえほん、第27巻」とし、シリーズの再開をきめた。
新しい汽車のえほんの出版社でもあるハイネマン社は第26巻までのガンバー&ピーター・エドワーズの挿絵を好んでいなかったため、新しい挿絵画家としてクライヴ・スポング (Clive Spong) が起用された。第27巻はダルビーやケニーの絵に似せて描かれたが、第28巻からは独自の絵となった。ここから機関車の顔はシワの寄った老け顔となってしまい、旧来の読者には受け入れ難いものとなっている。顔以外についても、車庫が扇型庫になったり、トーマスの支線の分岐駅が急に海寄りの場所に移転したり、局長がヒゲ面の別人になったり(これは局長がトッパム・ハット3世になったため)と、第26巻までとは明らかな設定の変更が行われた。それに応えるように1987年9月に「The Island of Sodor : Its People, History and Railways(ソドー島における人物、歴史および鉄道)」がウィルバート・オードリー牧師とその実弟のジョージによって刊行され、この物語の設定の集大成となった。この著書こそ真の「汽車のえほん」パーフェクト・ガイドといえるもののはずだが、全世界で絶版中(日本では翻訳すらされていない)になっている。
既にイギリスの公共鉄道から完全に蒸気機関車が引退し、保存鉄道でのみ会合できる時代において、クリストファーの描く新シリーズは、始めから簡単ではなかった。ウィルバートの時代なら基本的には悪者だったディーゼル機関車の存在も、見直さなくてはならなかった(デイジーがD1、ボコがD2、7101号/「くま」がD3と正式に番号が与えられた)。イギリスの公共鉄道全体の電化・高速化・近代化が進み、牧歌的な逸話も生まれ難くなっていた。ストーリーは当初はウィルバートの話に似せていたが、ある程度たつとクリストファーなりの吹っ切れができたのか、タイトルに「Engines」がつかなくなったり、ディーゼル特急HSTのピップとエマが登場したり、トーマスが英国の鉄道イベントに出演して、マラード号(蒸気機関車で世界最高速度を出した)と会うなど、時代を反映した、今までとは異なる作風の物語も執筆された。
1997年3月21日にウィルバート・オードリー牧師が死去、「汽車のえほん」に関する全ての権利が1998年4月28日までに、テレビシリーズの製作会社(ブリット・オールクロフト社、後にガレイン社に改称)に買収された。これによりクリストファーは権利者の許可なく勝手に「汽車のえほん」を出すことができなくなったため、「汽車のえほん」はしばらくの間発表休止に入った。
その後、2000年公開の映画『きかんしゃトーマス 魔法の線路』の興行失敗をきっかけに、2002年にガレイン社が大手の児童・幼児向け映像製作会社(ヒット・エンターテインメント社)に買収され、さらに2005年にイギリスの投資会社(エイパックス・パートナーズ社)がヒット社を買収した頃から状況が変化した。2007年8月に旧版装丁で既刊全40巻の再版が実施された。さらに2007年9月には10年ぶりの新作として、第41巻「Thomas and Victoria」が既刊分に合わせた装丁で発行された。ウィルバート牧師の生誕100年となる2011年には最終巻となる第42巻「Thomas and his Friends」が発行された。
日本での翻訳・出版のきっかけは第15巻の裏表紙裏に記されている。当時英国に在住中だった桑原三郎が偶然本屋で見つけ、親子で愛読書としたのが始まりだった。これに清水周裕も加わった2人で翻訳をつとめ、児童書で有名なポプラ社から出版されている。また黒岩源雄(初版出版当時京成電鉄顧問。その後北総開発鉄道社長、鉄道工作協会会長等を歴任し、2002年6月29日没。第15巻に名前が触れられただけで、ほとんどノークレジット)による鉄道専門用語についての監修を得たことで、鉄道用語(英語が分化した頃なので、英米で単語の違いが激しい)の翻訳が「はつらいしんごうき(発雷信号機)」「かんしょうき(緩衝器)」などと正しく訳されている。
1984年からのテレビシリーズ放送に際して、ウィルバート・オードリー牧師とクリストファー・オードリーは、4冊の番外編を執筆した。クライヴ・スポングによって挿絵が書き下ろされ、1984年から1987年にかけて毎年1冊ペースで刊行された。
その後、1990年に5冊目、1992年に6冊目が刊行された。挿絵はスティーブン・リングスが担当し、クライヴ・スポングのものに近い画風で書き下ろされた。
2001年、クリストファー・オードリーによって、鉄道を安全に利用するためのルールを記した2冊の絵本が書き下ろされた。挿絵はデヴィッド・アンダースンが担当した。
著者は、第1巻・第2巻・第5巻がウィルバート・オードリー牧師、その他の五冊がクリストファー・オードリー。全巻とも日本語訳は未刊行。
1983年、ウィルバート・オードリー牧師とクリストファー・オードリーによる「汽車のえほん」のエピソードを基にした仕掛け絵本シリーズが刊行を開始した。全てクライヴ・スポングが挿絵を描き下ろし、1994年までに全12巻が刊行された。
日本では、「きかんしゃトーマスのポップアップえほん」というシリーズ名で最初の8冊のみが、まだらめ三保によって翻訳され、1992年にポプラ社より刊行された。
ウィルバート・オードリー牧師と弟のジョージ・オードリーが執筆し、クライヴ・スポングが挿絵を担当した設定資料集。1987年に刊行された。現在は絶版であり、日本では翻訳すらされていない。
クリストファー・オードリーが執筆し、2005年に刊行された設定資料集。同じく絶版であり、日本未翻訳。
邦訳が初めて出版された際、第1巻冒頭に原作者のウィルバート・オードリーから日本の読者へのあいさつ的な文章があり、その中に「イギリスの機関車は日本のものと違うかもしれません」と断り書きがある。これについて蒸気機関車時代のイギリスと日本の違いについて高畠潔の『続 イギリスの鉄道の話』第4章「イギリスの鉄道『1ダースの不思議』[13]」より、頭に入れておくと物語が分かりやすくなる点について纏めておく。(カッコ内は『汽車のえほん』で関係のある話)