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袁紅氷 | |
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生年月日 | 1957年(67 - 68歳) |
出生地 |
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出身校 | 北京大学 |
前職 | 貴州大学法学部長 |
所属政党 |
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袁紅氷(えんこうひょう, イェン・ホンビン, Yuan Hongbing, 簡体字: 袁红冰 1953年 - )は中華人民共和国の漢族の作家、法学者、反体制活動家。元の名前は袁紅兵(音は同じ)。
1986年、北京大学法学部では刑事訴訟法を専攻し、修士課程を首席で修了。
その後、北京大学で教鞭をとるが、1989年に「北京大学教師後援団」を組織して天安門広場に集まった学生を積極的に擁護したため、当局にマークされるようになる。
1990年に発表した「荒原の風」(原題:「荒原风」)は学生、知識層の広範な支持を得る。
その後、中国の政情が比較的穏やかであった1990年代に4冊の本を出版している。労働者の立場から、チェコスロバキアの憲章77をモデルにした「平和憲章」の策定に関わっていたと言われている。
1994年3月2日、社会主義制度の転覆を企てたとして当局に逮捕された後、北京から追放され、貴州大学で法学部長になる。この時の罪状は以下のとおり。
2004年7月、アメリカ合衆国憲法と国際法に基づいて米国への政治亡命を申請する。その後、秘書と共にオーストラリアに渡航し、同月28日、国際法、国連憲章、オーストラリアが批准している国際条約に基づいて同国に亡命。同年8月には現地で自著を出版することにも成功する。
2005年6月、オーストラリアに亡命申請した元外交官の陳用林を擁護し、中国がオーストラリアを「政治的殖民地」にしようとしていると批判した。
同年9月10日、「中国共産党の人類に対する犯罪に関するシドニー国際法廷」の判事として、胡錦濤総書記に対し、告訴された江沢民元総書記、羅干、周永康、劉京[要曖昧さ回避]ら4名を即刻逮捕してシドニーに護送するように要求した。
2006年3月5日、蒋品超、盛雪、魏京生、徐文らと共に、中国国内で迫害されている活動家を支持する趣旨で全世界一万人の絶食抗議を行った。
2008年前後、尚、事件から数年後、陳水扁の銃撃事件は「中国人民解放軍の情報機関が台湾の選挙を混乱させようとして実行したテロだ」と証言したが、それを裏付ける資料はでていない[1]。
2009年、中国共産党の台湾併合工作に警鐘を鳴らす「台湾大劫難 ~2012年台湾は戦わずして敗れる~」を出版。
2010年に来日し、日本文化チャンネル桜に出演した。