埼玉西武ライオンズ #12 | |
---|---|
2022年6月26日 カーミニークフィールド | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県羽生市 |
生年月日 | 2000年9月21日(24歳) |
身長 体重 |
191 cm 106 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2018年 ドラフト2位 |
初出場 | 2021年6月9日 |
年俸 | 820万円(2024年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
渡邉 勇太朗(わたなべ ゆうたろう、2000年9月21日 - )は、埼玉県羽生市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
小学校1年から野球を始め、5年から投手となる[2]。羽生市立東中学校では軟式野球部に入部し、2年夏に関東大会に出場した[3]。
浦和学院高等学校では1年秋からベンチ入り。3年春は右肘を痛めベンチ外となるが、5月の関東大会で復帰。夏には甲子園大会に出場したが、準々決勝の大阪桐蔭高等学校戦で敗退した[4]。甲子園大会後はAAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出された。同学年に後に西武でチームメイトとなる蛭間拓哉がいる。
2018年10月25日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから2位指名を受け、11月15日に契約金7000万円、年俸650万円で契約した[5]。背番号は12。
2019年のルーキーイヤーは身体づくりを中心に取り組み[6]、イースタン・リーグでは2試合に登板したが、3回2/3を投げて被安打10・防御率14.73と打ち込まれた[7]。
2020年はイースタン・リーグで4試合に登板、22回1/3を投げて被安打30・防御率5.24という成績であった[8]。
2021年は初めて春季キャンプをA班でスタートするも[9]、開幕は二軍で迎えた。4月までは二軍でも防御率9点台と苦しんでいたが、5月は1先発を含む3試合で防御率2.25と結果を残し、6月8日に一軍初昇格[10]。翌9日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初登板し、3回2安打1四球2奪三振、無失点と好投[11]。6月14日の広島東洋カープ戦では1点リードの6回裏から3番手として登板。2回を無失点に抑え、プロ2試合目でプロ初ホールドを記録した[12]。登録抹消されることなく前半戦を中継ぎとして終えると、エキシビションマッチでは先発としてアピールし[13]、後半戦の開幕3試合目となった8月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初先発を果たし、5回1失点の好投でプロ初勝利を挙げた[14]。その後も先発ローテーションを守り、スタミナ面には課題を残したが[15]、後半戦は9試合の先発で4勝2敗、42イニングを投げて防御率3.21を記録した[16]。シーズン全体では17試合(9先発)の一軍登板で4勝4敗2ホールド・防御率3.44を記録し、オフに350万円増となる推定年俸1000万円で契約を更改した[17]。
2022年は初の開幕ローテーション入りを果たし、開幕3試合目のオリックス・バファローズ戦でシーズン初登板初先発となるも[18]、3回6安打2四死球6失点(自責点4)の乱調で勝敗は付かなかった[19]。続く4月3日の千葉ロッテマリーンズ戦では5回1/3を4安打7四球3失点という内容で敗戦投手となり[20]、翌4日に出場選手登録を抹消された[21]。7月22日の楽天戦で約3か月半ぶりとなる一軍先発登板となり、5回0/3を2失点でシーズン初勝利を挙げたものの[22]、翌23日に出場選手登録を抹消されると[23]、8月12日には新型コロナウイルスに感染[24]。その後の一軍登板は無くシーズンを終え、この年は3試合の先発登板で1勝1敗・防御率6.08という成績にとどまった。オフに150万円減となる推定年俸850万円で契約を更改した[25]。
2023年は春季キャンプ明けから右肩の怪我があり[26]、春先から実戦登板はしていたものの[27][28]、ストレートの最速が145~146km/hと球速の低下が見られていた[29]。前年は92kgだった体重を少しずつ増やすと、ストレートが強化され[26]、本人も「真っすぐの速さと強さが良くなった」とコメントし、9月20日の北海道日本ハムファイターズ戦でシーズン初登板初先発[30]。ストレートの最速は152km/hを計測し、5回無失点でシーズン初勝利を挙げた[31]。続く同27日の楽天戦でも6回1失点と試合を作り[32]、この年は2試合の先発登板で1勝0敗・防御率0.82という成績であった。オフに30万円減となる推定年俸820万円で契約を更改した[33]。
2024年も開幕を二軍で迎えた。イースタン・リーグでは6試合の登板で1勝2敗・防御率2.48を記録すると[34]、5月18日の福岡ソフトバンクホークス戦でシーズン初登板初先発となり、6回3安打7四死球1失点で勝敗つかず[35]。その後は、5回まで試合を作りながらも打線の援護がないまま6回以降に失点して降板する登板[36][37][38]が目立った。シーズン6度目の先発登板となった6月25日の日本ハム戦[39]では1-0で迎えた6回表一死二塁からアリエル・マルティネスに対してカウント1-1となった場面[40]で右手人差し指のマメを潰して緊急降板[39]。5回1/3を無失点でシーズン初勝利は挙げたものの[41]、翌26日に出場選手登録を抹消された[42]。7月9日の日本ハム戦[43]で一軍復帰を果たすと、この試合を含めて3試合連続HQSを記録[44]。ただ、いずれも勝敗は付かず[45][46][47]、同27日には右手中指のマメの影響[48]で出場選手登録を抹消された[49]。8月6日のオリックス戦[50]で再び一軍へ復帰し、同29日のロッテ戦では5回2/3を無失点に抑えてシーズン2勝目を挙げたものの[51]、6回裏二死二塁からネフタリ・ソトの放った痛烈な打球が右足首付近に直撃し、緊急降板[52]。続く9月6日のソフトバンク戦では5回4安打4四球無失点[53]と走者を再三許しながらも勝利投手となったが、6回裏の投球練習中に右足を気にする仕草を見せ、緊急降板。渡辺久信監督代行は「この間の所がピリッと痛んだみたい」と説明し[54]、その後検査を受けたところ、右足の腓骨骨折が判明し、同11日に出場選手登録を抹消された[55]。
ストレートの最速は153km/h[14]。変化球はカットボールを最も得意としており[56]、他にスライダー、カーブ、スプリットを投げる[57]。
愛称は「ナベU」。「ナベQ」と呼ばれている渡辺久信ゼネラルマネージャーにあやかったものである[58]。
実家は造園業で、一度は野球をやめて家業を継ぐことを考えたこともあった[59]。
幼少期から西武ファンであり、野球をやっていた兄のチームメイトが浦和学院で甲子園出場を果たし、その姿に憧れて浦和学院に進学した[60]。
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2021 | 西武 | 17 | 9 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 2 | .500 | 232 | 55.0 | 43 | 3 | 30 | 0 | 3 | 33 | 4 | 0 | 24 | 21 | 3.44 | 1.33 |
2022 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 67 | 13.1 | 15 | 1 | 11 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 11 | 9 | 6.08 | 1.95 | |
2023 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 42 | 11.0 | 7 | 0 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0.82 | 1.09 | |
通算:3年 | 22 | 14 | 0 | 0 | 0 | 6 | 5 | 0 | 2 | .545 | 341 | 79.1 | 65 | 4 | 46 | 0 | 4 | 43 | 6 | 0 | 36 | 31 | 3.52 | 1.40 |
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2021 | 西武 | 17 | 4 | 10 | 2 | 3 | .875 |
2022 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2023 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | |
通算 | 22 | 6 | 12 | 2 | 3 | .900 |