自責点(じせきてん、Earned run / ER)は、野球の試合において投手の責任とされる失点のこと[1]。
自責点は安打、犠飛、犠打、刺殺、四死球(故意四球を含む)、暴投、ボーク、野手選択、盗塁によって進塁した走者が得点したときに、失点とともに記録[2]される。ただし、
投手個人に失点と自責点が記録されるたび、チームにも失点と自責点が記録される。ただし、後述する理由によって、自責点が投手個人には記録されるがチームには記録されない例も発生しうる。
日本プロ野球では二死後に失策でアウトを取る機会を逸した場合のみ、以降の失点が自責点にはならないという解釈をしていた時期があった。グレン・ミケンズ#ミケンズルール参照。
イニング途中に投手が走者を残した状態で交代し、救援投手が安打を打たれるなどして走者が得点した場合、原則として残した走者の数までは前任投手の失点となる[3]。その失点が上記の考え方によって自責点でないと判断されなければ、その失点は自責点として記録される。
ただし、前任投手が残した走者が盗塁刺、牽制死、守備妨害など、打者の打撃によらないでアウトになった場合、および打者の打撃によるものでも余塁を奪おうとしてアウトになった場合は、そのアウトの数だけ「残した走者の数」が差し引かれる[4]。
また、イニングの途中で投手が交代した場合は、交代後の投手については、失策や捕逸によるアウトの機会の恩恵を受けることはできない[5]。即ち、例えば2失策でイニングの第3アウトの機会を得ていても実際のアウトが1であれば、アウトの機会を1として扱う(交代前の投手やチーム全体のアウトの機会については変更なし)。よって、走者の得点を許したときに、投手に自責点が記録されたがチームには自責点が記録されないという例が発生することがあるため、個人の自責点を合計したものがチームの自責点と一致するとは限らない。こうした場合、チームとしての自責点に、個人自責点の合計値をカッコつきで付記する。
打席途中で投手交代を行った場合、四球以外の結果であればすべて交代後の投手の責任となる。四球の場合は、交代した時点で打者有利のボールカウントであった場合、前任投手に責任が及ぶ。ここでいう打者有利のボールカウントとは、
のいずれかを指す[6]。
日本プロ野球と米国(MLB)では投手自責点の決定時期が異なる。日本では得点がカウントされた時点でその得点が自責点かそうでないかが決定されるのに対して、メジャーリーグでは当該イニング終了まで決定が保留され、その後、失策その他のミスプレイが無かった場合に走者はどこまで進むことができたかを検討・推定してイニングを再構成するという手順をとる。この違いのため、結果的に日本プロ野球の方が投手の自責点になりにくい。
いわゆるタイブレークにおいて、最初から塁にいた走者の得点による失点はどんな形での失点でも自責点とはならない。ただしそれ以外の新たに出塁した走者に対しては上記のルール通りである。
順位 | 選手名 | 自責点 |
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1 | 米田哲也 | 1659 |
2 | 鈴木啓示 | 1588 |
東尾修 | ||
4 | 金田正一 | 1434 |
5 | 梶本隆夫 | 1395 |
6 | 山田久志 | 1367 |
7 | 石川雅規 | 1354 |
8 | 小山正明 | 1336 |
9 | 三浦大輔 | 1309 |
10 | 山本昌 | 1285 |
順位 | 選手名 | 自責点 |
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11 | 工藤公康 | 1279 |
12 | 北別府学 | 1268 |
13 | 平松政次 | 1236 |
14 | 石井茂雄 | 1219 |
15 | 松岡弘 | 1200 |
村田兆治 | ||
17 | 佐藤義則 | 1152 |
18 | 涌井秀章 | 1109 |
19 | 堀内恒夫 | 1106 |
20 | 桑田真澄 | 1089 |
順位 | 選手名 | 所属球団 | 自責点 | 記録年 | 備考 |
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1 | 真田重蔵 | パシフィック | 163 | 1946年 | [9] |
2 | 小林恒夫 | 松竹ロビンス | 158 | 1951年 | セ・リーグ記録、左投手記録[10] |
3 | 高野裕良 | 大洋ホエールズ | 156 | 1950年 | [11] |
4 | 長谷川良平 | 広島カープ | 150 | 1950年 | [12] |
5 | 内藤幸三 | ゴールドスター | 134 | 1946年 | [13] |
真田重男 | 松竹ロビンス | 1950年 | |||
天保義夫 | 阪急ブレーブス | 1950年 | パ・リーグ記録 | ||
8 | 内藤幸三 | 広島カープ | 133 | 1950年 | |
9 | 田原基稔 | 国鉄スワローズ | 132 | 1950年 | |
小林恒夫 | 松竹ロビンス | 1952年 |
順位 | 選手名 | 自責点 |
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1 | サイ・ヤング | 2147 |
2 | フィル・ニークロ | 2012 |
3 | ジェイミー・モイヤー | 1926 |
4 | ドン・サットン | 1914 |
5 | ノーラン・ライアン | 1911 |
6 | パッド・ガルヴィン | 1903 |
7 | ガス・ウェイイング | 1872 |
8 | スティーブ・カールトン | 1864 |
9 | ゲイロード・ペリー | 1846 |
10 | レッド・ラフィング | 1833 |
順位 | 選手名 | 自責点 |
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11 | バート・ブライレブン | 1830 |
12 | ウォーレン・スパーン | 1798 |
13 | アーリー・ウィン | 1796 |
14 | ロビン・ロバーツ | 1774 |
15 | グレッグ・マダックス | 1756 |
16 | トミー・ジョン | 1749 |
17 | ジム・カート | 1738 |
18 | トム・グラビン | 1734 |
19 | アール・ホワイトヒル | 1726 |
20 | ロジャー・クレメンス | 1707 |
順位 | 選手名 | 所属球団 | 自責点 | 記録年 |
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1 | ジョン・コールマン | フィラデルフィア・クエーカーズ | 291 | 1883年 |
2 | テッド・ブリーテンスタイン | セントルイス・ブラウンズ | 238 | 1894年 |
3 | レッド・ドナヒュー | 237 | 1897年 | |
4 | アル・メイズ | ニューヨーク・メトロポリタンズ | 232 | 1887年 |
5 | キッド・カーシー | ワシントン・ステイツメン | 230 | 1891年 |
6 | ガス・ウェイイング | フィラデルフィア・アスレチックス | 221 | 1887年 |
7 | ヘンリー・ポーター | カンザスシティ・カウボーイズ | 219 | 1888年 |
8 | マット・キルロイ | ボルチモア・オリオールズ | 218 | 1886年 |
トニー・マレーン | シンシナティ・レッドストッキングス | |||
10 | エド・スワード | フィラデルフィア・アスレチックス | 216 | 1887年 |
記録は2024年シーズン終了時点[16] |
2リーグ制後 | |||||
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順位 | 選手名 | 所属球団 | 自責点 | 記録年 | 備考 |
1 | ボボ・ニューサム | セントルイス・ブラウンズ | 186 | 1938年 | |
2 | スネーク・ウィルツ | フィラデルフィア・アスレチックス→ボルチモア・オリオールズ | 172 | 1902年 | 左投手記録[17] |
3 | ディッキー・カー | シカゴ・ホワイトソックス | 162 | 1921年 | |
4 | ジャック・ノット | セントルイス・ブラウンズ | 156 | 1936年 | |
5 | ガイ・ブッシュ | シカゴ・カブス | 155 | 1930年 | ナ・リーグ記録 |
6 | レイ・クレマー | ピッツバーグ・パイレーツ | 154 | ||
7 | ウェス・フェレル | ボストン・レッドソックス→ワシントン・セネタース | 153 | 1937年 | |
8 | パット・キャラウェイ | シカゴ・ホワイトソックス | 152 | 1931年 | |
9 | ジョー・マクギニティ | ボルチモア・オリオールズ | 151 | 1901年 | |
10 | ジョージ・ウール | クリーブランド・インディアンス | 150 | 1923年 | |
記録は2024年シーズン終了時点[16] |