鶏投げ(にわとりなげ、Cock throwing、cock-shying、throwing at cocks)は18世紀後半までのイングランドで広く行われていたブラッド・スポーツである。
柱に縛り付けた雄鶏に向かってコクステール(cokstele)と呼ばれる重い棒を順番に投げつけ、雄鶏が死んだところでゲーム終了となる。
トマス・モアは幼少時には鶏に向かってうまく棒を投げられると述懐していた[要出典]。
もし雄鶏の脚が折れてしまったり、遊んでいるうちに弱ってしまった場合は、雄鶏が動かないようにするために陶器の壷の中に入れた[1]。
鶏投げから派生した遊びとして、雄鶏の代わりにガチョウを使ったもの(ガチョウ引き、英: goose quailing,またはgoose squailing)というものや、雄鶏を地面に掘った穴に入れて目隠しをした者が順番に叩く鶏叩き(英: cock thrashingまたは cock whipping)などがある。また、サセックスでは、1.2~1.5mほど長さの紐につながれた雄鶏に犬をけしかけさせる牛攻めに似た遊びが存在していた[2]。
伝統的にパンケーキ・デイと深く結びついたものとされており、1737年の「ザ・ジェントルマンズ・マガジン」に寄せられた記事では、イギリスの文化において反ガリア主義の風潮が起こっており、雄鶏はフランスを象徴する存在であることから、鶏投げはフランスに対する昔からの憎しみに起因するのではないかとされている[3][要検証 ]
鶏投げはどの階級においても娯楽として親しまれており、特に子どもたちの間で遊ばれていたが、闘鶏ほど一般的ではなかった[2] 。
ブリストルのピューリタンの役人たちにより、パンケーキ・デイに鶏や犬や猫を投げる遊びを禁じる法律が1660年に制定された際、徒弟たちによる反乱が発生した[4]。
18世紀半ばから、 イングランドでは価値観の変遷によって、人気は次第に衰えていき、鶏投げに対する罰金刑が制定されたほか、各地で鶏投げを禁止する法律が制定された。[要出典]
1840年までの間に鶏投げの事例はあったものの、19世紀初頭の時点では、鶏投げという伝統があったことは完全に忘れ去られていた[2]。