なんば けいいち 難波 圭一 | |
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プロフィール | |
本名 | 難波 圭一[1][2] |
愛称 | ケッケ[3] |
性別 | 男性 |
出生地 | 日本・島根県江津市[3][4] |
出身地 | 日本・山口県岩国市[3] |
生年月日 | 1957年8月26日(67歳) |
血液型 | AB型[5][6] |
職業 | 声優、俳優、ナレーター[7] |
事務所 |
藤賀事務所[5] ケッケコーポレーション(声のみ)[8] |
配偶者 | 荘真由美(実業家・元声優) |
公式サイト | 難波圭一|藤賀事務所 |
公称サイズ(時期不明)[6] | |
身長 / 体重 | 167 cm / 57 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1981年 - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
デビュー作 | ロック(『超人ロック』)[9] |
俳優活動 | |
活動期間 | 1980年代 - |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
デビュー作 | 『アップルトゥリー』[3][10] |
難波 圭一(なんば けいいち、1957年8月26日[1][9][11][12] - )は、日本の声優・俳優・ナレーター[7]。島根県江津市出生[4]、山口県岩国市出身[3]。藤賀事務所所属[5]。ケッケコーポレーション代表[13][8]。妻は元声優で実業家の荘真由美。元妻は声優の鶴ひろみ。
島根県江津市で誕生し[4]、4歳の時に山口県岩国市に転居[3]。
小学校時代は優等生だがひょうきんであり、芝居などが好きであった[2][3]。給食の時間は、コントを小学5年生まで毎日演じ続けていた[3]。一方で劇を演出したり、脚本を書いたりもしていた[3]。役者として演じることも忘れておらず、『サザエさん』のサザエ役を演じて学校中を笑わせたりもしていた[3]。
中学時代のころも演劇サークルに所属していたが、高校は男子校だったことから「演劇部ではたいしたことはできないんじゃないか」と思い、高校3年生の時にロックバンドを結成、ボーカルをしていた[2][3][10]。このころはロングヘアでメイクをして、ロンドンブーツを履いて、ミュージシャンを意識したスタイルで学校に通っていたという[2][3]。
1976年に修道高等学校[3]卒業後、役者になりたいという旨を両親に伝えると「お金になるかどうか分からないようなことはやめて、家業を手伝え」と反対された。しかし、どうしても役者になりたかった難波はなおも食い下がり「生涯通してやるものを見つけた」と言ったら勘当されたという[9]。
親から勘当されたことで帰る場所を失った難波は、その後上京[9]。高校時代から続いていたバンド活動を行って、学園祭を回ったり、デモテープを作ってロックをしていたが、あまりパッとしなかった[2][3]。色々悩み、「大学だったら演劇科に行こう」と思ったりしていたが、「劇団も受けてみよう」と思ったという[2]。入る劇団を探していたころ、声優の野沢那智が主宰する劇団薔薇座の舞台上でレオタード姿で汗を流す先輩の戸田恵子の姿に魅入られ薔薇座に入団。それからは、芝居がうまくなりたい一心で朝から昼まで稽古場にいたという、劇団に縋り付くような日々を送った[9]。初舞台は『アップルトゥリー』[3][10]。丁度そのころ、薔薇座がミュージカル路線に変更した時期で、薔薇座にいた多くの先輩劇団員が退団していた。人手不足であったことと、かつてロックミュージシャンを目指していた難波の歌唱力が買われ、入団早々いきなり戸田の相手役に抜擢され、以後様々な舞台に立ち続けた[9]。
過去に劇団シアトリカルベース・ワンスモアの代表を務めていた[14]。
1984年に映画『超人ロック』で声優デビュー[9]し、声優業も並行して活動するようになる。また、トランスフォーマーシリーズにおいて数多くのキャラクターの声を担当し、第1作からVまでの5作品に連続して出演した。
2000年代以降は『嗚呼!バラ色の珍生!!』、『伊東家の食卓』など、バラエティ番組などにおけるナレーションを中心に活動。また、インターネット放送などで声優関連企画の講師を務めたこともある。また1990年代から約30年に渡りビデオオプションで「ケロシン難波」名義でナレーションを務めていた。
2012年8月をもって青二プロダクション[15]を退社、同年9月より藤賀事務所に所属。藤賀事務所移籍後は、テレビドラマに出演する機会が増えている。
2021年1月1日より、声優業についてはケッケコーポレーションに所属することとなった。
音域はBb - E♯[14]。役柄としては、二枚目キャラから三枚目、シリアスからギャグまで様々なキャラクターをこなす[16]。
1987年度から1988年度は、NHK教育テレビでの小学生向け音楽番組『ふえはうたう』で、2年間おにいさん役を務め、けいちゃんの愛称で人気を集めた。
7歳年下の妹がいる[2]。元妻は声優の鶴ひろみ、現在の妻は同じく声優の荘真由美。荘とは『キテレツ大百科』とOVA作品『ヤンキー烈風隊』で共演したことを機に結婚している。
松濤アクターズギムナジウムの代表兼主任講師として、後生の育成にも力を注いでいる。大原めぐみは難波が主宰する養成所の卒業生で、難波の教え子である[9]。
ナレーターに関しては「そのときの自分で、そのときの自分の世界観で語る」ことと祖父の「圭一の言っている言葉の意味がわからないんだ」という一言から、早口でも理解してもらえるように話すため、幼いときから好きだった落語による経験が生かされているという[9]。
俳優やタレントなどが声優の仕事を行うことに関しては、「いいですよね。ぼくは声優という小さな世界がなくなることを望んでいます」として好意的に受け止めている[9]。
特技はサックス[6]、山口弁、広島弁、歌[14]。趣味はワイン、オペラ鑑賞、茶道[6]。
『タッチ』の上杉和也は、放映当時かなり気合を入れて臨んだが、和也が第1部で事故死するというストーリー上、第2部以降はほとんど登場しないため、悲しい思いをしたという。和也が死亡した後は、回想シーンで多少の出番を期待していたようだが、実際には達也や南は写真の前で語ることが多く、和也の台詞が登場する機会はほとんどなかった。浅倉南役の日髙のり子は、2部以降難波に「番組まだ続いているんだね。たまに見てるよ」と沈んだ調子でよく声をかけられたとエピソードを語っている。また、上杉達也役の三ツ矢雄二は、難波に対して「死んじゃってもね、人気があってファンが騒ぐとね、生まれ変わるよ[注 1]」と励ました。しかし、和也は結局生き返ることは無く、難波が「なんだ、生き返らなかったじゃないですか」と三ツ矢に言うと「SFと現実物とは違うね」と謝罪を受けた[17]。これらのこともあって、後の劇場版製作にあたっては、パンフレット上に彼の復活にとても嬉しそうなコメントをしている。
和也を演じていたころは、共演していた先輩声優によく「難波くん、絵と全然違う芝居やるよね」と言われていた。本人は近年再放送されている『タッチ』を見て、「ずいぶん下手だったなぁ」と感じているという[9]。本人曰く「舞台に立っている感覚でやってしまっていたため、アニメーションの感覚をいまいち掴めず苦労した」とのこと。
三ツ矢雄二によれば、オーディション時には難波も達也役でオーディションを受けていたという。
太字はメインキャラクター。