「流れよ、わが涙」(ながれよ、わがなみだ、英語: "Flow, my tears")は、イングランド王国の音楽家ジョン・ダウランドが作曲したリュート歌曲である[1]。1600年出版。同時代のヨーロッパで随一の人気と知名度を誇った楽曲であり、器楽曲版だけでも東欧を除く諸地域で100前後の写本・刊本に残存し、ダウランドの存命時から後世に至るまで数多くの音楽家によってオマージュ作品が作曲された。比喩的な意味でも文字通りの意味でもダウランドの代名詞的な歌曲で、ダウランド自身、「涙のジョン・ダウランド」(中英語: "Jo: dolandi de Lachrimae")と署名することさえあった[2]。
文献上の初出は『第二歌曲集』(1600年)で、当時の題・綴りは「流れよ、わが涙、なんじの源から溢れ落ちよ」(中英語: Flow my teares fall from your springs)。もともと1596年に「涙のパヴァーヌ」(ラクリメ・パヴァン、"Lachrimae pavan")という題で器楽曲として作曲されたものである[3]。歌詞はダウランド自身によって、この曲のために書かれた可能性も指摘されている。1604年には、「ラクリメ」の編曲を集めた楽曲集『ラクリメ、あるいは七つの涙』(中英語: Lachrimae, or Seaven Teares)が出版された。
ダウランドの他の歌曲と同様、この作品の形式(楽式)と様式は舞曲に、この場合は特にパヴァーヌに基づいている。初出は1600年にロンドンで出版された『二声・四声・五声のための第二の歌曲あるいはエア集:リュートもしくはオルファリオン、およびヴィオラ・ダ・ガンバのためのタブラチュア付き』(中英語: The Second Booke of Songs or Ayres of 2, 4 and 5 parts: with Tableture for the Lute or Orpherian, with the Violl de Gamba)、通称『第二歌曲集』(中英語: The Second Booke of Songs)である。
歌の出だしは「流れる涙」のモティーフで、「流れよ、わが涙」の歌詞とともにラから始まり段階的にミまで下降する。このモティーフはおそらくオルランド・ディ・ラッソのモテットやルカ・マレンツィオのマドリガーレからの借用とも考えられ(この形式のモティーフはエリザベス朝の音楽では嘆きを表現するのにしばしば用いられた)、本歌曲にはほかにも両者からの借用が見られる[4]。アンソニー・ボーデンは、本歌曲を「おそらく17世紀初期の英語歌曲で最も広く知られているもの」と称している[5]。
この歌曲には、器楽曲版の変種が数多く存在し、その大部分には「ラクリメ」(ラテン語: Lachrimaeあるいはラテン語: Lachrymae、字義的には「涙」の意)という語が題に付されている。作曲自体は歌曲よりも器楽曲の方が先で、「ラクリメ・パヴァン」(「涙のパヴァーヌ」、"Lachrimae pavan")として1596年に完成し、歌詞は後から付けられたものである[3]。歌詞はこの曲のために特に書き下ろされたものであると信じられており、ダウランド自身の手によるものである可能性もある[6]。イングランドの音楽学研究者ピーター・ホルマンの主張によれば、ラクリメの最初の版("Lachrimae Antiquae"つまり「古き涙」と呼ばれる)は「おそらくこの時代において、最も際立って人気が高く広範囲に流布された器楽曲」であるという[7]。ホルマンによれば、ヨーロッパ中(イングランド・スコットランド・オランダ・フランス・ドイツ・オーストリア・デンマーク・スウェーデン・イタリアなど)に現存する写本や刊本のうちおよそ100冊ほどに同曲やその変曲が収録されているという[7]。
「ラクリメ」は後世の音楽(たとえばバッハやショパンなど)よりも抽象的な音楽であり、いわゆる決定版の楽曲は存在しない[7]。ダウランドや同時代人たちは、今日におけるジャズのように、半ば即興的な演奏を行ったと思われる[7]。ホルマンの評によれば、「ラクリメ」の人気はその豊かなメロディーやモティーフに由来するものだという[7]。同時代の他のイングランドの作曲家は一般的に、楽節ごとに1つか2つのモティーフしか用いず、それらを退屈で緩慢な形で水増しした[7]。それとは対照的に、ダウランドの「ラクリメ」では、強烈な印象を残す多種多様なメロディーが展開され、しかもそれらが緊密かつ巧妙に関連し合っているのである[7]。
ダウランド自身による器楽曲版には、リュート曲「ラクリメ」、リュート曲「ラクリメへのガイヤルド」("Galliard to Lachrimae")、コンソート(合奏)曲"Lachrimae antiquae"(1604年)などがある。ダウランドはまた楽曲集『ラクリメ、あるいは七つの涙』(中英語: Lachrimae, or Seaven Teares、ロンドン、1604年)を出版した。同書は、「流れる涙」のモティーフに基づく7つの「ラクリメ」パヴァーヌなどを収録している。
様々な作曲家がこの作品に基づいて新たな曲を書いた。その代表的人物や作品にヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク[8]、トマス・トムキンズ[9]、トバイアス・ヒュームの"What Greater Griefe"[要出典]などがある。トマス・モーリーも、First Booke of Consort Lessons(ロンドン、1599年)で、ブロークン・コンソートの6つの楽器のための「ラクリメ・パヴァーヌ」を作曲した。とりわけ、ジョン・ダニエルの"Eyes, look no more"には「流れよ、我が涙」へのオマージュがより明白に出ており[10]、ジョン・ベネットの"Weep, o mine eyes"も同様である[11]。20世紀には、アメリカの作曲家・指揮者であるヴィクトリア・ボンドが"Old New Borrowed Blues (Variations on Flow my Tears)"という曲を書いた[12]。 ベンジャミン・ブリテンは、ダウランドのエア「私の嘆きで人の 心が動かせるものなら」("If my complaints could passions move")に基づく変奏曲集「ヴィオラのためのラクリメ」において、「流れよ、わが涙」の冒頭部を引用している。2006年には、イギリスの電子音楽グループのバンコ・デ・ガイアが、ヴォコーダー版である「流れよわが涙、とアンドロイドは泣いた」("Flow my Dreams, the Android Wept")を製作した[13]。
Flow my teares fall from your springs, |
流れよ、わが涙、なんじの源から溢れ落ちよ。 |
—Flow my teares fall from your springs from The Second Booke of Songs or Ayres, of 2.4.and 5.parts: With Tablature for the Lute or Orpherian, with the Violl de Gamba (1600) |
—日本語への意訳 |
以下に、訳文の簡単な解説を示す。