銭谷 欽治(ぜにや きんじ、男性、1953年3月12日[1] - )は、石川県加賀市出身の日本の元バドミントン選手。元日本バドミントン協会の専務理事[2]。
石川県加賀市立錦城小学校~中学校卒、1971年石川県立大聖寺高等学校卒、1975年中央大学商学部商業貿易学科卒業[3]
河崎ラケット工業-三洋電機 (1984年入社)[4]。 全日本総合バドミントン選手権大会男子シングルで1976年から4連覇など7回の優勝を持つ。
1990年、三洋電機監督に就任。1996年から三洋電機女子チームを全日本実業団バドミントン選手権大会4連覇に導いた。
現役引退後は日本バドミントン協会理事・選手強化本部本部長、大阪府バドミントン協会理事長、三洋電機総務人事本部文化・スポーツ推進部部長等を歴任する。
石川県はバドミントンが盛んで多くの有名選手を輩出しているが、その殆どはバドミントン王国である県中央部の金沢市出身あるいは金沢市の学校の出身者であり、県西南端の加賀市出身の選手が活躍するのは稀なことであった。そのため銭谷の出身地である加賀市などを含む南加賀地区では銭谷の功績を記念し、1985年から『銭谷杯争奪少年バドミントン大会』を開催している。
2022年3月に日本バドミントン協会元職員の公金横領問題、国際交流事業に於ける補助金不正申請問題が相次いで発覚し、一連の問題を調査していた第三者委員会での報告にて協会幹部による事案隠蔽工作などが明らかにされたことから世間の批判が集まり、こうした状況を受けて同年10月27日に開催した協会臨時理事会にて会長の関根義雄と専務理事の銭谷が一連の問題の責任を取る形で11月30日付で理事職を含めた役職を辞任することとなった[5]。
全日本社会人バドミントン選手権大会
全日本実業団バドミントン選手権大会
国民体育大会バドミントン競技
トマス杯(世界国別対抗戦)
1979年と1982年に日本は地区予選を勝ち抜き本大会に出場。共に主戦選手に選ばれている。 1979年には準決勝進出している。