ほたる ゆきじろう 螢 雪次朗 | |
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本名 | 渡辺 潔 |
生年月日 | 1951年8月27日(73歳) |
出生地 | 日本・埼玉県 |
身長 | 168 cm |
血液型 | B型 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 |
活動期間 | 1970年 - |
配偶者 | あり |
事務所 | CES |
公式サイト | プロフィール |
主な作品 | |
テレビドラマ 『美少女仮面ポワトリン』 『うたう!大龍宮城』 『牙狼〈GARO〉』シリーズ 映画 『病院へ行こう』 『ゼイラム』 『平成ガメラシリーズ』 |
螢 雪次朗(ほたる ゆきじろう、1951年8月27日[1] - )は、日本の俳優。埼玉県出身。血液型はB型。株式会社CESエンタテインメント所属。
芸名ではあるものの「螢」という苗字や、男性で「雪」から始まる名前がいずれも非常に珍しいことから、苗字と名前の区切りが判らず「けいせつ じろう」とぎなた読みされることが多いことで知られる。インターネットでも検索バーに「けいせつじろう」と入力して検索をかけると螢雪次朗がヒットするようになっている。
高校2年生の頃にアマチュア劇団に所属していた姉の影響で俳優の道を志す[2]。高校卒業後、東京演劇アンサンブル付属俳優教室を経て東京演劇アンサンブルに入団した[3]。25歳までは劇団に所属していたが、新劇以外のアングラ演劇などに興味を持ち、退団して小規模な芝居を中心に活動するようになった[2]。
30歳の時にストリップ劇場での芝居に参加したのをきっかけに、新東宝映画などのピンク映画や日活ロマンポルノに数多く出演した。1984年にヌード劇場で知り合ったルパン鈴木とコントグループ「螢雪次朗一座」を結成[2]。『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)に出演し、11週勝ち抜き人気を集める[2]。
39歳の時にコンビを解散し、本格的に役者として活動[2]。
1990年、映画『病院へ行こう』の定役が好評を得る[2]。同年、東映不思議コメディーシリーズ第11作『美少女仮面ポワトリン』(フジテレビ)にて悪の帝王・ディアブル役で初レギュラー。
SFモノへの出演をきっかけに、雨宮慶太作品には常連出演することになる。
1995年、金子修介監督の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(大迫警部補役)で特撮ファンなどから知られるようになる。以後、金子作品にも常連出演している。
1960年代に大映作品などで活躍した蛍雪太朗は師匠にあたり、芸名もそれにちなんでいる[2]。一部の名鑑[要文献特定詳細情報]などに血縁であると記載されているものがあるが、誤り[2]。この蛍雪太朗も、大映時代のガメラシリーズへの出演歴があり(『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』)、螢がガメラへの出演を希望した理由の一つになっている[2]。
ピンク映画時代の滝田洋二郎監督とは、一時ほとんどの作品で主演としてコンビを組み、探偵黒田一平シリーズなどのコミカルな演技で、自身と滝田の名を大いに高めた。今なお高く評価される作品も少なくなく、螢もピンクの仕事に誇りを抱いていることもあって、メジャー定着後も2004年頃まで成人映画に出演していた。滝田とは、一般映画においても脇役出演などで盟友関係が続いている。
平成ガメラシリーズの監督金子修介とは金子がロマンポルノを撮影していた頃に出会っており、映画『いたずらロリータ。うしろからバージン』への出演依頼も受けていたが、同時上映が滝田組の『はみ出しスクール水着』であったために断っている[2]。その時に金子といつか一緒に仕事をしようと交わしたことが後の平成ガメラシリーズへの出演に繋がっている[2]。
映画『ゼイラム』以来雨宮慶太の監督作品に多く出演しており、後年では「雨宮組の番頭」と称されている[4]。自ら「雨宮教」を自称するほど雨宮を敬愛しており[3]、雨宮を世界に通用するクリエイターであると評している[4]。雨宮、金子、渡邊元嗣と、いずれもSFを最も得意とする監督の常連であり、滝田洋二郎も螢が主演の作品は本格ミステリが多いため、日本のSF、ミステリファンにとって最も親しみ深い俳優の一人となっている。