開催国 |
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参加チーム数 | 82 |
優勝 | 横浜フリューゲルス |
準優勝 | 清水エスパルス |
試合総数 | 81 |
第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会(だい78かいてんのうはいぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)は、1998年(平成10年)11月29日から1999年(平成11年)1月1日まで開かれた天皇杯全日本サッカー選手権大会である。
Jリーグ所属の全18クラブ、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属クラブのうち予選が免除された11クラブに加え、関東(4校)・関西(2校)の大学チーム代表と、各都道府県から予選を勝ち上がった47チーム、あわせて前回大会より1チーム増の82チームが本大会に出場した。
参加全82チームのうち、都道府県代表、大学代表、JFL代表の64チームが1回戦から出場、Jリーグクラブについては、同年の1stステージで15―18位だった4クラブ(京都パープルサンガ、コンサドーレ札幌、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡)が2回戦、それ以外のJリーグ14クラブが3回戦からそれぞれシードされた。
1998年シーズン限りで横浜マリノス(合併後に横浜F・マリノスに改称)に吸収合併された横浜フリューゲルス(横浜F)が決勝で清水エスパルスを下し、クラブ最後の大会で優勝した。
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#76 | 1998年12月23日
13:00 |
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鹿島アントラーズ | 2v - 1 (延長) |
サンフレッチェ広島 |
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本山雅志 ![]() 室井市衛 ![]() |
吉田康弘 ![]() |
七北田公園仙台スタジアム
観客数: 18,235人 |
#77 | 1998年12月23日
13:00 |
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名古屋グランパスエイト | 2v - 1 (延長) |
ヴェルディ川崎 |
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![]() 野口幸司 ![]() |
三浦知良 ![]() |
鹿児島県立鴨池陸上競技場
観客数: 5,233人 |
#80 | 1998年12月27日
13:00 |
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名古屋グランパスエイト | 1 - 2v (延長) |
清水エスパルス |
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小倉隆史 ![]() |
ファビーニョ ![]() アレックス ![]() |
横浜国際総合競技場
観客数: 20,619人 |
決勝に進出したのは、これがクラブ最後の試合となる横浜フリューゲルス(横浜F)と、クラブ初の天皇杯決勝進出となった清水エスパルス(清水)の2チーム。横浜Fは「負けたらチームが消滅」という特別な状況の中、若いメンバーが「勝ち続けることで正直、まだ何か延命する可能性があるのではないか」「自分たちが何かを残さないといけない」というモチベーションを保ちながら決勝戦まで勝ち上がってきた[3]。一方の清水もこの年のリーグ戦は年間通算順位で3位と高い完成度と勢いを持って初の天皇杯獲得を目指していた。両チームは1993年のJリーグ開幕ゲームでも三ツ沢公園球技場で顔を合わせており、横浜Fの(Jリーグクラブとして)最初と最後の試合が同じカードとなる奇遇であった。横浜Fの一員として出場した山口素弘によると開幕戦は2対8でエスパルスサポーターだったのが、この日は6対4でフリューゲルスサポーターの方が多かったと述懐している[3]。
DF薩川了洋を出場停止で欠く横浜F[3]に対し、序盤から清水が攻勢に出る。前半13分、伊東輝悦のクロスに飛び込んだ澤登正朗のダイビングヘッドで清水が先制する。その後も清水が攻勢を強め幾度も決定機を作るが追加点を奪えず、逆に前半終了間際、山口素弘と永井秀樹のワンツーから山口がDFの裏に浮き球を送ると、これに走り込んだ久保山由清がターンで相手DFを交わしてゴールを決め、前半ラストプレーで横浜Fが追いつく。
これで勢いを取り戻した横浜Fは後半に入ると攻勢を強め、後半28分、後方からのボールを受けた永井秀樹がペナルティエリア内でDFを引きつけてゴール正面の吉田孝行に送って吉田がゴールに流し込み横浜Fが逆転に成功。その後も試合を優勢に進めてリードを守り、横浜Fが第73回大会以来5大会ぶり2度目の優勝を果たし、有終の美を飾った[4]。この時の試合終了時の試合球は山口素弘が持ち帰って現在も保管しているという[3]。
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