紅燈祭 | |
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The Red Lantern | |
監督 | アルベール・カペラーニ |
脚本 | ジューン・メイシス |
原作 | エディス・ウェリー |
出演者 | アラ・ナジモヴァ |
撮影 | トニー・ゴーディオ |
製作会社 | メトロ・ピクチャーズ |
配給 |
メトロ・ピクチャーズ 大正活映 / 国際活映 |
公開 |
1919年5月4日 1920年12月16日 |
上映時間 | 70分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
『紅燈祭』(こうとうさい、英語: The Red Lantern)は、1919年(大正8年)製作・公開、メトロ・ピクチャーズ製作・配給によるアメリカ合衆国のサイレント映画である。日本語別題に『赤燈籠』(あかどうろう)、『赤き灯』(あかきともしび)がある。
メトロ・ピクチャーズは、現在のメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの前身の1社である。アラ・ナジモヴァの同社入社第1回作品である[1]。アンナ・メイ・ウォンが、本作にノンクレジットの端役で出演してデビューしている[2]ほか、日本人俳優青山雪雄が出演している[3]。同社の配給により、1919年(大正8年)5月4日に全米で公開された[4]。
日本では、翌1920年(大正9年)、横浜オデヲン座を当時経営していた横浜・山下町の貿易商平尾商会が正式輸入し、同じ山下町の大正活映が『紅燈祭』のタイトルで配給しようとしたところ、東京・巣鴨の国際活映が上海から中古プリントを並行輸入し、『赤燈籠』のタイトルで宣伝を打った[1][5]。興行所有権確認をめぐる訴訟となったが、前例がなく、裁判所は示談を勧めた[1]。結果、示談が成立し、前者は浅草公園六区の千代田館、後者は同じく帝国館で、同年12月16日に同日公開する、という決着をみた[1][5]。
ベルギー王立シネマテークが上映用プリントを所蔵している[6]。
マーリーは足が大きいといって北京の人たちから馬鹿にされている。それは彼女の父親が西洋人で、中国人の母親が産後すぐに亡くなったとき、祖母に纏足をさせるなと命じて中国を去ったからだ。マーリーは余命幾ばくもない祖母から懇願され、足を切ろうとして傷を負う。この騒ぎを聞きつけ、アンドリューが駆けつけ、自宅のミッション・スクールに運び込む。
数年後彼女はこの学校の教師になっている。ワン博士もこの学校の生徒で、アメリカに留学させてもらったが、人種差別に苦しめられ、帰国後は密かに義和団に加わっている。マーリーとアンドリューは恋心を抱き合うが、そこにサックヴィル卿が娘のブランシュを連れて訪れる。卿こそがマーリーの父親であった。アンドリューは純粋の白人のブランシュに心を寄せる。マーリーは、アンドリューの母親に息子との結婚は許さないと宣告されたショックから、自分に横恋慕するワン博士の言葉にしたがい、外国人排斥の陰謀に加わる決心をする。赤燈祭の夜、彼女は赤燈の女神に扮して人民を煽動する。それを見たジュル・ル将軍は、彼女を利用して外人排斥に消極的な皇太后の前で女神を演じさせる。
しかし、外国軍によって義和団の乱は鎮圧され、ワン博士も撃たれて絶命し、マーリーは女神の扮装のまま毒をあおる。