連祷(れんとう、ギリシア語: ἐκτένεια[1], ロシア語: Ектения[2], 英語: Ektenia)とは、正教会における公祈祷(礼拝)の重要な構成要素の一つ。
輔祭(輔祭がいない場合は司祭)と詠隊(聖歌隊)が歌い交わす形式を採る。
正教会での連祷も「Litany」(リタニ)と表記される事はあるが、「Ektenia」と表記される事が多い。ロシア語(「Ектения」)やポーランド語(「Ektenia」)にみられるように、海外では正教会の連祷の事はまず「エクテニア」系の呼称が用いられる。但し、日本正教会で「エクテニア」等の片仮名表記が用いられる事はまず無い。
輔祭が祈願を読み上げ、詠隊がそれに対して「主、憐れめよ」「主憐れめ、主憐れめ、主憐れめよ」「主、賜えよ」「主、爾に」などと答える形である。いずれの連祷も「主、爾に」と「アミン」(アーメン)の答えで締めくくられるのは同じである。
連祷には以下の種類がある(他にも様々なものがある)。同じ「大連祷」でも聖体礼儀・パニヒダ・埋葬式・モレーベンなどの各種奉神礼のそれぞれに、輔祭による朗誦部分の文言に違いがあり、細かく異なる文言のパターンが存在する。
連祷は正教会の祈祷の重要な構成要素である。全ての公祈祷・奉神礼において連祷が含まれていないものは存在しない。詠隊と輔祭が交互に歌い交わす形式で行われることから、聖歌としても特色ある伝統が各地に成立していくこととなった。
輔祭の祈願朗誦に対し、Κύριε ἐλέησον.(キリエ・エレイソン「主、憐れめよ」)、Παράσχου Κύριε.(パラスフ・キリエ「主、賜えよ」)、Σοὶ Κύριε.(シ・キリエ「主、爾に」)、Ἀμήν.(アミン:アーメンの現代ギリシャ語読み)などといった言葉で応える(ギリシャ語の場合)。
伝統的に多彩な旋律で歌われている。但し、他の聖歌と同様、スラヴ系正教会のような和声づけはギリシャ系正教会では行われておらず、「イソン」と呼ばれる持続低音がハミングされるか同じ祈祷文で付けられるかするのみである。
なおこのギリシャ系聖歌の伝統の影響は、非ギリシャ系正教会ではあるがバルカン半島にあって地域的に隣接している南スラヴ系のブルガリア正教会・セルビア正教会や、非ギリシャ系かつ非スラヴ系のルーマニア正教会にもみられる。
輔祭の祈願朗誦に対し、 Господи, помилуй.(ゴースポジ・ポミールイ「主、憐れめよ」)、Подай Господи.(ポダーイ・ゴースポジ「主、賜えよ」)、Тебе, Господи.(チェベ・ゴースポジ「主、爾に」)、Аминь.(アミン)などといった言葉で応える(教会スラヴ語の場合)[3]。
音楽的に単純な旋律で歌われる事が大半であり、中規模以上の専任の聖歌隊が具えられている教会以外では複雑な旋律・和声が付けられる事はあまり無いが、キエフ調、ヴァラーム調、ヴィーレンスカヤといった、独特の伝統的旋律・和声付けは存在しており、これらが部分的に各種奉神礼で実際に使用される事はある。また、ロシア正教会・ウクライナ正教会・ブルガリア正教会・セルビア正教会といったスラヴ系正教会では、作曲家が連祷を作曲する事も多い。
全種類の聖体礼儀、結婚式、パニヒダ、埋葬式、その他の諸祈祷も含めた全ての公祈祷・奉神礼で、連祷が含まれないものは存在しないため、まとまった量の正教会の聖歌作曲を行った作曲家は、ほぼ例外なく連祷にも作曲を行っている。
但し連祷単体に作曲を行うというよりは、それが含まれる奉神礼の一環として作曲を行っているケースが多い。従って、「正教会の連祷を作曲した著名な聖歌作曲家」をリストアップしたものは、「著名な正教会の聖歌作曲家のリスト」とほぼ同じ意味合いのものとなる。
※《》内は活躍した(している)正教会
日本正教会はロシア正教会からの伝道を受けた経緯から聖歌についてもスラヴ系正教会の伝統を引き継ぎ、連祷を単調な旋律と和声で歌う伝統を概ね維持している。但しニコライ堂では一部においてアレクサンドル・アルハンゲルスキーやパーヴェル・チェスノコフの作曲によるものが取り上げられたり、横浜ハリストス正教会や名古屋ハリストス正教会においてはルーマニア正教会の連祷が日本語訳されて歌われたりするなど、若干多様化していく変化の兆候がみられる。また、歌唱に使われるのは殆ど日本語である(都市圏の教会では外国人が参祷している場合にスラヴ語等を用いる場合があるが、極めて稀である)。