獲得メダル | ||
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陸上競技 | ||
パラリンピック | ||
銀 | 2008 | 車いすマラソン |
笹原 廣喜(ささはら ひろき、1974年4月20日 -)は、大分県豊後高田市出身の車いす陸上競技選手である。
25歳の時、配送の仕事中の事故で脊髄を損傷。希望を失い、現実を受け入れられずにいた時、入院していた福岡県飯塚市の総合せき損センターで出会った車いすテニスがきっかけで車いすでもスポーツができることを知り、パラリンピックの車いすマラソンをテレビで見たことで生きる目標を見つけることができたという。北京パラリンピックで銀メダルを獲得した後、現在は競技の第一線を退き、トップアスリートとしてではなく、市民ランナーとして大会に参加している。太陽の家内にあるオムロン太陽勤務。
5人の先頭集団によるトラック勝負となったが、35km付近で先頭に出た笹原がトップで陸上競技場に入るとそのまま逃げ切り、日本人として初めて優勝した。笹原は35kmまで先頭で風を受け集団を引っ張ったハインツに月桂冠をかぶせようとしたが、彼は「君がチャンピオンだよ」と、笑顔で笹原に返したという。この大会には、後に北京パラリンピック金メダリストとなるカート・ファーンリー、世界記録保持者のハインツ・フライ、ボストンの王者エレンスト・ヴァン・ダイクが顔を揃えており、真のチャンピオン決定戦だったと言える。また、笹原が記録した1時間24分15秒は、2006年シーズンの世界ランキング1位のタイムであった[1]。
事前に下見をした際にコース幅が狭くなる箇所があることから転倒の危険性を予測し、先頭集団の最後尾につける作戦を採った。フィニッシュの競技場入り口にさしかかる下り坂で、先頭集団の数人が接触して転倒。笹原は巻き込まれずにトラックへ入り、2位でフィニッシュした。