須藤 元気 すどう げんき | |
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生年月日 | 1978年3月8日(46歳) |
出生地 | 日本 東京都江東区 |
出身校 | 拓殖大学大学院地方政治行政研究科 |
前職 | 総合格闘家 |
所属政党 |
(旧立憲民主党→) 無所属 |
公式サイト | 須藤元気 – WE ARE ALL ONE ! |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2019年7月29日 - 2024年4月16日[1] |
基本情報 | |
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本名 | 須藤 元気 |
通称 | 変幻自在のトリックスター |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1978年3月8日(46歳) |
出身地 | 東京都江東区 |
所属 | ビバリーヒルズ柔術クラブ |
身長 | 175cm |
バックボーン | レスリング、ブラジリアン柔術、サンボ |
須藤元気 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2015年11月22日- |
ジャンル | ニュースと政治 |
登録者数 | 2.05万人 |
総再生回数 | 131,517回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年3月21日時点。 |
須藤 元気(すどう げんき、1978年〈昭和53年〉3月8日 - )は、日本の政治家、総合格闘家、レスリング指導者、ダンスパフォーマー、書家、居酒屋二代目、英会話学校代表。参議院議員(1期)を務めた。
東京都江東区出身[2][3]。関東第一高等学校、拓殖短期大学経営科卒業[4][5]、サンタモニカカレッジ芸術学部中退[6]、拓殖大学大学院地方政治行政研究科修了[4][5]。総合格闘技の選手として活躍し、2006年の現役引退は[7]、拓殖大学レスリング部監督として最優秀監督賞を受賞するなど実績を残す[2]。他にも、ダンスパフォーマンス集団「WORLD ORDER」を率いるなど多岐にわたる活動を行う。2019年に参議院議員に初当選。(後に2024年4月の衆議院東京都第15区補欠選挙に立候補したため、自動失職。)
ブラジリアン柔術黒帯[8]、シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ、一級小型船舶操縦士、危険物取扱者[9]、唎酒師、ソムリエ、スクーバダイビング、防災士などの資格を所持している[5]。
東京都江東区の東陽町で生まれ育つ[2]。実家は居酒屋[2][3]。「元気」という名前は、父親がファンだった小山ゆうのボクシング漫画『がんばれ元気』の主人公に由来する[7][10][11]。小学生の頃から軍事雑誌を愛読し、中学時代は、国防のために自衛隊員になることやフランス外人部隊になることを目指していた[11][12]。高校時代から、格闘家とミュージシャンになるという夢を持ち[2][13]、アメリカ帰りの逆輸入ファイターとして日本の格闘技界にプロデビューすることをイメージする[11][14]。
関東第一高等学校時代に始めたレスリング(グレコローマンスタイル)が、格闘スタイルの基礎となった。拓殖短期大学経営科に入学し、拓殖大学レスリング部時代の1996年に全日本ジュニアオリンピックで優勝、世界ジュニア選手権に出場した[15][4][2]。卒業後の1998年4月にアメリカのロサンゼルスに渡り、ビバリーヒルズ柔術クラブに所属、アメリカの格闘技大会に出場して経験を積んだ[15][14][11]。1999年8月に帰国し、日本の総合格闘技団体でデビューした[15]。2001年までパンクラスを主戦場として、プロ戦績は7勝2敗1分を残した[10]。パンクラスでは菊田早苗らともに格闘家チームGRABAKAの立ち上げメンバーとなったが、活動の範囲をさらに広げるべく、2000年12月に再渡米した。2001年にアメリカでの交通事故で怪我をして、しばらくの間試合に出場できない期間があった[11][16]。その後、UFCで2勝1敗という成績を残した[10]。『K-1 WORLD MAX』でのデビュー戦は、2002年2月11日の日本代表決定トーナメントだった。戦績は、サブミッション(関節技や絞め技)による勝利が多かった[10]。派手な入場スタイル[17][10][18][19]とトリッキーなファイトスタイルで格闘技ファンの注目を集めた[20][21]。格闘家現役時代のネックネームは「変幻自在のトリックスター」[4][7]、現役時代から「WE ARE ALL ONE(すべてはひとつ)」というメッセージ掲げていた[22][23][24]。2006年12月31日の試合後[14][25]、16勝4敗1分の戦績で現役引退を表明した[10]。
2002年10月19日、映画『凶気の桜』で俳優としてデビューした[26]。2005年10月25日、『幸福論』で作家デビュー[11][12]、2006年に出版した著書『風の谷のあの人と結婚する方法』は19万部を超えるべストセラーとなり、思想家としても活動している[26][11][27]。2008年、拓殖大学レスリング部監督に就任し、最優秀監督賞を複数回受賞した[2][14]。2009年、パフォーマンスユニット「WORLD ORDER」を結成した[6][13]。西洋人が想像する典型的な日本人サラリーマンのビジュアルでロボットダンスを踊るというパフォーマンスが海外で高い評価を得て[6][13][28]、日本でも知名度が広がった[29][30][31][32]。2009年に拓殖大学大学院に入学し[33]、地方政治行政研究科を修了した[4][5]。
2019年7月の参院選に立憲民主党から比例代表に立候補して初当選した[15]。2019年12月、「WORLD ORDER」の10周年記念ライブに登場し、「WORLD ORDERは、音楽を通して私の政治的メッセージを伝えようとする試みだった」と語った[34]。2020年、東京都知事選挙での対応をめぐり、立憲民主党を離党した[15][35]。
2024年4月、衆議院東京15区補欠選挙に無所属で立候補したため、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職)した[15]。選挙期間においては、街宣車を使わず、選挙区内を自転車で縦横無尽に移動し、神出鬼没に有権者の前に表れて街頭演説を行った。結果として3万票近くを集めたが、次点で落選した。
同年10月の衆院選に東京15区から無所属で立候補も酒井菜摘に1,125票差の僅差で敗れ次点で落選した[36]。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
ワクチンやマスクなどのコロナ対策に疑問を呈している[67][68][69]。ワクチン陰謀論を唱える講演会に登壇するなど反医療的な姿勢を隠していない[66][70]。
総合格闘技 戦績 | ||||||
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21 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
16 勝 | 2 | 11 | 3 | 0 | 1 | 0 |
4 敗 | 1 | 0 | 3 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | ジャクソン・ページ | 1R 3:05 三角絞め | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | オーレ・ローセン | 5分2R+延長1R終了 判定3-0 | HERO'S 2006 | 2006年3月15日 |
× | 山本"KID"徳郁 | 1R 4:39 KO(右フック→パウンド) | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 【ミドル級トーナメント 決勝】 |
2005年12月31日 |
○ | 高谷裕之 | 2R 3:47 三角絞め | HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決勝 【ミドル級トーナメント 準決勝】 |
2005年9月7日 |
○ | 宮田和幸 | 2R 4:45 腕ひしぎ十字固め | HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決勝 【ミドル級トーナメント 準々決勝】 |
2005年9月7日 |
○ | ラモン・デッカー | 1R 2:54 ヒールホールド | HERO'S | 2005年3月26日 |
○ | ホイラー・グレイシー | 1R 3:40 KO(膝蹴り→パウンド) | ROMANEX 格闘技世界一決定戦 | 2004年5月22日 |
○ | マイク・トーマス・ブラウン | 1R 3:31 腕ひしぎ三角固め | UFC 47: It's On | 2004年4月2日 |
○ | バタービーン | 2R 0:41 ヒールホールド | K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! | 2003年12月31日 |
× | ドゥエイン・ラドウィック | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 42: Sudden Impact | 2003年4月25日 |
○ | レイ・レメディオス | 2R 1:38 チョークスリーパー | UFC 38: Brawl at the Hall | 2002年7月13日 |
○ | 山本喧一 | 2R 1:46 チョークスリーパー | リングス WORLD TITLE SERIES | 2001年12月21日 |
○ | ブライアン・ローアンユー | 1R 2:17 三角絞め | リングス BATTLE GENESIS Vol.8 〜壮大なる格闘実験〜 | 2001年9月21日 |
○ | クレイグ・オックスレー | 1R 3:14 アキレス腱固め | PANCRASE 2000 TRANS TOUR | 2000年10月31日 |
△ | アンドレ・ペデネイラス | 15分1R終了 時間切れ | コロシアム2000 | 2000年5月26日 |
× | 國奥麒樹真 | 10分+延長3分終了 判定0-3 | PANCRASE 2000 TRANS TOUR | 2000年2月27日 |
○ | ネイサン・マーコート | 13:31 腕ひしぎ十字固め | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR | 1999年12月18日 |
○ | ビクトー・ハンセイカー | 1:43 ギブアップ(肘打ち) | PANCRASE 1999 BREAKTHROUTH TOUR | 1999年10月25日 |
× | 豊永稔 | 10分+延長3分終了 判定0-3 | PANCRASE 1999 BREAKTHROUTH TOUR 【ネオブラッド・トーナメント 準決勝】 |
1999年8月1日 |
○ | 窪田幸生 | 10分+延長3分終了 判定3-0 | PANCRASE 1999 BREAKTHROUTH TOUR 【ネオブラッド・トーナメント 1回戦】 |
1999年8月1日 |
○ | ティキ・ゴーセン | 5分3R終了 判定ドロー (須藤と所属事務所の公式声明によると、 須藤元気のセコンドについていたバス・ルッテン の抗議により判定を訂正、 須藤の勝利が宣言された[102]) |
Extreme Shoot 2 | 1998年6月6日 |
キックボクシング 戦績 | ||||||
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6 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
2 勝 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
4 敗 | 2 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | イアン・シャファー | 2R 0:59 TKO(パンチ連打) | K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜 | 2006年9月4日 |
○ | マイケル・ラーマ | 2R 2:09 TKO(右眉上のカット) | K-1 WORLD MAX 2004 〜世界王者対抗戦〜 | 2004年10月13日 |
× | アルバート・クラウス | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜 | 2003年11月18日 |
× | 魔裟斗 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2003年3月1日 |
○ | 金珍優 | 2R 0:16 KO(バックハンドブロー) | K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜 | 2002年10月11日 |
× | 小比類巻貴之 | 3R 1:27 KO(右ローキック) | K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2002年2月11日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | 宇野薫 | 5分2R終了 判定60-54 | CONTENDERS 2000 | 2000年7月1日 |
このタイトルはUFCに正式に認められたものではなく、活動を停止しているUFC-JAPANのリングで制定されたベルトである。前王者の山本喧一が個人的に保持していたものを、2001年12月21日にリングスでタイトルマッチを行ない奪取した。