男はつらいよ 寅次郎恋歌 | |
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監督 | 山田洋次 |
脚本 |
山田洋次 朝間義隆 |
製作 | 島津清 |
出演者 | 渥美清 |
音楽 | 山本直純 |
主題歌 | 渥美清『男はつらいよ』 |
撮影 | 高羽哲夫 |
編集 | 石井巌 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1971年12月29日 |
上映時間 | 113分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 4億円[1] |
前作 | 男はつらいよ 奮闘篇 |
次作 | 男はつらいよ 柴又慕情 |
『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(おとこはつらいよ とらじろうこいうた)は、1971年12月29日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの8作目。同時上映は『春だドリフだ!全員集合!!』。
冒頭で、寅次郎は、雨のために上演ができなくなった「坂東鶴八郎一座」と出会い、お互いの放浪稼業のつらさを語り合う。一座の娘・大空小百合[2]に宿まで送ってもらって、小遣い[3]をあげる。
本編は、柴又界隈で寅次郎が反面教師として語られているという話から始まる。そんな寅次郎へのとらやの人びとの気持ちはいつになく優しい。そこに帰ってきた寅次郎は、その歓迎の度合いが極端だったことでへそを曲げてしまい、タコ社長の印刷工場でも騒動を起こし、さらに飲み仲間をとらやに連れてきてやりたい放題。しかし、そのことでさくらを泣かせたことを恥じ入り、とらやを出て行く。
ある日、諏訪家に「母危篤」との電報が入り、博とさくらが備中高梁の実家に向かうが、そのまま博の母は死去する。告別式のあと、博の父・飈一郎(志村喬)と兄たちが、母は欲望の少ない人だった分、幸せを感じられていただろうと述懐し合う中で、博は一人猛然と反論する。飈一郎と結婚したことで、娘の頃からの夢をあきらめ、夫に従うだけだった母はとても可哀想だったと泣く。飈一郎は、それを聞いて心に何かを感じる。[4]
たまたま岡山での啖呵売に来ていた縁で告別式に参加した寅次郎は、諏訪家が揃っての写真撮影をする際に「笑って」と言ってしまうなど、顰蹙を買うような行動を繰り返す。しかし、そこは寅次郎。葬儀の後しばしとどまって、飈一郎の無聊を慰める。「女房も子どももいないから身軽だ」と言った寅次郎に、飈一郎はある話を始める。長野県の安曇野を旅行中、日の暮れた田舎道を一人で心細く歩いていた時に、「庭一面に咲いたりんどうの花。あかあかと灯りのついた茶の間。にぎやかに食事をする家族たち」を見て、これが「本当の人間の生活」というものではないかと思って、急に涙が出てきたというのだ。「人間は絶対に一人じゃ生きていけない。運命に逆らっちゃいかん。そこに早く気がつかないと不幸な一生を送ることになる」という飈一郎の話をしんみりと聞き、さすがのフーテンの寅も家庭の幸せについて真剣に考えるようになり、柴又に戻る。
「りんどうの話」をとらやの人びとにしながら、寅次郎は結婚への夢を語る。歳もいっているし大して稼ぎのあるわけでもない自分には、子持ち、それも小学校3年生くらいの男の子を持っている女性がちょうどいいのではないだろうかと。翌日、寅次郎は帝釈天の境内で小学校3年生くらいの少年が一人寂しそうにしているのを見かけ、優しく声を掛けたところ、その子の母親がやってくる。近所に喫茶店をオープンした貴子(池内淳子)で、美人の貴子と少し会話を交わした寅次郎は、たちまち脱け殻のようになってしまう。数日後、偶然に喫茶店の扉を開けた寅次郎は、店を一人で切り盛りする貴子の姿を再び目にすると、またしても抜け殻に。貴子が未亡人だと知って俄然やる気を出した寅次郎は、喫茶店に足繁く通っては好きでもないコーヒーを飲み、貴子の内向的な息子に友達ができるよう遊んでやり、貴子と家庭の幸福を分かち合うことを夢見る。
息子に友達ができたことで寅次郎に感謝する貴子だが、店の経営には行き詰まっていた。そのことを知った寅次郎は何とか力になりたいと思うが、金銭面での自分の無力さを知り、りんどうの花を持って貴子の家を訪れる。貴子は、そんな寅次郎の気持ちに涙ぐむとともに、女学生の頃からの、旅役者のような男性とする放浪の旅への憧れを語り、「うらやましいわ。私も(寅さんに)一緒について行きたいなあ」と言う。しかし寅次郎は、「そうですかねぇ。そんなうらやましがられるほどのもんじゃねぇんですけどねぇ」と答え[5]、静かに去る[6]。貴子の夢見る放浪生活の先に貴子の幸せはないことを知っている寅次郎は、その道に貴子を引きずりこまないよう、自ら身を引いたのだった。[7]
別れ際、さくらは「一度はお兄ちゃんと交代して、私のこと心配させてやりたいわ」と言い、旅の空の寅次郎を思う自分たちの気持ちを伝える。とらやの人びとが寒さを気遣う中、寅次郎は柴又を去る。旅先で地方公演巡業中の坂東鶴八郎一座と再会した寅次郎は、トラックに一緒に乗せてもらい、ともに放浪の旅を続けるのであった。
佐藤利明2019、p.617より