男はつらいよ 知床慕情 | |
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監督 | 山田洋次 |
脚本 |
山田洋次 朝間義隆 |
原作 | 山田洋次 |
出演者 |
渥美清 竹下景子 淡路恵子 三船敏郎 |
音楽 | 山本直純 |
撮影 | 高羽哲夫 |
編集 | 石井巌 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1987年8月15日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 12億4000万円[1] |
前作 | 男はつらいよ 幸福の青い鳥 |
次作 | 男はつらいよ 寅次郎物語 |
『男はつらいよ 知床慕情』(おとこはつらいよ しれとこぼじょう)は、1987年8月15日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの38作目。
寅次郎が柴又に帰ってきた時、とらやは竜造が風邪をこじらせて肺炎で入院していたために休業していた。あと数日で退院と言われたところで、あけみと朝日印刷のゆかりが手伝ってくれるということもあり、翌日から店を開けることにする。そんな中でも、寅次郎にはまじめに働く様子が見られない。マンガを読んだりトイレに頻繁に行ったり居眠りしたりして、つねが「この店、やめよう、肝心な跡取りがこのざまじゃ」と言うほどであった。寅次郎はそんなつねの言葉を聞いて居心地が悪くなり、旅に出る。
北海道を旅していた寅次郎は、旅宿を探している時に獣医の上野順吉(三船敏郎)のポンコツ車に乗せてもらった事が縁で、知床にある順吉の家に居候することになる。そして、順吉の家に出入りしている悦子(淡路恵子)が女将をやっている居酒屋・はまなすで、たくさんの飲み友達を作り、楽しくやっていた。ところが数日経った頃、順吉の娘で、親の反対を押し切って結婚したりん子(竹下景子)が東京から帰ってくることを聞いて、親子水入らずの邪魔になってはと、いとまごいをする。しかし、玄関でばったりとりん子と出くわした寅次郎は、美しいりん子に胸をときめかし、また娘との関係がうまくいかない順吉に一緒にいてくれと頼まれたこともあって、そのまま滞在することになる。
その夜、りん子は順吉たちに、離婚して北海道に戻ってきたのだと告げる。順吉は当初、そんなりん子に優しい態度を取ってあげられなかったが、寅次郎たちがいてくれたことで、少しずつ上野家に平和が戻る。りん子は、後片付けのため東京に戻り、その際に寅次郎の土産の羅臼昆布を届けにとらやを訪れ、温かいもてなしを受ける。
しばらくして、順吉は悦子から、店を畳んで妹が芸者をしている故郷の新潟に帰ろうと考えているとの相談を受ける。順吉は悦子と心の底では相思相愛なのだが、気むずかしい性格ということもあり、素直に気持ちを伝えられないでいた。今回も、「手も握ってくれなかったけど」と思わせぶりな態度を取る悦子を、気まずさから拒絶してしまう。寅次郎はそんな二人の関係にいち早く気付き、力になりたいと思うようになる。
その後、寅次郎と、仲良くなった知床の仲間たちは、バーベキューに出かける。そこでも順吉は皆から離れて一人で酒を飲んでいる。しかし、悦子が店を辞めて故郷へ帰ると告げると、順吉は頭ごなしに反対だと言う。寅次郎が反対の理由をハッキリ言えと促すと、順吉は戸惑いながらも勇気を振り絞り、皆の前で悦子に向かって、「俺が行っちゃいかんという訳は、俺が、俺が惚れてるからだ。悪いか!」と言う。途端に悦子はワッと泣き出す。その場にいる全員が歓喜し、『知床旅情』を歌う。その最中、りん子は自然に寅次郎の手を握る。
その夜、はまなすで昼の延長戦のような飲み会が開かれる。一人家にいたりん子を、はまなすから寅次郎が訪ねてくる。娘として、順吉が悦子と結婚しても構わないかと尋ねた別れ際に、りん子が寅次郎を「もう行っちゃうの?」と呼び止める。愛の告白かという雰囲気であったが、りん子は「どう言えばいいのか……ありがとう、色々と」とだけ言う。ところが、その晩、順吉の仲間が冗談で発した「りん子に惚れているんだろう」という言葉に、寅次郎は図星をつかれて真っ赤になり、翌朝船長(すまけい)にりん子宛の「渡り鳥のように南へ下ります」という手紙を託し知床を去る。りん子も、その無神経な発言をあとで知って、怒る。芽生えていたかも知れない気持ちを一切伝え合うことなく、簡単な言づてだけで別れることになった二人であった。
りん子は仕事を見つけて、東京での生活を再開することになった。江戸川の花火大会の日に、順吉が結婚のことで寅次郎に感謝しているという伝言を携え、柴又を再訪する。その頃、寅次郎は長良川まつりで花火を売っているのだった。
『男はつらいよ 寅さん読本』1992、p.639、松竹公式サイト[2]より。