人口27,852人、面積358.27km²、人口密度77.7人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。
元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡・珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。
当初は羽喰郡とも呼ばれていたが、寛文11年(1671年)5月4日に現在の羽咋郡に改名された[1]。
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 13村 | 鵜野屋村、灯村、入釜村、地保村、切留村、尊保村、阿川村、楚和村、豊後名村、福水村、神子原村、敷浪村、松木村 |
幕府領・旗本領 | 1村 | 四町村 | |
藩領 | 加賀藩 | 1町 216村 |
石坂村、荻谷村、散田村、海老坂村、敷波村、下石村、所司原村、新宮村、当ノ熊村、向瀬村、走入村、見砂村、菅原村、吉野屋村、聖川村、荻島村、荻市村、柳瀬村、《柳瀬出村》、子浦村[4]、大笹村、小浦村、直海村、栗山村、吉田村(現・志賀町)、清水今江村、館開村、火打谷村、代田村、矢蔵谷村、谷屋村、百浦村、大津村、赤住村、《松戸村、江野村》、小室村(現・志賀町小室)、徳田村、印内村、米町村、矢田村、梨谷小山村、神代村、堀松村、柳田村、一ノ宮村、一ノ宮寺家村、土橋村、粟原村、立開村、粟生村、新保村、石野町村、二口村、深江村、円井村、兵庫村、滝村、羽咋村、吉崎村、塵浜村、西谷内村、今田村、藤瀬村、田中村、《江添村》、免田村(現・七尾市)、《上畠村》、生神村、大平村、鳥越村、《古江村》、風無村、福浦村、草木村、《日下田村》、荒屋村、中山村、八幡村、《飯室村、八幡座主村》、里本江村、牛下村、田原村、《長田村》、釈迦堂村、谷神村、三明村、《中畠村》、町居村、深谷村、栢木村、《大鳥居村》、和田村、大西村、《広地村》、笹波村、小室村(現・志賀町東小室)、高田村、千浦村、給分村、《相坂村、中泉村》、稲敷村、《草江村》、河内村、貝田村、七海村、《領家七海村》、大福寺村、相神村、町屋村、酒見村、風戸村、赤崎村、中浜村、鹿頭村、《小窪村》、地頭町[5]、領家町村、日用村、杉野屋村、千代町村、垣内田村、《上江村》、千田村、尾長村、志々見村、本江村、飯山村、《薮野村》、千石村、清水原村、菅池村、中川村、柴垣村、《滝谷村》、雨田村[6]、犱谷村、福野村、大島村、長沢村、大念寺村、《大念寺新村》、川尻村、上野村、末吉村、倉垣村、矢駄村、《西山村》、大坂村、穴口村、《米浜村》、館村、福井村、宿村、今浜村、《今浜新村》、二ツ屋村、平床村、夏栗村、吉田村(現・宝達志水町)、小川村、麦生村、大海川尻村、冬野村、北川尻村、米出村、森本村、門前村、河原村、中沼村、竹生野村、免田村(現・宝達志水町)、瀬戸町村、沢川村、牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、箕打村、黒川村、八野村、野寺村、東間村、紺屋町村、正友村、《東野村》、坪山村、御館村、《中野村、三日町村》、山崎村、《宝達村》、上田村、上田出村、元女村、大田村、上棚村、中山村、二所宮村、町村、針山村、原村、千路村、安津見村、《安津見村》、仏木村、安部屋村、三ツ屋村[7]、上白瀬村[8]、堀替新村[9]、菱分村[9]、市野谷村[10]、前浜村[11] |
幕府領・藩領 | 幕府領・加賀藩 | 1村 | 白瀬村 |
旗本領・加賀藩 | 1村 | 太田村 |
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
羽咋町 | 羽咋町 | 昭和29年11月3日 羽咋町 |
昭和31年9月30日 羽咋町 |
昭和33年7月1日 市制 |
羽咋市 | 羽咋市 | ||
富永村 | 富永村 | |||||||
粟ノ保村 | 粟ノ保村 | |||||||
一ノ宮村 | 一ノ宮村 | |||||||
越路野村 | 越路野村 | |||||||
上甘田村 | 上甘田村 | |||||||
塵浜村 | 昭和2年9月1日 改称 千里浜村 | |||||||
北邑知村 | 昭和8年5月15日 邑知村 |
昭和15年2月11日 町制 |
邑知町 | |||||
中邑知村 | ||||||||
若部村 | ||||||||
鹿島郡 余喜村 |
鹿島郡 余喜村 |
鹿島郡 余喜村 | ||||||
鹿島郡 鹿島路村 |
鹿島郡 鹿島路村 |
鹿島郡 鹿島路村 | ||||||
高浜町 | 高浜町 | 高浜町 | 昭和30年4月28日 高浜町 |
昭和45年11月1日 志賀町 |
平成17年9月1日 志賀町 |
志賀町 | ||
中甘田村 | 中甘田村 | 中甘田村 | ||||||
志加浦村 | 志加浦村 | 昭和29年10月1日 志賀町 |
志賀町 | |||||
堀松村 | 堀松村 | |||||||
加茂村 | 加茂村 | |||||||
上熊野村 | 上熊野村 | |||||||
東土田村 | 昭和15年11月3日 土田村 | |||||||
西土田村 | ||||||||
下甘田村 | 下甘田村 | 下甘田村 | 昭和30年4月1日 志賀町に編入 | |||||
富来村 | 大正8年9月1日 町制 |
昭和29年11月3日 富来町 |
富来町 | |||||
熊野村 | 熊野村 | |||||||
稗造村 | 稗造村 | |||||||
東増穂村 | 東増穂村 | |||||||
西増穂村 | 西増穂村 | |||||||
西海村 | 西海村 | |||||||
西浦村 | 西浦村 | |||||||
福浦村 | 福浦村 | |||||||
北志雄村 | 昭和8年5月1日 志雄村 昭和11年2月1日 町制 |
志雄町 | 志雄町 | 平成17年3月1日 宝達志水町 |
宝達志水町 | |||
志雄村 | ||||||||
南志雄村 | ||||||||
樋川村 | ||||||||
南邑知村 | ||||||||
北大海村 | 北大海村 | 昭和29年11月3日 押水町 |
押水町 | |||||
北荘村 | 北荘村 | |||||||
中荘村 | 中荘村 | |||||||
末森村 | 末森村 | |||||||
柏崎村 | 柏崎村 | |||||||
釶打村 | 釶打村 | 昭和23年4月1日 鹿島郡 |
七尾市 | |||||
河合谷村 | 河合谷村 | 昭和29年5月16日 河北郡 津幡町に編入 |
河北郡 津幡町 | |||||
南大海村 | 南大海村 | 昭和29年7月15日 河北郡 高松町 |
かほく市 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 平寿盛 | 1878年(明治11年)12月17日[14] | 1880年(明治13年)6月12日[14] | 石川県第八大区長 | 依願免本官 |
2 | 野村彦四郎 | 1880年(明治13年)6月12日[14] | 1881年(明治14年)4月6日[14] | 石川県四等属 | 京都府一等属 |
3 | 宇野順美 | 1881年(明治14年)4月29日[14] | 1881年(明治14年)11月2日[14] | 石川県六等属 | 死去 |
4 | 大橋永孚 | 1881年(明治14年)11月14日[14] | 1887年(明治20年)9月11日[14] | 石川県四等属 | 死去 |
5 | 河瀬貫一郎 | 1887年(明治20年)9月28日[14] | 1890年(明治23年)6月16日[14] | 石川県会議員 | 依願免本官 |
6 | 小川清太 | 1890年(明治23年)7月23日[14] | 1890年(明治23年)12月27日[14] | 河北郡長 | 鹿島郡長 |
7 | 大野木克俊 | 1890年(明治23年)12月27日[14] | 1891年(明治24年)10月16日[14] | 鹿島郡長 | 鹿島郡長 |
8 | 安達正輝 | 1891年(明治24年)10月16日[14] | 1895年(明治28年)2月17日[14] | 石川県属 | 死去 |
9 | 大森孝次郎 | 1895年(明治28年)3月13日[14] | 1897年(明治30年)5月10日[14] | 石川県属 | 非職 |
10 | 松島喜五郎 | 1897年(明治30年)5月10日[14] | 1903年(明治36年)3月31日[14] | 石川県警部 | 江沼郡長 |
11 | 栗山富栄 | 1903年(明治36年)3月31日[14] | 1904年(明治37年)7月26日[14] | 石川県属 | 鳳至郡長 |
12 | 大津辰三郎 | 1904年(明治37年)7月26日[14] | 1906年(明治39年)3月24日[14] | 珠洲郡長 | 死去 |
13 | 土田伊蔵 | 1906年(明治39年)4月13日[14] | 1907年(明治40年)4月12日[14] | 石川県警視 | 江沼郡長 |
14 | 山口信定 | 1907年(明治40年)4月12日[14] | 1914年(大正3年)3月9日[14] | 能美郡書記 | 江沼郡長 |
15 | 吉田直矩 | 1914年(大正3年)3月9日[15] | 1914年(大正3年)8月21日[16] | 江沼郡長 | 依願免本官 |
16 | 松本源祐 | 1914年(大正3年)8月21日[16] | 1919年(大正8年)3月31日[17] | 河北郡書記 | 鳳至郡長 |
17 | 水原信一 | 1919年(大正8年)3月31日[17] | 1921年(大正10年)7月22日[18] | 河北郡書記 | 石川県理事官 |
18 | 山上岩雄 | 1921年(大正10年)9月1日[19] | 1923年(大正12年)12月27日[20] | 石川県警視 | 休職 |
19 | 林登亀雄 | 1923年(大正12年)12月27日[21] | 1924年(大正13年)9月2日[22] | 石川県属 | 依願免本官 |
20 | 京念洋 | 1924年(大正13年)9月2日[22] | 1926年(大正15年)7月1日[23] | 石川県属 | 廃官 |