畠山 直哉 | |
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生誕 | 1958年3月19日(66歳) |
国籍 | 日本 |
畠山 直哉(はたけやま なおや、1958年 - )は、日本の写真家。
岩手県陸前高田市出身。1976年岩手県立大船渡高等学校卒業[1]、1981年筑波大学芸術専門学群総合造形コース卒業。1984年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修士課程修了。大辻清司の影響で写真をはじめ、大学卒業後は東京に移り活動を続ける。
生家の近くに大規模な石灰石鉱山があったことから、高校時代からこれらの採掘現場や工場を油絵などに描いていた。大学を出た後、岩手をはじめ日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破の瞬間、または都会の建築群や地下水路などを撮影するようになった。これらの作品は都市の原料(石灰岩や石炭の鉱山、石灰工場、フランスの炭鉱のボタ山、パリ地下の石の採掘場跡)から都市風景(高所から見た都市の俯瞰)、都市の解体(住宅展示場と化した大阪スタヂアムとその解体)、都市の裏側(ビルの間を流れる渋谷川や、都市の地下水路の内部)など、一貫して都市の問題にかかわっている。またイギリス滞在などを経て、工場の蒸気や車の窓ガラス一面についた水滴など、形の定かでない物、循環する物の撮影や、高山などの自然の営みの撮影にも取り組んでいる。出版には1983年の「等高線」、1996年の「ライムワークス」「Citta in negativo」など。
1997年に写真集『ライム・ワークス』、写真展『都市のマケット』により第22回木村伊兵衛賞受賞[2]。2001年には世界最大の国際美術展である「ヴェネツィア・ビエンナーレ」の日本代表の一人に選ばれている[3]。同年、写真集『アンダーグラウンド』により第42回毎日芸術賞を受賞[4]。2011年3月の東日本大震災の津波で陸前高田の生家が流失し、以後たびたび故郷に戻っての撮影も行う。2012年、東京都写真美術館での大規模個展『Natural Stories』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞[5]。