そえだまち 添田町 | |||||
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英彦山神宮の銅鳥居 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 田川郡 | ||||
市町村コード | 40602-3 | ||||
法人番号 | 5000020406023 | ||||
面積 |
132.20km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
7,754人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 58.7人/km2 | ||||
隣接自治体 |
嘉麻市、田川郡大任町、川崎町、赤村、朝倉郡東峰村、京都郡みやこ町 大分県:中津市、日田市 | ||||
町の木 | 樫 | ||||
町の花 | シャクナゲ | ||||
添田町役場 | |||||
町長 | 寺西明男 | ||||
所在地 |
〒824-0691 福岡県田川郡添田町大字添田2151番地 北緯33度34分19秒 東経130度51分14秒 / 北緯33.57181度 東経130.85397度座標: 北緯33度34分19秒 東経130度51分14秒 / 北緯33.57181度 東経130.85397度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
添田町(そえだまち)は、福岡県の東南端に位置する町[1]。田川郡に属しており、その最南端に位置する自治体である[1]。
筑豊地方の南東部、田川郡南部に位置し、英彦山などの山々の連なる筑紫山地で大分県と隣接する。なお、大分県との行政界は境界未確定となっている[1]。
英彦山を源流として町の中央を流れる彦山川、町の東側を流れる今川と、町の西南端の町境を源流として西側を流れる中元寺川がある[1]。1971年(昭和46年)に今川の上流部に油木ダム、1975年(昭和50年)に中元寺川の上流部に陣屋ダムが完成した[1]。
添田駅周辺の平野部と英彦山山頂との間には1,100m以上の標高差があり気象条件に大きな差がみられる[1]。過去最低気温は2021年1月9日に観測された-7.5℃である。
添田アメダス1991–2020年平均の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.4 (68.7) |
23.7 (74.7) |
25.5 (77.9) |
29.9 (85.8) |
32.6 (90.7) |
35.9 (96.6) |
37.2 (99) |
37.8 (100) |
35.5 (95.9) |
33.2 (91.8) |
26.5 (79.7) |
23.6 (74.5) |
37.8 (100) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.0 (48.2) |
10.5 (50.9) |
14.2 (57.6) |
19.8 (67.6) |
24.7 (76.5) |
27.1 (80.8) |
31.0 (87.8) |
32.0 (89.6) |
28.0 (82.4) |
22.8 (73) |
17.0 (62.6) |
11.4 (52.5) |
20.6 (69.1) |
日平均気温 °C (°F) | 4.7 (40.5) |
5.6 (42.1) |
8.8 (47.8) |
13.8 (56.8) |
18.5 (65.3) |
22.0 (71.6) |
25.9 (78.6) |
26.5 (79.7) |
22.6 (72.7) |
17.2 (63) |
11.8 (53.2) |
6.7 (44.1) |
15.3 (59.5) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.9 (33.6) |
1.2 (34.2) |
4.0 (39.2) |
8.4 (47.1) |
13.1 (55.6) |
17.9 (64.2) |
22.2 (72) |
22.5 (72.5) |
18.7 (65.7) |
12.8 (55) |
7.5 (45.5) |
2.7 (36.9) |
11.0 (51.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.5 (18.5) |
−6.6 (20.1) |
−5.8 (21.6) |
−0.8 (30.6) |
4.1 (39.4) |
7.7 (45.9) |
12.6 (54.7) |
14.6 (58.3) |
7.2 (45) |
2.2 (36) |
−0.6 (30.9) |
−4.6 (23.7) |
−7.5 (18.5) |
降水量 mm (inch) | 79.7 (3.138) |
84.8 (3.339) |
129.1 (5.083) |
142.6 (5.614) |
159.8 (6.291) |
327.2 (12.882) |
364.4 (14.346) |
213.8 (8.417) |
204.0 (8.031) |
100.1 (3.941) |
92.8 (3.654) |
74.7 (2.941) |
1,970.5 (77.579) |
平均月間日照時間 | 104.5 | 117.0 | 154.6 | 189.3 | 201.4 | 134.2 | 165.3 | 194.3 | 148.9 | 169.6 | 135.8 | 111.0 | 1,825.9 |
出典:気象庁 |
添田町では縄文時代より定住生活が始まったと考えられており、特に大字津野地区に位置する縄文後期の遺跡(後遺跡)からは、新潟県糸魚川より遠路遥々運ばれたと見られる大型の硬玉製翡翠大珠が発見されている。[2]
かつては筑豊炭田の炭鉱が存在したが、エネルギー革命による石炭需要の激減により全て閉山している。1960年代には25000人ほどいた人口は半減し、2006年現在、11000人ほどとなっている。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 綾部正蔵 | 1910年4月 | 1914年5月 | |
2-4 | 岩﨑髙蔵 | 1912年12月 | 1923年9月 | |
5 | 宮﨑松次郎 | 1924年6月 | 1928年6月 | |
6-7 | 久良知敏 | 1928年10月 | 1932年9月 | |
8 | 水上友吉郎 | 1932年11月 | 1936年11月 | |
9-10 | 大石彦太郎 | 1936年11月 | 1942年5月 | |
11 | 水上友吉郎 | 1942年6月 | 1946年6月 | |
12-15 | 伊藤保司 | 1946年8月 | 1959年1月 | 以後、公選 |
16-17 | 中富鐵之助 | 1959年2月1日 | 1967年1月31日 | |
18 | 戸渡義章 | 1967年2月1日 | 1971年1月31日 | |
19-28 | 山本文男 | 1971年2月1日 | 2010年7月20日 | 辞職 |
29-32 | 寺西明男 | 2010年8月22日 | 現職 |
※歴代町長[5]
前町長の山本文男は1971年に就任して以来、10期40年近く町長を務めた。2007年1月16日に告示された町長選挙では山本以外に立候補者が無く10期目の当選を果たし、本来ならば2011年初頭まで町長職を務める勘定となっていた。また、全国町村会の会長を1999年から2010年3月まで10年余り務め、当時全国知事会会長を務める麻生渡(当時福岡県知事)と協調して地方の声を政府に伝える役割を担っていた。
しかし、2009年に福岡県町村会汚職事件が明らかになると、事件に絡み辞任した当時の中島孝之副知事に、後期高齢者医療制度発足に際し、町村会に有利な取り計らいをしたお礼に賄賂を贈ったとして前副知事とともに2010年2月2日夜福岡県警察に逮捕され[6]、起訴後の2月下旬に保釈。その後、解職に必要な署名が集まったとして住民団体によりリコール請求がなされ、一旦は2010年8月22日までに住民投票が行われることとなったが、同年7月5日に辞職届を提出し、同20日の臨時町議会で辞職が承認されたため住民投票は中止となった[7]。このため、町選挙管理委員会は8月22日に出直し町長選挙を行うこととし、現職の山本は改めて立候補したが落選、新人の寺西明男が当選した。これにより約40年続いた山本文男町長による町政に終止符が打たれることになった。[8]。
添田町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 添田町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 添田町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
添田町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
なお2025年4月に休校中の津野小学校を含めた5校を、新たに開校する添田町立小学校に統合することが決まっている。
国鉄は1942年(昭和17年)に西添田駅と添田駅を結び、さらに南に延伸していき1956年(昭和31年)に釈迦岳トンネルが開通して日田線として全通[9]。添田町の陳情で1960年(昭和35年)4月に「日田彦山線」となった[9]。
一方、1960年4月には旧国鉄添田線を分離[9]。昭和54年度に営業係数(収入額100円に対する支出額)ワースト1となり、「日本一の赤字ローカル線」として知られた。その後、同線は廃止前に営業係数最大の座を美幸線に譲ったが、これが縁となって添田町は美幸線が通っていた北海道の美深町と姉妹提携を結んだ。添田線は1985年(昭和60年)3月31日に廃止された[9]。
※添田町内の駅のみ、町内全駅記載
その他登録制・予約制のデマンド型乗合タクシーがある。
町内には通っていない。最寄りとなるインターチェンジは以下の通り。
★は故人
★は故人