芝木 好子 (しばき よしこ) | |
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六興出版社『小説公園』第7巻第8号(1956)より | |
誕生 |
芝木 好子 (しばき よしこ) 1914年5月7日 日本・東京府北豊島郡王子町大字王子 |
死没 |
1991年8月25日(77歳没) 日本・東京都中央区 |
墓地 | 青山霊園 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京府立第一高等女学校卒業 |
ジャンル | 小説、随筆 |
主題 | 恋愛小説 |
代表作 |
『青果の市』(1941年) 『洲崎パラダイス』(1954年) 『湯葉』(1960年) 『青磁砧』(1972年) 『隅田川暮色』(1982-83年) |
主な受賞歴 |
第14回芥川龍之介賞(1942年) 女流文学者賞(1960年) 小説新潮賞(1965年) 女流文学賞(1972年) 日本芸術院賞(1981年) 恩賜賞(1982年) 日本文学大賞(1984年) 毎日芸術賞(1987年) |
配偶者 | 大島清 |
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芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991年8月25日)は、日本の小説家。生まれ育った東京下町への哀惜を託した文章で知られ、芸術と恋愛の相克に苦しむ女性の生き方を描いた小説に独自の境地を拓いた。戦後の女流文学を代表する作家の一人である。日本芸術院会員。文化功労者。
「文芸首都」同人。『青果の市』(1941年)で芥川賞受賞。ほかに『洲崎パラダイス』(1955年)、『隅田川暮色』(1984年)、『雪舞い』(1987年)など。
東京府王子町大字王子(現在の東京都北区王子)生まれ、7歳から浅草区浅草東仲町(現在の台東区雷門)に移住。東京市田原尋常小学校(現在の台東区立田原小学校)卒。東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校)卒。1941年5月に経済学者の大島清と結婚、本姓を芝木から大島へと変える。大島清については『丸の内八号館』に当時の様子が書かれている。
1941年に発表した戦時下の統制された築地青果市場を舞台に家運再興の為懸命に生きる八重の姿を描く『青果の市』で、1942年に第14回芥川賞受賞。大正生まれ初の受賞であった。戦後に書いた『湯葉』(1960年)、『隅田川』(1961年)、『丸の内八号館』(1962年)の 3作品は自伝三部作と言われ、作風が確立される。
他の作品に『隅田川暮色』(1982-83年)、『洲崎パラダイス』(1954年)、『夜光の女』(1955年)『葛飾の女』(1966年)等。『洲崎パラダイス』は新珠三千代主演で『洲崎パラダイス赤信号』として映画化された。また、同じく洲崎の歓楽街を舞台にした『洲崎の女』が、溝口健二の遺作『赤線地帯』の原作の一つとなっている。
工芸や美術などに打ち込む女性と、それら芸術を通じた男性との恋情を哀感豊かに描く作品が多い。
1983年日本芸術院会員、1986年(昭和61年)勲三等瑞宝章、1989年(平成元年)文化功労者。1991年8月25日、乳癌のため国立がんセンターで死去[2]。